序
この作品は、【君との空へ】シリーズの1つとなります。
前話『緋い記憶』 『白い影』 『碧の癒し』をお読みになってから、お読み下さいますようお願い致します。
この衝動を、どうすればいい?
夕陽を反射するあいつの瞳に。
只、触れたくて。
――あいつは。
気付いているのだろうか。俺を映す瞳が、涙を滲ませてる事に。揺れてる事に。
――なんて……表情、してんだ……。
下唇を噛んでいる彬に、俊介は必死になって手を伸ばしていた。
「お前。俺を……」
自分を責める、苦悶の表情。
一瞬手を止めて。だが俊介は、更に手を伸ばした。
俺は只、彬に触れたくて……。
あの時の衝動が蘇る。只、彬に触れたかった。まだ中学生だった、あの夏の日の――。
俊介の部屋で一緒に宿題をしていた彬の前髪を、俊介はふと気になってかき上げた。
「えっ。な、んだよ?」
驚いた彬が顔を上げ、自分の前髪を押さえる。
「いや。邪魔じゃねぇ?」
「そうか? そーいやちょっと、伸びてきたかなぁ?」
前髪を指先で抓みながら、彬が呟く。
「目に入んねぇ?」
「んー。たまにな」
「切っちゃえば?」
一緒になって彬の髪を弄くる。その手が耳に触れても、項に触れても、彬は嫌がる事なく、平然としていた。
――どこまで、許される?
それはちょっとした悪戯心のようで。それでいて、もっと真剣な思いのような気がしていた。
「あきら……」
声が、掠れる。
その変化に、彬が顔を向けた。問いかけるように向けられた瞳に、自分が映っている。
項に触れたままの手に少しだけ力を入れて、唇を寄せる。ゆっくりと近付いた唇は、逸らされる事なく、彬の唇へと届いた。
触れただけの唇を離し、彬の顔を見る。その顔は固まったままで、呆然と俊介の顔を見返していた。
「――…はぁ?」
暫くの沈黙の後。彬の口から出てきたのは、訳が解らないと言いたげな声だった。怪訝に、眉根を寄せている。
「初めて?」
顔を覗き込むと、顔を真っ赤にした彬が声を張りあげた。
「当ったり前だろ! お前もだろーがッ!」
その台詞に薄く笑ってやる。
――悪戯に、試してみたくて……。
一瞬顔を曇らせた彬が、怒りを含ませ目を剥いた。
「なんだよ。初めてじゃ、ねぇのかよ?」
低く唸った彬が、俊介の返事を待たずに腕で唇を拭おうとする。
その腕を掴んで止めると、彬はギッと俊介を睨んできた。
「相手は誰だよ? ――いや、やっぱ聞きたくねぇや」
そっぽを向いた彬に、思わず肩を震わす。その気配にチロリと視線だけを向けた彬は、次の瞬間、悔しげに言葉を吐き出した。
「おっま! 騙したなぁー。ひでェーッ!」
叫びだした彬に、クスクスと堪えきれずに笑いを洩らす。ブゥーと頬を膨らませたままの彬は、掴まれていない方の手で憮然と俊介の髪をかき混ぜてきた。
それを笑いながらかわして、彬へと両手を伸ばす。
――只、触れたくて。
両手で彬を抱き締め、その肩に顎を乗せる。固まっているのか、彬は身動き一つしなかった。
「……なんで、嫌がらない?」
目を閉じて、そっと呟く。
ビクリと反応した肩が、次の瞬間、笑いを含んで揺らされた。
「だってお前は、親友じゃん。これぐらいで嫌がるかよ」
体を起こして彬の顔を見ると、無邪気に笑っていた。
「そっか。親友だもんな」
笑いを含んで。
そうして、唇を触れさせて。
俊介はさっきよりも、深く深く口づけた。
『親友だから』
俺達の関係を。親友以外になんと呼べるのか、俺は知らない。
この気持ちを。なんと表現すればいいのか、俺は知らない。
この、『衝動』を――。