瞳のチカラ
崩れ落ちた瓦礫の山がゴソゴソ、と動きを見せて周囲に転がっていく。
徐々に、その動きは勢いを強めて、滝の様に瓦礫が崩れ落ちていき、内側から二人の少年少女の姿が現れる。薄緑色の膜が二人を包み込んでいるが、それでも二人は至る所に大怪我を負い、少年は腹部と肩に、少女は腕と背中に幾つも深い切り傷が付いており、滴り落ちた血が地面を濡らしていく。
「……っ…くっ…はぁはぁ…」
理沙は長距離走を終えた直後の様な、荒い呼吸を繰り返す。
霧宮があの超弩級の大剣を二人に向けて叩き落とした時、理沙はパラティヌスが創り出した僅かな隙に、『二重結界魔法』を張り詰めた。
事実、理沙があの時に、『二重結界魔法』を張り詰めなければ、最悪、死んでいただろう。
助かったのは、パラティヌスの斬撃によって霧宮の攻撃に僅かなズレが生じたからだ。
二度目はない。
以前の理沙ならば、その危機的状況に、恐怖が全身を硬直させ、奴等にされるがまま殺されていただろう。しかし理沙は、泉や湊と出会い、彼等から大切な事を教えて貰った。
彼等は、その歳で、大の大人でさえ、逃げ惑う程の十分過ぎる力を手にしている。それこそ、理沙には底知れない強さを秘めている、といった印象しか抱けなかった。
私は、その外見だけの強さに惹かれていたのだろう。
それだけしか知らないのに、彼等を羨ましそうに眺めて、本当に大切なーー本質の一欠片さえ見えていなかった。
泉君、湊君は優しいから言わないだろうが、本人達はそれを芳しくは思っていない筈だ。
強いから弱い者達を弾圧して良いとか、そんな理不尽な世界が嫌だから……せめて、自分の手が届く範囲だけは護りたい。
本当に必要なのは、ただ魔力総量や腕力なんて見掛けの力じゃない。その過程で重要となるーー想いだ。
と、湊君が以前に教えてくれた。
それは、泉君も一緒なのかな?
と、聞いた所。
湊は少しの苦笑をした後、太陽の様な笑顔を浮かべて、迷う事なく即答した。
ああ! あいつは色んな想いを一心に受け止めてるんだ。だから、その想いを曲げられない様に、一人で背負い込んで……何度だって立ち上がるんだ。
その過程で、どれだけ大怪我を負ったとしても、想いを蹂躙する様な事を絶対に許さない。それが南座泉だよ。
たとえハイリスクであろうとも、どんな激痛が奔ろうとも、想いが挫けちゃいけない、曲げちゃいけない想いがある。
想いの強さを信じろ。
母さんが残した言葉の、本当の意味ーーそれを私も追い掛けてみようと思う。
だからーー
もう傷付く事を恐れたりはしない。
結果、その特別な魔法を行使しなければ、あの『白刃一刀』は止められやしなかったであろう。
当然、禁忌とまで呼ばれている真術の類いではないが、その副作用から学院では、この魔法の使用を全面的に禁じている。
けれども、そんな事知った事か。
私の仲間が目の前で苦しんでるんだ。それを助けないで見殺しにするのか?
あの時の様に、ただ逃げ出すのか。
いや、そんか事はもうしない。
生きて帰るんだ。私も、泉君も。
「……ぃ…ずみ君…大丈夫…?」
しかし、それに対する応答はなかった。
理沙が抱きかかえているーー泉は、力なく瞼を閉じて、規則的な呼吸を繰り返しているだけであった。
息や脈はある。
恐らくは、あの魔法による衝撃で意識が吹き飛んだのだろう。あんな大怪我を負った上に、身体に過剰な負荷を掛けられたのだ。気絶したとしても、おかしい話ではない。
即座に、理沙は体力の限界を感じながらも、泉を背負って疾走を始め、適当な岩場に隠れる。
理沙自身は幻影魔法の類いは、あまり得意ではないのだが、これ程に広く、荒れ果た状況ならば、幾ら索敵魔法を使ったとしても、そう容易く見付けられる心配はないだろう。
やはり、あの力が戻って来た事が関係しているのだろうーー早技で、初級の幻影魔法を掛け、滞りがないかチェックする。
理沙は、元々は特異体質持ちであった。しかし、その力の本質は、幼い頃に忌道真に奪われてしまった。
けれども、今ならそれは違ったのだと解る。
何故なら、私の特異体質『魔道構築』が何年もの時を経て、今この瞬間の私の中に魔法構築式として存在するからである。
どうして奪われていた筈の特異体質が戻って来たのかは定かではない。でも………もしかしたら、あの時、私の想いに応える様に、力を貸してくれたのかも知れない。
その結果、私は泉君や湊君には及ばないが、以前の数十倍近い魔力総量が身体を満たしていた。この国の精鋭とも言える騎士団に太刀打ち出来たのも、これ程の魔力総量があったからだ。
「……くそ……やっぱり、居るわね……っ…」
北北東の方角、数十メートル離れた地点の所に、霧宮、煉獄の姿はあった。幸い、向こうが気付く前に移動出来た為に、直ぐ様この場所を当てられるといった事にはならないだろうが……それも時間の問題か、もしくは奴等が諦めるまで見つからないかも知れないという自身の運に頼るか……
理沙はもう一度、あの二人の姿を捉え様と岩影から覗き見てーー
「…ぇっ……いない…何処に行ッ!?」
ひんやり、とした怖気が全身を包み込み、鳥肌が立つ様な感覚に見舞われる。
まるで全身に刃物を突き付けられている様な感覚に、理沙の身体は硬直してしまい、冷や汗がどっと出て来る。
ぎこちない動きで、背後を見遣りーー
それは現実の物となる。
「こんな幻影に引っ掛かるとでも」
「好い加減に、死ね」
目の前に、ニヤリと薄気味悪い笑顔を浮かべている二人の姿を見た。
「……っ…!?」
理沙は、それこそ思考回路が焼き切れる程の速度で反応を果たし、行動を開始するまでには一秒も掛からなかったのは、不幸中の幸いであった。
意識を失って壁に持たれさせていた泉を抱き抱え、真横へと地面を蹴る。
横目で、煉獄が槍を理沙達がいた場所へと突き出しているのが確認出来る。理沙は辛うじて槍に、右腕付近のコートを切り裂かれる程度の損傷で済み、地面で深く脇腹を擦り、服に血が滲んでいく。
バゴオォォッーー
槍はコンクリートに直径一メートルもあろうかという穴を穿ち、周囲に破片が撒き散らされる。
次いで、霧宮が隙を与える事なく間合いを詰める。
右斜め上、左真横からは一本ずつ、頭上からは三本の刀がほぼ同時に降り注いで来るのが確認出来る。
「……まだっ…」
両手の手の内に、茶色の皮が巻かれた柄が顕れ、幅数センチの剣身が先にいくに比例して薄く鋭利へと変化していく。
それだけで止まる事なく、理沙の頭上に地面と垂直な向きに十数本、右斜め上と左真横には霧宮の刀と垂直に一本ずつ、剣が次々と顕れていく。
理沙に構築された魔道具は、理沙の魔力総量が続く限り、周囲に特別な空間を創り出して外部からの力ーー例えば、重力などに対して関与されず、静止または自由な運動を可能とする。
ただ、それ自体を構築しているのは理沙であり、彼女の許容量を超える圧力には耐える事は出来ない。
また、一つ一つの魔道具構築に使用する魔力総量は、それ程に多量であり、一気に何十本も具現しようものなら魔力総量が枯渇してしまう。
右斜め上、左真横、頭上の順に刀が降り注ぎ、それ等は全て理沙が創り出した魔道具達によって威力を削がれ、防がれていく。
『斬影』
両手の剣をブン、と一回転させると相手の正中線を見据えて、重心を後ろから前へと移動させながらーー二本同時の突きを放つ。
互いの剣は黒色の閃光を放ち、徐々に近づいていき、一本の黒槍となって霧宮に迫り来る。
空間を真っ黒に切り裂き、彗星の如き輝きを放ちながらーー
ガギギキッーー
咄嗟に引き戻した刀が間に合い、槍は刀によって阻まれる。
力が篭っていない刀はただの盾としか役には立たず、理沙が放つ強烈な突きを正面から受けて、背後へと仰け反る。
その隙を理沙が逃す訳もなく、二本の剣を地面に捨てて継続中の魔法を強制的に解除する。
重心を後方にある左脚へと預け、右足を一歩前に踏み出す。それと同期して左脚が地面から離れていき、上段回し蹴りのモーションを描きながら、仰け反り回避運動が出来ない霧宮の顔へと向かいーー
グギィッ!!
皮膚に喰い込む様に激突すると同時に足首を返し、地面へと叩きつける。
「……っぐああぁっ!!」
恐らくは、あの深い音からして骨の一本は逝っただろうーー呻き声を上げながら激突にのたうちまわる。
こいつは理沙の大切な両親や泉君達の大切な仲間も平気で殺し、連れ去る様な奴である。そんな奴が生きていて良い筈がない………
けれども、理沙はどうしても止めを刺す気にはなれなかった。いや、なれなくなっていた。それはあの学院での生活の中で自覚した。自分が奴等を殺すというのは、自分も奴等と同じ様な罪人になるという事だ。
私は神じゃない。
「罪を裁くのは、私じゃないから……」
そう言い残しながら地面を這い蹲る霧宮を一瞥して、目前でニタニタと喜びの笑みを浮かべる煉獄を見据える。
「……仲間がやられて笑うとか、あんた天然?」
その言葉に煉獄は気にした様な態度は見せず、理沙を無視して霧宮の元に近寄ると……
「ーーなっ!?」
理沙はその瞬間、煉獄が何をしようとしているのか咄嗟に理解出来てしまった。
「ぐあぁぁっ!!」
鋭い蹴りが霧宮の腹部に喰い込み、二、三メートルの距離を転がっていく。
「……あぁーー腹痛ェ。負け犬はそこで呻いてろ……後で、騎士団に受け渡してやるよ。その前にーー邪魔者をさっさと消さなきゃいけないな。」
煉獄はそう吐き捨てると、理沙の方に向き直る。
「……っ!?」
明らかに、先程までの彼とは違う。
本能が告げている。
全身が麻痺したかの様にビリビリする刺激、冷や汗が流れ落ちていく危機感。
雰囲気や様子だけではない。
全身へと循環させる魔力総量の効率化と増強、槍を構える一動作。
そして……
ーー彼の瞳に映る想いだ。
憎しみ、恨み、意気消沈、嫉妬、怒り、執着した愛情、悲しみ、孤独感、自己嫌悪、自己憐憫、自惚れ、自己満足、苛立ち、不機嫌。
そこには負の感情しか見当たらない。しかし、そこに余計な想いがないからこそ、その想いの強さは泉君でさえ凌駕している様に思える。
闘ってはいけない。
ここで選択を間違えてしまったなら、私は死に向かうであろう。そして泉君も。
なのに、全身が動かないのだ。
恐怖が全身を支配していき、私はそれに耐え続ける事さえ出来なかった。
「何も動かねぇなら、丁度いい。じっくりと殺してやるよ。」
その言葉の意味に気が付いた瞬間には、もう時遅く、煉獄の指が私の首を掴み、軽々と地面から十数センチの高さにまで持ち上げられていた。
「…ぅっ…ぐうぅぅっ…」
理沙は必死の抵抗で、首を握っている煉獄の手を掴むが、呼吸が出来ずに口を開き続けてしまい、力が入らない。
煉獄の握力は急速に強まり、呼吸が出来ない事で意識が霞掛かり、逃げる事は不可能になっていく。
このままでは……
「……ぁ…ぁぁああっ!!」
最後の力を振り絞り、右手に先程と同様の剣を構築していく。
だが。
ガキンッ!!
金属がぶつかり合う音が響いた。
それと同期して、右手に強い振動が奔る。
煉獄が放った槍が、理沙が構築仕掛けていた剣を、数十メートル先にまで弾き飛ばしたのであった。
……もう…私には……何も…
煉獄は理沙の深い絶望を見て、口を三日月に変化させる。
「苦しんで、死ね。最後まで見届けてやるよ。あと、心配するなよ。そこで寝ている奴も、直ぐに逝かしてやるから。」
その声に抗う事が出来ず、理沙は暗黒の闇へと続く圧力に逆らえず、ゆっくりと堕ちていく。
この先で理沙を待っているのは、暗黒の世界ーー死。
けれども、それを回避するだけの魔法も、技術も、想いの力も使い果たしてしまった。
これが私の運命なのだろう。
自分が決めた想いも十分に果たす事なく消えていく。
せめて、泉君だけは何としてでも助けなくちゃいけないんだ。
それは判り切っている。
だけど………もう……ごめんなさい…泉君……
瞼がゆっくりと閉じていく。
視界が狭まり、暗黒の闇へと導かれて……
「……っ…離せよ…」
鋭い声音が夜空に響いた。




