洞窟のひみつ
村の裏、滝壺の洞窟には竜がいるという。
僕たち子供らは、大人たちから、危険だから洞窟に入ってはいけない、ときつく言い聞かせられてきた。
しかし、そう何度もいけないいけないと言われると、逆に興味が湧いてくるものである。僕ら4人組はあの日、大人たちには内緒で洞窟の探検に出かけたのである。
急に筆を取ろうと思いついたのには、ある事情がある。
実は、僕たちが子供時代を過ごしたあの村がなくなることになったのだ。王国の意向で、あの村があった地域に巨大な魔石の採掘場が建設されることが正式に決まったのは、つい数週間前のことだった。
僕や同世代の子供たちの親、親戚等は立ち退きを余儀なくされ、多くもない交付金を手に、国の用意した仮の住宅施設へと追いやられることとなった。
無論、国に直訴などしようがなかった。
下手をすれば、文面そのままの意味で首が飛ぶかもしれないのだ。僕のような富も地位もない一介の百姓には、到底できることではなかった。
前置きが長くなってしまった。
これから、あの時のことを書き綴ろうと思う。何せ二十年も前のことだから、多少は記憶に不正確な部分があるかもしれない。
その点に関しては、考慮して頂こう。
確か、最初にこの話を切り出したのはオルフだった。僕ら仲良し4人組の中でもリーダー格、喧嘩もめっぽう強いオルフは、皆からも良きガキ大将として慕われていた。
その日も僕らは、いつものように雑木林に集まって駄弁っていた。
「うちの父ちゃん、いつも言うんだぜ。滝の洞窟に行っちゃいけないって。」
「あ、それ私も。やっぱり皆そう言われてるんだ。」
オルフにそう返したのは、小柄な少女。名前はリリーといい、村長の娘であることから、村では一種のお嬢様のような扱いを受けていた。僕は当時、幼いながらもそんな彼女に対して淡い恋心のようなものを抱いていたのだが、結局それは叶わずじまいだった。
「きっと、何かがあそこに隠されてるんだ。な、気になるよな。」
「ね、皆で探検してみようよ!」
「でも、怒られるかもしれないよ。」
そう言った。いまいち気乗りしない気分だったのだ。
「何だよ、テオ。びびってんのか?」
「ちげーし、怖い訳ねーだろ。」
僕は、オルフに馬鹿にされてかっとなってしまった。
「よし、じゃあ決まりだな。午後に持ち物を準備して、洞窟前に集合だ。」
「いいね、面白そう。」
僕は、リリーがオルフと楽しげにしているのがどうも気に食わなかった。それに、洞窟探検などしたくない。見つかったら怒られるんだろな、いやだな。そう考えていた。
「でも、何を持っていけばいいの。」
そう声を発したのは、それまで沈黙を貫いていたディオナだった。
オルフはディオナに顔を向け、煩わしそうに返事をした。
「ん、ああ。ランタン、それから中は寒いかもしれないから上着、それに食糧なんかもあった方がいいな。」
「わかった。」
かくして、洞窟探検の段取りが決まった。
僕は、たった一人取り残されたような陰鬱な気分で家路を辿っていた。
数時間のち。
僕とオルフとリリーとディオナは、件の滝の前に来ていた。木々の緑に包まれた滝は、白い息吹をあげている。
「行くぞ、ついてこい。」
オルフが水場をひょいと乗り越えて、滝壺の裏手に回った。僕たちもおそるおそる後に続く。
洞窟の入口。穴がぽっかりと口を開けていた。中は、まるで黒い絵具で塗り潰したかのように真っ黒で、到底見渡せなかった。
僕は腕をさすった。急に寒くなったような気がした。
「オルフ、本当に行くの?」
「当たり前だろ。今更戻れるか。」
オルフはそうディオナに言い放ち、ずかずかと洞窟内へと足を踏み入れた。
「行こ、ディオナ。」
リリーがディオナの手を引いて、暗闇へ消えていった。ここで引き下がったら、女の子二人より度胸がないことになる。それは嫌だった。それに、リリーにいい所を見せたいという気持ちも少なからずあったのだ。
「テオもおいでよ。中、涼しいよ。」
リリーに言われるままに、僕は洞窟へと入っていった。
中は想像していたより広かった。足元には大小の水たまりが形作られており、天井からは兜岩の結晶が幾筋も垂れ下がっている。
「凄いな、こりゃ。」
オルフは、ランタンの光を兜岩に向けながら、感嘆したように言った。僕もランタンを持ち直し、進行方向に光を当ててみた。見た所道は下り坂になっているようだが、どこまで深いのかはここからでは判別がつかない。
「あ、見て!あれ。」
リリーが指を立ててそう言った。
顔を向ける3人。リリーの指し示す先には、数匹の吸血コウモリがだらしなくぶらりとぶら下がっていた。
「吸血コウモリに血を吸われたら、跡が一生残るんだって。お婆ちゃんが前に言ってた。」
ディオナが呟くように言った。
「じゃあ、おどかさない方がいいな。光を当てるなよ。」
オルフは、ここはもう調べ尽くしたとばかりに先に歩き始めた。
リリー、ディオナの後、僕がしんがりとなって続く。細い枝道をしばらく歩いていると、突然、僕の首筋に何かがぽとりと落下した。
「う、うわ。うわっ、何だこれ。」
僕は驚きのあまり大声を出したらしく、先行していた3人が振り向いた。
「とって、とって。首に何かいるんだ。」
「どれどれ。」
近寄ってきたオルフが、僕のうなじに手を伸ばした。
何かが摘み取られる。僕はほっと一息をついた。
「うわ、俺もこんなの見たことねえよ。なあ、リリー。これ何だと思う?」
オルフが、これ見よがしに指で摘んだ虫のようなものをリリーに向けた。けたたましい悲鳴。リリーはオルフを突き飛ばした。
「やめてよ、気持ち悪い。そんなの、どっかへ逃がしちゃってよ。ああ、気持ち悪い。」
オルフは、渋々といった表情でそれをぽいと投げやった。
「多分それは、夜行ヒルだよ。そいつも血を吸うんだ。」
ディオナはこんな時にも冷静に、いつもの物知りぶりを発揮していた。
枝道を曲がり切り、道なりに進んだ所で、大きな空洞に出た。そこで見た光景は、当時11歳の僕からしてもやはり異様で、恐ろしく感じられた。最初はそれが何なのかわからずに、近寄って行ったのを覚えている。
空洞の後方、ちょうど行き止まりとなっている部分に格子が立てられていたのである。天然の牢の内には、何かが蹲っているように見えた。
「何かいるよ。何だろう、あれ。」
「牢屋かな。もしかして誰かが閉じ込められてるのかもしれない。」
僕はそう言い、よく見ようと前へと歩を進めた。
牢の中_発酵したチーズのようなもの、それにぼろきれが被せてある。近づく。更に近付いた所で、それが何なのか理解した。
人間、それも子供の腐乱死体だった。まだ死んでから日数が立っていないのか、体に蛆や蠅が集っている。
衝撃的な光景だった筈だが、不思議にも僕はそこで叫びだしたりはしなかった。それがあまりにも、いつも見ている人間とは異なった形をしていたから、というのもあった。
頭。頭から一本の大きな角状のものが伸びているのだ。まるで犀だ。その時はそう思った。
後ろ、振り返ると3人が血の気の引いた顔で突っ立っていた。
僕は、我にかえったように口を開いた。
「死体だ。子供の死体がある。それに、手帳みたいなものもそこに落ちてる。」
そう言って、格子の隙間に手を伸ばした。手帳を掴み取り、皆の元に舞い戻る。
「テ、テオ。お前、こわくないのか。」
あんなに粋がっていたオルフが、今では真っ青な顔で小刻みに震えていた。リリーは、その場にしゃがみ込んで吐いている。ディオナは、気味の悪そうに顔を背けていた。
「やばい気がするんだ。戻った方がいい。」
僕は直感的にそう思った。
村の暗部を見てしまった。これは見てはならないものなんだ。はやく入口に戻ろう、誰がいうともなくそう決まり、僕らは駆け足で元来た道を戻り始めた。
まあ、案の定というべきか、僕らは洞窟の入口にて村の大人たちと鉢合わせしてしまったのである。大人たちは皆、けわしい顔つきをしていた。
「中に、入ったんだな。」
村長_リリーの父親が、念を押すように言った。
皆を代表して、僕が頷いた。
「あれを見たんだな?」
何を指し示しているのかは、一目瞭然だった。
僕はただ、声にならないかぼそい響きで、はい、と頷くことしかできなかった。
大人たちの間で、何やら話し合いが始まった。僕らは蚊帳の外に置かれてしまった。どうしよう、と3人に目配せする。
「怒られるのかな、やっぱり。」
小声でディオナが言った。
「怒られるだけで済んだらいいけどさ。何だかやばそうな感じだよ。」
「テオのせいだぞ。お前が不用意に近付くからこうなったんだ。」
「はぁ?何だと。」
オルフと僕との間に、険悪なムードが立ち込め始めた。
リリーがそれを止めてくれた。
「ちょっと、やめてよ二人とも。そんなことしたって、どうにもならないよ。これからどうするか考えなくちゃ。」
僕は渋々引き下がった。しかし、どうするかといわれても、僕らにどうにもできないことは火を見るより明らかだった。
大人たちの間では、苛つきを含んだ声が飛び交い始めた。何だかいつもは優しそうな大人たちが、怖く感じられた。
「そうだ。テオ、何か本みたいなもの持ってたよね。あれは何?」
僕はリリーに促されるままに、懐からぼろぼろの手帳を取り出した。ページは湿ってくちゃくちゃになっており、今にもふやけて破けそうな有様だった。
僕は文字列に、さらっと目を通した。
文_僕らが使っている言語とは似ても似つかぬ文字だった。何かの外来語なのだろうか。オルフがよく見ようと首を伸ばしかけた所で、話がまとまったのか大人たちが近寄ってきた。
「今から、お前たちも集会所に連れて行く。リリーもだ。来なさい。」
村長がそう言い終わるやいなや、僕らは大人たちに脇を固められて集会所へと誘導されていった。
緑の生い茂る小道、小川を越え、見慣れた村の家々が見えてくる。僕らは一時も会話をせずに、黙って歩き続けた。
集会所の窓は、薄いカーテンで閉め切られていた。
薄暗い空間の中、僕ら4人は木の床に正座させられた。大人たちが引っ切り無しに出入りを繰り返しているが、外の様子は全くと言っていい程伺えなかった。
「僕が拾った手帳のこと、言った方がいいのかな。」
「わかんない。どうしよう。」
リリーが泣きそうな調子の声で言った。オルフもすっかり意気消沈しており、もう一言も喋りたくない、といった様子だった。
「とにかく、事実だけを話せばいいんだ。どうやら、私達を殺す気はないみたいだから。」
ディオナがそう締め括った所で、六人の大人たちが神妙な面持ちで上がり込んできた。村長他、村の中でも特に地位の高い家の主たちだった。
「長い間待たせてすまなかったな。今から全てを説明する。よく聞いてくれ。」
村長の隣、顔の濃い男がそう言った。
すると、面長の男が横槍を入れてきた。
「しかし、うむ。やはり、全部を話す必要はないんじゃないか。あまりにも_」
「もう決まったことを蒸し返すな。それに、皆いつかは知ることだ。」
村長に窘められ、面長の男は不服そうながらも腰を下ろした。
「まず、だが、その、最初にあれが見つかったのは、この付近に村ができた当初、今から、ざっと数えて三百年ほど前らしい。その頃はカイスの国々との戦乱が長引いていた時勢であり、村も疲弊していた。」
僕らは、じっと顔の濃い男の話に耳を傾けた。
暗い室内、男の顔に黒い影が差しこんでいたのが印象的だった。
「ある木こりの夫婦の元に、子供が生まれた。それだけなら、別に、なんともない普通の知らせだが、ただ一つおかしな点があった。子供の頭_額の部分に、角のようなものが生えていたのだ。」
僕らの顔に緊張の色が走った。
「村人たちは大いに驚き、戸惑い、一晩にわたる協議の末、村の裏手に位置する滝の洞窟にそれを幽閉することにしたらしい。災いを呼ぶ不吉なものとして、な。その木こりの夫婦も村八分にされ、それは酷い仕打ちを受けたらしい。聞きたいか。」
僕らは、満場一致で首を振った。
話が進むにつれて、僕は目の前の男たちに対して、薄気味悪さのようなものを感じるようになってきた。こいつらは本当に人間なのか。
今まで信じて来たものが間底から崩れ落ちていくような感覚。それを子供時代に味わったのだから、その衝撃は大したものだったのだろう。
「やがてその子供は、飢えて死んだ。村人たちはそれを川に捨てた。時が経ち、それは村の伝統として受け継がれていくまでに至ったのだ。周期的、とでもいえるのだろうか。数十年に一度ほどの間隔で、村に角の生えた子供が生まれるようになったのだ。村人たちはその度に洞窟の牢に子供を閉じ込め、子供の生まれた一家は、村八分に追いやった。風習は今でも続いているのだ。ただ、それだけだ。」
しん、とした空気。
誰も何も喋らない。おどろおどろしい話の内容とは裏腹に、顔の濃い男は冷め切った表情をしていた。
「不思議に思ったこともあっただろう。何故この村では出産の際にわざわざ大人たち一同が集まって見守るのか、と。」
村長が沈黙を破って言った。
僕もそれは、小さい頃から気になっていた。喜ばしいことだから皆でお祝いするのかな、と片隅で思ってはいたが、今やそんな空虚な考えは真向に否定された。
「角付きが生まれた時のため、ということですね。」
ディオナが言った。
ディオナ_いつも物静かだが、たまに物事の本質を見抜いているかのような鋭い発言で皆を驚かせる、そんな不思議な女の子だった。
「そういうことだ。村では皆暗黙の内にそれを了解している。」
「何で角の生えた子を殺すんですか。」
僕は、勢い余ってそう言った。
大人たちは不意を突かれたように目を白黒させたのち、こう答えた。
「殺すわけではない。神への供物として捧げるのだ。先人たちがそうしてきたことだ。わたしたちは、それを継がなければならない。」
僕は納得できない気分だったが、それ以上言うのはやめた。
ただでさえあれを見せられた直後なのだ。不用意な発言はよした方がいい、と子供ながらに考えていた。
その後も長々と話は続いた。
オルフなどはすっかり飽きてしまったようで、隙をみてはリリーにちょっかいを出していた。当のリリーは、まるで魂が抜け落ちてしまったかのような様子だった。うつろな視線で床を眺めている。
やっと解放された時には、辺りは既に真っ暗になっていた。
このことは村の外の人には言わないこと、と強く念を押された後だったので、何となく、あまり喋りたくない気分だった。
「前、町の図書館に行った時に、気になる文献を見つけたんだ。」
ディオナが、ぼそりと呟くように言った。
僕らは石段の上に腰かけながら、ディオナの話に耳を傾けた。
「魔法の起源に関する本だった。古文書によれば、魔法はある日突然生まれた、奇怪な子供によってもたらされた、ということになっている。その子供は人間を遥かに凌ぐ知能を持っており、現在における魔法の基礎の殆どが彼によって確立された、という。」
ディオナが口を置いた。
夜闇の中、ディオナの白い肌がすらりと光っている。
「人々は彼のことを、神が我々人類にもたらした授け者と称した。実際、魔法がこの世界にもたらした影響というのは、計り知れないものがあるからね。それでだ。ちょっと考えてみたんだけれど、さっきの話と似通っている部分があると思うんだ。」
「つまり、あの子供は神からの贈り物だった、ってこと?」
僕は少し興奮しながらそう言った。
オルフは興味なさげに服の裾をいじっている。リリーはといえば、話を聞いているのかどうかさえ怪しげな様子だった。
「テオの拾ったあの手帳を見て、思った。世界中どこを探したって、あんな言語は無い筈だ。もしかしたら、もしかするかもしれない。テオ、その手帳は誰にも見せちゃだめだ。わかった?」
僕はディオナの剣幕に押されて、しどろもどろに頷いてしまった。二、三会話を交わしたのち、僕らは別れて家族の待つ家への道を辿り始めた。
隣、リリーが歩いている。
僕の家と村長の家とは、同じ道にあったのだ。
「リリー、元気だしなよ。そんなに落ち込まなくたって……。」
「テオ。」
「え、何。」
「今日、心の底から怖いと思った。村の人たちはみんな怖い人だったんだ。もう何も信じられないよ、私……。」
リリーは顔を押さえて、嗚咽を漏らし始めた。
僕はどうするべきか迷ったが、とにかく、肩を叩いてやった。
あれから月日が経った。
僕らはそれぞれの道を歩み始め、あの日のことは忘れつつあったように記憶している。
オルフは親父の後を継いで鍛冶屋となり、都会へと出て行った。
リリーも時を同じくして故郷を離れ、今は魔法学校の研修教師として経験を積んでいるらしい。
ディオナは歴史学者への道を志してルーンへ旅立ったそうだが、その後については、僕は何も知らない。
僕_僕はといえば、今日も今日とて畑を耕す日々を送っている。高額化する年貢に悩まされながらも、何とかその日暮らしを続けてきた。
村から離れたのには、やはりあの日の強烈な出来事を忘れたい、という理由があった。あれ以来、滝のことを考えるのすら嫌になったくらいだ。
村がなくなるという知らせが届いたのち、ディオナから手紙が来た。
もう一度あの4人で集まろうという。何やら話したいことがあるようだが、その内容は一目瞭然だった。というのも、その手紙は、テオはあの手帳を忘れずに、とのメッセージで締め括られていたのだ。
僕はこれから、再びあの村へと旅立とうとしている。
ディオナが何を考えているのか、僕にはわからない。けれども、行くしかないと思っていた。幼き頃のあの苦々しい思い出に、蹴りをつける時が来たのだ。
僕は戸口を開けた。
あたたかい太陽の光が、部屋に差し込んできた。




