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スペア  作者: 玄侍
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4.ゲームセンター

 僕は白いベッドのパイプに縋り付いて、目蓋が壊れるくらいに固く目を瞑った。苛立ちと悲しさと自責の念が同時に押し寄せて全身を強張らせた。

 呼吸が無意識に荒くなる。今までの出来事がまるで走馬灯のように頭の中を駆け巡り、締め付けるような頭痛を引き起こした。

 誰かが僕の肩に手を置いた。僕はその手を怒りに任せて振り払った。手を置いたのはアキラだった。アキラは苦々しい表情で何かを言いたげに口を開いていた。

 その後ろには兄が立っている。僕はそちらに目を向けるなり肩をいからせながら歩み寄り、的外れな文句を散々ぶつけた。トラオは何も言わずに僕の言葉を聞き入れていた。それからトラオはため息をひとつ吐いて、力なくベッドの方に歩いた。

 「ごめんね。俺、本当に知らなかったんだ。こんなになるほどだったなんて」とトラオは言った。そしてトラオはベッドに片手を置き、横たわるミカを細い目で見降ろした。トラオはもう一度、切なげにため息をついた。僕は床にがっくりと腰を下ろして膝と膝の間に顔を埋めた。そしてまた、固く目を瞑った。

 トラオを責められないことはよくわかっていた。むしろ、責められるべきは僕のはずだった。

 彼女の苦しみを面と向かって語られたことがあるのは、他でもなく僕だけなのだから。よく知っているのは僕だけだ。知っていて、何もしなかったのも僕だけだ。僕は両手でズボンの膝をくしゃくしゃに握りしめた。

 そんな僕の心中を見透かしたみたいに「お前のせいじゃねえよ」とアキラが言った。またそこには明らかに、第三者に向けた静かな怒りも籠っていた。「……トラオのせいでもない」

 重苦しい空気が狭い空間を圧迫していた。

 夜の病室には、「手遅れ」の言葉が目に見えないガスのように充満していた。それを吸い込むたびに僕らは辛く苦しみ、乾いたため息となって再び吐き出される。その時間はいつまでも、いつまでも続いた。

 知らせを受けた時、僕たちはいつものように揃って呑気に遊んでいた。一番大事なことを端に追いやって、ひたすらの惰性の中で気を紛らわせていた。

 トラオの啜り泣く声がかすかに聞こえる。僕は右の拳で強く床を叩いた。


 *


 昔からゲームセンターというものがあまり好きじゃない。雰囲気がどうしても苦手だ。

 色んなゲームの音が競うように大音量で耳に響いてくるのが苦手だ。光の洪水に目がチカチカさせられる。機械の排気とこぼれたジュースが混じったような独特の臭いも好きじゃない。

 だけど矛盾したことに、僕は今まで友人と連れ立ってゲームセンターに来るのを断ったことは一度もない。ゲームセンターが苦手とはいえど、ゲームそのものは好きな方だからだ。

 郊外のサードプラネットに来てから十分が過ぎた。トラオはさっきからずっとUFOキャッチャーにしがみついてフィギュアを狙っている。ピンクの髪をしたボーカロイドのフィギュアだ。少しずつ動かして5センチ程度は近づいたものの、この調子じゃあまだまだ先が長い。アキラも腕を組みながらすっかり飽きた顔をしている。

 「金のムダだろ。もうやめとけよ」

 「いや。コツがわかってきたから、あと二回やればいける」

 真剣な表情でトラオは言う。これでもう千四百円はつぎ込んだことになるけど、僕はあえて何も言わなかった。

 アームがゆっくりと降下して、箱の隙間に鉄の爪が差し込まれる。トラオは「よおし!」と叫んで早めのガッツポーズを取った。こういう仕草は何となくミカに似ている。アキラも少し前のめりになって「おっ」と声を発した。僕もちょっと真面目に結果を見守った。

 皆の期待とは裏腹、アームは予想以上に非力で、そのまま箱を引き上げるには関節が緩すぎた。箱は微動だにしないままアームだけが上昇して、ダクトの上で景品を落とすジェスチャーをした後、元の場所に戻っていく。トラオは筐体に寄りかかって大げさに嘆き出した。アキラは拍子抜けしたように鼻で笑って背中を向けた。

 「買ったほうが安いよ」

 「そういう問題じゃないんだよなあ」

 言いながらも、トラオは流石に諦めたようだ。アキラは他の台でピカチュウのぬいぐるみを取ろうとしていた。妹にあげるつもりだろう。

 「なあ。最近ミカの調子どう?」

 僕が訊くと、トラオは露骨にびっくりした表情を浮かべてこちらに向き直った。

 「ミカ?」

 「ああ、ほら、月曜に映画観に行った時さ。そう呼んでって言われたから」

 「ミカがそう言ったの?」

 「そう」

 絶句するトラオの元にピカチュウを持ったアキラが駆け寄ってきた。アキラはピカチュウの両耳を持ってこれ見よがしにトラオに突きつけた。

 「おい、これ一発だぜ。すごくね?」

 トラオはしかし、そちらには目もくれない。アキラは予想外の無反応に怪訝な顔をした。

 「どうした?」

 「レクが、ミカのことミカって呼んでる」

 「なにっ?」

 それから散々質問責めに遭ってしまった。なんでそんなに仲が良いんだとか、何か変なことしてないかとか、キスしたのかとか。僕は何度も「映画観ただけだって」と弁解した。二人はなかなか信じなかった。

 「それより、具合は?大丈夫?」

 質問責めを押し切って僕が訊き返すと、トラオは打って変わって神妙な顔つきになった。

 「大丈夫だよ」

 その声はあまりにも小さくて、うるさいゲームの音にかき消されそうだった。

 「本当かよ」とアキラが言った。トラオはうつむいたまま何も言わない。

 「俺、映画観に行ったときにミカから全部聞いたよ」と僕は言った。「すごく大変な思いしてるよ」

 するとトラオは顔を上げて、僕の腕を掴んだ。

 「何て言ってた?」とトラオは訊く。

 「知らないの?」と僕は訊き返す。

 情けなさそうにトラオは床を見下ろして頷いた。

 「……いつも大丈夫って言ってた。皆にもそう言っといてって」

 僕は腰に手を当ててため息をついた。きっと今までもずっとそうだったのだ。心配されないようにそうやって気を配っていたのに違いない。

 でも、よく見れば分かるだろ。やつれてることくらい。真剣にそう言おうとした時、トラオの元に通話の着信があった。着信音はトラオが好きなアイドルの曲だった。

 トラオが電話に出ている間、僕は何気なく周囲を見渡した。やっぱりこの薄暗さとチカチカした光はあまり気分が良くない。ツインテールの女子高生がリズムゲームをやっている。何という名前のゲームかは知らないけど、その手つきは気味が悪いほど高速だった。最近は女の子でもああいうゲームをやるのか、と軽いカルチャーショックを受ける。メダルゲームのエリアでは男スタッフがマイクを片手に何やらイベントを進行していた。ミカもボウリング場でああいう仕事をやっているのかもしれないなと僕は思った。彼女がやるには少し荷が重そうな仕事だ。小学生の二人組が太鼓の達人を異様に上手にプレイしている。父と小さな娘の親子連れがセブンティーンアイスを買っている。スロットマシンの前には薄汚れたジャケットを着た中年の男が腰掛け、プリクラの中から顔の黒い二人のギャルが現れる。中学生くらいのカップルがUFOキャッチャーでくまモンのぬいぐるみを取ろうとしている。チャラチャラした格好の若い男達が喫煙所に入り、さっきの女子高生は別のリズムゲームにコインを投入してヘッドホンを装着した。

 何もかもがリアルだ。色と光の海。何重にも折り重なる電子音の波。甘ったるい匂い。機械の臭い。笑う人、顔をしかめる人、無表情の人。携帯を右耳に当てるトラオ。腕を組んでそれを見るアキラ。どれもこれも全てが同時に、平等に僕の眼前に押し寄せる。

 「──倒れたって」

 トラオが呆然とした顔で言った。

 「え?」「は?」

 「ミカが、バイト中に倒れた」

 目の前の現実が、一転して嘘のような世界に見えた。


 *


 ボックスワゴンの車内をオレンジ色の光が通り抜ける。虚ろに窓の外を眺める僕と下を向くトラオ、眉間に皺を寄せながら運転するアキラ。オレンジの光は沈黙する僕達の表面を波のように滑っては消えていく。

 ミカは過労による肉体の疲れと精神的なストレスが原因で倒れ、近くにいた客の一人が救急車を呼んだらしい。僕達が病院に到着したのはそれから三十分後。彼女は意識を失くしたままベッドに横たわり、ビタミンを点滴されていた。顔は蒼白。目の隈は一層酷く、目蓋が赤く膨らんでいた。

 病院を出て、車に乗り込んでから約二十分。ボウリング場には思っていたよりもずっと早く着いた。アキラがいつも以上に速く車を飛ばしてきたからだろう。

 自動ドアをくぐるなり、アキラがカウンターまで直進して女のスタッフに声を掛けた。僕は何となく、映画で見た銀行強盗のシーンを思い出していた。

 キャバクラ嬢みたいにもっさりとした金髪の女は、怪訝そうな表情を一度僕らの方に向けると、子供みたいな声で「なんですかぁ」と言った。そして女はカウンターの内側に置いた自分の携帯を弄り始めた。マニキュアの長い爪が画面に当たらないのが不思議だ。

 「ここのオーナー、今いる?」

 怒りを懸命に抑えた調子でアキラが訊く。その怒りがこの女スタッフの態度のせいじゃないということは、僕もよく分かっていた。

 「えー何、オーナー?オーナーならもう帰る頃だけどー?」

 女は携帯から顔を上げようとしない。アキラはぐいと身を乗り出した。

 「それは、もう帰ったってことか?」

 「えーわかんない。いるならフロアの辺りにいるよ。それか車」

 アキラは小さく舌打ちをして、僕らの方に向き直った。女はチラチラとこちらを見てきたが、カウンターの端でカップルが待っていることに気づくと怠そうに対応し始めた。

 「俺とトラオは二階に行くから、レクは駐車場見てきてくれ」

 それだけ言って、アキラはトラオを連れて二階への階段を上っていった。残された僕は、カップルの対応をしているキャバクラ女の方を向いた。

 「車種は?」

 女は一瞬、自分が話しかけられていることに気付かなかったようで、少し動揺していた。カップルも変な目でじっとこっちを見てきた。

 「オーナーのだよ。どんな車」

 苛立ちが徐々に募ってきた。女はマイペースに「ああ」と呟いて、「ポルシェの赤いの」と言った。僕はすぐに駐車場へ飛び出した。


 赤いポルシェはすぐに見つかった。入口から右に三台分程度離れた場所に、一台だけポツンと停められている。よく見ればその周りだけ四角い白線が引かれていて、専用の駐車スペースになっていた。

 ポルシェに駆け寄って中を覗く。車内には誰もいなかった。ゼブラ柄のハンドルカバーとかミニコンポとか、趣味の悪さがうかがい知れただけだ。

 運転席のシートにはコンドームの箱が乱雑に置かれ、中身のゴムが散らばっていた。

 車があって車内にいないということは、フロアの方にまだ残っているということだろう。僕はポルシェを後にして再びボウリング場の中に入り、カウンターを横切って階段を駆け上がった。いつかと同じボウリングの光景があった。

 端のレーンのベンチの後ろで、黒いレザージャケットを着た長身の男がアキラ達を見下ろしていた。僕はその場に歩み寄り、上目で男を睨んだ。男は冷めた表情を僕の方にも向けた。

 「何、君もお友達?」と男は言った。僕は何も答えなかった。

 男は茶色く染めた髪をツンツンに尖らせていて、その顔立ちは意外にも整っていた。甘い顔とでも言うのか、女受けは良さそうだった。

 「だから、俺に言われても困るんだよね。あの子がやってくれるって言うから任せたのに」

 男はわざとらしいため息を混ぜながらそう言った。アキラは何も言わずに拳を握っていた。

 「任せられたんでしょ。強引に」

 トラオが怒りを露わにした。男は目線を宙に上げて舌打ちをした。そして小さな声で「ウザ」と呟いた。

 「あのさあ。君らなんにも知らないんでしょ?なんでそうやって決め付けるの?」

 何と言い返せば良いのかわからなかった。確かに僕らは実情を知らない。だけど、あんなになるまで仕事をさせるのはどう考えても異常だ。法律違反か何かに決まっている。

 違反じゃないのか。僕がそう問いただそうとしたとき、アキラがいきなり振り返って「帰るぞ」と言った。アキラはそのまま早足でその場を去っていった。

 まだ話がついていないと思いつつも、僕はその後を追った。トラオは最後までその場に残っていたけど、遅れて歩き出した。

 「代わりで来てくれたのかと思ったのに」

 男が冷笑交じりの声でそう言った。


 *


 トラオは家に着くまで一言も口を聞かずに険しい顔で俯いていた。家の前で車が止まると「じゃあ」とだけ言ってドアを開け、車を降りていった。スライドドアは大きな音を立てて閉められた。

 あの男の顔を思い出しただけでも腹が立ってくる。皆同じ思いだろう。

 全てがミカの自己責任じゃないことくらい、考えなくても分かる。頼まれたら断れない性格だと知っておきながら仕事を押し付けるのは、強制しているのと同じことだ。

 「ねえ」

 僕は窓の外を見るのを止めて、アキラに問いかけた。

 「何だ」

 アキラは低い声で応えた。氷のように冷たい声だった。

 「やっぱり、労働基準法違反とか、そういうのじゃないのかな」

 僕が訊くと、アキラはしばらく黙っていた。それから小さく「ああ」と言った。

 「でも、訴えるのは無理だな」

 「なんで?」

 「多分、あそこでああいう目にあったのはミカちゃんだけだろ。もし俺達や家族が訴えて審査が入ったとしても、どうせ違反は見つからない」

 アキラの冷静な物言いに、僕はどうしても反発したくなった。

 「でも、他に何か証拠が出せるかもしれないし」

 「いや。証拠もほとんど出ないだろうな。ああいうとこは大抵、決まった時間でタイムカードを切らせてるから。ミカちゃん人が良いから、文句の一つも言わなかっただろうしな」

 違反は見つからないし、証拠も出せない。この手のケースは泣き寝入りが一番多いとニュースでも聞いたことがある。考えれば考えるほど無力感が募った。

 「でも、証言さえあれば」

 なんとかならないのだろうか。必死に絞り出したその考えに対しても、アキラの否定は即答だった。

 「ダメだろうな。他の従業員もグルなら、現場の話は誰もしようとしないだろ。それに、俺達は直接関知してないから何も言っても恐らく無駄だ」

 「なんでそんなに冷静なんだよ」

 その問いには答えてくれなかった。家の前まで来ると、アキラは黙って車を止めた。

 「じゃあ」と僕は呟いて、車のドアを開けた。アキラは「ああ」と言った。僕はドアを閉めた。

 ボックスワゴンが走り出す。遠ざかっていくかと思いきや、途中の小道で切り返してこっちに戻って来た。そしてそのまま家の前を通り過ぎ、もと来た道を走っていった。こんな遅くから、一体何の予定があるのだろうか。テールランプの光は緩やかなカーブの向こうへと消えていった。

 僕は衰弱したミカの顔を思い浮かべていた。あの下らない男が彼女を散々こき使う様子が連想された。僕はその想像を振り払い、深呼吸をして家に入った。夜の空気は嫌気が差すくらい澄んでいた。

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