結託
「―――泉君!」
「…ごめん…優…」
突然、謝った泉に驚かされ、どうしたものかと思っていると。
「…動けない……もう、無理…肩を…貸して」
魔力の使い過ぎによる反動で、全身に力が入らないのであろう。そう言うと、腰を落として仰向けに倒れる。
燐は泉が決めた鞘による衝撃で意識が消し飛び、気絶している。
「…泉君……ありがとう…」
そっと呟いた言葉に彼は嬉しそうに笑った。
その後、優に呼んでもらった真人に協力して貰いながら、泉の家の手前まで転移して貰う。以前にも言ったが、この街の外への転移は十中八、九の確率で出来ないだろう。
それは、街を囲む様に巨大な結界が鳥を抜け出させない籠の様に機能して量子化した人間の身体を拒絶する為である。けれども、結界の中であれば、量子化が可能であり、転移する事が出来る。
また、転移による犯罪防止も抑制する為に大抵の家には転移魔法妨害用の簡易結界が張られている。
その為、家の中に直接転移する事は出来ずに自宅周辺に転移したという訳だ。
目の前にあるのは周囲と変わりない民家があるだけだ。まだ、それなりに新しい二階建てで、テラスに洗濯物が干されているのが確認出来る。
泉は鍵を取り出すとカチッという音を鳴らしながら扉を開ける。優に肩を支えて貰いながら中に入る。
「真人、突き当たり右手に部屋があるからそこに、燐を寝かせといて…」
「おいおい、良いのかよ。こいつ、お前襲った奴何だろ? 俺はてっきり相手の居場所を聞き出す為に拷問でもすると思っていたんだが……」
真人の口から恐怖を感じる程の内容が飛び出してくる。泉は少しだけ深刻そうな顔をすると軽く笑顔を作る。
「もし俺達が拷問すれば、それはあいつ等と全く同じだろ? 他者を傷付けて自分自身の安全を確保するそんな腐った奴にはなりたくない。」
「相変わらず甘いな………本当にお前は…初めて会った時からそうだよ。聞いた俺が悪かったな。奥の右側だな?」
真人は微笑を浮かべながら燐を担ぎながら奥に行く。
「優…ありがと。もう降ろしてくれて大丈夫だよ」
そう言って泉はマットの上に転がる様に倒れ込む。
「泉君!?」
「疲れたから少し寝かして…あと、冷蔵庫の中の物だったら勝手に食べて良いから…」
言い終わると気持ち良さそうな寝息を立てて寝てしまった。
優は微笑すると何処か瞼が重くなる様に感じた。この三日間、毎日がいつ見つかるかもしれないという緊張感の中で過ごしてきたのだ。安心して、その疲れが出てきたのかもしれない。
「…私も寝よっかな……」
優は近くにあるソファーに腰掛けると深い眠りについていた。
私が幼い頃、父と母はまるで泉君の両親と同様に家を空ける事が多々あった。その為、母は幼い私を心配して仕事場に連れていく様になった。
それが私の運命の分岐点だったのだろう。
偶然にも魔道具研究者としての才能を発揮した私は母から手解きを受けながら天才魔道研究者と呼ばれるまで急成長していった。
ある程度成長して十歳になった時に研究所に入社する。
普通の子供であれば、五歳から十歳の間に学校で基本的な勉強を終える。その後は自分の進みたい道を選び、専門学院へと進む。
私は、魔道専門学院の推薦さえ貰えて教師から勧められた。けれども、魔道研究所の人達からは入社を認められ、私の知らない所で競争があった事を後で知った。
私は両親に言われるままに、研究所に入社したが時々、本当にこの道を選んで良かったのかなと思う事があった。
当然、研究所には同年代の人はいなかった。それもその筈、大抵の人達は専門学院に通っているからだ。
突然、自分の周囲は大人しかいなくなり、恐怖を覚えた事もあった。
けれども、そんな気持ちを忘れさせてくれたのが魔道具だった。母も私も魔道具に魅せられていた。魔道具には、未だに理解が足りない所が存在する。いや、もしかすると自分達が分かっているのは真実の一部分なのかもしれない。
そんな些細な事はこの際どうでも良い。ただ、魔道具という物質に研究意欲を掻き立てられたからだ。
それでも心の中の闇は消えずに残っているのを感じていた。まるで、闇が私の存在ごと消してしまうかの様に周囲を囲んでいく。闇は光を断絶して津波の様に押し寄せる。
助けて………
必死に逃げるが闇は一瞬の内に優を囲み、巨大な壁を創る。
助け………
闇が優の目の前に押し寄せて彼女を喰らう為に巨大な口を創る。
たす………
両足が闇に囚われ身動きが取れなくなる。必死に足を動かそうともまるでコンクリートで固められた様に動かない。
た………
闇が急激な上昇で腰までを埋めていく。
………
闇が優を飲み込み、もう口を開く事も涙を流す事も出来ない。心の中で泣き叫ぶしか出来ない。
私はこんな世界を望んでいたんじゃない!!
そうして、全てを閉ざそうとした時。
何かが闇を弾き輝いた。
その輝きは優を取り巻く全ての闇を破壊し輝きを強めていく。
闇は輝きを受けて砕け散る。
闇の壁が砕かれた向こう側にあったのは―――
「……う!! 優!!」
その瞬間、優はパッと目を覚ました。目の前にいたのは心配そうな顔をした泉だった。
「良かった…」
「あれ……どうしたの泉君!?」
先程までの夢があまりにも鮮烈過ぎたので、過剰に不安定になっている。その為、自分でさえ口調にもいつもの元気が無いのを感じる。
「優が泣いていたから、凄く心配したんだ…」
私はそっと目に手を当てると確かに頬は赤みを帯びて濡れていた。
「……心配掛けてごめんね。ちょっと夢見が悪かっただけだから…」
無理矢理に笑顔を作ろうとするが、彼にはそんな嘘は通用しなかった。
泉はそっと優の頭に手を持っていくと自分の胸に引き寄せる。
「えっ……!?」
「辛かったら…泣いて良いんだ。苦しかったら…泣いても良いんだ。自分じゃ挫けそうなら、仲間に助けを求めても良いんだ。今日会ったばかりの俺が言うのも何だけど…互い依存しているからこそ、人は強くなれるんだ……だから、泣いても良いんだ…優」
私はこの言葉をずっと待っていたのかもしれない。私は不安に押し潰されそうになりながらも、弱さを見せない様に、強がっていたのだ。幼い頃から周囲には自分なんかよりも忙しい人達ばかりだった。これ以上、迷惑を掛けちゃ駄目だと心の中で自分に言い聞かせていた。
ずっと…ずっと言って欲しかった!!
大丈夫だよ。泣いても良いんだよ。そんな言葉を私に掛けてくれるのを待っていた。けれども、この世界は他者より上を目指す社会である。他人の事など関係ない。自分が良ければそれで良い。という社会の中で優にそんな言葉を掛けてくれる人などいなかったのだ。
「うっ…ごっ、ごめんね…泉君…ぐすっ…」
その後、私は初めて人前で泣いた。身体の奥底からどんどん多種多様な想いが溢れ出てきた。悲しかった事、嬉しかった事、大変だった事。その想いを彼は頷きながら受け止めていてくれた。
「落ち着いた?」
泉の声に優は頭を縦に振って応じる。瞳に溜まった涙を拭う。
今更に気が付いたが、ここは一体何処だろう?
泉君の家という予想は容易に辿り着く。けれども、優が寝たのは確か、ソファーだった筈だ。しかし今、優が寝ていたのはシングル用の茶色のベッドである。
「ここって……」
「あぁ。俺の部屋。まだ冬だし、リビングじゃあ寒いと思って…」
という事は優が今寝ているのは泉君がいつも使っているベッドという事になる。
優は泣いた後だからか、それとも全く別の理由なのか分かりはしないが、顔が朱に染まる。
「それじゃあ、行こうぜ!! 下のキッチンで鬼宮が料理を作ってくれているみたいだし、凄く楽しみだな~」
「……あの…」
優が立ち上がろうとする泉を止める為に服の裾を握る。
「ん?」
「鬼宮ちゃんと泉君って……その…つ、付き合っているのかな…とか……?」
どうしてこんな事を聞いてしまうのだろう。身体も火照った様に変だし、私、変だな……さっきから泉君の事しか考えられない。
「なっ!? 俺と鬼宮が? あり得ないよ。だってクラスで1番人気の高い鬼宮がこんな見た目が平凡で戦闘バカの俺と付き合うなんて、天地がひっくり返らなきゃあり得ないって!!」
泉は慌てた様にして熱弁する。
「……そうなんだ…良かった…」
―――あれ!? 何で、今…? もう私、どうしちゃったんだろ!?
優が思考を混乱させている。泉も、どうしたんだ? という風に頭に? のマークを作っている。
「あんまり、悩んでないで食べに行こうぜ!!」
泉は裾を掴まれていた手を取ると優をベッドから起こす。
「これは……」
泉達の前には鬼宮が作ってくれた料理が並んでいる。
「うん……何というか…」
「「凄いとしか言えない…」」
二人共同じ呟きに、苦笑いをする鬼宮である。
「あははは……どうぞ」
四人の目の前にあるのは高級料理店にでも出て来ても可笑しくなさそうな料理の数々であった。
「真人くん、本当にこれで良かったの?」
鬼宮は苦笑いしながら真人に囁く。
それは数十分前、鬼宮がキッチンに立った時の事である。
「料理を作るとは言ったものの……どうしようかな?」
鬼宮自身は料理の腕はそれなりに自信がある。
「泉君の好きなメニューって何なの!?」
本人に聞こうにも、恥ずかしくて聞けない。
他人から見れば適当な物を作れば良いという簡単な問題だが、鬼宮にとっては深刻な問題である。
「まぁ、俺に任せな!!」
「真人くん!?」
彼の注文通りに料理を作った結果がこうなってしまったのだ。ふかひれにエビチリ、八宝菜、炒飯と中華系統に統一されてしまっている。多分、ネットから簡単な作り方を探してきたのだろう。思ったより簡単に作れてしまった。
真人は泉君が中華系の料理が好きだと言っていた。
「それにしても、良かったな。真人」
えっ良かった。それに、真人君が!? と驚いた声をあげようとしても食べている途中なので声に出す事が出来ない。
「な、何言っているのかな!? 泉…くん!!」
明らかに動揺の声を上げた真人に鬼宮は一瞬にして全てを悟った。
「だって、これって真人の好きな料理じゃなかったっけ?」
「ははは…鬼宮さ―――ヒイッ!?」
あまりの恐怖に真人は震え上がる。
「真人くん、後でちょっと話があるから」
鬼宮が笑顔そう告げる。
「ははは…」
冷え切った顔をする真人に泉と優は不思議な顔をするばかりである。
「でも、鬼宮って料理美味いよ…」
「そうかな!! いつも母の手伝いしていたから…」
「私は普段料理なんて作らないから鬼宮ちゃんが羨ましいな~」
「まぁ~優は仕事が忙しいんだし、仕方なくないか?」
「そうなんだよねぇ~。作ろうと思ってもいつも疲労困憊で作る気にならないんだよね。」
突然、鬼宮が口を膨らませて泉を睨む。
「ん? 鬼宮さん、どうかしたのか?」
「名前!」
「名前? それがどうしたんだ、鬼宮!?」
「だから………もう、それ!! 優ちゃんの事は名前で呼んでるのに私の事はずっと姓だから……」
鬼宮が意図している事が分かった。
「…まあ普通に、愛って呼んでも構わないんだけど…」
真人もそれには同意という様に懸命に頷く。
「…だけど?」
「お前の護衛隊? みたいなのが、反感持って襲い掛かって来るから……本当にあれは怖いから……」
優はあまりの常識外に喉を詰まらせてしまい、鬼宮は口を開けたまま呆然してしまっていた。
「…けほっ……何で、そんな組織があるの!?」
「まあ、その色々とあったんだよ」
「いや、何も無かったと思うけど…ただクラスが単純な奴等だっただけなんじゃないか?」
「もう、泉君!! 心配し過ぎだよ! 皆優しい人達だよ?」
それは、皆が鬼宮さんを慕っているからじゃないだろうか……そう思ったが、口にはしない。
「じゃあ、今度から愛って呼んでね。」
「はぁ……分かった」
「で、結局俺が片付けさせられるのね…」
毒づきながらも大量に溜まった食器を慣れた手つきで洗っていく。
優と鬼宮は先に風呂に行っている。これをさっさと片付けて覗きに……いや、警護しにいかなきゃいけないなと胸の前で拳を握る。
「そういや……泉何処に行ったんだろ? もしかして、先に風呂を覗きに!? 俺もこうしては、いてられないな!!」
「何故、こんな事を……」
「あぁ……」
泉が部屋の前を通り掛かった時、部屋から動かない身体を引きずってでも出て来た燐を発見した。
泉は即座に燐の攻撃を躱しながら腕を抑え、部屋に連れ戻した訳だ。
「……俺を拷問でもする気か…」
「いや、そんな事はしたくないんだ……」
「ならば、何故!?」
「…ここで、道を誤ると大切な何かを無くしてしまう様な……そんな感じがするんだ………」
泉は部屋にある簡易のパイプ椅子を引き出して座る。
燐のグローブは一応、泉が預かっている。その為、この部屋には無い。
「お前……どうして出会った時からずっと苦痛の表情を浮かべているんだ?」
「………」
「俺には、本当はしたくない事を無理矢理やらされているといった感じにしか見えない。」
「………」
「お前―――弱味でも握られているのか?」
一瞬だが、身体がピクリと反応する。
「考えられる案は……人質とか…」
「……やはりな…人並み外れた洞察力には嘘は通用しないか……」
「やはり……そうか…」
「知っていた様な口ぶりだな……」
「あぁ…少し前にこの可能性に気が付いた。今朝から起こった事を可能性と予測を繋ぎ合わせるとこの案しか、あり得ない。」
「いや…もういい。俺から話すよ………事の真実を」
泉はその時、まだハッキリとその意味を理解していなかったのかもしれない。
「全ての始まりは俺が生まれた時からだった……」
泉はゴクッと唾を呑み込む。
「俺がまだ、幼かった時の話だ…」
燐は生まれた頃から特殊な魔力の持ち主であることが判明していた。
焔化
通常、炎を扱う魔法は数多く存在する。その数はこの世界に存在する人間と同等だ。その中でも魔力の扱いの境地に辿り着いた者、あるいわ生まれつき特殊な魔力を持った者が使える焔を焔化という。
その威力は全ての敵を祓い退ける灰刀の伝説と同じ力を所持していると言われている程だ。
燐は偶然にも後者で焔化をその身に宿していた。前者の焔化と後者の焔化の威力を比較すると後者に分がある。それは、前者は体内で生成する大量の炎である魔力を圧縮した結果が焔化状態と呼べる様になるのだ。
その為、前者はたとえどれだけの苦労を積もうとも少量の焔を創り出す事しか出来ない。
しかし、後者は魔力自体が焔化となる特異体質である。けれども、実際には世界に数十人といない。しかし、その力は絶大で魔力を制御出来ずに暴走する事が多々ある。
幼い頃に燐はその事に気が付いた両親から固く魔法の禁止を言い渡されていた。魔法の暴走は大きくなるにつれて、制御出来る様になるからだ。
学校では魔法を使う授業などは無く、普通教育を学ぶだけである。魔法は一歩間違えれば死に至る危険な物である。
まだ、幼い彼等に使いこなせる物ではないからだ。しかし、家柄というのもあり、一部の子供は親に魔法を学ぶ事がある。
燐が学生時代、ある子供が規則を無視して学校で魔法を発動した。少量の風を巻き起こす程度の物であったが、手違いで魔法の暴走を起こして暴風となり、木や岩を吹き飛ばす様な物に変化してしまった。
風の軌道に乗った木はクラスメイトの1人である生徒に激突しそうになった。
その時、咄嗟に身体が反応してしまい、その生徒を助ける為とは言え、両親との約束を破ってしまった。
他の生徒達とは、いや学校では比べ物にならない程の魔力を持った燐を恐怖の対象とされた。
イジメという物は無かったが…まるで、そこには誰もいないかの様な空気が出来上がってしまっていた。話掛け様とも苦笑されながら避けられる。けれども、そんな中でも光を照らしてくれる存在があった。クラス内でも人気の高い少女、千崎御代だ。
何の嫌気も無く、微笑みながら気軽に話掛けてくれた。二人共に互いが大切な存在になるまで、そう時間は掛からなかった。
けれども、燐に衝撃の事件が訪れる。
両親の殺害だ。家に帰ると血で濡れた床に二人の死骸があった。元々、一人っ子だった燐は事件の後に塞ぎ込んでしまう。
そんな時、ある男が燐の前に現れる。
男は、燐の両親を殺した犯人を知っている。そいつを殺して欲しくは無いか? 問った。当時、まだ犯人は見つかっておらず騎士隊も捜査に行き詰まっていた。いや、犯人探しさえもう諦めが来ていた。
燐は復讐心に刈り立てられて、男の問いが虚実を判断せずに従ってしまった。
男は燐の目の前で数人の男達を殺した。燐はまるで子犬の様に男を慕う様になる。
その後、燐は学校を卒業して男の勧めである魔道学院へと進路を決める。
そんなある日、男のアジトで偶然にもとあるファイルを発見する。
任務報告書と書かれた分厚いファイルに興味を注がれ、覗いてみてハッキリとした。
報告書にはこう書かれてあった。
『焔化の持ち主である佐々木燐の両親の殺害を実行して成功する。偽の犯人役を作り出した復讐劇を終え、手駒として育て将来はSODの飼い犬となるだろう。』
これで、ハッキリとした。燐は男の策にまんまと嵌められていたのだ。直ぐにでもそのアジトを飛び出そうとした所を見つかってしまう。
そこで、男は燐にある条件を出す。騎士隊や他の奴等にこのアジトの事を喋られない。また、アジトの一員として仕事をして貰う。その代わり、この写真に写っている少女、千崎御代を殺さない。
千崎御代は両親が死んだ今では一番と言っても過言ではない程大切な人である。あの時に彼女が居なければここに燐がいる事は無かった筈だ。彼女が自分の所為で殺されるなら、自分は身を削られる様な思いを受ける。だからこそ、奴等の隙を付く時を待っていた。
「そういう真実があったのか……」
「ここまで話をしたけれど……どうする? 今、ここで俺を捕まえるか? それなら、頼みがある御代の安全だけは約束してくれないか?」
ただ、こいつも俺と同じ、大切な人が傷付いて欲しくないだけなんだ。それを奴等が利用した非人道的な話だ。
「その頼みは聞けない。」
「なっ!? どうして……お前は身近な人が死んでも―――」
その言葉に燐は驚愕と焦りを浮かべる。
「その子を護るのは俺なんかじゃない、お前自身だよ。それに………俺は、お前を捕まえる気はないぜ。」
「えっ……? でも、俺はお前を本気で殺そうと……」
「あぁ……アレぐらい、ちょっと真剣になった喧嘩程度だろ?」
泉は先程まで状況を全く顧みない明るい笑みを浮かべ、手を差し伸べてくる。燐は罠なのかもしれないという疑問が先に出てくる。しかし、泉がそんな罠を仕掛けて何になるというのだ。今、ここで騎士隊に引き渡した方が楽ではないか。
燐は、今までに何度も信頼を裏切られている。初めは、燐の実力を恐怖に思い近寄らなくなったクラスメイト達、自分に嘘を吐き利用しようとした秋崎陽炎。
しかし、ただ唯一、燐の事を信じ地獄の底から救ってくれた千崎御代。何故かは分からないけれども、その時の泉が差し出した笑みが彼女と重なって見えた。
「ありがとう…」
燐は差し出された手をしっかりと確かめる様に握り取る。
『………本当に良いんだよな?』
今から数時間前、まだ燐との死闘を繰り広げる前だ。泉と真人は立ち入り禁止区域内にいた。
『あぁ………あいつの事を知るにはこの方法が手っ取り早い』
二人がいる部屋には多くのパソコンが設置されているが人影は無く、暗闇の中をただ一つが光輝いた画面を映している。
ここは情報処理班が主に活用している部屋だ。その為、様々な情報を扱い、操作している。当然学院の個人情報を得る事など造作も無い。
けれども、一般生徒に公開する事は禁止され、情報を開示するには情報処理班に属するクラスか一部の上級階級者のIDとパスワードを入力する必要がある。
泉達は戦闘特化班というクラスに当て嵌まる。戦闘班というのは竜の印を持つ者が所属するクラスであり、それ以下の死神は戦闘修練班と呼ばれ、卵は戦闘養成班と呼ばれている。
竜以上のクラスは戦闘特化班と呼ばれているのだが、事実全員がプロ並みの実力者達なので重要な任務に就いてあり、教室自体が存在はしない。
当然、泉達が戦闘班である以上、情報処理班が有するIDとパスワードは知り得ない筈なのだが………
部屋に軽くリズムに乗せながらキーボードを叩く音が響く。
画面に幾つかのメニューバーが表示され、その中に学院生徒名簿という名のフォルダをクリックする。
「本気で開きやがった……」
真人は驚嘆しながらスクロールしていく。
あいつが持っていた死神の印と戦闘系統のクラスを限定としてサーチに掛ける。
様々な顔写真が次々と現れては消えていく。学院には死神の印を持つ600人程の名簿を調べる。
「………なあ、泉…まだか?」
泉達は正式な許可を取ってこの部屋に入っている訳ではない。もし、正式な許可を取ろうと思えば、正当な理由と事情を提出しなければいけない。
この場合、正当な理由と事情の両方があるのだが、何処かあの少年の顔を浮かべると彼自身にも事情がある様に思えてならない。
悩み抜いた結果、情報処理班が活用する部屋への侵入という形になったのだ。
運良く、使っている人は居らず、特定のルートを使って侵入、友人より情報を提供して貰い、今に至るという訳だ。
「あと…少し………」
時間的には、一度の見落としも許されない。友人が監視カメラの撹乱用に使った魔法の効果はあと数分も持たない。
脱出の時間も計算に入れると一、二分で少年の情報を見つけなければ、無意味な撤退に苦汁を飲まなければならない。
画面の右端を盗み見ると520/642と表示されている事から大半の生徒を見終わったいた。
「……見つかってくれ」
その呟きと共に目的の少年の顔が映る。オレンジの尖った様な髪、紅色の瞳。
あの時、出会ったあいつだ。
泉は迷う事無く、記憶用媒体を取り出してパソコンに差し込み、情報をドラッグする。
けれども……事情、一人個人の情報であろうと、学院側はかなりの量を調べ上げている様で、コピーを作成するだけに時間が掛かる。
画面には、数十秒後という文字が着実に減っていく。
「ふぅ~、これなら余裕だな!!」
真人は吐息を吹き出しながら背後に退く。
―――しかし。
ガッシャ―――ン!
真人はイスが机から飛び出しているのにあるのに気付いていなかった。
見事にイスと激突して床に転がる様に倒れる。
「真人っ、お前!!」
監視カメラは撹乱してあるので音の問題は大丈夫だ。しかし、もしも、近くに人が―――!?
「…何かあったのか?」
「いや、中から音が聴こえて来たんだが………あれ? 閉まっているな……」
ガチャガチャと外から音が聴こえる。
あれ程大きな音を発生させれば、どうなるかなど解りきっている事だ。
例え、監視カメラを騙せ様が外にいた人が音を拾ってしまい、気付かれる。
真人は音を立てない様にイスを片付けておく。
「泉…済まねぇ……」
画面には残り五秒と表示されている。
「この鍵だっけ?」
外にいた人は扉に鍵を差し込もうとしているのだろう。鍵が入らずにカチャカチャという音が鳴り響く。
「この鍵だろ!!」
瞬間、扉に鍵が入り先程までとはまた別の音が部屋に響く。
「………終わった。」
「何も無いじゃないか!!」
「あれ!? 何か物音が聴こえた気がしたんだけどな……」
二人の教職員は互いの言い分を言いながら部屋に鍵を掛け直し直ぐに出て行った。
「はぁ~、危なかった……」
二人は天井の小さな窪みに両手両足を精一杯伸ばし、身体を支えていた。
「………もうすぐ、監視カメラが作動する。急ぐぞ!」
「…もう二度とこんな真似したくねぇ~、心臓が持たねェよ!!」
「いや、半分以上お前の責任だから…」
「……燐…お前の情報を確認した時に今日感じた違和感の原因が理解出来たんだ。」
「……たったそれだけの情報でそこまでの推測を…」
心底驚いた表情を浮かべる燐に泉は軽く苦笑する。
「あぁ…本当に疲れたよ……しばらくは何も考えたくないな……」
互いに苦笑しながら、その時、燐は初めて泉の本質を理解する事が出来た。
話し始めるまでは本当に敵同士だった筈だ。それがこの数十分で互いに笑い合える。
これが、南座泉か。
初めて自分から信頼したいと思う人物が出来た。
出会いは最悪だった。あいつの命を奪おうとした男の味方していたのだ。
けれども、泉はそんな些細な壁を壊し、燐の本質にまでたった一日で気が付いた。
そして、気が付けばいつの間にかあいつを信頼したいとまで思い始めていた。
「―――泉、俺と共に戦ってはくれないか?」
燐は想いのままを言葉に伝える。
「あぁ、奴等に一泡吹かせてやろうぜ!」
燐と泉は、自身の決意を示すかの様に固く手を繋ぐ。
「よろしくな、泉!」
「こちらこそよろしく、燐」




