個体差を超越する存在 その2
「っと、ここは――」
「一面の白、じゃのぉ」
「むぅ……なんともけったいなところですな」
「にゃぁ?」
デューク達があたりを見回すと、床も壁も存在しない、延々と白い空間が広がっていました。
「む、物は見えるのに、影が見えんのじゃ……」
不思議なことに、ここでは影が全く見えません。
「ニャ……?」
ニャルが地面――と思われる所を爪でひっかくのですが、表面を触っているような、触っていないような不思議な奇妙な感覚だけがありました。
「ここでは、摩擦がないようじゃのう」
「むぅ? ではなんで立っていられるのだ……まっこと怪態な……」
そこでデュークが囁きました。
「“定義される前の空間”――か。正確には未定義が多すぎるんだけどね」
「……ご存じなのですかっ?!」
「定義される前の空間じゃと!?」
「にゃ……」
ゴローロが目を見開き、キョウカは胡乱気な目になり、ニャルは尻尾をピンと立てました。
「ええと、ここは概念空間――
中央士官学校の秘匿講堂。
思考と現象の境界を取り払った、試験用の実存層。
ここでは、概念が物質を凌駕する。
今取っている僕たちの肉体は思考の投影であり――
ん……知っているというか、思い出したというか……」
デュークは静かに視線を落とし、こう続けました。
「スキップ教官、いらっしゃるのでしょう?」
その瞬間――
白一色の世界に、
夜が滲み出し、形を得て、
ゆらり、燃えるような赤の双眸を持ち、
外套を纏った男が“現れたのです”。
「くははっ、こちらの方が落ち着くな……ああ、久しいな、デューク君。覚えていてくれたか」
スキップと呼ばれた男は外套の裾を払うようにして、ゆっくりと足をふみ出すのですが、その動き一つひとつは、空間の波にわずかに逆流するかのような印象がある――実に奇妙なものでした。
そして――
「にゃぁ(寒い)……」
ニャルが小さく身を震わせました。
「ここ……何かがおるのぉ」
キョウカの声がかすれます。
普段は飄々としている皇女の表情に、わずかな緊張が走っています。
「ああ、何かが近くに……」
ゴローロが拳を固めてあたりを見回しました。
つまり、彼ら三名は、デュークと違ってスキップを大よそ認識できていないようなのです。
「くく、だが、薄らと気づいている――なかなかに有望な候補生達ではないか」
スキップはキョウカ達の周りをクルクルと回りながら、実に楽し気な薄ら笑いを浮かべました。
「彼らの存在と私の存在がズレているのだ。あえて数式で言うならば、虚数空間とか次元が違うともいえるのだ」
「ええと、波長とか軸が合っていないんでしたっけ?」
なにやら小難しいことを言われたデュークは、なけなしの言葉を漏らしました。
「ふむ、まだ苦手なのかね? まぁさもあらん。だが、理解する努力は忘れないようにな、士官候補生」
「ええ、はい、それはがんばります」
という、会話がなされる中――
「にゃぁ(寒い)……」
ニャルが小さく身を震わせました。
「ここ……何かがおるのぉ」
キョウカの声がかすれます。
普段は飄々としている皇女の表情に、わずかな緊張が走っています。
「ああ、何かが近くに……」
ゴローロが拳を固めてあたりを見回しました。
つまり、彼ら三名は、デュークと違ってスキップを認識できていないどころか、なぜか同じような言葉を繰り返しているのです。
「くくく、時間の軸も、いろいろとズレているようだ」
そして――
「にゃぁ(寒い)……」
「ここ……何かがおるのぉ」
「ああ、何かが近くに……」
ゴローロら三人はまたセリフを口にしたのです。
「教官これって無限ループってやつですよ。なんていうか、傍から見ていると、凄く、怖いんですけれど」
「まぁ、君は経験者だからな。くはっ!」
黒衣の男――スキップは、乾いた笑いを漏らしてからこう続けます。
「どんなに強靭な体を持っていようとも、どんなに心が高貴であっても、はたまた核の火を宿していようとも――」
「個体差を超えた個体を超えることはできない、でしたっけ?」
デュークはそれだけを言うと押し黙りました。
「そうだ、次元が違う――文字通りのお話だな」
そして――
「ゃぁ(寒い)……に」
「こ……何かがおるのぉこ」
「あ、何かが近くに……あ」
三名が僅かに“ブレ”ました。
「おお、かなり同調が速いな、なかなかいいじゃないか、君の後輩たちは」
「っていいますけれど、もうすでに、彼ら……100ループくらいしているのでしょう?」
「いや、桁が違う。100万のオーダーだ」
「うわぁ……」
艦首にものすっごい捩じりを入れたデュークが、眼をしかめました。
「比較的穏当な回数だと思うのだが?」
「それ、やりすぎを超えて……ああ、どうでもよくなってきました……」
と言う会話がされる中――
「にゃぁ(なんか、寒い)……」
ニャルが小さく身を震わせました。
「ここ……何かがおるのぉ」
キョウカの声がかすれます。
普段は飄々としている皇女の表情に、わずかな緊張が走りました。
「ああ、何かが近くに……」
ゴローロが拳を固めて――
「うへぇ……」
デュークはその様子に龍骨の底から出たような溜息を吐きました。
「一回増やしただけなのだがね――
だが、時間だけはある。いずれ彼らも同調できるだろう。
まぁ、これも修練と思うべきだろうな」
「ああ、時間停止とか空間操作系のサイキック対策ですものね。あと、現実改変能力者……とか」
「うむ、この辺りをシゴイておかねば、執政官や執政府の要人になられてもらっては危ういからな」
「でも、いるのでしょうか……そんな能力者がそんなにゴロゴロと」
デュークは、艦首を90度も傾けましたのですが、黒衣の教官は――
「いる、間違いなくいる。
なぜならば――私がその証明だからさ。
君、そう言うのを見かけたら100人はいると思いたまえ」
と、断言し――
「っと、ここは――」
「一面の白、じゃのぉ」
「むぅ……なんともけったいなところですな」
「にゃぁ?」
…………。




