引継ぎ
デュークが宇宙にポイっと放り出された時から、時間は少しさかのぼります。
フネの医者であるドクが、カラダに錆を夥しく浮かせ、床に寝そべっていました。
彼のカラダはすでに不要な物質を代謝できなくなるほどに弱っていました。
推進器官はおろか、重力スラスタが稼働しなくなるのも時間の問題でしょう。
「今日は、ネストの医者として、最後の引き継ぎを行う」
「そうですか……」
ドクの前には老骨船ゴルゴンがいます。
「各老骨の健康管理は毎日行え。あまり宇宙で無理をさせるなよ」
「はい」
「幼生体の成長記録は必ずとっておけ。ご飯についてはタターリアが管理してくれるが、そのデータを確実に貰うように」
「ええ、ご飯の量は成長に影響しますから」
幼生体を健やかに成長させるため、食べる食事の質と量はかなり厳密に計算されています。
「ふむ、あとは――――」
ドクは懐にクレーンを伸ばします。
カラダの隙間に差し入れられた指先が、グイと持ち上げられると、壊れかけたヒンジがギシッっと音を立て、副脳――龍骨の民のサブ電脳が引き出されました。
「こいつに、長年引き継がれてきた記録が詰まっとる」
龍骨の民にはメンテ用のハッチが備わり、記録保持用の器官――副脳を、他のフネに渡すこともできるのです。
「こいつは曖昧なところのある龍骨と違って、正確な記録を残すのに最適なものだからな。だが、他の氏族のフネには触らせるなよ」
「ネストの財産ですね」
ドクの副脳に入ったメンテ記録はカルテであり、たくさんの宇宙船達の成長記録から死に間際の言葉までが記録されている氏族の財産でした。
それを委ねられたゴルゴンはそれを押し抱き、文字通り自分の懐に収めます。
「よし、これで引き継ぎは終わりだ」
ドクはそう言ってから「最後に質問はあるか?」と尋ねました。
「一つだけ」
「それは、デュークのことかな?」
ゴルゴンが全てを口にする前にドクは察していたかのように応えます。
「あれは随分と大きく育ったな。で、そろそろ宇宙に出す時期になったが、縮退炉の事が不安なのだろう?」
「察しが……よろしいものですな」
ゴルゴンが驚きを口にするのですが、ドクは「どうということはない」と言ってから、こう続けました。
「莫大なエネルギーを産み出す縮退炉の成長はフネの性能に大きく関わる。我ら生きている宇宙船――多少のことであれば、外部から補正を行うことも可能だ」
「ですが、デュークには縮退炉が12個もあります。心配も数倍――私の古びた縮退炉が異常を起こしそうです」
老工作艦は、デュークが12個も心臓を持っていることに不安を覚え、龍骨に言いようのない不安をもたらしていたのです。
「ははは、共生宇宙軍の技術大将を務め、あまつさえ……共生知生体連合、その恒星間統治の軸とも言われたお前――”見通す眼光”でも不安を抱えるのだなぁ」
「は、何のことかよくわかりませんが?」
「ふん、腹黒、妖怪と呼ばれたお前らしいな……まだ目は死んではおらんだろ?」
「ええ……ですが、マザーの産み出す、我らフネ自身については見えぬ事が多いのです。ブラックボックスが多すぎます」
「そんなことはわかっておる。それが我らがテストベッツの幼生体ともなれば、な」
「はい、ですから、今回はどうしても不安が募るのです……」
そう呟きながらゴルゴンはカラダを震わせました。
何隻もの幼生体を見守ってきた年経た老骨船が、カタカタと震えるのです。
「くははははっ! 70過ぎたフネがそんな姿をさらすとはなァ」
「貴船に比べれば、まだ私は若造ですからね」
ドクはテストベッツの老骨船の中でも最年長の100にも届くかという最長老であり、その彼からすると70半ばほどのゴルゴンといえど若造でした。
「まあ、”四十、五十は洟垂れ小僧、やっと六十で半人前、七十まで過ごして一人前、八十九十でお勤め終えて、百まで待って星還れ”というところだな」
「ううむ、さすがに大先輩にはかないませんなぁ」
生きている宇宙船はあんまり上下関係についてうるさくありませんが、30年も艦齢が違えば、頭を下げることもあるのです。
「では、何かアドバイスをしてやるか……そうだな、最近見ている夢のことでも話そうか。例のハッキリとした連続性を持つ夢のことだよ」
「それは死にゆく……船の記憶の事ですな」
「そうだ、お前もいずれ見るものだ――」
龍骨の民が、死にゆく前に眺める走馬燈――
「老骨の記憶、先祖の記憶――本来それは過去の話のはずだが……これが面白いことに、最近見ておる夢は過去の話ではないのだよ」
「ほぉ? つまり」
「舞台は、未来のようだ」
「未来ですか? そういうこともあるのですな」
死を間近にした、老骨の夢とは過去の記憶のはずでした。
それが未来とは……と、ゴルゴンは意外な思いを抱きました。
「かいつまんで説明するとこのような話だ。とても大きなカラダを持った少年――厚い装甲と重武装を持つ大きな戦艦が、星の世界に飛び立つのだ。彼は様々な種族と巡り合い、フネの仲間たちと宇宙を駆け巡りながら――どでかいことをやらかすらしい……」
一息にそう語ったドクは「ふぅ」と排気を漏らしてから、こう続けます。
「作り話をしているわけではないよ。龍骨に浮かぶ情報は紛れもない真実だからな…………まぁ良い。信じるか、信じないかはお前に任せる」
「はい…………」
ゴルゴンは最早なにも言うことが出来ませんでした。
「では、ワシは星に還るぞ」
言うべきことを言ったドクは着底の間で寝息を立て始めます。
もう、起きることはないでしょう。
まるで幼生体のようにすやすやと眠る先達を見つめたゴルゴンは「託された、か」と、呟きました。
「連合のかじ取りよりも、難しい――だが、それだけにやりがいが、ある、な」
ゴルゴンは、自分の古びた龍骨をキリリと引き締め、渡された龍骨のバトンをしっかりと握りしめ、|ヴォッォォォォォォンン!《任された》!と大きな汽笛をあげたのです。




