31 神託
連れてこられたのは重厚な扉の前だった。
「ここは王が私的に謁見する部屋だ。ミナ、父上も同席したいと言っているんだけれどあまり気負わずにね」
「え?あ…はい…」
———アルフォンスの父上といえば当然国王陛下だ。
気負わずと言われても無理な話だ。
触れた手から緊張が伝わったのだろう、アルフォンスは勇気付けるようにミナの手をそっと握った。
(やっぱり…王子様なんだなあ)
紳士的なふるまいに感心してしまう。
制服姿のアルフォンスしか見た事がなかったが、今日のアルフォンスはスカーフを緩く巻き、刺繍の入った白シャツにやはり刺繍の施されたベストを着用しており、いかにも王子様然とした装いだ。
(恰好いいけど…間近で接するのは心臓に悪い…)
馬車の中でフランツィスカに言われた事を思い出して、心拍数が上がってしまう。
「そんなに緊張しないで、皆付いているから」
それを家族に会うせいだと思ったのだろう、アルフォンスは覗き込むようにミナに顔を近づけると微笑んだ。
知らずミナの顔が赤くなってしまう。
「…あの殿下が。彼女には随分と距離が近いんだな」
「そうね…そういえばミナには自分から触れているかも」
そんな二人を兄妹は生暖かい目で見守っていた。
扉の向こうは豪華な調度品が並んだ部屋だった。
立派な椅子が並べられたその中央、一際大きな椅子に男性が座っている。
威厳のある雰囲気を纏うその人が国王なのだろう。
その隣にはハルトヴィヒが座っており、ミナと視線が合うと笑みを向けた。
「ヴィルヘルミーナ…!」
記憶に残る女性の声に、ミナの身体がびくんと大きく震えた。
三人の人物が立っていた。
中年の男女に若い男性。
ミナの記憶にあるより歳を重ねたその顔は、忘れようとしても記憶から消えない顔だった。
「ヴィルヘルミーナ…」
駆け寄ろうとした女性に、ミナは反射的にアルフォンスへしがみついた。
「ミナ」
身体を震わせるミナの肩に手を乗せると、アルフォンスは女性を見た。
「夫人。ミナが怯えている、近づかないでもらえるか」
「…あ…」
ミナの様子に女性は息を飲んだ。
「申し訳…ございません」
男性が女性の肩を抱く。
二人はとても苦しげな表情でミナを見つめた。
長い沈黙が続いた。
「…ヴィルヘルミーナ…」
やがて男性———フォルマー侯爵が口を開いた。
「無事で…生きていて良かった」
侯爵は深く息を吐いた。
「言い訳など見苦しいだけだが…あの頃の我々はどうかしていた。お前が馬車と共に落ちたと聞いた瞬間…激しい後悔に襲われた。私はこれまで…何をしていたのかと。たとえ髪色が違っていても…お前の顔は、確かにフォルマー家の血を受け継いでいると示していたのに」
ミナは一度も父親らしい事をされた事がなかった。
抱き上げられる事も、頭を撫でられる事も…名前を呼ばれる事すらなかった。
まるでミナがいないもののように、侯爵は振る舞い続けていたのだ。
そうして母親がミナに接する時は、怒鳴りつけるか手を上げる時だった。
ミナはいつも母親の影に怯え、その目に触れないよう過ごしていた。
ただ兄だけがミナを気遣おうとしたが、一度ミナに話しかけようとしたのを見た母親が今度は兄を怒鳴りつけたため、ミナは兄を避けるようになったのだ。
その兄アルトゥールは、悲しそうな顔でミナを見つめていた。
「許せとは言えないが…本当にすまなかった」
妻の肩を抱いたまま、侯爵は深く頭を下げた。
(なんだろう…何か…)
久しぶりの家族との再会に、あの頃の悲しさや辛さ、恐怖心が込み上げる一方で、ミナの頭の中は冷静に父親の言葉を聞いていた。
(引っかかるというか…?)
その言葉に、違和感を覚えるのだ。
ミナがいなくなった途端に生じた変化。
それが何かと似ているようで…知っているようで思い出せなかった。




