煉獄
静寂とした空気の中、二人の少年は互いに向き合っていた。
二人の中間地点にある直刀には、耐えず上空から白と黒の混じり合った奇妙な液体が流れ落ちて来る。
雫が床に落ちる様な事はなく、乾いたスポンジの吸収力を見ている様な感覚で、液体は刀の内部へと吸い取られていく。
泉は目の前で、佇んでいる少年の姿をまじまじと見つめる。
色白の肌、童顔に漆黒の黒髪と瞳。中背中肉の体型に、年齢相応の身長。着ている服装は白と黒と違えども、見た目はまるでーー南座泉。自分自身とそっくりである。
『……くそ…本当に…今のお前は自分の事さえ忘れてしまったんだな……』
先程の質問に対する答えなのか、ゆっくりと口を開き、声を発する。
霞掛かった声は、今にも泣き出しそうな想いを含んでいる様にも聞き取れる。
「忘れたって……何なんだよ…!? お前は何者なんだ? それに、ここは一体?」
『……質問詰めだな。お前らしくもない。ただ、突然の事態に驚いているのだろう。自分と全く同じ外見の存在、見た事もない世界、そして自分はどういった存在なのか。それ等全てを話してやりたい所だが……どうも、時間が足りない。だから……』
その後の声は聞き取れなかった。
目の前の男が、泉の手を握ると同時に、突如、手を伝って流れ込んで来る情報の激流が思考を埋め尽くし、五感が一時的に麻痺したからだ。
「何だこれは……頭の中に…知らない記憶が……」
『……そうか…やはり、そちらを選ぶしかないのか…』
二人の姿が脳内に映る。一人は、黒髪の少年だ。もう一人は姿が霞掛かってしまい、ハッキリとした特定が出来ない。
ーーただ。
「女性の声…?」
『泉、今からお前に特別な魔法を掛ける。それは、お前の力を封じる事になる。』
夜空に光輝く金髪が、風に煽られて揺れる。
「えっ…師匠……」
『……大丈夫だ。心配するなよ。私を誰だと思っている? それに関する記憶を全て抜き取ってやるから、大した違和感はない筈だ。』
ここまで不敵な笑みを浮かべる金髪の女性は、間違いなく泉が知る限りでは師匠以外には思いつかない。
『いや、これは一時的な応急処置にしか過ぎない。本質自体を消し去る訳じゃない……きっと…いつかこの魔法が解ける時がやって来る……あぁ…そうだろうな…お前の事だから、きっと…迷うだろうな……だから、私から一つだけ餞別をくれてやる。願いが夢を叶える。勇気が心を繋ぎ止める。想いが未来を切り開く……』
そこで記憶は途切れてしまい、再び無意味な情報の奔流が続いていく。
これは、俺の記憶なのか……? ……でも、俺はこんな体験をした覚えはない筈だ。
その疑問に応える声はなく、ただもやもやとした、霧掛かった思いだけが心に残る。
『ーー俺の役目は果たしたぜ。お帰りの時間だ、南座泉。』
目は使えない、耳は聴こえない。ただ脳内に流れ込んで来る情報と共に声が響いた。脳内に木霊した言葉を誰が発したのか、その意味を理解した時、泉は情報の奔流に抗う様にして叫び声を上げた。
「ーーっ!? おい、待てよ! 何なんだよお前は!! ーーまだ、何も教えて貰ってない! 俺は……一体何なんだよッ!!」
『道標の役目は終わった。それに気付くかどうかは、泉、お前次第だがな。』
どういう意味だ!?
口を開こうとした途端、突然に頭の中をすり抜けていた情報の奔流が止み、味覚、聴覚、嗅覚、触覚が鮮明となって身体へと戻って来る。
しかし、視覚だけが真っ黒のまま、先程の様な光を受け取る事はなかった。
目が見えなくなったのではない。微かにだが、黄色人種特有の肌が見える。
元々、着ている服装が黒を基調としている物の為、闇が全てを覆ったこの場所では、確認し辛いというだけなのだろう。
ガガガガガガッ!!
「……へっ?」
恐らく、この暗闇の球体を、削る音が響き渡りーー
そして、この世界は終わりを告げて崩れ去った。
視界がクリアになり、五感の全てが完全に回復している。
気付けばいつの間にか、泉は地面に横たわっていた。金縛りにあった様に、全身に力が入らない。
無理に身体を持ち上げ様ものなら、忘れていたあの激痛が、全身を貫く様に駆け抜ける。
確か、記憶が正確なら、三階建ての建物の屋上にいた筈だ。しかし、どう考えても、ここは屋上と呼ぶには荒れ果てている。
腰から携帯を取り出し、時間を確認すると、まだ三時を過ぎた所で、日付けは変わって居らず、まだ大して時間は経っていない。
改めて状況を確認しようと、辛うじてまだ動く首を、持ち上げながら周囲を見回す。
「……なっ…何だこれ…」
崩れ落ちた民家、地面は粉々に破壊され、内側にある土までもが大きく抉り取られている。
一瞬、ここが何処だか分からなくなってしまった。それ程までに、外見が変わってしまっていたからだ。
美しく整えられていた街が、たった数分の短期間の間に、何もかもが粉々に粉砕されている。
その事に追求しようかと迷った時、周囲に撒き散らす様な大声を、泉は聞き取った。
「苦しんで、死ね。最後まで見届けてやるよ。あと、心配するなよ。そこで寝ている奴も、直ぐに逝かしてやるから。」
突如、聞こえて来た声に驚きながらも、慌てて声が聞こえて来た方角に振り向く。
ーーいた。
十メートル離れた地点で、理沙は成す術もなく、煉獄に首を締め付けられていた。
その事実を目の当たりにして、泉は自身の思考回路が、焼き切れると錯覚する程、高速の情報の整理、状況の判断を済ませる。
腕で地面を押し退け、渾身の力を振り絞って立ち上がろうとする。
しかし、身体は今まで我慢に我慢を重ねて蓄積していた疲労、過剰な負担に耐え切れず、悲鳴を上げる様に骨が軋む様な激痛を感じ、傷口から血が溢れる。
ただでさえ意識が朦朧とする中、激痛が全身を駆け巡り、同時に身体を突き動かしていた熱が、奪われていき、急速に冷えていく。
身体を支えていた腕から、徐々に力が抜けていくのを感じた。
力が入らない。
こんな所で終わる訳にはいかないんだ。だけど、脳から動け、動けと幾ら命令を送ろうとも、その命令は運動器官には伝わらず、跳ね除けられる。身体が言う事を聞かないのだ。もう、指先一つ動かせない。
これ以上、どうしろというのか?
身体が動かないなら、どうしようも無いじゃないか。いっその事、全て感情を捨てて、虚無の世界に入り込んでしまった方が、楽なのではないだろうか?
そこで、泉の思考は停止してしまった。
『考える事を止めるのか?』
………湊…
『約束……諦めるのですか?』
……ごめん…約束、果たせそうにない…
『泉さん。負けないで』
…御代……
『お前が死んだら、皆、悲しむんだよ! 俺だって、お前には死んで欲しくない!!』
……燐…っ…
『…泉さん……』
泣き出しそうな声を出さないでくれ……レビン…
『らしくないな、泉』
…真人……俺は……
『泉君、死なないでよ!! 私、君が死んだら……絶対に後悔する…君がいない世界は考えられない!!』
愛、そんな事…言わないでくれ!! もう、身体が言う事を聞いてくれないんだ!!
『……ごめんなさい…泉君……』
謝らないでくれ、理沙! 肝心な時に、お前を助けてやれない、非力な奴の事なんて。
『ーー泉君。言ったよね。諦めちゃ、そこで終わりだって。』
優……だけど…もう俺には、立ち上がる力さえ、残されてないんだーー
『皆の願い、勇気ーー想い。全部、泉君に託すよ。いつだって私達が一緒だよ。』
皆の手が俺を支え、暗闇の底から地上へと引き摺り上げる。
それは冷え切った俺を、暖かく、優しく包み込んでいた。
ーーそうだ。俺には、こんなにも俺の事を大事に、助けてくれる仲間が居じゃないか。
何が、もう立てないんだ!!
何が、もう考える事を止めるんだ!!
全て、俺の身勝手な想いでしかない。
痛みは消えずとも、もうこんな事で、挫けたりはしない。
諦めたりはしない。
絶対に。
「……ぁっ…ぁぁあッ!!」
刀に漆黒の電撃が迸った。
バアァッ!! と、土煙が巻き起こり、足元の石が、反作用の力を受けて吹き飛ぶ。
予備動作もなしに、雷の如き速度で、最短距離を駆け抜ける。
無理矢理な動きは、肩から迸る痛みを倍増化させ、全身にあの激痛が迸る。
だが、顔を顰めながらも、その速度は留まる限界を知らずーー
「……っ…離せ…」
理沙を捉えている煉獄の腕を掴み、引き寄せる様に引っ張ると、同時に腹部に蹴りを見舞う。
反対方向の力が同時に掛かった事で、威力は相乗効果を起こし、もしかすると、煉獄の骨が折れたかもしれないという程に、脚がめり込む。
「……ぅっ…ぐぅっ…」
苦痛に短い悲鳴を上げながら、身体をくの字に曲げて吹き飛ぶ。地面を数回転がりながら、勢いが停止していく。
「けほっ…ぐっ…っ…」
地面に投げ出された、理沙は意識が残っていた様で、喉を掴まれていた痛みから、理沙は喉を抑えながら、涙目になって、咳を吐き出している。
「…理沙、大丈夫?」
泉は慌てて駆け寄り、身体を支える。
「ーーえっ……まさか…泉君?」
理沙は恐る恐る顔を上げていき、互いの顔を見つめる。
瞳には涙が浮かび上がっていた。
「そんなに……傷付いてるのに、いつも、いつも無茶して!!」
理沙はギュッと泉の背中に手を回し、抱き締める様に泣きじゃくる。
「……バカ……」
「心配してくれてありがと。だけどーー」
心拍数が上昇していくのを感じながらも、視線は理沙から煉獄へと移動する。
そうも、言ってはいられない様だ。
口の中に溜まった血を吐き捨て、煉獄は悠々と立ち上がる。
その事実に、泉は驚愕の表情を浮かべる。
あれ程に完璧に入ったのだ。通常なら、立ち上がる事さえーー地面を這い蹲り、呻いているので精一杯だ。
しかし、煉獄はよろめく様な隙も、槍を杖代わりにする様な事もせず、悠々と立ち上がって見せたのだ。
「ーーテメェみたいな奴が一番嫌いなんだよ。仲間の為に力を使うと言いながらも、実際には自己の欲望の為に力を振るう偽善者がよ!!」
解った。
何よりも、泉が気圧されたのは、煉獄の瞳である。
相手が例え家族であろうとも、殺してみせる、といった殺気に溢れている。
他者を圧倒する負の想いを、身に宿しているからこそ、それの代償として、他の感覚の全てーーつまり、痛覚が死んでしまっているのだ。
目の前の存在を殺す。その快感だけが、奴を壊してしまっているのだ。
「………っ…俺が偽善だって、そう言われても構わない。だけど、忌道真ーーテメェ等がやった事はなんだって言うんだ!! 皆、それぞれの生活を、懸命に生きていただけじゃないか!!」
「煩い!! 懸命に生きていた? ただ惰性的に生きていたの間違いじゃないか!! そうだ! 誰も口では偉そうな事は言える。だけど、実際に見てみろよ。他人の意見に流され、何も変化のない生活を過ごしていただけだ。そんな事なら、俺達の役に立って、少しでも世界の為になれって言うんだ!!」
理沙は幼い頃に、忌道真に父親を殺され、同時に自身の魔法を奪われ、名前も知らない街に放り出された。
彩は、抗えない運命を受け入れ、それでも尚より良い方向へと尽力していた。
レビンは、人身売買に捕まりそうになったり、前の主には殺されそうになった。それを全て、自分の力が足りないからだ。と、最後の最後まで、他人に責任を、押し付ける事はしなかった。
律は、俺と湊の三人の中でも、特に状況が酷かった。両親には生まれた直後に捨てられ、衰弱した状態を発見され、病院で一時回復した後に、施設に預けられる事になる。
衰弱していた時の後遺症か、同年代の他の者達よりも言語や運動機能の発達が遅れていた。
それがイジメに繋がり、彼女の居場所は何処にもなかったという。
また、魔法発現にはまだ遠い歳であるというのに、誰も見た事がない特殊な魔法ーー特異体質持ちであるという事が分かってからは、それは他者からの拒絶へと変化していった。
俺達と出会った当時は、笑顔どころか愛想笑いを見せる事などなく、ただ何に対しても無関心であった。
それから、彼女の笑った顔を見てみたい、と興味本位で試行錯誤したものだ。
湊は旅行中に突如、大量発生した魔物の群れに両親を殺され、湊はたった一人、死んでも尚腕に抱き抱えたまま、彼を離さなかった両親のお陰で生き残ったそうだ。
幸い、直ぐに引き取り先は見つかった。気前の良い老夫婦だったそうだが、急に家族を亡くした悲しみは、彼を孤独にさせていった。丁度、その頃に湊の特異体質が発現化し、偶然通り掛かった俺と師匠の二人と共に、求める物を探す旅に、出る事を決心したのだ。
「…… 惰性的に流されていた? 世界の役立つ為に死ね? お前…何を言っているのか分かっているのか…」
「聞こえなかったのか、ならもう一度言ってやるよ。実際には、お前等の人生なんて紙屑以下だって言ったんだよ!!」
煉獄の槍が、赤黒く変色していきーー筒状の、灼熱の炎を纏う。周囲の温度が急激に上昇し、密度が低く変化して、蜃気楼が現れる。
炎は勢いを留める限界を知らず、夜空に一筋の、炎の柱が立ち昇る。
「……今まであいつ等が、どんな想いで生きて来たと思っている……どんな苦しい想いを抱き続けていたのか……皆、自分の決められた運命に抗い、理解し合おうとしているんだ!! それをーー快楽だけに逃げた、テメェ等に邪魔される筋合いはない!! それでも尚、俺達を脅かそうとするならーー今ここで、全てを断ち切ってやる!!」
再び、刀に漆黒の雷が迸る。
以前、泉は自身の刀の鞘に、正体不明の粒子を結合させ、刃を模していた事があった。
それ以外にも、槍状や名前も分からない様な正体不明の形を模していた事が多々ある。
しかし、これは根本的に違った。
刀から漆黒の電撃が、バチバチバチッ!! と、荒れ狂う様に弾け飛んでいるのだ。
それだけではなかった。
刀の方に意識を集中して、気が付かなかったのだがーー
瞳の色が変化している。
黒と白の二色が混じり合い、曇天の様な灰色へと染まっていく。
白とも黒とも取れないその色は、まさに正義とも悪とも取れない中間の位置を表し、様々な想いーー色を抱えた泉を、象徴した様な色であった。
ぶんっ、刀を水平に一薙ぎした後、煉獄を見据えながら正中線に構える。
「殺れる物なら、殺ってみろよ!! この偽善者!!」
煉獄は絶叫しながらも、地面を蹴りながら、一瞬にして五メートルの距離を詰め、泉の胸元に狙いを絞り、槍が目にも止まらぬ速さで放たれる。
対して、泉も背後に立ち退く様な事はせず、前方に体重移動を掛けながらーー
ガギギギギィッ!!
再び、あの時と同じ。煉獄の槍と泉の刀。
二つの魔道具が激突し、互いを削り合おうと火花を散らし、炎は雷を燃やそうと、より一層に炎圧を上昇し、雷はより鋭く、鋭利へと変化していき、炎の壁に穴を穿ち、貫こうとする。
二人を中心に、周囲へ風が吹き付けられ、瓦礫が衝撃波によって吹き飛ばされる。
二人も、衝撃波と反作用の影響を受けて、背後へと退こうとする力が働く。
しかし、煉獄はそれでも尚、槍を引く様な事は考えず、強く前方に押し出す。
泉はそれを捌く様な事はせず、大勢が崩れかけたとしても、しっかりと受け止める。
「ーーぁぁあああっ」
今にも押し潰される様な圧力を受け、それを真っ向から対抗して、声を荒げながら槍を押し返していく。
勢いのままに刀を薙ぎ払いーー互いの魔力が反発し合い、閃光が撒き散らされ爆発する。煉獄は、強風に全身を叩かれ、後方へと吹き飛ばされる。
当然、煉獄も一流の魔道師だ。空中で一回転して体勢を整え、容易に地面に着地する。
ーーーだが。
それよりも先に、灰色の流星が駆け抜けた。
煉獄との距離を一瞬で詰め寄り、膨大な密度の粒子を放つ。
ゴオオオォォーーン!!
空間が斬り裂かれ、地面が再び削れていき、灰色の粒子は、前方数メートルの距離を、一色で塗り潰す。
土や瓦礫が巻き上げられるが、粒子に触れると同時に、破壊されていき、粉々になった砂が降り注ぐ。
「っくそ!! 何だよアレは!?」
煉獄が悪態を吐きながら、土煙の中から飛び出して来る。両手は、絶えず槍を円盾の様に回転させており、その回転速度は神速の如き速さである。
次いで何かが、土煙を棚引かせながら、飛び出して来る。
一つではない。
二つ、三つ………いや、もっと多い。
凡そ二十個近いの漆黒の欠片ーー次元転移型魔道具専用ビット。
ビットの先端には、灰色の光が輝きを放っており、次々と煉獄を追走していく。
それに続く様に、泉が飛び出して来る。右手には愛用の直刀、左手には鍔から先の刀身がない、不思議な刀を握っている。
煉獄は、槍を連続して突き出し、ビットを落とそうとするが、時に肉薄し、時に退くーー無規則に動くビットは華麗に槍先を避けていく。
「この化物がぁっ!!」
煉獄の瞳に、より一層の憎しみの色が灯り、前方ーー南座泉へと狙いを定めて槍の先を向ける。
炎が槍先一点に集中し、球体を創り出す。通常ならば、拡散して使う事により広範囲への攻撃手段として用いるのだが、それを逆手に取り、膨大なエネルギーを一点へ放つ事で、威力は通常の数十倍にも跳ね上がる。
数秒の蓄積の後、全身の力を槍に託し、狙いを定めて放つ。
ボオォッ!!
閃光が瞬く。
槍が炎を噴射し、凄まじい速度、狙いで泉との距離を詰める。
三メートル
泉の腕が超高速で動き出し、刀が斜め右上へと持ち上げられる。
二メートル
左手の柄がより一層強く握られ、魔力が流れ込まれていくのが解る。
一メートル
炎の熱さが空気を燃やし、チリチリとした焼ける様な感覚が伝わって来る。
「殺されろ!!」
五十センチ
ーー漆黒の刀が煌めいた。
右斜め上から左斜め下へ、一直線に刀が振り落ろされていきーー
ギギギギィィッーー!!
圧縮された炎と漆黒の雷を纏った刀が激突する。
二つのの膨大な魔力は、互いに一歩も引かず、均衡が続いていくかと思われた。
ーーーしかし。
泉の左手が徐々に動きを見せ、先程とは比べ物にならない程、膨大な魔力が流れ込まれる。
ビットの数々が灰色の光を棚引かせながら、直刀の周囲に展開されていく。
灰色の煌めきが、一層に力を強め、それまで刀が、纏っていた漆黒の雷が、灰色へと色彩を変化させる。
「…らぁぁ…ぁあああっ!!」
刀が薙ぎ払われ、炎が斬り裂かれ、周囲に炎粉が散っていく。
泉は、自信が創り出した一瞬の隙を見逃す事はなく、左手を水平に振るう。それと連動して、ビットが直刀を中心に、回転を始める。
ビットから直刀へと、灰色の電撃が迸り、注ぎ込まれていく。
『空間切断』
一筋の雷が煌めいた。
軌道上にある空間が圧縮され、灰色の雷が貫いていく。その景色はまるで、たった一つの流星が夜空を駆け抜ける様であった。
ーーーそして。
爆音が鳴り響かせながら、煉獄へと炸裂する。
「あぁぁッ!!」
煉獄は槍先に炎を集中させ、雷を退けようと、懸命に槍を突き出す。
ーー俺はこんな所で負ける筈がないんだ。
俺は、世間一般的には異端な人間であった。友達はいなかった。でも、そんな些細な事はどうでもよかった。唯一の楽しみは、動物達を殺す事。何故、こんな事をし始めたのかはーー恐らく、死という概念が理解出来なかったからだろう。
父はそんな俺に恐怖し、母に拒絶され、愛情の代わりに、憎しみという負の感情を受け続け、呑み込まれていった。
いつしか、俺が人殺しをしてみたい、と思う様になるまでには、それ程の時間は掛からなかった。煉獄は父と母を纏めて殺害し、自分と同じ歳ぐらいの孤児を、事前に殺しておき、三人を一緒に、火を付けた家の中に置き去りにした。
結果、家は全焼。
死体は焼け落ちており、誰だったのかは判別が付かなかった。死体が三人分だったのもあり、俺と両親だろう。と判断が下った。
家が燃えた理由も、ストーブから燃え移ったのだろうという見解で、事件性は感じられずに終幕した。
そうだ。あの時からだ。
俺が人殺しの楽しさに目覚めたのは。
あの怯え表情、恐怖、優越感、そして鮮血。あれ等全てが俺を快く包み込んだ。
もう、動物程度では我慢は出来なかった。
それから、様々な家に忍び込み、ありとあらゆる種類の人間を殺した。
貴族、一般庶民、スラム街の孤児。
そんな俺が、忌道真に誘われるまで、そう時間は掛からなかった。
忌道真では、俺は異端ではなく、普通になった。
人を殺す事が当たり前。
そんな世界が好きだった。
そして。
これからも。
その世界は続いていく存在だと過信していた。
だからこそ、こんな奴にーー偽善者に負ける訳にはいかないんだ!!
僅かに槍が、雷を押し返すのを感じた。
俺が負ける訳がないんだ!!
死ぬのは、テメェだ!!
泉は渾身の力を振り絞り、全身に魔力を循環させ、腕、手を伝って直刀の剣先に集中させる。
泉はゴーレムとの戦闘後、騎士団から逃げ出し、直後にパラティヌスと忌道真の二人との戦闘。そして、今の次元転移型魔道具の使用で、泉の魔力総量は底を尽きかけていた。
「……っ…」
奴に届かない。
後、少しなんだ!!
「テメェは、ここで死ねぇェッ!!」
煉獄が叫び声を上げ、槍に炎を集中させーーそして、再び槍先を泉の心臓へと狙いを定める。
「やらせはしない!!」
煉獄の死角から、理沙が飛び出し、手に持っていた二本の剣を、勢いよく放り投げる。
煉獄は、真横に滑る様にして剣の軌道から逃れる。
即座に、狙いを定めると、今度は邪魔されない内にーー炎が噴射される。
しかしーーガギギィッ!! 突如、十数本の剣が炎の軌道上に顕れる。
「……これで、どうだ…」
理沙の掠れた声が聞こえて来る。彼女もまた、体力も魔力も限界を越えている筈だ。それでも尚、残る力を振り絞っているのだ。
煉獄の炎は狙いにズレが生じて、泉から数メートル離れた場所を穿つ。
「ーー泉君、今!!」
理沙は必死に叫びながら、二丁の実弾型魔法銃を具現化させ、煉獄に向けて乱舞する様に撃つ。
秒速300メートルを越える弾丸は、一瞬にして煉獄との距離を詰めて炸裂する。
理沙が創り出した実弾型魔法銃は、装填数が十であるらしく、片手ずつ撃ち続け、片方が弾切れになった途端に、逆の銃が火を噴き出す。逆の銃が弾切れになる間に、弾切れになった銃を捨てて、新しい実弾型魔法銃を自身の能力で創り出す。
煉獄は、槍を円盾の様に高速回転させながら、弾丸を弾くのに精一杯で他の事に手が回らない。
しかし、この状況もいつまでも続く訳がない。
あれ程まで大量の魔道具を、使い捨ての様に次々と創り出しているのだ。
今にでも、理沙の魔力総量は底を尽き、煉獄の槍に貫かれる事であろう。
だからこそ、理沙が創り出してくれた、この状況を見過ごす訳にはいかない。
魔力がないから、体力がないから、そんな建前はもういい。
力がなければ創り出せばいい。
過去から自分の願いが、今を創る勇気となり、未来を切り開いていく想いを創り出す。
たった一撃でいい。
俺に力を貸してくれ。
理沙が俺を信じ、力を貸してくれた様に。それに応えるーー過去から現在、未来へと繋いでいく力をーー
「……ぁぁ…ああぁぁぁッ!!」
泉を中心として暴風ーーいや、それだけではない。
膨大な量の、灰色の粒子が空高くへと巻き上がる。
それはまるで、天を突く柱の様であった。
霧宮が見せた『白刃一刀』であろうとも、これ程まで長大ではなかった。
しかし、次の瞬間ーーそれ以上の現象が理沙の瞳に映る。
徐々に柱が短かくなっていく。その速度は加速度的に上昇しーー
直刀の内側へと引っ込んでしまった。
もしかすると、魔法を発動するに足りるだけの魔力が、泉君にはもう残されていなかったのかと、不安気になったのだが……
それは違う。
直感的に気付かされた。
魔法は失敗してなんかない。ちゃんと成功している。
アレの内側に入ったのは、恐らくは……
「……いくぞ!!」
その推測を裏付ける様に、直刀が灰色の鋭い輝きを放つ。
彼は、自分自身が創り出した、膨大な量の粒子を、刀一つ分の内側に圧縮したのだ。
本当ならば、無理してまで、そんな事をする必要性はないだろう。
しかし、ここは無関係な大勢の人々が暮らす国である。自国ではないから、といって危害を加える理由には決してならない。もし、それを正義の為だから壊す、というのは、忌道真と何も変わらない一方的な自己主張でしかない。
刀に粒子を圧縮させる事で、通常ならば広範囲に広がる一撃を、一点に集中させる事が出来る。周囲に被害が及ばない彼らしいやり方だ。
それは、先程に煉獄がやって見せた技術と、ほぼ変わらない物であった。
煉獄の表情が一気に変化し、声を張り上げる様に激昂する。
「テメェは、人の物を奪う残虐な善人気取りの屑だ! テメェみたいな偽善者に、この俺が…負ける訳ねぇんだよ!!」
「……周りを傷付けて、大切な物すら投げ捨てて、自己勝手な悦楽に浸って……テメェ等如きに、殺られるかぁッ!!」
黒刀が流星の如き煌めきを放つ。
泉は予備動作もなし、地面を蹴りーー
轟音が鳴り響いた。
泉の身体が弾け、弾丸の如き速度で距離を詰める。
対する煉獄は、辛うじて認識出来た様で、慌てて槍を突き出すがーー
バギィッ!!
槍はひび割れる音を発しながら、大きく後ろに弾かれ、粉々に粉砕していく。
泉の直刀は、圧倒的な質量の粒子を含み、その一振りはあの超弩級ゴーレムの一撃さえも凌駕する。
……どうして、俺が…負ける…? …こんな奴に……
こんな……偽善者に……どうして…どうしてだ!? どうして、俺がこんな奴に負けなくちゃいけない!! ……俺がどれだけ、頑張って来たのか分かるか? 生まれてから、親に、友達に拒絶され、やっと見つけた居場所なんだ!! それを、壊すだと?
ハハハハハハハハ……そんな奴は、俺が、殺す殺す殺殺殺殺殺殺……
「…俺は知ってる……あいつ等……いや、あいつ等だけじゃない。この国に生きる全ての人々の人生が、テメェが言う紙屑みたいな薄っぺらい物じゃないって!!」
刀が放っていた灰色の輝きが、より一層に強さを増す。
右足を一歩前に詰め寄り、右斜め上から左斜め下へと一直線に刀を薙ぎ払う。
刀は煉獄の左肩に、寸分違わず喰い込み、切り裂き、内部の肉を抉り取る。
刀の軌道にそって、光が数瞬遅れて棚引き、鮮血が散っていく。
刀が煉獄の右腰へと到達すると同時に、刃の向きを逆向きーー煉獄の方へと向きを直し、地面と水平に、煉獄の腹を斬り裂く様にして、真横に振るう。
刀は目にも止まらぬ速さで腹を裂き、肉と血を地面に滴り落とす。
「ーーっがあああああぁぁぁっ!!」
煉獄は激痛のあまりに、身を捩らせて叫び声を上げる。
それでも、泉の動きは止まらなかった。
左手を前方に突き出し、刀を掴んだ右手を後ろへと移動する。
刀の向きを、地面と水平に直しーー突きの構えをとる。
「ぁぁ…らああぁぁぁッ!!」
左手が後方へと引き戻され、それと同期して、右手が前方へと突き出される。
流星の如き輝き見せた刀は、煉獄の左肩を貫きーー吹き飛ばす。
鮮血が周囲に飛び散り、地面を紅に染め上げる。
左腕は高々と空中を舞い、放物線を描きながら地面へと落下する。
「があああぁぁぁぅっ……ぁぁぁ…」
煉獄は激痛に耐え様と歯を喰い縛る。
「……ぐぅっ…覚えておけ…ょ………いつか、必ず……ぅっ…殺してやる…」
そう言い切ると、全身に張り詰めていた力が消え失せ、気を失い地面に倒れ込む。
「………ぁぁ…自分がした事の業位、背負う覚悟は出来ている………ぁぁぁッ!」
その瞬間に、泉の身体に途轍もない衝撃が迸った。
掠れ声を上げながら、膝が地面に触れ、全身の力が加速度的に抜けていき、バタッ、という音を立てて倒れ込む。
敵からの襲撃を受けたという訳ではないだろう。ただ、腹と肩に傷を受けている状態で、魔力が底を尽いているのにもかかわらず、全身全霊の魔力を総動員して魔法を発動させた為、力の対価として、リバウンドが襲って来ているのだろう。
そこまで思考を巡らした泉だが、これ以上はもう動くことどころか、立ち上がる事さえも出来ない。
呼吸が苦しい。
全身が痛い、重たい。
思考が止まっていく。
徐々に意識が暗闇に呑み込まれていく。
その瞬間。
「ーーっ、泉君。」
懐かしい誰かの声が聞こえる。
間違いないのは、理沙の声ではないという事だ。意識がハッキリとしていれば、その声が誰の物なのか、判断が付くのだろうが……意識が朦朧としている今は、その大きな違いでさえ、理解出来ずにいた。
泉は成す術もなく、意識が暗転するのを感じていた。




