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スペア  作者: 玄侍
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5.公園

 夜中の公園には僕たち以外誰もいない。DSを持ち寄って遊ぶ男の子達はいないし、なわとびをする女の子達もいない。砂場で遊ぶ親子連れもいないし、柴犬を連れた爺さんもいない。夜だから当たり前だ。人のいない公園を照らし続ける電灯の白い光には、どこかもの悲しい雰囲気が宿っている。

 『公園に集まるぞ』

  月曜の夜、家でゲームをやっていた僕の元に突然そんな連絡が来た。もちろんアキラからだ。

 「公園」と一口で言って通じるのは、そこが小さな頃から三人で一緒に遊んでいた馴染みの公園だからだ。近所では「まんじゅう公園」なんて呼ばれている。僕らもいつのまにかそう呼ぶようになっていた。

 その名がついた理由は一目瞭然、公園のど真ん中にコンクリートで出来た白いドームがあって、それがまんじゅうそっくりだからだ。ドームの表面には石が点々と埋まっていて上に登れるようになっていたり、反対側には幅の広いすべり台がついていたりする。横には大きな穴が空いていて、かまくらみたいに中に入ることも出来る。

 小さい頃の僕はあの中に入って暗いコンクリートの裏側をじっと眺めるのが好きだった。中二の夏、夜中にあそこでこっそり女子といちゃついた思い出もある。まあ何かと感慨深い場所だ。


 公園の前でアキラの黒いワゴンが闇に佇んでいた。アキラは既に公園に来ていて、まんじゅうの頂上に寝転がって夜空を眺めていた。僕がすぐそばまで歩み寄っても全く気がつかない。眠っているのかと思ったら、目だけはバッチリ開いていた。

 「来たよ」

 僕が言うと、アキラは空を見つめたまま「ああ」と応えた。

 「……なあ。星がすげえな」

 僕は鼻で笑った。いつからそんなロマンチストになったのか。

 だけど確かに、今夜は星がよく見える。プラネタリウムとまではいかないものの、視界の端までぜんぶ星空だ。こんなにたくさんの星を見たのは何日ぶりだろう。もしかしたら、けっこう最近見たのかもしれない。

 「いっつもこんなもんか?」とアキラが訊く。

 「いや。すごいよ。確かに」と僕は答えた。

 それからトラオが来るまでに五分くらいの時間があった。それまで僕はバネが付いたパンダの背中にまたがって、揺れたり揺れなかったりしていた。

 普通ならこういう暇なとき、携帯をいじるのだろうか。そうだとしても、何をすればいいのかよくわからない。街中や大学でずっと携帯を見ている人たちは一体何をしているのだろう。そんなに心奪われるような魅力があるなら、僕もぜひ知りたいものだ。

 アキラはまんじゅうの上でずっと仰向けになっていた。両手を頭の後ろに置いて枕にしている。すごく心地良さそうだ。

 やがてアスファルトを滑る自転車の音がして、トラオがやって来た。

 「ごめんごめん。遅かった?」

 「いや、別に普通」

 三人が揃うやいなや、アキラがまんじゅうの上から滑り降りてきた。

 「よっと」

 アキラは短く息をついて尻を払い、僕たちの顔を交互に見た。そして腕を組んで仁王立ちになった。昔とまるで同じ光景だ。

 小さな頃、遊びのリーダーはいつもアキラだった。それは今でも変わらない。

 「さて、今夜こうして集まったのは他でもない」

 僕は何も言わずに次の言葉を待った。トラオも同様に真面目な顔をしている。アキラはもったいぶるように口を止めて、そそくさとまんじゅうの左側に周っていった。僕たちはその場で立ち尽くしていた。

 アキラはまんじゅうの中に入って、反対側の穴から出てきた。その右手には大きなボストンバッグが下げられている。ずっしりしていて、かなり重そうだ。

 「何それ」と僕が訊く。

 「まあ、見てな」と言いながら、アキラはボストンバッグのジッパーを開けた。

 中から出てきたのは何かの機械だった。鉄製のマスクのような物もある。それぞれ二つずつ用意されていた。

 「何これ」

 見ても全くピンとこなかったので、僕は再度尋ねた。

 「溶接機だ」

 「どっから持ってきたの?」

 「近くの工場から借りてきた」

 借りてきた、とアキラは言うが、実際は勝手に持ち出してきたのだろう。いたずらっぽい笑顔が何よりもの証拠だ。僕は少し辟易したけど、それについて追及する気は起きなかった。

 「それで、これから何するの?」とトラオが尋ねた。

 その質問を待っていたとばかりに、アキラは地面を向いて不敵に笑った。

 それから僕らの方に向き直り、歯の矯正器具を覗かせたまま答えた。

 「スペアを取りに行くんだよ」


 *                  


 僕は車の中で遠くの星空を見ながら、さっき公園でアキラから言われた作戦を反芻していた。

 ──あのボウリング場は月曜なら十二時で営業が終わる。その時間を狙って屋上まで上がり、溶接機を使ってあのデカいピンの立体看板を落としてやる。そのついでに、あいつの気取ったポルシェもペチャンコにしてやろう。ポルシェは丁度ピンの真下に停められてるから、上手くやれば一発でスクラップだ。

 ──ピンは俺とレクで倒しに行く。トラオは自販機の裏に隠れて周りに人がいないかどうか確認してくれ。万が一逃げる時になってバレたり、頭の上に落としでもしたら洒落にならないからな。

 それが作戦の全容だ。もとから十分洒落になっていない。トラオはあれからずっと緊張して体を強張らせている。

 「でも、どうやって屋上まで上がるの?」

 赤信号で止まった時、アキラに訊いた。アキラはラッキーストライクを一息吸ってゆっくり煙を吐き出した後、答えた。

 「……外階段がある。鉄の扉があって鍵がかかってるけど、簡単に乗り越えられる」

 「あいつが既に帰ってたら?」

 「いや。あいつは残ってるよ」

 「なんで知ってんの?」

 さっきからアキラは妙にあのボウリング場に詳しい。

 「そりゃあお前、聞いたからだよ」

 アキラはあっけらかんとそう答えた。

 「誰に?」

 「ミカちゃんに」

 ミカちゃんに、と確かにアキラは言った。思わず背筋が伸びた。トラオも同様の反応だった。

 「ミカ、目覚ましてたの?」

 トラオが上ずった調子で訊いた。

 「ああ。知らなかったのか?ピンピンしてたぞ」

 「いつ?いつ会った?」

 「あの日、お前らを家まで送ったすぐ後だよ」

 あの時、アキラの車がいつもと正反対の方角に走っていったのを思い出した。まさか病院まで戻っていたとは思わなかった。

 トラオがミカの回復を知らなかったのは不思議ではあるが、何よりその報せは嬉しい。

 だけどそれを知ると同時に、この作戦に対する抵抗感が芽生えてきた。

 「こんなことして、意味あんのかな」と僕は呟いた。

 復讐劇の映画じゃよくあるこんな台詞を、自分の口で言うような日が来るとは思わなかった。

 「意味ないよ」

 アキラはさらっとそう答えて、左手で新しいタバコを咥え、その手でライターを持って火をつけた。

 「ただのイタズラだ。意味なんてあるわけない」

 開き直るわけでもない、冷静で客観的な言い方だった。僕は一瞬、その先何を言うべきなのかわからなくなった。

 「じゃあ、なんでやるんだよ」

 「……知らん。やったら、気が静まるから?」

 疑問系で返すってことは、ハッキリした目的なんて始めから無いということだ。そう思うと、急に何もかもがバカバカしくなってきた。

 「こんなことしたら、ミカ怒るんじゃないの?」

 「そうか?あのでっけえピン倒してポルシェぶっ壊してやったって言ったら、ミカちゃん手叩いて笑うよ。多分」

 どうしてもそうは思えない。ミカならきっと怒るだろう。それが自分のためにやったことだと思ったなら、なおさら怒りそうだ。

 「まあ、今ならやめてもいいんだぜ。トラオも」

 「……やめないよ」

 トラオは静かに、しかしハッキリとそう言った。覚悟はもう決まっているらしい。

 「レクは?」

 抵抗感は拭えなかったものの、トラオの真剣な表情を見て断る気にもなれなかった。

 「行くよ」と僕は言った。

 車はボウリング場の前を通り過ぎて裏手に周り、室外機や倉庫のある暗い場所で停められた。

 「後は、上まで登って時間を待つだけだな」

 アキラはそう言って、吸い殻をコーヒーの空き缶に突っ込んだ。

 時刻は十一時四十五分。ボウリング場の営業が終わる十二時まで、あと十五分だ。


 *

 

 鉄の格子扉は想像していたよりもずっと大きかった。二メートル半くらいは高さがあって、錠前付きの鎖でがっちり固定されている。過去に誰かが侵入したことでもあったのだろうか。

 アキラが先にジャンプして格子扉の縁を掴み、腕の力だけで登っていった。

 「よっ、と」

 その時、僕の目の前に何か四角いものが落下してきて、アスファルトの地面に当たってガチャンと音を立てた。僕は腰をかがめてそれを拾おうとした。するとその前にアキラが降りてきて、慌ててそれを拾い上げた。

 「持っていったのに」

 「いや。壊れてないかと思って」

 アキラはそれをベルトに括り付けたホルダーに仕舞い、再び格子扉を乗り越えていった。軽い身のこなしだった。

 続いて僕がボストンバッグを向こう側に放り投げる。鉄の塊が入ったバッグはそれなりに重く、一回目は失敗して格子扉にぶつかった。落ちてきたバッグを慌てて両腕でキャッチする。

 「おいおい、壊すなよな。終わったら返すんだから」

 「ああ」

 もう一度、左腕を振りかぶって思い切り放り投げる。コントロールを利かせる余裕はなかった。

 「うしっ」とアキラは言い、バッグをキャッチした。

 「それじゃ、こっちこい」

 順番を逆にした方が良かったんじゃないかと内心不満を洩らす。支えてくれればまだ楽だったのに。

 僕は全力でジャンプして、なんとか縁を掴んだ。しかし左手の握りこみが甘くて離してしまい、右だけでぶら下がる状態になってしまった。

 「くうっ」

 壁を伝うパイプに左足を引っ掛けて、なんとか上にしがみつき、乗り越えた。簡単に乗り越えられるというのはどうやら嘘だったみたいだ。

 僕らは鉄の階段を上がって屋上を目指した。携帯を取り出して時刻を確認する。十一時五十分。営業終了まであと十分だ。

 階段を上りながら町の景色を見る。こちら側はほとんど住宅街で、多くの家が明かりを落としていた。遠くには黒い山の影。その上には夜空一杯の星が広がっている。思わず見とれて足を止めそうになった。これから他人の車をスクラップにする実感なんて全然湧いてこない。

 「ねえ」

 ぐんぐん階段を上るアキラに声を掛けた。アキラはスピードを落としもせずに「なんだ」と言った。

 「さっきの何?」

 「さっきの?」

 「さっき、落としたやつ」

 「ああ、トランシーバーか」

 トランシーバー、というものを頭に思い浮かべてさっきの四角いやつと比べてみる。確かにスピーカーらしい穴やアンテナのような棒がついていた気もする。

 「なんでトランシーバーなんか持ってんの?」

 「なんでって、通信するだろ。トラオと」

 「ふーん」

 僕は鼻を鳴らして下を見た。こうして見るとけっこう高い。アキラの黒いワゴンは暗闇に混ざってほとんど見えなかった。

 「いまトラオと話せる?」

 「まあ、上に着いてからでいいだろ」

 階段は途中で終わっていた。屋上より二メートルくらい下の位置で途切れ、柵で囲われている。鉄の扉があり、鍵が掛かっていた。

 「登るぞ」

 そう言って、アキラはボストンバッグを上に放り投げ、一気に屋上へと上がっていった。僕は縁にしがみついて這いずるように上がった。

 立ち上がると急に足元がぐらついた。だけどそれは、ただの錯覚だった。

 巨大なピンはすぐに目に入った。左の方で、コンクリートの小高い台に乗って悠然と佇んでいる。まさかこれから自分が倒されることになるとは思いもしないだろう。

 「まだ明かりがあるね」

 反対側の端からボウリング場の様子を見て僕は言った。時刻はもう十二時をわずかに過ぎているけど、まだ人がいるらしい。駐車場にも客の車がまばらに停められている。

 ピンの真下では、ちょうどあの赤いポルシェがボウリング場の明かりを反射してギラギラと光り輝いていた。

 「まあ、人がいなくなるまで待機だな」

 アキラはそう言ってあぐらをかいて座り込み、タバコを咥えて火をつけた。吐き出された煙はしばらく宙を漂い、夜の風に吹かれて消えていった。


 *


 白い光がマスクを越した目の前で烈しく飛び散る。光の中心には小さな煙が巻き、接した部分がどんな風になっているのかはよく見えない。悲鳴のような音が耳をつんざく。

 溶接機の先が徐々に前へと進んでいく。その感触から、錆びた支柱が確実に溶けていくのがわかる。

 やがて手応えがなくなり、勢い余って少し体がよろめいた。支柱は見事に切り離されていた。アキラもほとんど同時に終わらせていた。

 「あとは反対側だ。気をつけてやれ」

 「うん」

 屋上の端の方に周り、そちら側を支えている支柱の片方に溶接機を押し当てる。再び鳴り響く甲高い音、飛び跳ねる光、渦巻く煙。

 半分ほど進んだところで、突然ピンがぐらついて支柱がはち切れた。

 バランスを失ったピンは駐車場側ではなく、アキラの頭上に倒れ掛かった。

 「危ない!」

 僕はマスクと溶接機を投げ出して叫んだ。

 傾いたピンは途中でぴたりと静止した。そして、少しだけこちらに押し返された。

 「……大丈夫だ。潰されるほどじゃない」

 絞り出すような声でアキラはそう言った。膝が耐えきれずに震えている。僕は慌てて反対側に周り、力を添えてピンを押し戻した。そして再び逆側から支える。

 「思いの外、不安定だな」

 アキラは懸命にバランスを取りながら言った。僕は腕がしんどくて今にも後ろに倒されそうだった。

 「早く落とそう」と僕は訴えた。

 「ああ。ただ、しっかり狙ってな」とアキラは言い、地上を見下ろした。僕も見下ろした。ほとんど暗闇だけど、赤い光沢がなんとなく見て取れる。

 「せーの……」

 アキラの合図とともに、ピンを押し出す。

 ピンは頭を下にしてゆらりと倒れ、そのまま真っ逆さまに地上の暗闇へと吸い込まれていった。

 直後、車のボディとピンが衝突する轟音が鳴り響き、ガラスが砕けて飛び散る派手な音も聞こえてきた。

 僕らは互いの拳を突き合わせた。そして急いで荷物をまとめて屋上から降り、外階段を駆け下りていった。

 格子扉はさっきよりも随分簡単に乗り越えることが出来た。火事場の馬鹿力とかいうやつだろうか。

 車に乗り込む。中で待っていたトラオとハイタッチをした。暗がりで見るトラオの顔は笑っているようにも、哀しんでいるようにも見えた。エンジンが掛かるやいなや、ボックスワゴンはアクセル全開で走り出した。

 「大成功だな」とアキラが言った。

 「だね」と僕は応えた。トラオは黙っていた。

 駐車場の前を横切って走り去るとき、若い女が一人走っているのを見かけた。女は僕らとすれ違い、真逆の方向に走っていった。車のスピードがあまりに速くて、女の顔を見ることは適わなかった。

 「今、誰かいたけど」と僕は言った。

 「どうせ顔もナンバーも見られてねえだろ。放っとけ」とアキラが言った。僕は後ろを振り向いた。女はもう見えなくなっていた。

 何がともあれ、これが物語の全容だ。

 こうして、僕らのささやかで劇的なイタズラは無事にその幕を下ろした。

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