聖女様の出会い
「お客様は神様です?」の「幕間2」とリンクしております。アリアさんです。「お客様」を読んでいる方は「幕間2」以降を読み進めた方が「ああ!」ってなるかと思います。
アリア・フィナリアは自分が何者か、という問いに答えられない。明確な答えが分からないのに、本能では理解していた。
自分が、人間ではないということを。
成長して行くにつれ、人との違いが浮き彫りに出る。年頃の少女達は髪の手入れを丁寧に行って美しさを磨いているというのに、アリアは何もしないでも髪は傷つかなかった。
とにかく、水が好きだ。少女によらず、大人でも塩気への抵抗を覚える海水で、のびのびと泳ぐことができた。
歌が好きだった。普段の声はさほど高くもないのに、驚くほど伸びやかで歌うのに理想的な歌声が出せた。
そして、全身が水につかると、鱗が浮き出てきた。
他の特徴はともかく、流石に鱗はおかしいだろ! アリアも内心ではそう思っていたのだが、自分の秘密が判明したら異物扱いされることくらいはよく分かった。追い出される可能性も考えた。だから、アリアは自分素らも騙して人として生きることを決めた。
なのに。
「彼」は干渉してきた。
極力人と関わらないでいようと思っていたのに。深く付き合わないでいようと思っていたのに。
あの穏やかなのに深淵を閉じこめたような翳りのある瞳に見つめられてしまったら。見ている方まで甘くとろけそうな笑顔を向けられてしまったら。冷たいのに暖かみのある手で髪に触れられてしまったら。
なにより。
「アリア」
誰より好きなあの声で名前を囁かれてしまったら。
もう、前の自分には戻れない。
自分が異質なのは理解していたから、迷惑をかけまいと生きてきたつもりだ。物心ついた頃から一人だったが、村人はアリアの面倒を見てくれた。
けれど、いつも感じるのは境界線。それは勘違いかもしれないけれど、幼少時からの感覚がすっかり抜けきるのには時間がかかるらしく、未だに一本線を引かれている気がしていた。
だからだろうか。疎外感を感じたくないから、アリアは自立できる歳になってからは村人を避けるようになった。関わらなくて言い。一人でもやっていけるのだから、と。
でも、やっぱり寂しい。
そんな自分が傲慢に思えて、アリアは嫌悪感で一杯になるのだった。
あれは、いつの日だっただろうか。確か、十七歳になった年の冬だった。
海辺に向かうことがアリアの日課だった。誰もいない穴場まで向かい、大きな石に腰掛けて歌を奏でる。編み物でもやり始めれば集中できるし自分の世界に浸れる。嫌悪感に苛まれることも、勝手に孤独を味わうこともない。
それに、波打つ海の音色が好きだった。寄せては返し、また寄せて。
だから、その日も海に行った。いつものように、人のいない時刻ーーつまり、夜を選んで。
いつもの石は、相変わらずつるつるしていて、触るとひんやりと心地いい。苔が生えていないので服が汚れる心配もなくていい。麻のワンピースの裾に気をつけて、座る。
ふ、と空を見上げるといつもより大きくてまるまるとした月が浮かんでいる。星々はその明かりに気圧されたのか、貸すんで見えた。
こういう夜、アリアは月が穴に思える。元からあったクライ世界に、白い穴がぽっかりと空いたのではないか、なんて妄想をしてしまう。その一方でなんだか道の世界に迷い込んだような、落ち着かない気持ちになる。
ざぁぁ、ざざん。ざざざ、ざざん、ざざ。
波の音が、耳に届く。
心を落ち着かせてくれる、いい音だ。不安のような、高揚のような胸の高鳴りがすぅ、とひいてゆき、次第に心を占める感情が「歌いたい」だけになる。
ここには誰もいない。邪魔する音もない。心配することなんて、ひとっつもない。自分はただ、ここで歌うだけ。
ここは、アリアの舞台なのだから!
大きく息を吸い込んだそのときだった。
「今日の月はいつにも増して明るい」
独り言なのか、語りかけてきたのか。アリアは一瞬戸惑ったが、すぐにぎょっとして声の方を振り返る。
「ーー…」
そこには、美しい男がいた。
襟足より少し長いくらいの髪は夜を丁寧に紡いだ黒色で、やや藍色に近い月光色。すらりとした身体は鍛えられており、白い服が似合っていた。顔立ちは甘めだが、纏っている雰囲気のせいか「真面目な優男」というちぐはぐな印象を与える。
つい見とれていると、男は言った。
「いつもお前の歌を聴いている。すごく、綺麗だよ」
「は、はあ」
こういうとき、なんと答えればいいのだろう? 長年人付き合いを疎かにしていたうえに、珍しいシチュエーションなのでまともな反応はできそうになかった。
けれど、床は気にする風でもなく、
「お前、身体が細いな、栄養は摂れよ? それと顔も色白くないか?」
…なんだか、心配されてしまった。しかも最近物を食べることが億劫で食事を疎かにしているので、図星をつかれて痛い。
「なあ、お前、名は?」
男は優しい声で言った。
「アリア」
迷わず、答えていた。
この男とは初対面だけれど、名乗っていいと思えた。というか、伝えなければいけないと感じた。
「アリア・フィナリア」
すると、男は嬉しそうに微笑む。
「アリアか、いい名前だ」
それから頷くと、真っ直ぐこちらを見つめる。
「アリア」
ゾクゾクした。甘くしびれるような、声。
「アリア、アリア」
ああ、とアリアは思う。
「アリア」
私は、この声を聞くためにここに存在しているのかもしれない、と。
自分が異質だとか、線引きされているとか、そんなことはどうでもいいことに成り下がっていた。
「アリア」
最後の囁きに、泣きそうなほどこみ上げてくる嬉しさを抱きながら言う。
「なぁに?」
と。
後に、何度も交わされる会話の、締めくくりの言葉を。