7 冷たい日々
あと10パート以内で完結します。もう少し、お付き合いください。
秋も深まったXXXX年のある日。俺はとうとう戦場へと駆り出された。俺だけではない。歴史の教科書が物語るように、幼き子から、余命幾ばくかの病人まで遍く、等しく、俺たちは戦争に人生を変えられた。ある者は、心に大きな傷を負い、ある者は、掛け替えのないものを奪われた。
自分たちが戦争を起こしたはずなのに、そいつはいつしか俺たちの手を離れて大きく大きくなっていた。もはや誰にも止められないほどに、大きく、大きく。
酷く鮮明に、余りにも生々しく。真っ赤な血が作る水溜まりがじわじわと土色の地面に吸い込まれる光景を俺は今でも夢に見る。
「君、何期?」
「◯期。」
そいつはAと名乗った。Aは雪国の出身だそうで、これから行く極寒の地にもほとんど恐怖はないかのようだった。ここにいる人々は皆そうだ。泣いている者は1人もおらず、皆、口元に笑みすら浮かべてみせる。当たり前の日々を過ごしていた人々が軍服に身を包むとただの兵隊にしか見えなくなる不思議。顔が認識できない、戦略ゲームの中の一つのピース、緑色をした兵隊の人形を敵と衝突させてもいないのに手首に触って倒してしまって、慌てて戻すような感覚。まさにこれだ。ただ、戦略ゲームと違うのは倒れたらまた立ち上がることが出来ないということだけ。
「俺は空だけど、君は?」
「ん、陸だ。」
そいつは朗らかに笑っていた。
「俺さ、飛行機に乗るの夢だったんだよ。憧れのパイロットになれたんだ!」
「そうか。」
Aは本当に嬉しそうだった。強がりとかじゃなく、本当に、本気で。邪気のない笑み。戦争に向かう悲壮感なんてものはなく、ただ、そこには空を飛ぶことを許された者の喜びだけがあった。
「その、怖くないのか。空軍はどうしても他の部隊よりも、その......。」
「死ぬのが怖くないかって?」
Aは俺の言いたいことを察してくれた。俺にはとても言えない。
「死ぬのが怖くない奴なんていないよ。だけど、俺は飛べることの方が死ぬ恐怖よりもちょびっとだけでかいんだよ。しかも祖国を守ることもできる!最高じゃないか。」
「そうか。変なことを聞いたな。すまなかった。」
「君は怖いのか?」
「ああ、情けないだろ。」
俺の手に触れたAの手は温かい。久しぶりの人肌だったからだろうか。彼女のタコの出来た手を想い出してしまうほどに。
「大切なものを守るためだって思えば少しは薄れてこないか?」
「そうだな......。」
俺の大切なものってなんだろう。彼女にとって大切なものはなんだったのだろう。
「もう別れたんだけど、俺、彼女がいてさ......。」
Aは頷きながら聞いてくれた。そうすると少し軽くなった気がした。だが恐怖が全てなくなるわけじゃない。Aも分かっているはずだ。
「君、前は何してたの?」
「プロのヴァイオリニスト。」
Aは感心したように声をあげた。この後の展開は分かっている。すごいね、どんな曲を弾いてたの?だいたいこれだ。
「すごいね。」
ほら。この後も決まってる。
「でも、だから怖いのかも。」
え?
「正直戦場ではそれ、役に立たないだろ?俺は前は......。」
その後何をAが言ったのかよく耳に入ってこなかった。そうか、ヴァイオリンは役に立たないんだって、その事実だけがぐるぐると脳内を巡って麻薬のように思考を溶かす。出発の朝まで、俺の大切にしてた、してたはずのヴァイオリンはもう俺に何も与えてくれないんだってそんなことばかり考えていた。