老いる龍骨、伸びる龍骨
マザーには大小さまざまなクレーターがそこかしこに存在し、その一つは85キロメートルの綺麗な円周を描き、中心に高さ1.6キロの高い山を持っています。
陽光がそのクレーターに差し込むと、ネストの内外を分ける半透明の天板をくぐり抜けて、二隻の老骨船を照らしました。
「軌道ステーションから物資を射出したとの連絡があった。ただ、マスドライバーの調子が良くないらしく、コンテナの軌道要素がまずいことになっている。直接行って回収してくれ」
宇宙を眺めながら、工作艦ゴルゴンがミルクの材料が詰まったコンテナを取りに行ってくれと高速輸送艦アーレイに依頼しています。
「ふむ、龍骨星系の反対側から射出されたコンテナの軌道要素……推定位置は、大体あのあたりですな。一日くらいで回収して戻ってこれますね」
アーレイは龍骨の中で最適な回収ルートをサッと計算し、「間に合いますよ」と言いました。
「そうか、年寄りに宇宙はきついが、頼んだぞ」
「なに、大丈夫ですよ。まだ私は引退してから一年もたっていないのです」
そう言ったアーレイは、軍式の敬礼をスパリと決めてから、ネストの中をスルスルと進み始めます。
ほどなくして彼はネストの上部にある発着場に入ります。
そこには随分とくたびれた老骨船が眠りについていました。
「ドク、ドク、起きてくださいな」
「むにゃむにゃ……なんだアーレイか、どうした?」
アーレイに気づいて「よっこらしょ」と難儀そうに体を持ち上げた老骨船はネストの医者であるドクター船です。
テストベッツで、ドクと呼ばれている彼は、かなりの高齢であり、最近はいつも居眠りをしながら過ごしていました。
「コンテナミルクの回収に向かいます。軌道要素が乱れているので、取りに行かなくてはなりません」
「ああ、デュークの飯の種か。では、宇宙に出るのだな」
「ええ、カタパルトを使って、このようなルートで行こうと思うのです」
アーレイは回収のための航路予定をドクに示しました。
「なになに、初期加速をつけて、ここでさらに加速をするのか。ふむ、ちと無理しすぎではないか?」
「私の龍骨はガタが来ていますけれど、まだそれくらいはやれますよ」
「おいおい、まだ若いつもりでいるのか……ガタが来ているのは龍骨だけじゃない、体の各部も経年劣化やら金属疲労しているのだぞ」
ガタが来る――龍骨の民は年を取ると、龍骨にガタと呼ばれる特徴的なひび割れが生じ、同時に体の各所も衰えて、宇宙を飛ぶのがだんだんと難しくなります。
「だが……誰かが取りに行かねばならんか……とりあえず検査だ」
老骨船たちは宇宙に出る前に、安全検査を徹底しなければなりません。
ガタついた龍骨は、安全範囲内で航宙しなければ寿命が確実に縮まるからです。
「検査、必要ですかねぇ? 私は現役時代は戦闘軌道降下を何度も、しかも砲火飛び交う中を――」
アーレイが「それにまだ引退したばかりだし」などと言いました。
すると――
「黙れ、若造ぉぉぉぉぉぉぉっ!」
「え、えええええ……はい」
ドクはものすんごい勢いでぴしゃりと叱りました。
ネストの最年長であるドクにそう言われれば、まだ引退したばかりのアーレイはそれ以上反論できません。
「はじめるぞ」
ドクのクレーンがアーレイの体の上に伸びてゆき、指先からアーレイの装甲板に向けて超音波を放ちました。
「ふむ、ふむ……血圧はまあまあか」
「ほら、まだまだ健康なものでしょう?」
「黙れと言ったぞ。雑音が入るから黙れ!」
ドクが、アーレイをギロリと睨みつけます。
アーレイは「はぁ、仕方ない」と押し黙りました。
「さて、縮退炉はどうかな…………うーむ? なんだこの影は……」
「え?」
龍骨の民の心臓である縮退炉は生きている宇宙船のエネルギー源であり、宇宙を飛ぶためには必要不可欠なものです。
ドクの不穏な言葉にアーレイはドキッとしてしまいます。
「まさか悪いところが……?!」
アーレイは「先生、癌じゃありませんよね!?」などと冷や汗――
龍骨の民の血液である液体水素をプシュッと漏らしました。
ビクつく高速輸送艦の姿にドクは「……脅しが効きすぎたかな?」と独り言を漏らしてからこう言います。
「ふん……目が霞んで、影のように見えただけだ。何も問題ない」
「お、おどかさないでくださいな!」
アーレイは「くはっ」と排気を漏らしながら「この藪医者め」と思いつつも、軍歴もあることから理不尽さには耐性のある彼は口を閉じました。
ですが――
「……お前、今ワシのこと藪医者って思ったろ?」
「りゅ、龍骨を読まれたっ⁈」
「そのようなわけがあるまい。思いっきり顔に出ておるだけだ……まぁいい、さてさて龍骨の方はどうかな……ふむ、ふむ、やはり少なからずガタが来ているぞ。本来の八割程度の強度まで落ちている。だから八割程度の力で飛ぶのだぞ」
「えええ、もうちょっとおまけしてくれませんか?」
「おまけって……お前」
ドクは呆れた声を上げました。
高速輸送艦として鍛えられたアーレイですから、それでもかなりの速度で飛べるのですけれども、やはり老骨船なのです。
「くっ、これが老いか。だんだん飛べなくなるんだなぁ……」
「アーレイ。宇宙を飛べるだけマシなんだぞ? ワシなんざもう、ネストをはいずり回ることしかできんのだ」
ドクは、もう飛べないどころか、ネストの中を動くことも難しくなっていました。
「あ、これは失言でした……」
アーレイは今更ながらそのことを思い出し、謝罪の言葉を口にします。
しかしドクは「さっさと、カタパルトに入れ」とだけ命じました。
「わかりました」
おとなしくカタパルトに入ったアーレイは、発着場に備わった電磁カタパルトがウォォォン! とした音を響かせるのを感じます。
「射出の手はずは整っているな……」
カタパルトに収まると、上から伸縮性のあるパイプがスルスルと降りてきます。
アーレイはその端を口に含んでゴクゴクと推進剤を飲み始めました。
「飲みすぎるなよ。腹八分にしておけ」
「また、八割ですか……」
次に、アーレイは体の各部を確かめます。
「姿勢制御初期設定良し、電波系オールグリーン、各スラスタ航行モードに変更。外部環境情報データロード」
推進剤を補給しながら、副脳――龍骨をサポートする副次的器官にアクセスして最終チェックを始めました。しばらくすると、推進剤の方も十分になってきます。
「カタパルト開口部開放、進路異常なし、発進シークエンス秒読みへ。外部電源からの供給停止、内部出力に切り替え、推進剤タンク加圧開始――」
そろそろ行くかとアーレイが思った時でした。
突然、ドクからの物ではない電波が彼の龍骨に伝わります。
「おおいアーレイ! 聞こえるか?」
「……これは、ゴルゴンさん。はい、どうしました?」
「よし、今からこちらの音声を飛ばすから、良く聞くんじゃあ!」
オライオがその耳で拾った電波をそのまま回線に流し込みました。するとアーレイの耳になにやらピキ――――! とした高音が入るのです。
アーレイの耳を叩くとても甲高い電波。
そこにはこのような意味がありました。
「おなかへった~~! おなかへった~~!」
「デュークがしゃべったのじゃあ!」
「おお!」
子どもの成長というものは、老骨船にとって大変喜ばしいものです。
アーレイは龍骨に実に嬉し気な感情が載るのを感じました。
「聞いての通り、デュークはおなかが、ペコさんなのだ!」
「そのようで」
「おなかへった~~!」とひとしきり言葉を漏らしたデュークが、さらに盛大な声でフギャァァァァァァッ! と泣き叫んでいます。
「だが、まずいんじゃ! ミルクが切れそうじゃ! 材料は底の方にほんの少しだけしかのこっとらん! じゃから、早くコンテナ回収してこい! 一日といわずに半日で戻ってこい!」
「ええ、半日ですかっ⁈」
アーレイはコンテナ回収のコースを必死に再計算しました。
「ええと、カタパルトの初速がこれだから、全力噴射とオーバーブーストで、逆噴射をこうすると……よしっ、これならば……」
「……おい、アーレイ」
彼がそんな計算をしていると、カタパルトの隙間からネストの医者が睨みながら「無茶はするな」と睨んでくるのがわかります。
「あ、やはり、駄目ですか? でも、間に合わなくなったら……」
「ふむ……」
アーレイがすがるように尋ねます。
すると相当に古びたフネが舳先をクレーンで撫ぜながら、こう告げました。
「ふん、しかたがない。加速度の許容値を緩和してやる。子どものためなら、デュークのためなら、制限なぞ打ち捨てるのが、老骨船だからな」
「おお、そうこなくては!」
ドクがOKしたことでアーレイは喜色を浮かべ、ドクはそんな彼の背中をドンドンと叩きながらこうも伝えます。
「やるなら、とことんやれ」
「は?」
口元を上げて、実にやさし気な笑みを浮かべたドクは――
「半日で帰ってこなければならんのだろう? それに、子どものためならば、龍骨が折れても構わんだろう? だから特別なことをしてやる」
「へ?」
ドクはカタパルトの制御盤を操作して、電磁推進機構の出力をガチガチと最大にまで上げました。
するとフライホイールに蓄えられた膨大なエネルギーがリニアカタパルトのコンデンサに伝達され、バチバチバチとした異音を奏でます。
「最大加速百Gだっ! 心置きなく、逝ってこい。ああ、くたばるのは、コンテナを持ち帰ってきてからだぞ」
「ちょっ、まっ……」
「なぁに、子どものためなら、すべてが許されるのだ」
「えええええええええええっ⁈」
ドクがぽちりとボタンを押すと、
バチバチバチッ……ギャァァン! と空間が震える音が走り――
リミッターを超えた最大出力のカタパルトが、アーレイのカラダを凄まじい勢いで押し上げました。
瞬間加速五十Gという鬼のような加速の中、ガタの来た高速輸送艦は――
「う、うぎゃぁぁぁぁ――――っ!」
という絶叫を上げたのです。