黒の十字架
優達が宿泊しているホテルの裏通りに優と理沙は来ていた。
理沙はずっと学院指定の戦闘服に身を包んでいたのだが、忌道真との闘いで破れてはいないものの、薄汚れてしまい、優の勧めもあって今は、下はデニムのショートパンツに上はY字のタンクトップを着て、迷彩柄のコートを着ている。
対して優はどうなのかと言うと、向こうの学院の制服に、アニメや映画などで見た事がある研究者役の人達が着ている白衣を羽織り、片手に持った薄型ディスプレイのパソコンを【初期設定】の為にと、理沙に簡単な質問を幾つか問いかけ、画面上に表示されたキーボードを叩いていた。
「……ぅぅ…っと、大体、こんな感じかな」
優はふぅと吐息を吐き出し、視線をディスプレイから理沙へと移す。
「…じゃあ…じゃあ、私は何をすれば良いの?」
理沙は泉が言っていたーー自分の時と同じ訓練ーーとは一体どういうものなんだろうか? と、素朴な疑問が心に引っかかり、予測さえも浮かばずに心はもやもやした気持ちになっていた。
「……分かった…第一段階として理沙には、特異体質の影響範囲を把握して貰わなくちゃいけない…」
「……影響範囲…って何?」
突然の優の言葉に、理沙は呆気に取られて間抜けな表情を浮かべる。二人の間に一瞬の沈黙が訪れ……
「……ぷっ…」
優はお腹を抑えて笑い出し、理沙は「もう~、笑わないでよ」と硬直した顔を緩ませながらも同様に笑顔を浮かべる。
「……えっとね…影響範囲って言うのは、理沙の場合では、魔道具を創り出せる範囲って事。」
「範囲ね…」
「うん…でも範囲と言っても単純な物では無くて、質量や体積と密度の関係性に、理沙を中心点として最大半径距離、一つ一つの魔道具製作に掛かる時間と消費魔力総量、魔道具が所持する磁場引力の最大出力を全て覚える事が当面の目的かな……」
「そんなにいっぱい……ぅぅ…」
優の言葉を聞いて、理沙は頭を抱える様に唸り声を発しながらふと疑問に思った事を口に出す。
「じゃあさ、優。泉もこの訓練を積んだって言っていたけど、彼はどうだったの?」
すると、優は嫌な思い出を思い返すかの様に苦笑いを浮かべた後ーー
「泉君は……ちょっと…」
あれ? と、理沙は頭を捻る。この反応は一体どういう意味を指しているのだろうか?
優の過剰なスキンシップから、優もまた泉の事を好きなんじゃないだろうかと思っていたのだが、違うのだろうか?
と、思考を巡らしーー
「泉君は特異体質を知る為に、この訓練を積んだ訳じゃないんだ……」
「えっ?」
「元々、この訓練は《次元転移型魔道具》をマスターする為に、私と彼とで考案した物なんだけど……彼ってば、無茶して二、三回死にかけているの…」
突然の優の言葉に、理沙はすぅと冷たい冷気に背中を撫でられた様な錯覚に囚われ、顔がどんどんと青ざめていく。
「いっ、いや、普通は大丈夫だから、そんなに心配しなくても良いから!! 泉君の場合は、消費魔力総量が無茶苦茶高くて、気付かない内に魔力総量が無くなっていて、防御結界すら発動出来なくて、私の攻撃魔法を真正面から受けただけだから……」
優は必死に失った信頼を取り戻そうと、安全である事を伝えようとしたのだが…
「…ちょっ…優…怖い…」
理沙は、あの泉を瀕死に追い遣った浅海優という少女の存在感に戦慄していた。
「いくぞ!!」
燐の両手の皮膚から、焔因子の粒子が姿を顕して、手を中心点とした球体を描く様に流れを起こしてーー収縮していきーー
「あちッ!!」
燐の突然の言葉に、手から放出されていた粒子は一瞬の間に自然消滅して消え失せる。
両手には幾つか火傷した跡が残り、皮膚が赤みを帯びて膨れている。
即座に、愛が初級治癒魔法で傷を緩和していき赤みが引いた所で、「もう一度」再び同じ事を繰り返し、またも失敗する。
およそ数十回に及ぶ失敗に、燐は額から滴り落ちる汗を拭いながらも自分の不甲斐無さに悔しさに涙が零れて来る。慌てて服の裾で目を擦るようにして誤魔化す。
「うん。仕方ないよ。この系統の魔法は想像力ーーイマジネーションを具現化して発動させる高度なテクニックを用いているの。一朝一夕で出来る方が可笑しいんだから、そんなに気にしなくても良いよ」
燐が悔しがっているのを悟されてしまい、恥ずかしくして頬が熱とは違う何かで赤くなる。
「確かにね。イマジネーションが弱ければ、簡単に崩壊して自然消滅する。必要なのは、頭により現実的に思い描く力と、それを継続させる精神力。そう簡単に身に付く訳じゃないわ。私だって毎日死ぬ程練習しても、愛には到底敵わないだろうし…」
二人の凛とした声が簡易舞踏館の一角で響いていた。
二人の声の矛先にいるオレンジのツンツン髪をした少年は、くしゃくしゃと後ろ髪を引っ張りながら困った表情を浮かべていた。
「うん。ありがと。だけど、俺の場合は焔なんだろ…形状が不確かでーーそんな魔法を創り出せる事が出来るのか?」
「確かに…出力を一定方向に出せば良いって訳じゃないわよね……泉ならやってのけそうだけど…」
それに対して応えた律は眉を潜めながら、その隣で実演の為に、雷の因子を創っては消していた鬼宮に答えを促す。
「貴方なら分かるんじゃない? さっきの模擬戦で、粒子系統魔法の扱いは貴方の方が、私や泉よりも一段も二段も格上だって実感させられたし、何か良いアイデアって無いかしら?」
「……そうだよね…うーん…無茶苦茶、難しいんだけど……だけど…」
「何か方法があるのかしら?」
律は愛が口からその言葉を出すのを躊躇っているのを理解しながらも、聞き出そうとする。
それはーーもしも、二人に何か起こったならば、私自身が自分の身を削ってでも止めてみせる。という決意の現れでもあった。
「……まあ一応、燐の焔を攻撃に転化させる方法はあるにはあるんだけど……だけど、始める前に言っておくよ。コレは一度でも失敗すると人間としてーー死ぬよ。それでもやってみる?」
ーー人間として死ぬ。それは一体どういう事なのだろうか?
理性を失う? 化物になってしまう? それとも、本当にこの世界から消えてしまうという事なのだろうか?
でも、このままの実力では燐は彼等の足を引っ張るだけで、役には決して立てない事は確かだ。
もしも、何か方法があるのなら、それに掛けたい!!
あの時、泉に燐は命を救われた。今度は俺が力を貸す番だ。
「やります」
「…なら、決まりね」
ーーベルギス大会当日
ーー午前2:35
ーー南部《座泉通り》
「ふあぁぁ~……」
大きな欠伸と伸びをしながら、湊は人混みをかろやかにすり抜けて歩いていく。後には、泉が眠そうに瞼を擦りながらも湊に「迷子になられると困るから」と、手を引かれながら歩いている。
「…何度も聞くけど、泉…本当にその便箋を渡してくれた人、見てないのか?」
「……うん…気が付いたら、何時の間にかコートのポケットに入ってた……」
右手をコートのポケットに突っ込むと、その中でーーやはり、指先が便箋の角に触れる。
それを再び取り出しながら、褐色の便箋を改めて確認する。
「お前が全く気付かないとか、どんな超人だよ……」
げんなりした様に言い返して来る湊に、「過大評価し過ぎだって…」苦笑しながら空いた手をひらひらと横に振る。
「………」
「……そういえば」
湊が何かを思い付いた様な声を発し、身体を半回転させて泉を見遣ーー
「……えっ? あれっ?」
先ほどまで泉の手を握り、前へと引っ張っていた湊だったが、自身の手の中には泉の手はなく、何時の間にか姿が消えていた。
全く何時の間に手を抜かれたのだろうか? と、呆気に取られながらも、辺りを見回して黒髪の少年を探そうとする……のだが、生憎にも今、ベルギスは年を通して一回二回あるか無いかの大きな祭りの最中であり、日本はベルギスの隣に位置する為、多くの日系人が集まっており……
「全く、何処行ったんだ…よ…って、わぁッ!?」
肩を落とし、深いため息を吐き出そうとしていたのだが、何者かによって右腕を掴まれると、引き摺り寄せられる。
一瞬は慌てた湊だったが、直ぐ様に思考を取り戻すと、自分を引き摺っている本人を見遣る。
その手を持ち主は湊の予想通りの人物であり、少しくらい文句を言ってやろうかと逡巡していると、泉はとある高級宝石店のショーウインドーの前で歩みを止めた。
湊は首を空いた隙間から突き出す様にしての内側に何があるかと様子を確認する。
「……えっ…これって…」
ショーウインドーにはマネキンが置かれており、不気味な程真珠のネックレスや十カラットはあるエメラルドやルビー等の宝石が付いた指輪が付けられている。しかし、湊はそんな物には興味無いと、ショーウインドーの橋にある棚を直視している。
「……なっ…なんで…」
ーーそこには、漆黒の十字架のブローチが置かれていた。
それは元々、湊が持っていた物であり、過去に一度ベルギスに着た時、無くしてしまった双欠片の内の一つである。
「ど、どうしてこんなところに!? あんなに捜したのに!!」
「アレーーここの店主さんが見つけたんだって」
「そっ、そうだったんだ……でも、俺、そんなにお金持って来てない…」
値札プレートに書かれた金額と財布の中に入っている金額では、どう考えても圧倒的に足りない。
泉はそんな湊の落ち込んだ様子を見て、自身の財布を確した後……
「ちょっと待ってて」
泉は駆け足で店の中に入って行くと、少しばかり店員と話を交わした後、学院で依頼というバイトに近い事をしているとはいえ、彼にとっても決して少なくはないであろう金額を払っていた。
その後、手のひらサイズの紙袋を両手に持ちながら泉が駆け足で店から出て来る。泉は湊の目の前に寄ると、「はい。どうぞ」右手に持っていた紙袋を手渡す。
「……ありがと…お金は、後でちゃんと返すよ…」
湊は嬉しくれて慌てるのを我慢出来ず、受け取ると紙袋の口を破る様にして開けていき、中に入っている物を取り出す。
全長十センチ程度の十字架は、辺り一面から降り注ぐ光を鈍く反射している。そこに存在していると強調しているかの如く、重量は結構な重さを感じさせている。
「ほんと、本当にありがとう」
湊は嬉しそうに微笑み、手の中に収まっている十字架を二度と離さない様に握り締める。
「どういたしまして。お金は良いからさ。どうせ、使い道なんて、殆ど無いも同然なんだし…」
泉は照れた様に頬を掻きながらも、湊と同様に嬉しそうはにかんで笑っている。
「いや、悪いって……コレは俺のなんだし……ちゃんと返したい」
「本当にお金はいいって!!」
「そんな事言ったって、俺の気が収まらないだ。」
「うーん、じゃあ……腕時計選んでくれないか?」
「へっ?」
どうして? といった風に首を傾げる湊に、泉は現状を見せた方が理解が早いと、ポケットから携帯端末を取り出す。
ポケットから取り出された携帯は、画面や集積回路が粉々に粉砕していて最早携帯とは言えないただのゴミ屑と化していた。
「ちょっ、どうしたんだよ。それ!?」
「いや、元気溢れるジジイにぶっ壊された……」
書庫からの脱出時のパラティヌスの攻撃を受けた際、彼の剣は泉の脇を貫いていた。その時、内ポケットに入れてあった携帯に直撃していたらしく、後で気が付いた時には到底使い物にはならなくなっていた。
「時間とか確認するのに腕時計が必要だから……一応、店は見つけたんだけど、どれにするか湊に選んで貰おうかなって…」
泉は恥ずかしそうに頬を赤らめながら後ろ髪を掻くと「行こう」と、目当ての店に向かって歩き出す。
「……うん…それより、そっちの紙袋は?」
「えっ……その、えっと…」
泉は突然の質問に、いつもの彼らしくない焦りをみせ、左手に持っている紙袋と湊を交互に見遣る。
「…俺の……そう、俺のだよ。」
自分で自分に言い聞かせる様に頷きながら返答しながら、歩く速度を早める。
「…ん……そっか…」
湊は感慨深い呟きを吐き出すと、前を歩く背中を追い掛けて行った。
泉に連れられて早十分。泉が言っていた店は、木製の風流ある二階建ての家であった。店の看板の代わりに巨大な時計が付けられており、その左右には歯車や指針が多数取り付けられ、絶えず動き続けている。螺旋階段を登り二階へと上がると、入り口にある半透明のガラス張りの扉を押し開けーーかららん、と乾いた金属音が二人を出迎える。
店内は外見同様の木製であった様で、フローリングの上には紺色の絨毯が敷かれており、十年程昔に流行った音楽が店内を包み込み、より幻想的な世界に迷い込んだかと思わせる。
「いらっしゃい。お嬢さん、お兄さん。彼女にプレゼントかい?」
入店時の金属音に気が付いた店主が、ギィと鈍い音を鳴らしながら扉の向こうから姿を現す。六十代後半の外見、目には黒縁の丸めがねが掛けられており、色素が薄れてしまい真っ白な髭や髪は整えられており、今まさにパーティーに行っていたかのような服装ーー燕尾服姿は執事を思い起こさせる風貌であった。
「ちょっと、お嬢さんって…えっ!?」
湊は自分が女である事を一瞬で見抜いたお爺さんに驚きを示す。胸が小さい事やその風貌から大抵の人は、湊を小綺麗な男性もしくは少年と認識する。それ自体に対して一々、何か不快感を覚えたりするわけでも無く、めんどくさいので、誤解のままでもいいやと、訂正しないで済ませようとする時だってある程だ。
しかし、目の前のお爺さんは一瞬で湊の性別を見抜いた。それは驚くに値する事だったからだ。
「…今日は、自分の時計を選んで貰いに来たんだ。」
泉は、口をあんぐりと開けたままの湊の服の裾を引くようにしてショーケースの前まで移動する。
ショーケースの中には、例を挙げると高い物では金や銀が使われているオーダーメイド製から、安い物ではプラスチック製の既製品まで多種多様に取り揃えられていた。それ以外にも、棚や壁には数え切れない程の置時計が置かれていた。
「じゃあこの中で、湊が良さそうなの選んでくれないか?」
「…う、うん」
湊はじぃー、と時計を一つ一つ見つめて、泉の感性に合うであろう色や形を物色する。
ーーその結果。
「じゃ、じゃあこの黒い奴…」
ショーケースの中でも一際湊の気を引いたのは、真っ黒な革に、黒光りした金属、内側はそれとは対象的な真っ白の下地に、金で造られたラテン数字が嵌め込まれている。
指差したその腕時計を泉は確認すると、本人も気に入ったのであろう頭上のアホ毛が揺れている。
「うん、じゃあお爺さん。それでお願いします」
その後はーーあの時計は高価な金属が使われていた為、少なくはないお金を支払い、プラスチック製の透明な箱に入れて、二人は店を後にした。
携帯で時間を確認すると、思いの外時間が経っていた為、急いで帰ろうと泉に伝えようとしたのだが……
「ちょっ…!? なんで、こっちに顔を近付ける!」
泉は不意に顔を近付けて来て、二人の距離は数センチ程度までに縮まる。もしも、湊が泉の方に振り向けば勢いでキスしてしまい兼ねない距離だ。
湊は飛び上がる様にして後ろに飛び退り、泉はそれに対して不満があるかの如く口を尖らせる。
「腕時計の時間が合ってるか確かめたかっただけなんだけど……」
なんだ…そんな事か。と、悲し半分、ホッとした感じ半分。で、湊は朱色に染まった頬を元に戻すように、二、三回振ると、ジト目を返す。
「なんなんだよ……時間がみたいならそうと言えよ。突然、顔を近付けて来たから、驚くじゃないか」
「あっ…ごめん。そうなに反応されると思わなくて、次からは気をつけるよ」
「そんなに気にしてないから、いいよ。それにしても……」
泉の腕から垣間見える黒の腕時計は、凄く彼に似合っていて、泉本人は嬉しそう眺めているのを見ると、選んであげた湊もまた嬉しくなっていた。
「……ありがと」
ぼそり呟いた湊の言葉に、泉は「ん?」と反応して振り返る。
「湊、何か言った?」
湊はくすり、と含み笑いを繰り出すと「何でもないよ」泉の手をぎゅっと握って帰り道を走り出した。




