55 家族
「おかえりなさい、ヴィルヘルミーナ」
ミナが屋敷へ入ると母親のカサンドラが笑顔で出迎えた。
「ただいま…帰りました」
向き合う覚悟を持って帰ってきたつもりだったけれど、いざ顔を合わせるとどうしても身構えてしまう。
ぎこちない笑顔でミナは返した。
「お父様とアルトゥールは仕事で王宮なの。夕食には間に合うよう帰ると言っていたわ」
「はい…」
「…お茶の用意をするから、着替えていらっしゃい」
ぎこちないミナにつられたように、やや表情を固くしてカサンドラはそう言った。
自分の部屋へ入ると、侍女達の手によって制服からドレスへと着替えさせられ、髪や化粧も整えられる。
———鏡に映る自分が『平民のミナ』から『侯爵令嬢ヴィルヘルミーナ』へと変化していくのをミナは眺めていた。
(見た目は貴族なんだけど…中身が伴わないのよね)
リゼの指導で仕草はそれらしく振る舞えるけれど。
豪華な調度品の並んだ広い部屋やドレスにアクセサリー、そして侍女に世話をしてもらうのも落ち着かない。
どうしても心は平民の感覚が抜けない、けれど———
これにも慣れないと。
鏡の自分を見つめてミナは改めて決意した。
「教会での生活は大丈夫なの?」
着替え終わったミナは、ティールームで母親と二人、向き合っていた。
「はい…」
「不自由な事はない?」
「はい…皆さんよくしてくれます」
向かい合わせに座っているけれど、顔を見る勇気がなくてミナは視線をティーカップに送ったまま答えた。
「そう、それならば良かったわ」
心から安堵したような声が聞こえた。
「でも何か困った事があれば何でも言ってちょうだい」
「…はい…」
「ヴィルヘルミーナ」
カサンドラは手にしていたティーカップを置いた。
「こんな事を言う資格はないけれど…私は母親としてできる事をしたいと思っているの」
「———はい」
「だから遠慮しないで、何でも言ってちょうだい。欲しいものでも、私への恨み言でも、どんな事でもいいの」
とにかく会話が必要なのだと、リゼにも言われていた。
上手く伝えられなくてもいいから、話すのだと。
「…はい…あ、あの。……お母様」
意を決してミナは顔を上げた。
「私…力を使えるようになるために…その、家族との関係を…直さないとならなくて」
言葉を詰まらせながら、ミナはカサンドラに自分の状況を説明した。
呪いの源が母親との関係であることから…それを解消しないと呪いから解放されないであろう事。
そして、自分の母親に対する気持ちの事。
「そう…」
ミナの話を最後まで聞くと、カサンドラは思案するようにしばらく考え込んでいたが、改めて姿勢を正すとミナに向いた。
「ごめんなさいねヴィルヘルミーナ。私のせいであなたをずっと苦しめて」
「…いえ…お母様のせいではありません…」
ミナは首を横に振った。
母親も邪神の呪いによってミナを憎むよう仕向けられていたのだ。
悪いのは母親ではない。
「それでも、私は母親としてあなたを守らなければいけなかったの」
ミナを見つめてカサンドラは言った。
「どんな事情があっても…あなたを傷つけてはならなかった」
「…お母様…」
「本当に、あなたにはずっと苦しい思いをさせて。謝って済むはずもないけれど…本当にごめんなさい」
「いいえ…」
「…こちらへ来てくれるかしら」
促され、ミナは立ち上がるとカサンドラの側へと寄った。
恐る恐る隣へと腰を下ろしたミナへと手を伸ばし、カサンドラはそっとその髪へ触れた。
「綺麗な黒髪ね。———どんな髪色でも…あなたは私の娘なのにね」
「…お母様…」
「ごめんなさい…ヴィルヘルミーナ」
壊れ物を扱うように。
カサンドラはミナの身体をそっと抱きしめた。
温かな感触と、甘い花の香り。
それは初めてなのに———どこか懐かしさを感じさせた。
「ずっと、こうやって…あなたを抱きしめたいと思っていたの」
カサンドラはゆっくりと腕に力を込めた。
「あなたがいなくなって…忌まわしい声が聞こえなくなって、目が覚めたあの日から」
「…お母様……」
———ああ、母もずっと苦しんでいたんだ。
ミナが生まれた時から虐げられ、家を離れてからも慣れない生活に苦労したり、孤児院で他の子供達に揉まれていた時に。
母もまた———邪神の呪いの声に。
それから解放された後は罪の意識に。
自分が母親を恐れながらも心の奥でその愛情を求めていたように、母親もまたミナを探し、求めていたのだ。
そう気づいた瞬間、ミナは胸の奥がふ、と軽くなったように感じた。
「お母様———…」
悲しみと、苦しさと、安堵と。
様々な感情が胸にこみ上げてきて抱きついたミナを、カサンドラは強く抱きしめ返した。




