29 シスター
ハルトヴィヒが立っていた。
明日の朝から森で調査を行うため、魔術団も教会で宿泊する事になったのだ。
「ハル…殿下」
「———私も、あの件で色々と学んだよ」
ハルトヴィヒはそう言いながらシスターの前に立った。
「いかに自分が幼稚で愚かだったのか思い知らされた」
「…そうでしたか」
「君にもよく言われていたのにな、もっと王太子としての自覚を持つようにと。だが私は…魅了されていたとはいえ、それを煩わしく思い君の言葉に耳を傾けようとしなかった。…結果、取り返しのつかない事になってしまった」
ハルトヴィヒは自嘲するような笑みを浮かべた。
「若気の至りだったと言えるような立場でない事すら…多くの犠牲を払わないと分からなかった」
「殿下…」
「その償いを終えるまでは余計な事を考えるまいと、戒めていたんだけどね」
ハルトヴィヒはふと目を細めた。
「君が生きていた事に安堵していると共に…君があの頃よりも更に綺麗になった事に、少し後悔しているんだ」
「…は?」
(これは…お邪魔虫ってやつかしら)
顔を赤らめたシスターと、そんなシスターを嬉しそうに見つめるハルトヴィヒの間に何やら甘い空気が流れはじめたのを感じてミナは思った。
「私はそろそろ…」
小声で呟き、そっと立ち上がろうとしたミナの腕をシスターが掴んだ。
「ミナ、どこへ行くの」
「どこって…部屋に戻ろうかと」
「殿下と二人きりにするつもり?!」
「…久しぶりの再会なのですから二人でゆっくりお話を…」
「する話なんてないわよ」
「ミナ、戻るのか」
二人でこそこそ話をしているとハルトヴィヒが声をかけた。
「はい」
「せっかくだから君も明日の調査に行くかい」
「え?」
「———殿下」
シスターはハルトヴィヒを睨みつけた。
「ミナはまだ学生、そのような危険な仕事に付き合わせないで下さい」
「明日は調査の下準備だから危険な事はない。ミナもいい勉強になるだろう?」
「…あの、申し訳ありません」
ハルトヴィヒの申し出に心惹かれるものはあるが…ミナは目を伏せた。
「ネズミの件を克服するまでは実戦に参加できないと先生に言われていますので」
「ああ、そうなのか」
「ネズミの件?」
首を傾げたシスターに、ミナは先日の実戦の事を説明した。
その流れでハルトヴィヒにもミナの素性を知られてしまったが…既にアルフォンスには知られているのだから彼にまで伝わるのも時間の問題だったろう。
「ミナが宰相の娘だったとは…」
「…ネズミが苦手なのは知っていたけれど、そんな事が起きるなんて」
シスターはミナの手を握りしめた。
「ごめんなさい、私が気付いてあげていれば良かったわ」
「いえ、謝らないで下さい」
ミナは首を振った。
「私がもっと…心を強く持たなければならないのですから」
「しかし、ミナが克服するにはやはり家族に会わないとならないだろうな」
ハルトヴィヒの言葉にミナの肩がぴくりと震えた。
「…はい」
「でも大丈夫なの?ミナ」
シスターはミナの肩に手を乗せた。
「———家族と会わなければならないというのは、分かっています」
ミナは言った。
「でも…会っても…どうしたらいいか…」
家族は後悔していると、兄は言ったという。
だがそれで謝られたとして…自分がそれを受け入れられるのか。
家族の顔を見てどんな気持ちになるのか…想像もできなかった。
「そうね…ミナは、自分の心を正直にぶつければいいと思うわ」
「正直に…」
「ミナがどれだけ寂しい思いをしていたのか、辛かったのか。心の中にある気持ちを全部家族の前で吐き出すの。泣いても怒鳴ってもいいのよ、だってミナは何も悪くないのだもの」
シスターはミナをそっと抱きしめた。
「家族を許せなくてもいいのよ。魔術師になれなくても大丈夫、上手くいかなかったらいつでも帰っていらっしゃい。ここがミナの家なんだから」
「…シスター…」
「私と神父様、子供達がミナの家族なんだから」
「…ありがとうございます」
涙が出そうになるのを堪えるように、ミナはぎゅっとシスターに抱きついた。
「———アンネリーゼ」
二人を見つめていたハルトヴィヒが口を開いた。
「君は…公爵やディートヘルムが謝罪したいと言ったらどうする?」
シスターはミナの身体を離すとハルトヴィヒへと向いた。
「あの二人も君を探しているんだ」
「———私がここにいる事は他の方には言わないで欲しいのです。もちろん私の家族にもです」
少し考えてシスターは答えた。
「謝罪は受けたくないと?」
「いいえ…アンネリーゼ・トラウトナーという人間はもういないという事です」
シスターはハルトヴィヒを見据えた。
「今の私は女神に仕える身。もう貴族社会とは関係ありません」
「…そうか」
ハルトヴィヒは少し寂しげな表情を見せた。
「分かった…だが何か困った事があったら言ってくれ。手助けになりたい」
「ありがとうございます。それでは、ミナの事をよろしくお願いいたします」
そう言ってシスターは微笑んだ。




