オコート元帥、教壇に立つ
リクトルヒ達は執政府のテーマを流し終えると、呼気を合わせて重低音の斉唱へ移ります。
オォーー… オォーー… オォーー…――
実に重厚で、まるで、何か恐ろし気な存在を称賛するが如き――
「うおおお……執政官のテーマですぞ……っていうか、まだつづくのですな」
「そうだねぇ……」
「執政府と執政官って、別々のテーマがあるのじゃのぉ~律儀よの」
(にゃんと不気味だにゃん)
空気がビリビリと震わせる不気味なテーマソングに、ゴローロはさらに緊張し、キョウカは単に感心し、ニャルは率直な感想を漏らしました。
「あ、これ長くなる奴だ……全曲聞いてたら時間が足らないよ……」
デュークはなにやら訳知り顔で呆れ顔になり「もういいや、中に入ろう」と呟きました。
「はっ? 良いのですか?」
「うん、これ、彼らの日課みたいなものだから……毎朝七時に斉唱開始。昼に一度、夕刻に一度。合計三回は絶対やるんだよ」
デュークはリクトルヒの一人を指さしそう言いました。
そのリクトルヒはというと、右手でファスケスをくるくるとオーケストラの指揮棒のように動かし楽曲を進行させているのですが、ササっと左手を動かして「入っていいよ、どうぞ」と言うほどの仕草を示していたのです。
「あと、三回どころか祝日には拡大版もやってるんだ。それは凄いよ、全編公開3時間もあるんだから」
「っ……」
デュークの皮肉混じりの一言に、ゴローロは心の中で (俺は軍に来たはずなのに、なぜ合唱団に付き合わされるのだろう……)と思い、何と言ったらよいやら、一瞬舌打ちを仕掛けてギリギリ踏みとどまりました。
彼は本当に気苦労が絶えません。
ともあれ、中に入って良いという事なので、デューク達はしずしずと扉を潜って室内に入るのです。
「デューク士官候補生以下、4名入ります!」
バタン――
彼らが中に入ると同時に、扉が閉まりました。
同時にスッととした視線が彼らに刺さります。
視線の主――窓際に立つ影は、かつて宇宙軍を率いた元帥にして前執政官、ヌシ・オコートでした。
巨躯は老齢のはずなのに少しも衰えを見せず、背広めいた簡素な教官服さえ軍装のような威圧を帯びています。
顔は岩のごとく刻まれた皺に覆われ、白髪は刈り揃えられ、ただ眼光だけが異様に若く、鋼の輝きを放っておりました。
呼吸は深く、静かでありながら、胸郭からは獣時代の先祖が醸し出していた圧がにじみ出ています。
しかし不思議と威圧感は感じず、「老練なる司令官」であると同時に、「穏やかな教育者」――そのような印象を受ける物でした。
「総員、敬礼!
校長先生、いえ、オコート教官。デュークチーム、揃っております」
「うん……集まったようだね」
オコート元帥は、その口に柔らかな笑みを浮かばせながら、デューク率いる士官候補生チームを眺めました。印象だけではなく、彼はイノシシにしては穏やかな気質を持っていることの証左でしょう。
とはいえ、彼は先の執政官にして元帥――
「くっ……」
軍の規律を重んじるゴローロは、額から耳の後ろまで、堰を切ったようにダバダバと滝のような脂汗を流しました。なんとか直立不動の姿勢を崩さないところに、陸戦隊の誇りが残っていますが、傍から見ていると可哀そうなほどです。
「そう固くなるなゴローロ君、私は君の教官に過ぎんのだよ」
「っ……それはそれで、あれですが……」
「君も教官だったのだろう? つまり私達は教官仲間ということさ――
ま、慣れてくれたまえ」
「……は……はっ!」
カエルがかかとを合わせて返答する姿に、オコートは失笑を隠し切れません。どう考えても、分かっててからかっているのですから、この御仁、かなりユーモアがある様です。
「で、そちらがセルヴィーレのお姫様――キョウカ君だね」
「はい、セルヴィーレ帝国第一皇女キョウカ・ドロッセル・トラーストと申します。閣下のような方にご指導いただけるとは恐悦ですわ」
キョウカは意外にも丁寧な口調、いえ、かなり高貴な雰囲気を湛えながら応え――
「セルヴィーレ皇家を代表して、御礼申し上げます」
膝を軽く下げ、腰の脇から延びるスカート状の装甲板をスッと持ち上げるというような優雅な礼をするのです。
「ですが、これからは共生宇宙軍の軍人として、一候補生としてよろしくお願い申し上げます」
「ほほぉ……立派なものだ、皇家の威を示しつつ、士官候補生としての謙虚さも忘れておらん。――できておるのぉ」
オコートは満足げに頷きました。
「で、こちらが、ニャル君だね?」
「にゃぁ~!」
その通りですとばかりにニャルが鳴き声を上げ、片手を上げました。
「優れたサイキックと聞く――しっかりとその姿を維持しておくように」
(はい、しっかりネコを被っていますにゃ!)
本来の姿を知っているオコートは、「よろしくたのむ、ニャ」などと、軽口を叩きました。この教官はかなり懐が深いようです。
「さて、デューク二回生――先輩になった気分はどうだね?」
「は……責任を感じております。その役割を果たすということの」
デュークはそれをスラスラと述べました。昔の彼なら「ふぇぇ」から、入るところでしょうが、さすがは士官候補生二回生――しかも中央士官学校生と言えましょう。
「よろしい。君はまだ少年だが、私の教育では大人として扱うよ?」
「恐縮です!」
デュークはすっぱりとした口調で応えます。
「だが、まああまり背伸びをしなくともよいがね。
君はまだまだ少年でもあるのだがから――
うん……わかるかな、この意味は?」
「ふぇぇ……」
オコートの言葉には矛盾が生じています。大人として扱うと言ったのに、少年だとも言うのです。デュークはちょっと龍骨が混乱すると、良く口ずさむフレーズを口にするほかありません。
「ええと……教官のお言葉には矛盾が……」
「うむ、矛盾がある、な」
オコートは満面の笑みを浮かべながら、自信たっぷりに言いました。
それはまるで自分自身が矛盾の塊だと言いたいばかりの言いっぷりなのです。
「つまり……矛盾を抱えるのが……執政官ということでしょうか?」
「うん、それだ。それが分かっていればよい。先輩として頑張ってくれたまえ」
元帥は少年戦艦の性格や能力、これまでの経歴を裏も表も当然のように全て知っているので、からかい半分でそんなことを言ったようです。
「さて、何か質問は?」
オコートがそう言った瞬間、スパッと放熱板が上がります。
「はい、デューク君」
「元帥のような方、前執政官のような方が教官であるのは全く持って光栄でありますが、その理由がわかりません。いえ、執政府がらみなのはわかっていますが」
「ああ、そうだね、執政府がらみだよ、半分は」
「えっ? 半分でありますか……」
「残りの半分は、暇だから、だな執政官も引退すれば、ただの老人よ。校長なぞただのお飾り。だが、退屈は毒だ――だから教壇に立つ、そんなところだ」
オコートは本気の本気でそんなことを口にしました。
その答えを聞いた候補生達は――
「なるほど、暇というのはいただけないのぉ」
「ゲロロ、なるほど、退屈こそ最大の敵……!」
(暇つぶし! さすがは校長先生だにゃ!)
(そういうものなんだろうか……なにか裏が……いや、考えすぎかな……)
などと、四者四様の有様です。
それを暖かい目で見つめたオコート元帥は――
「――心しておけ。退屈を晴らすためなら、私は命を賭けてでも君らを叩き込む」
そのイノシシ面の上に、冗談とも本当とも取れるような、ユーモアたっぷりな笑みを浮かべたのです。