不敵なる笑み
「共生宇宙軍が引いていくぜ、ママ」
「ふん、威力偵察は終わりってことかいな」
バクー帝国の防衛艦隊司令官ドロレス・コンコスンとその参謀たる息子シャルルの目の前で、共生宇宙軍が撤退を始めていました。
つい先ほどまで重ガンマ線レーザーや対艦弾道弾が飛び交っていた星系宙域は、今や静寂を取り戻しつつあり、赤熱していたセンサー表示は冷め、通信も再び通常帯域へと切り替わり始め、作戦室には一瞬の呼吸が戻ったような空気が流れています。
「ふぅ……こちらの損害は、そこそこってところで済んだようだね」
ドロレスの言葉には、戦局を正確に読み切った指揮官ならではの落ち着きが滲んでいました。艦隊の中には今なお応急修理理班が走り回る艦も多く、艦内アナウンスには損傷隔壁の閉鎖指示が途切れず流れていますが、沈んだフネはあまり見受けられません。
「とはいえ……共生宇宙軍は強かったぜ」
シャルルがそう言いながら、艦橋前方に浮かぶ戦闘ログへ視線を向けます。
共生宇宙軍の砲撃精度、展開速度、そして撤収判断の早さ――いずれも一級品であることは明白でした。
「んなこたぁ、はじめから分かっていたことさね。問題は、ここから、奴らが、どう出るか……」
ドロレス・コンコスンは不敵な笑みを浮かべました。
その笑みは、かつて数々の星系を血に染めてきた歴戦の指揮官にのみ許される、経験と皮肉に満ちたもの。
「時を置かずに、全力で攻めかかってくれるといいけれどねぇ」
共生宇宙軍の総艦艇は現在1000隻、それに対してコンコスン指揮下の艦隊は500隻程度であり、真っ向からぶつかれば、一たまりもないというのに、彼女はただ不敵に笑うのです。
どこからどう見ても戦略的敗北の条件が揃っているのですが、彼女はその数的不利を“罠”として活かすだけの別の要素を持っていました。
「おおよ、こちらには“惑星爆弾”なんてべらぼうな代物があるんだぜ。踏み込んでくれりゃ、ドカン! だな。星系内がトンデモないことになっちまうが……」
シャルルの言葉に、艦橋の船乗りたちが一斉に眉を動かしました。
惑星爆弾――通称“グランハーダ・システム”は、13番惑星の地核に設置された四基の縮退炉を臨界崩壊寸前まで増幅させ、質量変換と重力断層を引き起こす禁断の戦略装置であり、発動すれば大量の放出物が星系内を覆い、航行体制は困難を極めることになるでしょう。
「星系の戦略価値を捨てても、我らの意気を刻んでやるのだわさ……
ついでに、共生宇宙軍を血祭りにあげることもできるだろうて、
対価としては、安いものだわさ」
ドロレスは13番惑星モンテ・デ・ラ・グランハーダのステータスと、惑星上に設置された大型縮退炉の配置図を眺めて、笑みを深くしました。
中央制御塔から延びるエネルギー供給ライン、各炉心の振動データ、そして軌道上から見下ろす惑星表層の白化地帯――すべてが「最悪の選択肢」に備え、着々と整えられていたのです。
「でもよぉ、あちらさんにバレてねぇか?」
シャルルが僅かに声を潜めて言いました。
敵にこの“切り札”の存在が露見しているとすれば、事態はまるで変わってくるのdですが――
「それならそれで、いくらでもやりようがあってもんだい。踏み込む度胸がなけりゃ、ただ時間が経つだけだわさ。そしたら別動隊が裏から――」
ドロレスがそう言った時でした。
旗艦タイモスの艦橋にピピピ、ピピピッとアラートが鳴り響き、レーダーを見ていたアンリエッタが報告します。
「量子レーダーに感あり……反応は1、共生宇宙軍艦艇が大加速中。
距離約1光時――赤外線を盛大にばら撒いてるわ」
「なんだい、またぞろ威力偵察でもする気かね――」
報告を聞いたドロレスは、そこであることに気付きました。
「アンリや、反応は間違いなく、一隻かい?」
「間違いなく一隻だわ」
アンリエッタがデータを改めて分析してもそのフネはただの一隻であり、他の共生宇宙軍の艦艇の間を分け入るように加速し、こちらに向かってくるのが分かるばかりでした。
「物凄い量のQプラズマ推進剤をバラまいて、加速しているわ」
「ものすごい推進剤?」
「今、精査しているけれど……うへっ⁈ な、なによこれ――」
データを分析し終えたアンリエッタが乙女らしからぬ声を上げ、絶句しました。
「こ、これって、一隻で戦艦20隻分のガスを吹かしているわ!」
「……20隻分だって? 間違いないのかい?」
「だって、Qプラズマの航跡は、隠蔽しなければ嘘をつかないもの」
「ということは、こいつは……噂に聞く連合の超大型戦艦級かね?」
そこでドロレスは少しばかり押し黙り、座り込ん椅子のひじ掛けをトントンと叩きながら思案を巡らせました。
「……それがエスコートも付けずに、ねぇ……」
彼女の金属の脳では「罠……ありえない。暴走している? それもあり得ない」と言った言葉が飛び交い――
「どちらにせよ、叩くほかない、ってところだねぇ……
まだ縦深はあるから……少し下がるとするかい」
という結論に落ち着き、艦艇群をまとめて迎え撃つ体制を整え始めたのです。
タイモス艦内には再び緊張が走り、各艦の指令回線が点灯していく。
“嵐”の接近に向けて、全員が――無言のうちに、手を動かし始めていた。
そして数時間後――
「敵艦の諸元おおよそ判明――1.5キロ超級の超大型戦艦だわっ! 艦首識別符号は龍骨艦」
「1.5キロ超級超大型艦、戦略兵器じゃないか!」
「しかも生きている宇宙戦艦だと……」
艦橋の空気が一気に凍りつきました。
それは戦艦どころか、戦術の範疇に収まらない“異物”――
じわじわと近づいてくるそれは、何かを語らずに圧を放ち続ける、“無言の告知”そのものなのです。
「ふん……化け物だね……」
ドロレスが口にした言葉は、罵倒ではありません。自分たちが持ち得なかった力への――正しい畏怖というものでした。
「そうくるかい……共生知生体連合」
そう言ったドロレスは――
やはり不敵な笑みを浮かべながら、戦闘準備を命じたのです。