五日目
「へっきし!」
翌朝、あたしの鼻からは、みっともない汁が垂れていた。
「あー、あたしも風邪ひいたかな」
ずずっと鼻をすする。
毛布がモコモコと盛り上がって、クロが顔を出した。
「俺の風邪が移ってしまったか……」
「んー、どうだろうね」
「すまん」
クロがあたしの頬にぷにぷにと肉球を当てて来た。ちょっとヒンヤリして、気持ちいい。
「今日は研究所は休みだね」
無理に研究所に行って、周りに風邪を移しても迷惑だ。
病気テロになっちゃう。
「おかげで俺はすっかり元気だ」
そんな事をのたまうクロの髭はピンとしていた。
風邪は移せば治る。そんな伝説が、ココに実証されてしまった。
「朝食は作らないとね」
覚束ない足でふらふらと台所に向かう。パンと昨日のスープ、それと肉詰めでも焼こう。クロは肉詰めが好きみたいだし。
「む、代わりたいが、この体では何も出来ない……」
「気持ちだけ、受けとっておくね」
魔法で火を灯して、フライパンで炒める。頭がぼーっとするけど、これはしょうがないよね。
「おい、火!」
火が強すぎてフライパンからはみ出してる!
「おっと、あぶなかったー」
気を抜くとダメねー。
「寝てた方が良いんじゃないか?」
「クロの食事だけでも用意しないとさ」
「俺のはいいって!」
「もう出来るから」
肉詰めはちょっと暖める程度でいいんだから。これとパンだね。スープは厳しいかな?
「できたー」
ふらつく足でテーブルまで料理を持っていく。パンと肉詰めだ。肉詰めは切って少し冷まそうね。
「分かったから寝てろって!」
クロがあたしのズボンのすそを噛んで、必死に布団に引っ張って行こうとしてる。でもクロの体格じゃびくともしない。
「くそっ、この体じゃどうにもならん!」
「んー、気持ちだけ受け取っておくよ」
憤慨してるクロをそっと抱き上げて、テーブルに乗せる。あたしはそのまま布団へ一直線だ。
「お皿はそのままで良いからねー」
どさっと布団に倒れこむ。間に合ったセーフ。
「魔法が使えたら!」
クロが何か怒ってる。おかずが足りなかったかな?
「ごめんねー。風邪が治ったら、美味しいもの、作るからさ」
クロがテーブルから飛び降り、ヒタヒタとこっちに歩いてきた。お気に召さなかったかね。
「そうじゃない!」
クロがあたしの顔の前に来た。でも髭に元気がない。
あたしの額にぷにっと肉球が当たった。ひんやりして気持ちいい。
「熱いな。薬はないのか?」
「薬は高いから、買ってないの」
「そうか……」
クロは薬を買えるくらいの、お金持ちさんの猫なんだね。
「シーラ、『永久の氷』は唱えられるか?」
「へ?」
「出来るか?」
青い瞳が真っ直ぐ見てくる。
「調子悪いから、大きいのは出来ないよ?
「小さくて良いんだ」
「えっと……【永久の氷】」
床に小さな氷の板がポトンと落ちてきた。溶けることの無い、氷の板だ。
「よし、上出来だ!」
クロがあたしのほっぺに、ちゅっとキスをしてきた、くすぐったいなあ。
クロは、器用に棚からお皿を取り出した。咥えて運んで床に置くと、作り出した氷を前足で挟んで皿にのせた。
「つめてー!」
クロは叫びながら、今度は布を持ってきた。布を氷に乗せて冷やし始めた。
「シーラ、ゆっくり休むんだ」
クロは冷やしていた布を咥えて、あたしのおでこまで運んできた。
「あー、冷たくて気持ち良いね。ありがとね、クロ」
クロはほっぺに肉球をぷにぷに当ててきた。
「すまん、これくらいの事しか出来ない」
青い瞳には元気がない。気にしなくて良いのに。
「猫でこれだけ出来るのは、凄いんだよ」
ふぅ、安心したら眠くなってきた。寒いから毛布をしっかり被る。
「出掛けても、良いからね」
あたしの瞼はそこで落ちた。
コンコンコン。
玄関のドアを叩く音がする。
「シーラちゃん、いる?」
あれ、アカネちゃんの声がする。なんでだろう?
「にゃー」
「あ、君がシーラちゃんの彼氏君かな?」
「にゃー」
「ふふ、そうなの?」
アカネちゃん、誰と話してるんだろう?
「シーラちゃん、お邪魔するねー」
玄関から赤い髪のアカネちゃんが、ヒョイと顔を覗かせた。
「アカネちゃん。どうしたの?」
「どうしたのって、シーラちゃんが研究所に来ないから見に来たの」
アカネちゃんが買い物袋を下げて部屋に入ってきた。
「大丈夫~? あ、寝てて良いからねー」
「う~ん、なんとかねー」
頭がぼーっとするのは続いてるけど、汗をかいたからか、熱っぽいのは大分収まった感じ。
「にゃー」
「ふふ、彼氏君が心配してるよ」
クロが【永久の氷】で冷やした布を口に咥えて、あたしの額にぽすっと置いた。
「器用な猫ちゃんだねー」
「にゃー」
あれ、クロが普通の猫になってる。どうしちゃったんだろう?
「何か食べられそう?」
アカネちゃんが買い物袋から色々取り出しながら、あたしに聞いてきた。
お腹は空いてないなあ。でもクロの食事は用意しないと。
「お腹は空いてないんだけど、クロに夕食あげないと」
「んー、彼氏君はクロ君っていうのね。クロ君には何をあげれば良いのかな?」
クロは頭を左右に振ってる。
「へぇ、クロ君は言葉が分かるんだ」
アカネちゃんが目を丸くして感心した顔してる。クロはあたしの方に歩いてきて、頭の脇にコロンと丸くなった。
「俺がしゃべれる事は言わないでくれ」
クロが小声で囁いてきた。
バレたくはないのね。じゃあ黙ってよう。クロがいなくなってダメージが大きいのはあたしだしね。
分からない程度に小さく頷いておく。
「クロ君、食事が出来たよー」
アカネちゃんがクロを呼んだ。でもクロは動かない。あたしに遠慮してるのかな?
「あたしはまだ本調子じゃないからさ。クロは食べて良いんだよ?」
クロはあたしをジッと見てきた。青い瞳が悲しそうだ。
「我が身ながら、情けない……」
クロが悔しそうにぽつりと呟いて、トボトボと歩いていった。
尻尾が寂しそうに、垂れていた。
「不思議な猫ちゃんね」
「ちょっと、変わってるかな」
アカネちゃんが、明日の朝食の用意もしてくれてる。あたしは布団に座ってるだけ。申し訳ない。
「色々やってもらって、ごめんね」
「いーよー、一人暮らしで病気すると大変だもんねー」
アカネちゃんは明るく答えてくれた。
クロはあたしの横で丸くなってる。知らん振りして聞き耳だててるんだ。
「そういえば、ランドの魔法って解析終わった?」
「まだ終わってないの」
「警察が早くって急かしてるみたいなのよ」
警察と聞いてクロの耳がピクリと動いた。
「ランド失踪の唯一の手掛かりなんだってさ」
「へー。あとちょっとで終わるかなー」
クロの尻尾がパタパタ動いて、随分と落ち着かない様子だ。脇にいるクロを抱き上げて膝の上にのせる。
「賞金稼ぎとか動き出して、結構物騒な感じなのよ」
クロの毛が逆立ってきてる。背中をナデナデして何とか落ち着かせる。まったく、どうしたのかしら。
「明日は研究所にいけそうだから、頑張って解析終わらせるよ」
「まーでも無理しないでねー」
クロは話をしている間中、ずっと落ち着かない感じだった。
「じゃあ帰るねー」
「うん、ありがとー。気をつけてねー」
アカネちゃんは杖に腰掛けて帰って行った。
助かっちゃったな。持つべきものは友達だね。
「アカネちゃんは帰ったよー」
クロにもう大丈夫のサインを送る。冷えるから、あたしも部屋に戻る。うー寒い。
「クロ?」
クロはジッと窓の外を見ていた。青い瞳は険しい気配を孕んでいて、あたしは声を掛けることが出来なかった。
今日は調子が悪いからお風呂は無しだ。明日の朝、入ろう。
「クロ、今日はもう寝ようよ」
窓から外を眺めてるクロを手招きする。天然モフモフ湯たんぽは、もう一時も欠かせない必需品になってしまった。
呼べばクロはヒタヒタと歩いてくる。毛布を上げて空間を作れば、スッと入ってあたしの胸のあたりにぴたっと収まる。もう言わなくても定位置になった。
「……なぁシーラ」
「ん? なーに?」
胸元のクロが、ぼそっと話を振って来た。
「……俺が、人間だったとしたら、どうする?」
クロはあたしと同じ向きだから顔は見れない。どんな顔してるんだか。
「人間だったら? そうねぇ……カッコイイ男の人だったら、責任とって貰おうかな」
「カッコイイ、ねぇ」
「裸見たんだからね。でもカッコイイ人じゃなきゃ、いいや」
「現金だな」
「魔女ですのでー」
「なるほどな」
「あたしは、クロはクロのままでいてくれた方がいーなー。一緒に話をしたりするのは、楽しいもんね」
「そうか……」
それっきりクロは黙っちゃった。色々考えすぎだよ、クロは。クロはクロなのに、ねぇ。
その夜も夢を見た。あの青い目の男の人は、今日はあたしの隣にて、難しい顔をして何か考え事をしていた。時折あたしを見てくるけど、すぐに前を向いて険しい顔をしていた。
あたしは見ている事しか出来なかった。
お読み頂き有難う御座います。




