空想
三人から数百メートル離れた地点で、泉は床に両手を付き、四つん這いの体勢になっていた。
「…ぅ…ぐぅ…っ……」
過度な魔力の循環に、全身が追い付けず、決して無視出来る程度を超えた負担が泉を襲っていた。
口の中に血が溢れ出し、全身を蝕む様な衝撃に堪らず、血を吐き出してしまう。
胸が、右腕が、左腕が、右足が、左足が、頭部が、至る所に激痛が駆け巡り、軋む。感覚が麻痺して、ぐらりと身体が倒れる。
「ーーーっ!? 泉さん、大丈夫ですか!?」
全身を縮小して胸ポケットに入っていたレビンが、泉の状態に驚き、魔法を解除して元々の大きさに戻る。
「……悪っ…やっぱ…中途半端に使うもんじゃない…な……レビン、五分だけ休ませて…」
そう早口で言い放つと、瞼を閉じて、力を抜いて床に全身の体重を預ける。
泉がこれまでに、この魔法を行使しなかったのは、現在の様に使用終了時に来る反動を恐れていたからではない。元々、この魔法は使い方次第では、リバウンドが襲ってくる事がないのは証明済みだ。
しかし、この魔法は危険だ。
いや、使用者である泉の恐怖、トラウマが凝縮された様な存在である。そして、他者からどういった視線を向けられるかも理解している。
ーーー昔の、とある場所で、泉は偶然にも魔物の大群に遭遇した。闘えた存在は泉も含めて二人、対する非戦闘員は一人と、それ程に深刻的な状況ではなかった。幸い、当時の泉は、それよりも過去に、両親から魔法での戦闘の訓練を受けていた為、並大抵の魔物なら難なく倒す事を可能としていた。
ただ、その過信から悲劇は起こってしまった。着実に敵を減らしていけば良かったものの、泉は両親から止められていた魔法を興味本位と威力の確認と使用してしまう。しかし、それは仕方がない事であった。当時の泉は、まだ年齢が九歳であったこともあり、子供独特の悪戯気分が抜けきれていない面があった。
何が起こったのか、自分でも理解出来なかった。ただ、あの魔法を行使した事によって魔物の大半が死亡し、一人は軽傷、もう一人が重傷を負った。幸い、魔物の大群を感知して駆け付けていた大人達によって、病院に搬送されて命を繋ぎ止める事が出来た。
しかし、泉は、その人に未来永劫消えない傷を負わせてしまった。
泉は罪の意識に苛まれ、家を飛び出して長い旅に出た。そこで、師匠と出会い、湊や律との生活の中で、傷は次第に薄らいでいった。
「……おいっ、泉!!」
耳元で発した叫び声によって、深い底にあった意識が、急激に上昇していく。
ハッ、と重たい瞼を持ち上げて、ボンヤリと曇った視界に映る存在を確認しようと目を擦る。
先程まで見えていた黒い影が、鮮明に泉の瞳に映る。
「……泉君…」
湊は、まともにゴーレムの攻撃を喰らっている。意識を取り戻したからといっても、その体調は好ましくないらしく、理沙に肩を貸してもらい、ようやく体勢を保っている。
「…少し寝たから、ある程度体調は戻ったし、そんなに心配する事はないって」
そう言って立ち上がろうとする泉に、レビンが手を差し出してくる。泉は手が差し出された事に少し躊躇うが、その小さな手をゆっくりと掴む。
レビンの力を借りて、床に両足を付けると、近くに放り出していた黒刀を拾い、腰のベルトに吊るす。
「……それよりも、湊…行けそうか?」
「あぁ…と言いたい所なんだが…後、数時間は単独戦闘は無理そうだ…補助ぐらいなら何とかなるんだが…」
泉はその返事を聞いて、いいや、と頭を横に振るう。
「……戦闘は、俺が引き受けるから、湊は体調を戻す事に集中してくれ。それに……あまり、時間はなさそうだ」
泉は、数百メートル先にある地上を見上げる。
ベルギス統一大会前夜
浅海優は、ホテルのベランダから前夜祭の様子を眺めていた。大通りには、様々な店が五百メートルを超える長さで並び、優達の様に別の口からも大勢の人が集まっていた。
一番奥にある建物ーーーベルギス城はライトアップされ、神聖な空気を漂わせている。
その周辺は貴族街と呼ばれている場所であり、お城程は大きく、美しくないものの、それぞれが圧倒的な存在感を示している様だった。その中でも、取り分け広大な土地を持つ建物が一つ。
ベルギス国家が勢力拡大の為に建設したーーー国立魔道学院である。
10代の子供達の中でも、秀才や逸材、神童といった子供を更に振り分けし、ある一定の水準を合格した者だけが入学を許可されるといった難関学院だ。
国立魔道学院は、祭りの開催場所からは少し離れた場所にある。しかし、どうしてか赤い光が幾つも明滅してある一点を晒している。
明日は、国が開催する行事だ。あの学院内でも、何らかのイベントを行っているのだろう。
「……泉君…どうしてるかな……」
ぼそり、と呟かれた言葉は夜空の中に淡く消えていく。
南座泉。SOD事件の立役者である彼の実力は、到底燐や愛、ましてや優ですら届かない。その彼は、一ヶ月以上も前に姿を眩まし、それからの間ずっと音信不通なのだ。学院の理事長に掛け合ってみたが、理事長ですら、その事実は知らされず、国トップである騎士隊からの依頼による物としか、分からなかった。
「ーーー優! もう、こんな所にいて。せっかく、お祭りに来たんだし……もっと、楽しもうよ。下で、燐や御代も待ってるよ。」
突如、声を掛けられてびくり、と身体が震え上がるのを必死で抑えて、背後を見遣る。
鬼宮愛。優が学院で最も信頼出来る親友の一人だ。実家が近接格闘技を専門とした道場である為に、幼い頃から技を叩き込まれ、今では合気道や柔道、空手の腕は達人級の実力を持つ。以前、燐と模擬戦をした時には、たった数秒で、また泉君とは、魔道具なしの模擬戦で、数十秒で倒していた。
そして外見は、同性の優から見ても羨ましい限りで、性格も良いお陰で男子からも女子からも厚い信頼を受けている。
「ねぇ、優、大丈夫? 気分悪いの?」
愛は、優がぼうっ、としていた事を心配に思ったのか、大丈夫かと顔を覗き込んでくる。
「えっ…ううん、大丈夫だよ。分かった、行こ」
優は愛の手を掴むと、優を引っ張ってホテルから連れ出していく。