マザーとネスト
「ゴルゴンおじいちゃん――僕、ネストを探検してくる!」
「気をつけるのだぞ」
デュークは随分と言葉の使い方が上手になりました。
カラダはそれ以上に育っていて、「冒険だ――!」とネスト(おうち)を駆け回るのが、すっかり日課になっていました。
「出発――!」
デュークは嬉し気な声を上げながらネストの中を進み始めました。
すでに大きさは二百メートルを超えるという、フネとしてもかなり大きな彼ですが、テストベッツのネストは相当な広さがあります。
龍骨の民の平均的なサイズは、体長が二百から三百メートル、高さと幅はそれぞれ六十から百メートルになり、体積は約五十六万五千立方メートル。
典型的なヒューマノイドに換算すれば約百万人分にもなるのです。
だから、ネストは大変に広いところです。
デュークは毎日新しいフロアを見つけていました。
「わぁ、ここは初めてのところだぁ!」
そこで、デュークはベッカリアに出会います。
なにやらガタガタと作業をしているようです。
「ベッカリアおじいちゃん、何してるの?」
「おお、ちょうどよいところに来ましたな。恒星間アンテナの整備が終わったところですぞ。よし、つないでみますかな?」
ベッカリアは器具の調子を確かめ、そこから伸びる線をデュークの頭にくくりつけました。
「今日は電波の調子がよさそうだから、久しぶりに映るかもしれません」
ベッカリアがクレーンの先をクルクルさせながら、ネストに備わった大型アンテナに届く公共電波の波長をチューニングすると――
「あ、なにか映ったよ」
「子ども向け番組ですぞ」
補正された電波がデュークの龍骨に流れ込み、映像と音楽を流し始めたのです。
デュークが受け取っているのは、マザーの上空に浮かぶ高軌道ステーションから届く、共生知性体連合テレビの映像でした。
龍骨の民が属する共生知性体連合では、さまざまな子ども向け教育番組が作られているのです。
”共生知性体連合の不思議な星々、龍骨の民の母星マザー”
「なんとタイミングの良いことだ。これは我らが母星の紹介ではありませんか!」
「母星って、おかぁさん?」
「そうですぞ。お、はじまります――」
番組のタイトルが浮かび上がり、輝く体毛を持った可愛らしいクマの姿が見えてきます。
シルクハットと燕尾服のような宇宙服を身に着けた彼は、視聴者に向けて深くお辞儀をしました。
「ふぇぇぇ、これ、フネじゃないよ」
「フネとは違う生き物ですな。いわゆる異種族の方ですぞ」
デュークは初めて見るクマの姿に驚きます。
ベッカリアは異種族というものについて簡単に教えると、「彼の言うことをよく聞いておきなさい」と言いました。
「こんにちは、共に生きる知性体の皆さん。私はメドベージ。本日は、”生きている宇宙船”たちを産む星、マザーのことについてお伝えしたいと思います」
メドベージは、惑星ルーシャ生まれのクマ型種族であり、ミーシカ・サーカス団の団長で、この教育番組のコメンテーターでした。
「今、私はマザーの夜の面にいます。もうすこしすると地平線の向こうから龍骨星系の主星が現れるでしょう――――おお、ちょうどぴったり日の出の時間です」
陽光がマザーを照らし、地表の様子が露わになってゆきます。
「ゴツゴツとした地形、粉雪のような砂が一面にまかれています」
マザーの地表は岩石を基本とし、その表面は細やかな砂塵に覆われていました。
加えてメドベージは「マザーには大気がありません。だからこの場所は真空です」と言い、シュコ――パ――! と口元の呼吸補助器を動かしながら話を続けます。
「表面の温度はまだ低いのですが、陽光を遮る大気がないので、温度はすぐに二百度を超えるでしょう。龍骨の民たちはこんなところでも素肌を晒して普通に生きているのです」
照りつける陽光は主星のもたらすプラズマそのものであり、それが直接吹き付けてくるのがマザーの地表でした。
「さて、ちょっとした実験をしてみましょう」
メドベージは手にした自慢のハットを放り投げます。
すると、帽子がふわふわと地面に落ちていきました。
「マザーは直径三千キロ程度の天体ですから、重力はとても小さいのです」
そう言った彼は、「地面に落ちたシルクハットを回収するとしましょう。おっとっと、低重力だから歩くのが大変です」などとヒョッコヒョッコ飛び跳ねながら、少し離れたところまで歩きました。
そして手を伸ばして地面に落ちたシルクハットを摘まみ上げようと――
「ん? おかしいな、取れないぞ……」
シルクハットが地面に少しばかりめり込んでいることに気づき、首を傾げながら「ふん!」と、力ずくで剥がそうとするのですが、帽子はまったく動きません。
それどころか――
「あ、あれ? 帽子が……地面に飲まれて行くぞっ!」
帽子は緩やかな速度で地面に沈んでいきます。
「なんだこれは……」
眼を丸くしたクマが見守る中、シルクハットは完全に地面の中に沈みました。
「いったい全体……」
帽子が大地に沈むという事象を目の当たりにしたメドベージは、そこでコホンと咳払いしてから、こう続けます。
「さて、実は私、この現象が何なのか知っておるのです。マザーの地表はナノマシンの群体でできており、さまざまなモノを取り込むのです。マザーはこのようにしてフネの材料を取り込んでいると言われています」
メドベージはウンウンと頷いてから――
「あれ? するとですよ、私のカラダも取り込まれるのでしょうか……? マ、マザーに……食べられちゃうっ⁈」
と、怯えた声を上げるのです。
でも、彼が地面に取り込まれるような様子はありません。
「はははご安心を、マザーは私のような知性体を食べたりすることはありません。ナノマシンは知性体を選別する一種のフィルターを持っているのです」
そんな道化めいた解説を行ったメドベージは、手元を確かめてこう言います。
「さてさて、そろそろお時間のようです。”共生知性体連合の不思議な星たち”、次回もお楽しみに~~|フラーレ・シンビオシス《さようなら》~~!」
共生知性体連合でよく使われる挨拶を高らかに吠え上げたクマが、素敵な笑顔を見せながら深くお辞儀をすると同時に、デュークの龍骨に映っていた映像が途切れました。
「へええええ、面白かったぁ!」
「ははは、番組の終わりまでなんとか電波が持ちこたえてくれました」
ベッカリア曰く、恒星間放送は量子学的な関係で、いつでも見られるものではないということでした。
さて、次にデュークは、朝の二度寝を楽しんでいる老骨船のところへスルスルと近づきます。
「オライオお爺ちゃん、起きて~~!」
「ふが……? なんじゃ、デュークか」
デュークが寝ているオライオをフリフリと揺さぶるものですから、オライオは目をしばしばとさせて、起き上がります。
「ふむ、カラダが二百メートルを超えたのぉ」
「うん、毎日大きくなるの!」
この時、デュークの体長は二百メートルを超え、すでに大人並みのフネに成長していました。
「よしよし、もっと大きくなるのじゃ。ご飯をたくさん食べるのじゃ!」
「ご飯……」
ご飯という言葉にデュークのお腹が反応し、グゥゥゥゥと鳴ります。
「ふははは、大きな腹の虫だのう。タターリアがご飯を用意しとるぞい」
「うん、いってくる!」
ネストの食堂のような場所――
女性型の老骨船、糧食艦タターリアが、プラズマアーク炉を用いてバチバチバチッ! と金属を精錬していました。
「おばぁちゃん! ご飯を頂戴!」
「ええ、ちょうど美味しいご飯ができてるわよ」
精製した金属や圧縮した炭素繊維、栄養に満ちた高分子ペレットを並びます。
「さ、お食べなさい」
「いただきま~~す!」
デュークは笑みを浮かべながら、クレーンを用いてご飯を口にしました。
龍骨の民は、生の鉱石でもバリバリと平気で食べる生き物です。
でも、加工した物質のほうがカラダには良いのです。
「よく噛んで食べるのよ」
「うん!」
デュークの口の中で、金属破砕装置のような歯がモギュモギュ! ガキンガキン! と唸り、マテリアルを砕いてゆきました。
「美味しい! 美味しい!」
大量のご飯を食べたデュークは大変ご満悦となり――
「ぷはぁ……まんぷくだよぉ。ふにゃ……むにゃ……」
小一時間ほどのお食事タイムが終れば、目がとろ~んとし始めます。
「あらら、こんなところで寝ちゃいけないわ」
タターリアは、船渠へ向かうように言いました。
「はぁぃ……」
眠たげな眼をこすりながら、デュークはお昼寝をするために寝床へ向かいます。
そんな彼を見つめながら、タターリアが溜息をつきました。
「大人が食べる量をはるかに超えているなんて……」
実のところ、デュークは大人の数倍以上の食事をとっています。
ネストの食糧庫はいつもひっ迫、火の車。
タターリアが、溜息をつくのも仕方がありません。
「でも、食べてくれるってことが、何より嬉しいのよねぇ」
タターリアは嬉しそうにそう言うと、明日の仕込みに入ったのです。
ずいぶん大きくなったデュークですが――
きっと、明日には今日よりもっと――大きくなるのでしょう。