キッチン
「ねぇ、痛くないの」
暗闇の中で、君は僕に問いかけた。
夜の2時くらいだろうか。みんなが寝静まった頃、二人だけの空間は静かな音で満たされていた。
「何が」
僕はなんのことだかさっぱり分からなかったから、眠たい目を擦りながら乾いた声を絞り出した。
「いつも思うんだ。だって、毎日君はボクに傷つけられて、傷だらけになったかと思えば、削られて」
いつもはキラキラしている瞳も今は全く見えない。ただ、君の声も僕と同じくらいに掠れていた。
「そんなの、今に始まったことじゃないでしょ」
なんだそんなことか。それなら君だって違わないじゃないか。君は、本当は子供が大好きなのに邪険に扱われたり、悪いことに巻き込まれそうになってるじゃないか。でも、僕の言い方が悪かったのかキラキラの君は泣きそうな空気を身に纏ったままだ。
「同じだよ。君だって削られているじゃないか」
「そうだけど」
溶けてしまいそうなほどか細い声。
「でも嫌なんだ。ボクが君を傷つけるのが。君はボクを傷つけないのに」
ほんとに心配性なんだね。君のそういう優しいところも、僕は好きだけど。
「それは仕方ないさ。こんなふうに生まれてきてしまったんだから。それは誰にも変えられないし、でも僕たちはこんな風にしか出会えなかったんだよきっと」
僕の声は狭い部屋の中にしっかりと響いた。君は僕に体をそっと預けてくれる。冷たい身体が、音もなく僕に触れた。
「誰も傷つかないなんて、そんな易しい世界なんかないんだから」
「そのかわりに優しさがあればいいんだよ。傷ついた分、傷つけた分だけね」
「怖いよ。嫌だよ。いつかバイバイしなくちゃいけなくなるなんて。」
君がつくった雫が、僕の身体に吸い込まれていく。
「じゃあ、今のうちに僕のことをいっぱい傷つけておこう。君の証を僕にちゃんとつけよう」
「なんで。君は痛いだけだよ」
「いいんだそれで。君も僕も逆らえないじゃないか。この身体と、この環境と、この関係は絶対なんだ」
僕は何も言えなくなった君を抱きしめながら、なるべく優しく囁いた。
「こうやっていればいいんだよ。大丈夫」
そうして僕は、君が眠りに落ちてしまうのを胸で感じながら薄れゆく意識に身を任せた。
僕と君は、たぶん1番いい音を奏でられると思うんだ。それもいいところなんだと思うよ。
君に傷だらけの身体を見られ続けるのは苦しいけど、僕は君だけが気づいてくれるように笑って見せた。不安そうなまま、それでも君は僕に笑い返してくれた。
どうやら今日は、カレーを作るらしい。