決意の象徴
ザザザザザザアアァァッーー
荒々しいノイズが乱れ、爆発音かと聞き間違える程に、激しい音が空気を振動させる。
湊とレビン、そして彩は脇道に身を隠していた。いや、正確には幅三十センチも満たない程の、道とは到底呼べそうにない、家と家の隙間といった所だろうか。この道は数メートル先には人一人よりも大きい位の塀があり、行き止まりとなっている。
最も身体が小柄であるレビンが一番奥、次に彩、最後に湊が大き目の箱の影に隠れる様に、窮屈な空間に身体を押し込める。最後に彩が現在進行形で行使中である隠蔽魔法で姿を完全に隠している。
「見つかったか!?」
「いいや、まだよ。」
荒々しい呼吸と、足音が少なからず聞こえて来る。湊は、そっと顔を出して様子を確認し、ーー湊達が居る場所からほんの少し離れた位置に騎士団団の隊員であろう制服を来た男子が四人。
「探せ。奴等はこの辺りにいる筈だ!!」
そう、言い切ると四方へ散っていき、幸い此方の存在に気が付いた様子はない。
三人が転移魔法で長距離の移動を終えた後、急いでその場から立ち去ったのだがーー普段なら泉にも劣らない程の速度で、空中もしくは地上を疾走して、前夜祭で出来た人混みを利用して逃げ出せるのだが……どうにもこうにも、湊はゴーレムの一撃をまともに受け、身体の調子が快くない。
先程から魔力による治癒能力の活性を行使しているが、それでも尚、誰かの手助け無しには歩く事さえ出来ない状態だ。到底、前夜祭が執り行われている場所まで辿り着けないだろう。
その為、泉との作戦を中止して、騎士団が諦めてここから撤退するまで、もしくは湊の体力、魔力がある程度回復するまで姿を隠しているつもりなのだ。
幸い、彩は隠蔽魔法や幻惑魔法を得意とし、今は彼女の菫色のマフラーが、質量を増加させて三人の周囲を包み隠している。
湊の目から見ても、驚嘆する程の精度を誇っていた。
隠蔽魔法の特色として、対象との距離が近ければ近い程、索敵魔法に対する対抗力を失っていく。また、音自体をも誤認させる魔法もあるにはあるのだが、一般的な物は姿を隠すという一点に特出しているので、不用意な声や音を出す訳にはいかない。
辛うじて、今回は気付かれなかっただけで、それがいつまで続くかは、湊にも分からない。時の運という奴だろう。ただ、それも出来るならば、ある程度の体力が回復するまで保って貰いたいものである。
しかし、それは湊が数多くの経験を積んだお陰で、考えられる様になった思考であり、ーーもしかしたら見つかるかもしれない。といった恐怖、緊張感は思っている以上に精神を蝕んでいく。
恐怖は見えない物を見せ、緊張感は失敗を引き起こす。
そして継続的に魔力を消費し続けている彩は、俺達の数倍いやそれ以上の重圧に堪えているに違いない。彼女は今さっきまで、学院の書庫最下層に幽閉されており、技術ならば持っているが、こうした経験など皆無という素人でもある。
それでも、彩には出来る限りの力を奮って貰わなければ、俺達は助からない。
今の俺は、何も手助けが出来ない。せめて、出来るのは邪魔や足枷とならない様に、ひと一倍、周囲に気を巡らせる事だけだ。
あれから、何分経っただろう。感覚が研ぎ澄まされ、たった数分の時間が何時間にも長く感じられる。
「見つかりませんでした。」
ドタドタ、という足音の後に、恐らくは騎士団の隊員であろう者の声が聴こえて来る。足音の数からして、十数人がすぐそこで集まっている。
湊は、二人に無言の合図を送り、殺気を殺して、息を潜めながら聞き耳を立てる。
「……ここではなかったか…これ以上は無駄な時間の浪費だ。ここ一帯の確認は完了した。恐らく、奴等も移動したのだろう。二班は二手に別れて、5-18ブロックと6-19ブロックから探ってくれ。残りは俺と共に来い!」
そう言い放つと、激しい足音を立てながら走り去っていった。
湊は、完全に誰もいないか、を確かめた後、ホッと息を吐き出す。
「……はぁ…助かった…」
彩もレビンも同様に、疲れた表情を浮かべて、ため息を吐き出している。
「……何とかなりましたね。」
「…はぁはぁ…見つかるかと思いました……じゃあ、見つからない内に、目的地まで移動します?」
その問いに、湊は首を横に振る。
「…いいや、今動くのは危険だ。奴等が、いないと判断したここなら、暫くの時間なら安全の筈だ。無理に動いて見つかるよりは、よっぽど良いさ。」
解りました。という彩とレビンに、湊は腰のポーチから、水が一杯に入ったペットボトルを取り出して、軽く放り投げる。
「……あゎっ…」
「ありがとうございます。」
二人とも、難なくキャッチする。喉が乾いていたのもあり、500mlペットボトルを一気に飲み干す。
「あんまり飲むと、腹を下すぞ……」
苦笑いしながらも、湊は周囲の索敵を止める事なく、緊張感を保つ。周囲には、もう人気はない様だが、それでも完全に安全だという保証は出来ないからだ。
「湊さんは、飲まないんですか?」
「いや、良いさ。喉は乾いていないしさ。」
レビンの質問に、湊は手をひらひら、と振って返答する。
「……それにしても…泉さんと理沙さんは大丈夫でしょうか……」
その言葉は、三人の間の空気をより重くする。
椅子と理沙は、今も三人の上級魔道師と闘っているのだ。幾ら、泉が強いと言えども、アイツは弩級の大型ゴーレムとの戦闘、書庫脱出時にはパラティヌスから、脇腹を剣で貫かれていた。体力、魔力、疲労がピークに達しているに違いない。そんな状況で、まともな戦闘が出来る訳がない。
しかし、例え俺達が居た所で、泉や理沙の足枷となるだけだ。
せめて今は、アイツ等を信じるしか出来ない。
「大丈夫。あいつは、約束を履き違えたりはしないさ。」
湊は、不安を和らげる様にニッコリを微笑みながら答える。
「そうですよ。彩さん。泉さんが負ける筈ーー」
その瞬間、大地を揺るがす振動と、耳を擘く轟音が鳴り響いた。白閃が煌めき、夜空を真っ白に染めあげる。
「ーー何だ!?」
即座に反応した湊は、白閃が煌めいたのは、泉達が居るであろうベルギス国立魔道学院がある方角であった。
明らかに尋常ではない魔力総量、密度、威力、範囲が伝わって来る。
これ程の力を発揮したのは、湊が知る限りでは三人しか知らない。泉、律そして師匠だ。
しかし、この魔力の質は、三人の物ではなかった。
なら、考えられる案は一つだけ……パラティヌスと忌道真の二人組の内の誰かが、あの魔法を発動したに違いない。そして、騎士団所属であるパラティヌスは、街が壊れる様な魔法を発動する事はないだろう。だとすれば、あの二人組の内のどちらかという事になる。
……泉、本当に、お前……大丈夫なのか…ッ!?
ーーその瞬間、間近でごく少量のエメラルド色の光が真上で奔った。もし、先程の大規模攻撃がなければ、湊の察知能力でさえ見過ごしていた。それ程までに隠蔽された魔法であった。
「……ッ…」
咄嗟に空へと跳躍する。同時に、背中から白刀を抜き去り、何もない空間を斬り裂く。
空間が歪み、緑色の閃光が視界を染めて弾ける。
しかし、次いで何かが飛躍し、頬を掠めて髪を散らし、太ももを貫きながら血を噴き出す。
「……ぐッ…」
顔を顰めながらも、止む事のない見えない攻撃の嵐を捌こうと動きを止めない。
地上へと降り立った時、身体は血塗れになっていた。
ボタボタと血が伝いながら地面へと滴り落ちる。
体温が急激な上昇を遂げている様な感覚に見舞われる。
「……はぁはぁ…はぁ…」
「…湊さん!? ……大丈夫ですか!?」
駆け寄ろうとするレビンを静止して、上空を睨み付けながら、湊はレビンと彩に合図する。
「ここは…状況が悪過ぎる……出るぞ…」
二人は反論する事なく、直ぐ様同意すると、湊に続いて通へと出て行く。
「……恐らく、奴等は並大抵の魔道師ではない……それと、彩と同系統の魔道師がいる…あいつ等も隠蔽魔法で姿を隠してやがった……」
「奴等? どうして、姿が見えないのに解るんですか?」
「あの瞬間、感じた魔力の質と発生場所が僅かだが……違う。逆探知には、少し時間が掛かるが、それでも……逃げるしかない……撃退なんて、考えるなよ…」
冷や汗が頬を伝い滴り落ちる。
強い。単純な強さであり、先を読むことにも長けている。本当の意味で、強い。
湊はたった数秒の銃撃を受け止めただけで、その性質を見抜いていた。
全快の湊ならば、同時に相手をする事も可能だろう。しかし、勝てるかどうか聞かれれば、断言する自身はない。ましてや、今はこんな状況だ。
残された手段は、逃げるしかない。
シュュゥゥーー!
風を切り裂く音が響き、湊は即座に刀を真横に薙ぎ払う。何もない空間がある筈の目の前を、刀が薙ぐと同時に弾丸が小さな爆発を起こし、内部から無数の鉛玉を放出する。
湊の白刀が煌めきを放つ。
湊の動きが急速な上昇を遂げて、霞掛かる。一瞬の内に、無数の軌道を描き鉛玉を弾き返す。
「ーーちっ」
鉛玉は彩やレビンには届かなかったのだが……
「……ぐぅぅっ……」
湊は身体を焼く様な激痛に、呻き声を上げる。右脚、胸の部分の布が焼け、弾丸が突き刺さり、血が溢れ出していた。
膝が折れ、地面に左手を付く。
「……湊さん!!」
慌てて彩が駆け寄り、湊の肩を支え様と……
彩の瞳には、湊の手がひらひらと振られ、助けは要らないという想いを動作で示していた。
「レビン!」
「はい。湊さん。」
レビンはハッ、として慌ててすぐ傍まで駆け寄る。
「彩を連れて逃げろ!」
「えっ!?」
「奴等は俺が抑える……その間に逃げてくれ!!」
「でも……湊さん…の方が傷が深い筈です。それなら、わたしが残ります!!」
「ーー湊さん!! 死ぬ気じゃないですか!? そんな事してまで、私達を助けるのは許しません!!」
彩とレビンの悲観な言葉に、湊はフッと不敵な笑みを浮かべる。
「いいや……こんな所で死ぬ気はないさ……それに…秘策がある…」
「でも、私達が残っていたってーー」
「騎士団が戻って来る可能性がある。だから、お願いだ! 行ってくれ。」
二人は静として、ゆっくりと頷きを返すと、前夜祭が開催されている場所へと向かっていく。
湊の手が閃光を帯びて、目の前の空間を切り開く。
甲高い音と共に、空間がガラスの様に砕け散り、十数メートル先に二人の少年の姿を確認する。
湊とそう変わらない年であろう二人は、XIXとXVIIの紋章を付けている。前者は、肩にまで届く程に長い銀髪に、他者を威嚇する様な鋭い目付きをしている。また、高級感溢れる清潔な衣類を身に纏っており、恐らく貴族であるという事が判断出来る。腰には二丁の散弾銃ーーイズマッシュ・サイガ12。全長1200㎜のショットガンである。
もう一人。XVIIを付けている方は、目がギリギリ隠れる程度に伸ばされた茶髪、真っ黒なコートを纏い、背中にはアサルトライフルのツァスタバM21を背負い、手にはサブマシンガンであるH&KMP5を所持している。
「お前が南座泉だな?」
「…いや、違うけど……」
「あの馬鹿野郎!! 対象の名前ぐらい正確に把握しておけよな。はぁ、まあ良いさ。俺の名前は、ロード・アースだ。」
「……シアン・ルーツ…」
「…黒井湊だ……あいつ等、逃がしても良いのかよ…」
「お前と戦う方が愉し「後から、狙い撃つ……」」
二人は同時に口を開き、二人の声が重なり聞き取り辛い。
「俺が喋るのを邪魔「お前が黙れ…」」
XIXを付けているロード・アースとXVIIを付けているシアン・ルーツは、自身の得物を互いに向けーー
ボボォォォッ!!
二つの銃口から火が吹き出した。
二人は、即座に地面を転がり銃弾を避けると、姿勢を固め、狙いを定める動作を一瞬の内に行う。
「くそっ、前々からお前は気に入らなかったんだ。今ここで殺しといてやるよ!!」
「馬鹿丸出し……」
連続した銃声が周囲に響き渡り、瓦礫が割れ、家に穴が空き、空へと弾丸が消えていく。
「……なんなんだよ…こいつ等は…」
湊は、突然に敵である自分を放置してまで、殺し合いを始めた二人を見て、呆気に取られる。
二人は凄まじい程に、熟練された技術を持っている。
弾丸を避けるのですら、あっと驚く特異な回避方法を見せ、反撃に映る。
もし、瀕死状態の湊が二人と闘っていたならば、当然勝ち目はなかったであろう。
ただ、今は……
「……気付かれない内に…逃げよう…」
二人に背を向け、走り去ろうとーー
ダダンッ!!
それまで継続的に続いていた銃声が止み、二発分の銃声とーー両方の耳元に触れない擦々の所を弾丸が飛翔していく。
「逃がすか「笑止」よ…」
「っ…喧嘩なら、お前等だけでやってろよ……」
苦笑いしながら、背後へと振り返る。ロードとシアンがそれぞれの銃を構える。
湊は左手を柄に添えて、膝を曲げて構えを取る。全神経を集中して、銃口や手ではなく、ーー相手の瞳を見つめる。
「いくぜェッ!!」
ロードが二丁のイズマッシュ・サイガ12を構え、引き金を容赦なく引く。無数の鉛玉が飛躍し、湊の予測通り透明へと変化し、空間を歪めてたった数メートルの距離を一瞬で詰める。
湊は真横へと跳躍した後に地面を転がり、鉛玉の雨から辛うじて逃れると、即座に体勢を整えると、前方へと疾走する。
所々にある傷跡から痛みが生じ、血が滲み出て来る。それでも、止まる訳にはいかない。ここで痛みに気を取られて止まってしまう様では、間違いなく奴等にとっては簡単に撃ち抜ける標的と化してしまうだろう。そして、自身の体力から考えたとしても、次に銃弾を受ければ、立っていられる自信はない。
ダンッーー、シアンのアサルトライフルの銃口が火を吹き出し、湊の回避地点からの行動を先読みした軌道に弾丸を撃っていた。
風を切る鋭い音が聴こえ、身体を右へと傾けて、ーー弾丸は腰の際々を擦りながら後方へと伸びていき、地面に突き刺さり、穴を穿つ。
体勢を立て直す様に、右脚が悲鳴を上げるのをも無視して、残り二メートルの距離を跳躍する。
湊はほぼ一瞬にして距離を詰め、ロードに肉薄すると、右手の白刀が煌めきながら軌道を描く。右斜め上から左斜め下の空間を、一瞬の内に刀が斬り裂く。
ロードは軽いテンポでバックステップして距離を開け様とする。しかし、湊がそれを見逃すわけがなく、刀を地面と平行に構えると、砂を撒き散らしながら、一瞬で距離を縮めて突きを放つ。
ロードは辛うじて、散弾銃を盾代わりにして、刀を受け止める。激しい金属音の後、即座にもう片方の散弾銃を湊に向け、ーー爆発音を鳴り響かせながら鉛玉を放つ。
超至近距離で飛翔する鉛玉は、一瞬さえも数える間もなく湊の全身へと、ーー突如湊の姿が消え、当たる筈だった鉛玉は、遠く離れた地面や壁を穿つ。
「……なぁっ…!?」
湊は、ロードが散弾銃を取り出すのを確認する前から、地面を蹴り空高くへと跳躍していた。
白刀が煌めき、周囲に白く光輝く粒子を纏っていきーー。
ガァッン!!
遠くから爆発音が響き渡り、湊は刀を振り返り様に振るい、何も見えなかった空間が突然に爆発を起こす。
湊は爆発によって生じた爆風の力を借りて、一時的な推進力を得る。
地面へと加速度的に下降していき、ロードが散弾銃を構え様とするよりも先に、刀を垂直に叩き落とす。
ロードは辛うじて、真横に転がり、攻撃から逃れるーーが、圧縮されていた粒子は地面と激突すると同時に、外部からの変化に耐えられず爆発を起こす。
それは至近距離ながらも周囲に、爆発を巻き起こし、ロードを呑み込む。
「…あぁぁぁッ!!」
湊は対象をシアンへと移すが、彼の姿は何処にも見当たらない。恐らく、狙撃を成功させる為に姿を隠しているのだろう。
殺気まで完全に消えている。こうなれば、見つけるのは不可能にほぼ等しい。
ーー通常なら。
「周囲に魔力を拡散させる感覚……か」
この方法は泉に教えて貰った索敵魔法だ。
この魔法を発動するには、まず特別な魔力ーーこの場合では端子と呼ばれる使用者と意識を共有した物質の生成が第一段階。
次に第二段階は周囲への拡散。範囲が広がれば拡がる程に端子を制御するのが難しくなり、気を抜けば端子自体が自壊してしまう。
第三段階で、ようやく端子から情報を読み取る作業へと移行出来るのだ。
泉は、周囲に正体不明の端子を拡散させ、それ等一つ一つから情報を抜き取るのだという。
当然、数億を超える端子から全ての情報を抜き取るのは、機械でもない限り相当の時間が掛かる。
しかし、彼が言うには、端子から全ての情報を読み取るのではなく、不必要な情報は受け流しながら、必要性のある情報だけを抜き取るといった相当無茶苦茶な技術が必要である。
湊もこの魔法を未だに自由に扱えるという訳ではない。
しかし、この魔法を自在に扱えた時、絶大なる力を発揮する事が出来る。例え、至近距離で銃弾を乱射され様が、背後から襲い掛かって来ようが、それ等全てを見透かす事が出来る。
人の感覚にはどうしても死角が存在する。それは幾ら感覚を研ぎ澄ましたとしても消える物ではない。しかし、端子を自在に操る泉には、死角という概念が存在しない。
湊も今、泉と全く同じ事を一時的に行うつもりでいる。
全身が煌めいたかと思うと、周囲に膨大な量の端子を放出する。身体から何かが抜けていく不快感はいつまで経っても慣れはしない。
ただ、そうこうしている内にも端子は行動を開始して、家の内側、細い裏道、屋根の上など様々な場所へと移動して随時情報を送信して来る。
その過大な情報量はまともに受け止めれば脳が損傷する危険性さえ生じる程だ。
………ただ。
湊もまた、泉と同じ特異体質の力を持つ魔道師である。その力は『精度』によって発揮される。
「ーー見つけた」
数百メートル離れた位置にある家の屋根に張り付いて隠れている、シアンの姿を見つける。
相手側は此方が気付いた事を感じて居らず、狙いを定めたまま、最高の機会を狙っている。
だから、ーー湊はニヤリと不敵な微笑みを投げ掛けたのに気付いた瞬間、シアンは判断が遅かったと気付かされる事となる。
シアンが慌てて引き金を引こうとするが、ーー湊の姿が霧の様に掻き消え、家の壁を弾みながら空中を駆け抜ける。
「狙いがつけられないッ……」
初めてシアンの表情に変化が生じた。それは、湊との明らかな技術練度の差を目の当たりにしたからだ。
例え原理を理解していたとしても、家の壁を弾躍しながら空中を駆け抜けるなど、到底真似出来る訳がない。
そうこう考えている内にも、湊は刻一刻と距離を詰めている。
湊が弾躍した跡には、直径一メートル程の凹状の円型に壁が埋め込まれ、ひび割れている箇所も少なからずあった。
「距離を…」
取らなければ、ーー
「…らあぁぁッ!!」
湊が壁を蹴ると同時に、大気が振動した。湊を中心として周囲に暴風が吹き荒れる。
気付けば、彼は残り数十メートルの距離をほぼ一瞬で詰めていた。
「……ッ…!?」
湊は容赦なく刀を地面と垂直に叩き落とす。白刀が夜空に煌めきを放ちながら、ーー風を纏い、目にも止まらぬ速度で振るわれる。
ーー止めれない。
そう判断するや否や、シアンは真横に跳躍して、空中でクルッと一回転した後、バランスを崩し、屋上の傾斜によって転がる様にして滑り降りる。
背後では耳を擘く様な轟音が鳴り響き、周囲に衝撃波を撒き散らしている。
一体……奴の何処に、あんな力が秘められているというのだろうか?
あの二人組の女がいた時には、まだ魔力は少量しか感じられず、剣技もそれなりに上手いというだけで、大して強いと感じた覚えはなかった。
自分一人でも殺れると過信できる程度だったのだ。
ーーしかし、あの二人組が消えた後、あの男の変化には目を見張るものがあった。
まるでそれまでは、檻の中に封印されていた獣の様なーー開放感ある力を振るい、他者を圧倒する威圧感を持っている。
封印を解かれた獣は、全てを壊し尽くすまで止まらない。
「……ッ…ああぁぁぁッ!!」
背後で白閃の柱が天を突く様に駆け上り、それは徐々に姿を変化させていきーー白き閃光を放つ龍が姿を顕にする。
今度ばかりは、回避する余裕も与えては貰えなかった。白龍は、自身の巨大な口を開き、シアンへと急降下していく。
ーーだからこそ。
ーー相手が強ければ、強い程に。
シアンは力を発揮する事が出来る。
「……仕留める…」
シアンは、咄嗟に背中からアサルトライフルを抜くと、それまでと比べ物にならない程の魔力を、循環させていきながら、上空へと銃口を向けーーガンッ!! 甲高い銃声と共に、音速を容易に超える弾丸が、姿を変化させ、大気を燃やし尽くす炎の鳥ーーまさに不死鳥というべき、鳥は翼を羽ばたかせて空を駆ける様にして飛翔する。
それは、白き煌めきを放つ龍を、軽く通り越した程の大きさで具現化されていた。
不死鳥。別名フェニックス。それは、二百年前までは、永遠の時を生きるという伝説上の鳥として、世界各地の伝承の中ぐらいにしか存在しなかった生物である。
しかし二百年前、今では『第三次世界大戦』と呼ばれたあの時代に、不死鳥ーー火の鳥はその姿を露わにし、その伝承の通り、味方を自身の涙によって治癒したと言われている。
大きさの大小はあれども、泉や湊が龍を司るのと同じ様に、彼もまた不死鳥を司っているのだ。
ゴオオオォォォォーー!! 不死鳥は大気を燃やし、より一層に速度を上昇させていく。
白龍と不死鳥ーー二つの存在が互いを喰らい尽くそうと、口を大きく開きながら激突する。
白龍の牙が不死鳥の首元に、不死鳥の爪が白龍の皮膚を切り裂き、喰い込む。
周囲の空間が波のの様に振動し、甲高い金属音が連続して鳴り響く。
白閃の柱が上空へと、赤閃の柱が地上に互いの圧力に負けて反発する。
白龍と不死鳥を構築していた魔力が外部から加えられた圧力によって途切れ、粒子となって拡散していく。
あまりにも膨大な量の粒子は、霧の様に視界の大部分を覆い尽くす。
ーーしかし。
「ーーッ!?」
何も聞こえはしなかった。刀が空気を切り裂く音、足音、呼吸、それ等全てが巧妙に隠され、視界さえもまともに機能していない。
シアンは至近距離ーーおよそ半径一、二メートルの距離から殺気を感じた。それは、直ぐに現実となりシアンを襲う。
シアンは咄嗟に上体を後ろへと大きく傾け、ーー白線が目の前を高速で通り過ぎた。
息を吐く間もなく、白線が頭上から迫りーー真横へと転がる様にして地面を蹴る。
「……ッ…」
頬に激痛が迸り、血が飛び散る。同時に刀によって切られた一房の髪が、風圧で舞い上がり、塵と化して地面へと落ちる。
アサルトライフルを背負うと同時に、左手一本でH&KMP5を前方へと向け、狙いを定める事なく乱射する。
元々霧が視界を覆っている為、標的を精密に狙い撃つ事が出来ない。
当然、牽制程度の銃弾であればーーガァッ、と光が瞬き、どうやっているのか、三十発全ての銃弾が叩き落される。
ーーそして。
視界を覆っていた霧が、跡形もなく消え去った。
強風が吹いた訳でもなければ、シアンが魔法を行使した訳でもない。
この現象を起こしたのは、間違いなくあの男だ。
普段のシアンなら、こんな現象、技術など聞いた事も、見た事もない。いや、信じられなかったであろう。
しかし、あの男ーー黒井湊は、シアンの想像を一回りも二回りも上回った力を発揮してみせた。外見から判断しても、まだ未成年だというのに、力、技術、経験、どれをとっても一流と言わざるえない程の練度である。
奴は間違いなく、霧状と化していた魔力を全て取り込んだのだ。自身の魔力は勿論の事、シアンの魔力さえ奪い取って。
そこまでシアンの考えが追い付いた時ーー
「ーーぐぅっ…ぅぅうう…」
白線が空間を凪いだ。
同時に、肩から全身へと鮮烈な激痛が駆け抜ける。
気が付けば、目の前にあの男の姿があり、突き出された白刀はシアンの肩を貫いている。
速度の次元が違う。まるで動作が見えなかったのだ。
シアンは呻き声を上げながら、肩に刺さっている刀を引き抜こうとーー
「ーーーッ!?」
湊の白刀から左手へと魔力が循環し、貯蓄されていく。左手の周囲から鋭い煌めきが放たれ、拳がギュッと握り締められ、大きく後ろに振りかぶる。
「ーー俺達の前に、二度と現れるな」
右足が一歩前へと大きく踏み出され、足場を固定する様にと強く踏み出し、ジリッ、と足元の砂が小さく舞い上がる。狙いを定める為に、突き出されていた右手に、持っていた刀がシアンの身体から引き抜かれながら背後へと移動し、ーー星の様な煌めきを放つ左拳は、湊の腰を回転によって威力を増大させながら突き出され、寸分違わずシアンの顔面に喰い込む。
右脚が持ち上がり、重心を前方へと移動させ、全身の体重を拳へと伝えーー振り抜く。
「ぐぐうっ…ぅうッ!!」
シアンは、流星の様な輝きを棚引かせながら吹き飛ばされ、地面に半身を引き擦られながらも、湊に殴られた勢いはそう簡単に消える事はなく、ーー土煙が立ち込めてしまい、視界が隠される。
数十秒待つ内に、土煙が風によって流された時、シアンは湊から数十メートルの距離を置いて地面に倒れていた。
そのすぐ傍には、地面にうつ伏せとなっているロードの姿がーーない。ロードを倒した後、シアンの元へと跳躍する最中に確認した時には、うつ伏せになって地面に倒れていた筈だ。
もしかすると、シアンを吹き飛ばされたのに巻き込まれて、場所を移動したのかと思い気や………それは違うと判断する。
例えシアンを吹き度ばした余力に、巻き込まれたとしても、それこそ姿が何処かにある筈である。現にシアンの姿はハッキリと目に写っている。
それならば、ロードは意識を回復、もしくは最初から、倒されてはいなかったという事になる。
これで、ロードがただ逃げてくれているとありがたいのだが……、と振り返り際に湊はシアンの姿を目にする。
明らかに何かが足りない。
「……あっ!?」
真っ黒なコートに、手にはサブマシンガンであるH&KMP5が握られている。しかし、彼の背中にはアサルトライフルがないのだ。あの斬影と同等の攻撃力を放ったツァスタバM21が見当たらない。吹き飛ばされる途中で落としたという可能性も無いにはないが、シアンは確か不死鳥を放った後、アサルトライフルを右肩から左腰にベルトを掛けて担いでいた筈だ。そう簡単に落ちる筈がない。
という事は、ーーダンッ!!
銃声が聞こえたかと思うと、湊の身体はくのに折れ曲がり、地面を転がっていた。
咄嗟に身体を軌道線上から避けたと思っていたのだが、自体に気が付くのには一瞬遅かったようである。
湊は百メートル程離れた位置にある銀色の軽自動車を睨みつける。
予想は当たり、そこから先程の爆発によって薄汚れたロードの姿が現れる。両腕からは少なからずの血を流し、服には焦げ跡が身当たる。
ーーそして。
彼の手には、シアンのアサルトライフルであるツァスタバM21が握られている。
「……ッ…まだ、意識があったのかよ…」
弱々しい声で湊は毒づきながら、立ち上がり、安定しないふらついた動作で下段の構えを取る。
「……流石に驚いたさ。あんな強引な魔法を扱えるとは。思ってもいなかったから。だけど、勝ち逃げは許さない性分でさ。殺られてくんない?」
無音でアサルトライフルを投げ捨てて、散弾銃を構えてゆっくりと近付いて来る。
ーー全身が痛い、重たい。目が霞む。
それは、理沙を守る為だったとは言え、正面からゴーレムの一撃を喰らっているのだ。そして、何より度重なる戦闘、緊張感。それ等が知らず知らずの内に疲労を蓄めているのだろう。
そして今のロードの一撃で、それが我慢し切れずに、痛み、疲労となって表へと出てきた訳だ。
「……だけど……止まる訳にはいかないんだ!!」
ーーここで俺が止まってしまったら、俺に力を貸してくれている泉、理沙、レビン、そして彩の想いはどうなる?
彼等は、辛い思いをして、それを乗り越えようと、前に進もうとしている。
それは、平凡な事であり、極当たり前の事である。
彼等には、好きな人が出来たり、友達と遊んだり、勉強に悩んだり、皆で何か一つの事を目指したり、趣味に没頭したり。そんな普通の未来が待っていたかも知れないのだ。
だけど。
それを自分達の私利私欲、都合の良い様に捻じ曲げたーーこの国、上層部、そして忌道真。
当たり前の事さえ許されない。当たり前の人達さえない。
どれだけ孤独に寂しい思いを続けてきただろう。表では偽物の笑顔を浮かべ、その裏側ではいつも、悩み、苦しみ、涙を流し続けた理沙を。
幼い頃から迫害を受け続け、初めて出来た主にも殺されかけ、ようやく自分の事を思ってくれる主が出来たレビン。
その独特な力の所為で、国に利用され、彼等の都合で学院の地下深く監禁され、人と関わる事さえ許されなかった彩。
彼等はいつだって「諦める」そのたった一言を考えようとも、思ってもいなかった筈だ。
こんな惨めな自分の人生を変えたい。一杯色んな事をしたい。心の底から笑いたい。たったそれだけの平凡な願いを、奴等は許さず、抗えない圧力を掛け続けた。
許せなかった。
律を助ける為にここに来た。
それは今でも変わってはいない。
だけど。
彼等を助けたい、そんな風に思った。
俺は泉じゃない。誰であろうと、どんな困難が待ち構えようと、立ち向かっていける勇気はない。
それでも、護りたい。救ってやりたいんだ。
例えこの身がどれだけの悲鳴を上げたとしても、どれだけが心が蹂躙されようが、曲げられない想いがある。
それを俺は泉から教えられた。
貫きたい想いがある。
泉が俺をーーいや、私を救ってくれた様な、全てを照らし、導く……
ーー煌めきを。
引き金が引き絞られ、幾度の鉛玉を吹き出し、眼にも止まらない速度で空間を切り裂きながら飛翔する。
「ーーらああぁぁぁッ!!」
白刀に、二重ーーいや三重にも折り重なる魔法陣が具現化する。
咄嗟に右手を突き出し、左手で右手の二の腕を支えーーゴオオォォォッ!!
刀身が満天の星々を映し、白き流星を噴出させる。
流星は空間を滑り、ガァッ! と、金属音を立てて数多くの鉛玉を飲み込みーー
「うわあぁぁぁっ!!」
二人の間を白銀の煌めきを放ちながら駆け抜ける。風を切り裂き、土煙を巻き上げ、一瞬にも満たない間に距離を詰めーー
ガガガガアァァッ!
ロードは散弾銃をクロスさせて閃光を受け止めようとするが、ーーバギギィッ! 激しい金属音をなり響かせて散弾銃は粉々に砕け散り、流星の勢いは止まる事なく、ロードの胸に喰い込みーー
「あああアアァァァッーー」
上空数十メートルの高さまで吹き飛ばす。その姿はまさに、夜空に瞬く星そのものであった。
そこから少し離れた場所いた少女は、確かに星の印を受け取っていた。
「アレって……? ……やるじゃない。湊。」
驚愕を示した後、嬉しそうにニヤリと微笑みを浮かべた後、背負っている少女に声を掛ける。
「貴方の行きたい場所には、少し遠回りになるんだけど……構わない?」
少女はどうしたのかと、首を横に傾けて尋ねる。
少女は、長年探し続けていた探し物をやっと見つけた様な、明るさと懐かしさを秘めた表情を浮かべた後ーー
「ーーうん。昔の仲間に挨拶にね。」




