三日目
翌朝、カーテンの隙間から差し込む光で目が覚めた。
「……晴れちゃったか」
クロはまだ布団の中で湯たんぽになってる。
「天然モフモフ湯たんぽも終わりかぁ」
もうちょっと、いて欲しかったなぁ。でも外に行きたいんじゃ、仕方ないか。
クロを起こさないようにそっと布団を出る。カーテンを少し開けて外を覗けば、水滴が朝日を反射させて、キラキラと光る世界が見えた。
「綺麗だけど、嬉しくないなあ」
キラキラの世界が、あたしには素直に喜べなかった。
「う~ん、朝か」
クロが尻尾を立ててヒタヒタ歩いてきた。見て欲しくはないけど、望んでたもんね。
「おはよー」
挨拶をして、クロを抱き上げ、カーテンを開ける。日の光が一斉に部屋に差し込んだ。
「おぉ、美しい!」
クロは嬉しそうだった。
「晴れたね」
「晴れたな!」
「外に行けるね」
「外に行けるな!」
クロはやっぱり嬉しそうだった。
「そこの窓の鍵は開けてあるから」
「分かった」
クロの体を抱き上げて額に唇を落とす。怪我をしない、おまじないだ。
出て行ったら帰ってくる事はないんだろうって思うと、寂しくなる。
けど、クロにだってそもそもの生活があるんだ。名残惜しむと別れが辛い。
「じゃぁね」
クロを降ろして頭をポンポンと叩く。
「気をつけてな!」
クロはそう言ったけど、それはこっちの台詞だ。
肌に刺さる澄んだ空気をかき分けて、杖とあたしは研究所に急ぐ。キラキラ光る世界はあたしには眩しすぎる。なるべく見ないようにした。
研究所につけば、いつもの風景だった。
「おはよーございまーす」
元気に挨拶をして席につく。
今日も昨日の続きで、ランドの魔法解析だ。上手く隠蔽されてるから、結構手間かかりそう。
「ランド、まだ見つからないんだって」
アカネちゃんが最新情報をくれた。凄腕の魔法使いが本気で逃げているからか、足取りも掴めないんだって。でもあたしの頭はこの魔法解析とクロの事で一杯だ。これ以上は容量制限で入りませーん。
「自由、ねえ」
「凄い人でも、そんな事思うのかな?」
「家の猫も、外に出たがってるもんね」
「その猫ちゃんて、大きい猫?」
アカネちゃんはまたニヤニヤし始めた。しゃべれる変わった猫だけど、猫だもの。しかも雌だし。
「小さくて黒い猫よ。野菜が嫌いで、猫舌で、風呂が苦手な猫ね」
「ホントに猫みたいね」
「だって猫だもの」
アカネちゃんはキョトンとした。
「恋人じゃないの?」
「ちょっと変わった、猫よ」
あたしがキョトンとした。
「シーラちゃん、今日空いてる?」
そろそろ定時、というところでアカネちゃんからお誘いがあった。クロも出て行っちゃったろうし、時間はある。
「い~よ~」
「じゃあ飲みに行こう!」
「行こう~!」
女二人でちょっと洒落たバーに繰り出した。
あたしもアカネちゃんも魔法使いだ。二人とも杖を持参してる。
魔法使いの絶対数は少ない。だから適正があれば優先的に魔法使いにさせられる。でも魔法は役に立つ。魔法は攻撃魔法ばっかりじゃない。むしろそっちは少数派。生活に役立つ魔法の方が圧倒的に多い。あたし達『女』にとっては助かることが多い。
普通の人は、あたし達女性の魔法使いを『魔女』なんて呼んだりもする。杖に乗って空を飛んでるしね。
「彼からねー、結婚しようって言われたのー」
ほろ酔いのアカネちゃんが惚気始めた。先日のお泊まりはそーゆー事でしたか。
「良かったじゃない!」
魔法研究所に就職する魔女は、所謂魔法オタクだ。あたしもだけど、アカネちゃんもそう。アカネちゃんは比較的身嗜みに気を配るからそうでもないけど、あたしは違う。化粧はするけど、色気はない。世間では「残念」なんて言うらしい。
うっさい、楽で良いんじゃ!
「来月に式をあげるの。今度の休みの日に籍をいれちゃうんだけどね」
「じゃあ、一緒に住むの?」
「来週に引っ越しー」
「へー」
あたしの横のアカネちゃんは、幸せ一杯な顔してた。
幸せ者のアカネちゃんと別れて家路につく。今日はお月様も陽気に顔を覗かせてるけど、あたしの気分は正反対だ。
ボロアパートには誰もいない。クロがいただけで、一日があんなに楽しいとは思わなかった。
「また、一人かぁ」
一人は気楽だけど、寂しくもある。
「猫でも飼うかなぁ」
残念ながら、お月様は答えてくれない。ただ優しく照らしてくれているだけだ。
「まぁ、いいか」
酔った頭じゃこの程度。酔っ払いの戯言さ。
ボロアパートが見えたけど、当然明かりなんてついてない。ま、当然なんだけど。
「明かりがついてるだけでも、ホッとするのね……」
そんな事を思いつつ空から降りれば、傷ついて血を流してる黒猫が、玄関前にちょこんと座ってるのが見えた。
一瞬で酔いが醒めた。頭に血が上った。
「ちょっとクロ! 何よその怪我!」
「おかえり」
「おかえりじゃないわよ!」
あたしは駆け寄ってすぐに治癒魔法をかける。クロの体が水に包まれて、血が出ていた傷が無くなっていく。
クロを抱き抱えてドアを開け、部屋に飛び込む。
「窓が開いてたでしょ!」
「いやぁ、このまま入ると部屋が汚れる」
「アホなこと言ってるんじゃないわよ!」
確かにクロは血は出てるし泥だらけだけど、秋の寒空の下で待ってる事は無い。身体も冷えきってる。
「まずは風呂よ!」
「嫌だー」
「聞こえなーい」
クロの悲鳴をBGMに風呂で戦争だ。ついでにあたしも綺麗さっぱりになる。
「まったく、何したのよ?」
膝の上でクロを魔法の温風で乾かしながら尋問だ。
「喧嘩で負けた」
「はぁ?」
「歩いてたら猫に喧嘩を売られた。あっさりと負けた」
悪びれずにクロは淡々と語る。
「あんたも猫でしょうよ」
「まぁ、そうなんだけどな。猫も世知辛いな」
「何言ってんだか……」
ブラシで整えたら、艶々の黒猫の出来上がりだ。
「……すまんな。よく考えたら、俺の帰る場所って、ないんだ」
「家なき子?」
「家出猫、かな」
「ふーん」
クロはあたしの膝の上で訥々と語りだした。
「行くあてもなく飛び出したからな……」
「無計画だね」
「胸に刺さる言葉だ」
「何処かに行きたいの?」
「……空が見たかった」
「空?」
それっきりクロは黙ってしまった。あたしも敢えて聞かなかった。ずっとクロの背中を撫でていた。
「何かあったら家に来れば良いよ」
「……迷惑がかかる」
「昨日はクロがいて、楽しかったもん。家で誰かと話をするなんて、なかったしね」
「……まぁ、その気持ちは分かる」
「ふーん、クロは一人なの?」
「一人というか、孤独、だな」
「寂しいね」
「寂しいさ」
クロは小さくため息をついた。猫の癖に生意気だ。
「シーラって魔法使いなんだな」
「そーよ。杖に乗ってたでしょ」
「そっか。そうだよな」
「国立魔法研究所に勤めてるの」
「ほー、一流じゃないか」
「まぁ、平だけどさ」
「何やってるんだ?」
「今は魔法解析。ランドの魔法を解析中」
「ランドの?」
クロが向くりと起き上がった。
「うん、急ぎなんだって」
「急ぎ、ねえ」
「複雑に組まれてるけど、無駄がなくて綺麗なんだ。やっぱり才能ある人は違うなあ」
「……才能、ねぇ」
「才能だよ」
クロはまた膝の上で丸くなった。
「そろそろ寝ようかね」
「うむ。俺はまた湯たんぽか?」
「その通りだ!」
「うへぇ」
「うら若き乙女の柔肌を堪能出来るのだ、光栄に思いたまえ」
「へーへー」
「その前にモフリタイムだ!」
クッションのクロを持ち上げて、お腹に顔を突っ込んだ。
「極楽じゃぁ~!」
「に"ゃー」
布団に潜り込み、天然モフモフ湯たんぽを抱き寄せる。
「明日も晴れるかなぁ?」
「さあなぁ」
「クロは冷たいなぁ」
「冷たかったら湯たんぽにならんぞ?」
「うむ、では暖めて貰おう」
クロをさらに抱き寄せる、むにむにと胸に押し当てる。
「もう少し恥じらいを覚えろ」
「雌猫に言われても」
「ぐぬぬぬ。俺は男だと!」
「玉がないぞー」
「はぁ、失敗したなぁ」
「何か言った?」
「いや、何も」
クロはすぐに静かな寝息を立てた。あっさりと寝た。まぁ、猫だしね。
「あんたは何者なんだかねぇ」
クロの頭を撫で、あたしも目を閉じて、意識も閉じた。
夢に出てきたのは、またあの男だ。黒い髪に青い瞳の男だ。空を見てないであたしを見てる。あたしは、何で空を見ていたのか聞こうと思ったけど、声が出ない。そのうちに、彼の姿は霞のように消えた。
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