100秒間の死の加速
『JAM機、アタッカー隊捕捉。突撃航路、300秒以内に撃墜圏内』
「んなこた、わかっとる! さっさと加速しやがれ!」
『了解、現在100G加速。加速度上昇中』
スイキーが、トロンBに搭載された機載AIを罵っています。
『140、145、150――慣性制御限界点』
「リミッタは、ぶった切ってるはずだ、限界まで行けっ!」
瞬時慣性制御の限界である即時50G加速を超え、100Gほどの加速度から重力制御の限界――150Gに迫り、それを軽く突破しました。
そして、ここから先はすなわち慣性制御の向こう側です。
強化された己の肉体と強化スーツで凌ぐ領域――
「じわじわ、きやがる……くぅ」
『加速度180G。生体反応異常なし』
戦闘薬がなければ、一瞬でブラックアウトするような加速、頭部の毛細血管が軋み、薬がそれを押しとどめているだけの状態です。
「げへぇ……」
『190G。内圧上昇、スーツ保護作動中』
パイロットスーツの各部から圧縮パッドが展開し、骨格と内臓を物理的に固定しています。倍力装置がなければ、操縦桿を動かすこともできません。
「おごぅ……」
『200G。肺機能、物理限界。酸素濃度50パーセント上昇』
肋骨が押し潰されそうになり、肺が内側から収縮を始めました。
ナノジェルが気道と肺胞に流れ込み、人工的に酸素交換を維持しなければ、呼吸は不可能です。
「ぶっ……」
『微小損傷、全身拡散』
210Gに達すれば――
鼻から血が吹き出し、鉄の匂いが広がりました。
医療ナノマシンがすぐさま出血箇所を塞ぎますが、直す端から別の場所が傷つく有様な上、鼻腔だけではなく、全身が傷ついてゆきます。
肉体限界を超える加速――しかもそれは螺旋を描くように上がり続け、機体が悲鳴を上げはじめ、警告灯が点滅し、補助推進の振動が船体を震わせます。
『機体損耗、進行中。操縦者応答、低下傾向。提案、加速停止――』
「……」
トロンBのAIが、危険だと伝えてきますが。
でも、それらをスイキーは完全に無視しました。
『加速上昇、継続中。搭乗者負荷、限界域』
そして最大加速220G――
最早声も出ず、カラダに潜り込んだ強化端子が心臓や肺を強制駆動させなければ、スイキーはコクピットの中で躯になっていたでしょう。
(久しぶりの、全開加速……あと一歩で死んじまう……)
しかし、このような状態にあってもスイキーはパイロットとしての冷静さを保っています。
(だけど、これが必要なんだ……)
脳に直結されたトロンBの思考補助モジュールである副脳が、彼の脳に目まぐるしく変わるベクトルと相対位置を投影――
脳裏にJAMの戦術機動を、解析値とともに浮かび上がらせました。
敵機――
JAMと呼称することにしたそれは、じわじわとアタッカー隊に迫っていました。
(くそったれが……! 300G超だと⁉
理論上、乗員の肉体は“潰れてる”はずだ――
だが、あいつは……ありゃあ、常識の外にいる連中だぜ!)
敵機はさらに加速を増し、300Gを達しようとしています。。
(距離、速度、加速……くそっ、これじゃ間に合わねぇっ‼)
60秒――
大よそ、それだけの時間が不足していました。
(それを、詰めるにゃ――)
スイキーは、シンクロさせたトロンBの通信ユニットを通じて、アタッカー隊の隊長機へシグナルを叩き込みました。
「こちらトロンB――航宙司令だ。アタッカー隊、不要質量を全投棄しろッ!」
「アイスウォーカー指令⁉ それは、どういう――」
「JAMの脚を止める! 俺の合図で、残らずパージしろ!」
「しかし、すでに、不要物は投棄して――」
「まだある! 推進剤の半分。切り離せる放熱板・外装。
自衛用の兵装モジュールはランダム射撃モードで放棄。
航宙に“必要なもの以外”――全部、ぶちまけろッ!」
それは大変に非常識な行為と言えました。
推進剤をそれだけ投棄したら母艦に戻ることが困難になる上、 兵装モジュールがなければ自衛すら困難です。
「60秒後、敵機の前にばら撒くんだ!」
「し、しかし――」
「とにかく、やれっ! あとは、俺が何とかするッ!」
そう言ったスイキーは、シグナルを切断しました。
そして時間が経過して――
アタッカー隊は躊躇しながらもスイキーの指示に応じ、装備・外装・推進剤を宇宙空間に散布しました。
一種のデブリとなったそれが、JAM機の航路前方に展開し――
追走しているJAMは進路をわずかに曲げるのです。
「よし……これで40秒稼げた……あとは……」
スイキーは目を閉じ、押してはいけないボタンを押しました。
「縮退炉オーバーブースト――100秒後に通常モード……
行けっ! トロンB、宇宙を駆けろ――!」
『RGR(了解)、アイスウォーカー候補生』
グン、という加速、220Gのさらに上の加速。
スイキーの意識が完全に向こう側に飛びました。
いえ、意識を失っただけではありません。
バキッ!
嫌な音と共に、スイキーの嘴がへし折れます。
ビシッ!
背骨に亀裂が入りました。
メキッ……
トリ頭――ナノマシンで硬化した頭蓋にヒビが入ります。
(……バカだ、バカすぎるぜ。だが、それでも……!)
それだけを思ったスイキーの脳は、強化されたといっても限界でした。
それだけの加速を受ければ、最早生命活動を維持することができません。
だから――
『搭乗者、死亡。生体信号、ゼロ。強制接続、途絶。
認識コード、K.I.A。……作戦、継続。
蘇生措置、100秒後――』
トロンBの機載AIが、端的に事実を伝えました。
彼は残りの時間を稼ぐために、100秒だけ――
死ぬことにしたのです。