激動の始まり
眠っていた理紗やレビンに、彩の『魂分裂』による力を借りて、現状の説明が手身近に済まされてから、二十分後には全員の準備が整っていた。
「準備は良いか?」
湊の声が静まった部屋全体に拡がり、こくこく、と次々に頷きを返していく。
レビンは縮小魔法の効果を継続させて、泉の黒衣の胸ポケットに入り込んでいる。
「……彩は俺に捕まって…」
泉は、彩が何か言い返す前に、ひょい、と軽く彩を持ち上げると、右腰にある刀の位置を確かめる様に手で掴む。彩はぎゅっと首に手を回して振り落とされない様にしっかりと泉の身体を掴む。
面白くない様な表情を浮かべた理紗が、此方を睨んでくるが、泉は正面の扉に意識を集中していた為、その事実には気が付いておらず、彩が勝ち組の微笑みを浮かべて手を振る。
ますます理紗には、その状況が面白くなく、危うく癇癪を起こしそうになるが、寸前の所で時間的にも、力量的にも危機的状況である事を思い出して我慢する。
理紗が知る限り泉や湊は最強と言っても過言ではない程の、技術、魔力総量、経験を得ている。そのどれをとっても、理紗では太刀打ち出来ない。そして、二人が危険視する超弩級大型ゴーレムの力量は計り知れない。そして、もう一つ。
時間との戦いだ。湊の話では後一時間以内に上層部と、この国でも有数の精鋭達を集めた騎士団が集結する筈である。もし、その集団に接触しようものならば五人全員が生き残る可能性は限りなく低くなる。
残された道は、ゴーレムを撃破、もしくわ隙あらば戦線である30階層からの離脱。そして、騎士団が踏み込む前に書庫から脱出するしかない。
出来る限り二人の足を引っ張らない様にしなくては、と心の中で決意を固める。
「ーーーいくぞ」
湊の掛け声により勢い良く扉が開かれーーー
それに理紗が気が付いたのは数瞬後になってからだ。
爆発音が鳴り響き、地割れの様なヒビが地面を伝い、暴風が周囲を襲った。それはまさに、ゴーレムによって放たれた先制攻撃による衝撃だった。
湊は疾風の如き速さで床を蹴り、理紗の腰に腕を回して固定すると、十メートル程の高さに跳び上がり、床の振動から逃れる。
前方には直径二十メートル近い巨大な幹があった。いや、それがゴーレムの腕であると理解するまでに暫くの時間を要した。腕は上階層から床もとい天井を突き破り最下層の床に突き刺さっていた。
ぐらっ、と腕が動きをみせたかと思ったのも束の間、その大きさに似合わないまでの速度で腕を引き抜く。集中して目を凝らしていなければまともにその軌道を捉える事も出来なかっただろう。
「………っ」
理紗に、湊が緊張、驚愕した様に息を殺す声が聴こえてきた。背中から泉とは真逆の色彩をしているーーー白刀を鞘から引き抜き、真横の何もない空間を切り裂く。
圧倒的エネルギーを誇っている白閃が空間を貫き、空中にいる湊と理紗は反作用の力を借りて白閃とは真逆の方向に吹き飛ぶ。ーーー刹那、先程まで二人が居た位置の真上にあった天井の鋼鉄が一つ塊として落され、瞬く間に床との距離を縮めて叩き付けられる。
間一髪の所で鋼鉄の塊避けた湊は、休む事なくゴーレムが穿ち抜いた穴に向かって跳躍して上階層に着地する事に成功する。
例え、一階層上に上昇したからといっても相手は全長二百メートル近い弩級大型ゴーレムだ。視えている部分が少し広くなっただけで、未だに全貌が捉えられない。
そして、湊は先手を打つ事にする。
床を、それこそ雷の如き速度で蹴って、ゴーレムの腕を伝って駆け上がっていく。
理紗が瞬いたときには、既に上階層の床に辿り着き、白刀で薙ぎ払っていた。
元々、この床は泉が侵入時に壊せないと言っていた三十一階層の床と同じ、もしくわそれ以上の厚さを誇っている。しかし、ゴーレムの圧倒的な質量による二回の攻撃で、魔法コーティングによる効果が薄れ、床が脆くなっている。
ーーーそれならば。
「はあああぁぁぁっーーー!!」
湊は、喉が枯れるかもしれないと危惧する程の叫び声を発し、全身に行き交う様に魔力を循環させる。
白刀が闇を照らす閃光の様に白く輝き、湊の数コンマ後を追う様にして揺らめく。
視界の大部分を、薙ぎ払われ放たれた白閃が占める。
四十九階層の天井であり、四十八階層の床を削り、破壊し、穿ち抜く。
耳元で大音量の爆発音が鳴り響き、理紗は耳を押さえて顔を顰める。瞼を上げた時には、湊はもう四十八階層に辿り着いていた。
床から引き抜かれたゴーレムの拳が横殴りに振るわれる。地面を削り取り、摩擦によって火花を発しながらーーー見事に二人を捉えていた。
二つの間の距離が残り数メートルに差し掛かり、一秒も数える間もなく、二人の姿は、圧倒的質量に呑み込まれて確認出来なくなる。拳は勢いのままに突き進み、衝撃波を周囲に撒き散らして壁に激突するが、耐久魔法の効果を受けて逆方向に反発する。
ゴーレムは敵の姿を隠してしまっている自身の拳を持ち上げて敵の生死を確認する。
ーーーそこにあったのは、力無く床に横たわる湊の姿であった。青ざめた顔から、決して少ないとは言えない血が、滴り落ちている。服に隠れて見えないが、皮膚の所々に木やコンクリートの破片が刺さり、ボロボロに破けている。
「……うそ…どうして!?」
彼一人なら間違いなくあの攻撃を避ける、または捌く事が出来だろう。しかし、彼はそれをしようとはしなかった。戦力的にも価値が高い湊は、それとは比べ物にならない程に微々たる力しか持たない理沙を、身を呈してまで守ったのだ。彼はここからの作戦上に、理沙と違って必要不可欠である。
「ーーーどうして!?」
その声をゴーレムは感知し、理沙の生存を確認すると、もう一度腕を持ち上げる。
数秒後にはもう一度、天から降り注ぐ圧倒的実力の力が降り注ぐだろう。
それに耐えられるだけの防御魔法も、それを避けられるだけの機動力も理沙にはない。
理沙が何かを思う間も、願う間も無く、非情なまでの力が二人に降り注ぐ。
バゴオオオォォォォーーー!!
一段と周囲に及ぶ被害が大きくなり、暴風が吹き荒れ、本棚が崩れ落ち、床が破壊され、コンクリートの嵐が飛び交う。
ーーーけれども。
「…大丈夫か!?」
理紗の目前には、ゴーレムの腕を喰い止めている泉の姿があった。
シュゥゥゥーー、という音と煙を発生させて背後にある壁際々の所で拳は止まっている。どういう魔法を使ったのかは、分からないが、泉の周囲三メートルの範囲は、全くの無傷であった。
「っ…泉く…湊君が……私を庇って…ダメなんだ…私なんかが…」
自分自身の想いが、言葉となって出てこない。断片的な想いが口から出て、淡く消える。
しかし、泉は理沙の伝えたい事を理解したかの様に頷く。
ーーーそして。
「理沙」
名前を呼ばれた声には泉の優しさが篭っていた。すぅっ、と焦りと呼吸が落ち着き、安定する。瞳に溜まった涙を拭い、泉の顔を見上げる。
「落ち着いて。大丈夫、湊はそれぐらいで殺られる様な軟い奴じゃないから。きっと、直ぐに目を覚ますよ。そんな風にネガティブになってると、湊に怒られるぞ」
ニッ、笑みを浮かべたのも束の間、真剣な表情に変化して前に向き直る。
ゴーレムは相変わらず、力を押し付けようとして圧力を掛けてくる。泉はそれに対抗して全身の力を一点に集中する。
『瞬神進鋼』
放出されていた粒子が一瞬の内に凝縮され、過剰な魔力によって空間が歪む。ゴーレムの圧倒的質量を誇った身体が魔力によって発声した引力で削り取られる。
漆黒の粒子が拳と壁の隙間から放出される。
突如、ゴーレムの絶叫が書庫全体に響き渡り、床や壁が振動する。
「ヴゥ…グオオオォォォォォーーー!!」
それは侵入者である黒井湊と牧野理紗を排除した事に歓喜して発声した、そういった種類の叫び声ではない。
身体が耐えられる苦痛の限界を越えて、必至で声を荒げ、泣き喚いているといった表現の方が正しいだろう。
しかし、ならば何故、人間でもないゴーレムがその様な行為をする必要があるだろうか。
あの弩級大型ゴーレムは腕を破壊されたとしても、苦痛に喘ぐといった様子は見せなかった。そして、今でさえゴーレムが苦しむ様な声を発声させる傷等は何処にも見当たらない。
苦痛に喘ぐゴーレムに、僅かながら隙が出来る。
理紗や彩は、泉に対しての自身の認識が甘かった事を改めて思い知らされた。確かに南座泉は凄まじい魔力総量の持ち主だ。それこそ、理沙や彩の魔力を合わせたとしてもその数十倍の一にしかならないだろう。そして何より優れているのは、それを使い熟す技術と経験を持ち合わせている事だ。
魔力総量が他者より高いからといっても、それだけで強さが決まる訳ではない。使い熟せなければ宝の持ち腐れである。魔力総量が高い人達の大半は、自身が操れる程度で収まる範囲内で魔法を行使する。技術が未熟であると、無駄な動きにより高密度に圧縮された魔力が乱れ、結果として暴発してしまい、悪ければ使用者が死に追いやられるからだ。
二人は泉でさえもそれは同じ事だと感じていた。二人の魔力の何十倍もの魔力を扱える訳がないと心の何処かで決め付けていたのだ。
しかし、二人は気が付いていた泉の全身から先程までとは次元が違う程の魔力が放出されている事に。
それは泉と湊、二人掛かりで発動した『斬影』よりも、今現在に放出されている魔力総量の方がが多いという非現実的な現実を突きつけられていた。
まさか、あれから一、二時間の間に急激な成長をしたという事だろうか?
いや、それは違う。未熟な術者ならば、危機的状況に潜在能力が発動して魔力や魔法の精度が向上するといった現象が稀に起きるが、それは未完成な者にだけ起こる現象である。その点、泉は、理沙や彩の評価から身内贔屓の分を差し引いたとしても、十分な実力を所持している。
微々たる成長ならば解からないだろうが、急激な成長には何かしらの鍵が必要である。そしてたった一、二時間の間に、彼にその様な転機が起こった様子はなかった。
なら、もう一つだけ考えられる案。
ーーー元々、本気を出していなかったという考えの方が、納得出来るのではないだろうか。理紗と出会った時から、もしくはその前からずっと、力を抑えていて尚、あれ程の実力を発揮していたのだろう。
現実味のない考えだが、二人は実際にそれを理解するしかない、という事態を実感していた。
漆黒の粒子を一点に集中していき、刀いや、鞘に変化が起こる。粒子が鞘の周囲に結合して一本の刃の形を象る。刃から数十センチに渡る空間が、まるでノイズであるかの様に乱れ狂う。
理紗は泉に対して、一種の恐怖を感じていた。そう、死の恐怖だ。泉は、理沙に対して刀を振るう、その様な事は決してしないだろう。そんな事実は解り切っている。なら、今この瞬間に、震えている全身を、どう説明すればいいのだろうか。
そして尚、続いているノイズ、間違いなく、あの空間には絶大な力が込められている。それは理沙にでも理解出来る事実だ。例え、あの弩級ゴーレムでさえ、糸も簡単に破壊する事が出来ると思わせる力は何処から来る物なのだろうか?
ーーー南座泉君……君は…何者なの!?
柄に手を馴染ませる様にして指を開き、ゆっくりと指を戻していき、柄を掴む力を強める。
その瞬間には、泉は行動を開始していた。刀を振り上げられ、拳に激突した瞬間に、爆発的衝撃が発声する。
拳が上空数十メートルの地点に、叩き上げられる。
「彩、いけるか!?」
三人から百数十メートル離れた地点に、西嶺彩の姿がある。
首に巻いてある菫色のマフラーが、風によって流れる水の様にはためき、腰に提げてある小刀は全長五十センチ程の大きさである。
そして、よくよく目を凝らすと、彼女の突き出されて手から放出された魔力の糸の様な物が、ゴーレムの全身を絡め取っている。
あれは物理的な効果でゴーレムを縛っているのではない、彼女の魔法である『魂分裂』によりゴーレムの身体の自由を奪っているのだ。
『魂分裂』は魔力が通っている存在ならば何者であろうと制御する事が出来る。あのゴーレムは全長二百メートル近い超弩級の大型生命である。その為、彼女の力だけでは、どう考えても抑え切るには事足りない。
ゴーレムを構築している魔法式に干渉したのを拒絶する様にして、絶叫したのだ。こういった現象は、彼女の魔法でなければ起こる事はあり得ないだろう。
「ーーー右目が魔力式の本体です。そこを破壊すれば、超速再生機能は止まる筈です。」
「ありがと」
膨大なまでの魔力を、全身の隅々に行き渡る様に循環させる。
『迅影』
泉が床を蹴り跳躍すると、同時に衝撃が巻き起こり、周囲に暴風が巻き起こる。
その姿は、まるで地上から逆噴射する漆黒の雷の様であった。空気を切り裂き、ゴーレムが破壊した穴を飛び越えていく。
漆黒の雷は、数瞬の間に階層の天井を突き破り、頭部がある階層にまで躍り出る。
ゴーレムに防御運動を取らせる間もなく、間合いに詰める。
「らああぁぁぁっ!!」
黒刀が一層に輝きを強め、斜め右上から右下に一直線に切り裂き、止まる事無く、水平斬り、垂直斬りの連続斬りをお見舞いする。刀が目にも止まらぬ速度で薙ぎ払われ、一筋の光が繋がっている様に見える。
ゴーレムの瞳の周囲には、耐久魔法が掛けられており、その高度はこの書庫の壁や魔道書にも活用されている物と同等の力を発揮している。それは、通常では破壊する事さえ不可能であるといった次元の存在である。しかし、二十近い連続斬りを正面から受けて、瞳と刀を阻んでいた耐久魔法が、ガラスの様にひび割れてくる。
『斬影』
圧倒的エネルギーと質量を誇る一筋の閃光が奔る。全身の魔力が一点に集結して、腕を、手を、柄を伝い、剣先に辿り着くと同時に、神速の突きが放たれる。
圧倒的密度と防御力を持つ耐久魔法が、粉々に粉砕される。破片が飛び散り、一瞬の内に次々と自然消滅していく。
刀は、それでも動きを止める事をせず、漆黒の槍となり、右目の中央に突き刺さる。槍はゴーレムの瞳を突き破り、内側にあったゴーレムの、動力源とも言える存在である魔道結晶の塊を破壊してーーー頭部諸共を突き破る。
真紅の液体が吹き出し、瞬く間に右目の中央に直径一メートル程の穴を穿つ。
泉は迷う事なく刀を引き抜くと、液体が全身に掛かるのを気にする事なく、顔を右斜め上から斬り裂く。
ガギギキィィッーーー!!
強引に刀を振るい、衝撃波によって奥底までひびが入り込み、ゴーレムの顔が上から半分が斬り落とされる。
轟音を鳴り響かせて顔が床に落ちると、同時に泉は空中十数メートルに跳躍しーーー
ーー空間を蹴る。
そこには、天井などはなく、足場になる様な物が存在しない空間の筈だ。
なのに何故、泉が膝を折り曲げ、跳躍する様に脚を伸ばすと、同時に推進力を得る事が出来るのだろうか?
違う。
そんな事は現実的にあり得ない。
何も無い空間から、跳躍出来る訳が無い。
ただ、目の前の常識に囚われて、見える物が見えていなかっただけだ。
ゴーレムによって大半の明かりを消され、暗闇が大部分を包んでいたからこそ、見えない、分からなかったのだ。泉が跳躍した地点には、闇と見間違える程に純度の高い色をした金属の破片が複数に浮かんでいる。そう、泉は自身の魔道具である次元転移システムを足元に配置し、それを一時的な推進力を得る為に蹴ったのだ。この世の物質ではない、別次元の存在である次元転移型魔道具は、破壊される心配のない、世界で泉だけが扱える魔道具である。
力とは作用に対する反作用によって起こる。しかし、今の泉が床を蹴ったとしても、作用の力に床が耐えられらずに下に抜けるだけである。
反作用の力を得るには、圧倒的な耐久力が必要になる。破壊されず、自在に移動出来る足場は、泉にとって好都合という訳だ。
ゴーレムが狂った様な轟音を発すると、腕を横一線に薙ぎ払い、泉との距離を開けようとする。
泉は驚く様子など微塵も見せず、中段に刀を構え、ゴーレムの腕と垂直になる様に刀の向きを変え、二つの存在が激突する直前に放つ。
ゴーレムの肘の辺りまで、刀の衝撃が伝わったのか、真っ二つに割れていき、重さに耐えきれずに下に落ちていく。
「ラァッ!!」
黒刀が纏っていた粒子の刃が、一瞬揺らめいたと思った、その瞬間ーーー
『迅斬影』
泉の姿が霞み、闇が凪いだ。
気が付けば、ゴーレムの腹部には直径六十メートル級の穴が穿たれていた。ゴーレムは原形を保つ事さえ出来ず、ただ自分自身の一部だった存在が自然消滅していくのを眺めている事しか許されなかった。
「…な……何なの…!?」
その戦闘を見ていた理沙は、口をあんぐりと開き、呆然としていた。
途中途中で、過剰なまでの速度に、泉の姿を捉える事が出来ない事もあったが、最後の魔法だけは違った。
ゴーレムの十数メートル手前で、泉君の姿が霞んだ瞬間に、まるで霧の様に掻き消えていた。何をしたのかも分からない。気が付けば、ゴーレムに巨大な穴が穿たれていた。
ましてや、あれは幻影魔法などではない。間違いなく、泉君はあの場所いた。
そして、姿が掻き消える程の超高速度と、圧倒的質量を誇っていたゴーレムの身体を軽々と破壊する力を持って攻撃を仕掛けたのだ。それぐらいしか、今の自分に考えられる様な案はない。
理沙は、レビンを助けたあの時から、泉の強さは自分よりも一つ、二つも上だと思っていた。
けれども、その考えは違った。
彼の力は、まさに別次元の力と表現する方がしっくり来るのではないだろうか?
互いの力量を比べる事の方が、馬鹿馬鹿しい、と思わせる程の力を秘めていたのだ。