境界線の向こう側
「私を誰だと思っている! そっ、そうだ……お前は、何が望みだ? 金か、地位か……な、何でもくれてやろう? だから…や、やめてくれっ……ぐああぁぁぁーー!!」
空間全体に悲鳴が広がる。その時にはもう、周囲にあった家具、壁、床、あらゆる風景が消え、漆黒の闇が覆い隠していた。
男の首から上がドサッ! という音を立てて闇に落ちる。胴体の傷跡から、大量の鮮血が飛び散り、血がどろどろと流れ出す。その首の持ち主は五十代の老人ーーー現国王の右手とまで呼ばれた秋鹿弦一郎であった。経済部門を担当している彼は、裏では国家予算の一割を自らの物として乱用していた。被害額は億を近い程だ。だからこそ、我々にも資金調達を円滑に行う事が出来たのだろう。しかし、計画が最終段階となった今では、その存在は邪魔者でしかない。
「ぁぁ……この魔法の実験台になって貰うよ…」
突如、弦一郎の直ぐ傍にスッと、男が顕れる。男の、黒髪は伸び放題に伸び、垂れ下がった髪が右目を隠している。歳は体格や見た目から察するに四十代近くであり、雷桜が着ていた物と同じロングコートを纏い、胸には十九と英数字で象っている金属製のバッチが付けられている。
男が右手を一薙ぎすると、漆黒の闇は徐々に浸食を後退していき、男の足元の影に消え去っていく。
闇が消え去った時、部屋に入り込んだ月明かりの光が弦一郎の死体を不気味に照らしていた。男はその景色に一瞥すると、踵を返す。男は先程、周囲の闇を呑み込んだ複雑怪奇な影に、沈みながら消え去っていく。
一本の長大な回廊を突き進む。白と黒の壁が、一部屋毎に入れ替わっていく様を眺めていると、同じ道を歩いている様な錯覚を覚える。黒が十九個目の部屋を通り過ぎた瞬間、ピピッという着信音が鳴り響く。
『…大一氏、任務報告は直ぐにする様に』
『はい、秋鹿弦一郎の暗殺及び、禁忌実験共に成功しました。』
『コレで五月蝿い蝿がいなくなった。新しいスポンサーも付いた事だしな。それにしても……研究者である、君が行かなくても、実験など部下にやらせれば良いだろ?』
『いえ、私は自分の創った物は、自身で試さなければ信頼が持てないので。でも、今回の実験で有意義な結果が取れました。来週と言わず、今日、明日には完成する予定です。』
『…ああ、分かった。』
大一は通信が切れたのを確認すると、三十一個目の黒部屋で止まる。扉が横にスライドする。
内部には様々な機材があり、光を明滅しながら稼働している。部屋の中央には薄緑の液体に全身を漬けた金髪の少女がいた。
「……のね、あいつ等がね…」
ボソボソと呟き続ける存在を視認して大一は怪訝そうな表情を浮かべると近付いて行く。
「何も喋らない人間に話して楽しいかい?」
「……良いんだ。彼女は僕の話だか聞いてくれていれば……そうさ、彼女は僕の物だ。誰にも渡さない…」
雷桜は高々と大一に宣言すると、彼の存在に興味を無くし、眼差しを少女に向ける。今朝、雷桜は泉達に負け、全身ボロボロの状態となって発見された。未だにその傷は治りきっておらず、幾つかの骨は折れたままである。
しかし、雷桜の表情に痛みに苦しむ、寧ろ彼女を守る為に傷付いたという名誉の傷と本人は誇っている様であった。
「ぁぁ……今から最終段階に移行するから……退いてくれるかい?」
その言葉に雷桜は大一の方に振り返ると、不機嫌そうな表情を浮かべる。
「ーーー僕の大切な……いいよ……でも、もし、この実験が終わったら絶対に彼女は僕の物にする……あんたにも渡さない……」
雷桜は、ブツブツと俯きに呟きながら惜しむ様に背後を振り返ると、未練を絶ち、駆け足で部屋から出て行く。
大一は雷桜が部屋を出て行ったのを確認すると、自動ドアにロックを掛ける。
男は中央に設置されているデスクトップ型のパソコンに近付くと、表示画面を認識する。キーボードに、幾つかの鍵となる単語、連語を打ち込む。金髪の少女を包み込んでいた薄緑色の液体が、裏側にある菅を伝いながら流れていく。
流れ終わる同時に、ガラス張りが自動でスライドする。
大一は律に近付いて行くと、懐から何の変哲もない銀色の鍵の束を取り出す。一般家庭でも普通に使用されているただの鉄の塊である。
大一は数十近くある鍵を吟味する様に見つめると、その中から一つを取り出す。大一は、鍵に自身の魔力を循環させる。
「ーーーさあ、君の能力を頂こうか!!」
その言葉を紡いだ瞬間、鍵が閃光を放ち、徐々にその大きさを変形させていく。鍵が魔力の循環に伴い、急激な質量の増加を引き起こし、腕の長さ程に巨大化した鍵を模る。
大一は剣の質量が安定した事を確認すると律の胸に鍵先を向ける。律の胸から透明感溢れる水色の球体が浮き上がってくる。球体は胸から十センチ程、上昇した所で空間に固定された様に微動だにしなくなった。
「ーーーそろそろ、仕上げだ!!」
大一の表情に笑みが浮かび上がり、球体に向けて鍵を振り下ろす。
バアンッ!!
ーーー突如、爆発音が響き渡り、胸元から鍵が弾かれる。
「なっ………そんな筈…!?」
大一の表情が先程と比べると、劇的に変化し、瞳を大きく見開き、口をパクパクと開閉しながら驚愕した表情を露わにする。
律の瞼が徐々に持ち上がり、淡い色を水色の瞳が大一の姿を捉える。瞳に、再び光が灯っている事に気付いた時には、大一の身体は数メートルの距離を吹き飛ばされていた。
「……ぐはあぁぁっ!!」
大一は強烈な圧力によって、空気、血を嘔吐する。辛うじて意識を保ったが、その安息も束の間、視線を戻した時には律の姿は消えていた。
ーーー逃げられた!?
いいや、違う。この部屋に入る時、大一は唯一の出入り口である扉に鍵を掛けた筈だ。その扉を開ける為には、指紋認証及び専用の鍵が必要である。無理矢理に開けようとしても、並の牢屋などと比べ物にならない程に堅固であり、少なからず、破壊するには時間を要する。
「ーーー仕上げよ」
突如、背後から声を掛けられ、大一は即座に背後を振り返る。振り返り際に、大一の足元から闇が伸びる。
ーーーザザザッ!!
律が横一線に闇を薙ぎ払う。閃光が闇を切り裂き、根本から闇を打ち払う。闇は粒子に分解し、瞬く間に自然消滅していく。
「なっ……!? ぐぅっ!」
律は躊躇う事なく、大一の首を締め付ける。必至に大一は手足をばたつかせて喘ぐが、身体から徐々に力が消えていき、抵抗する事さえ出来ない。
「…『魔鍵解放』……禁忌を犯してまで…貴方達は何を企んでいるの!?」
あの鍵が特殊な魔道具という訳ではない。鍵は全ての根源を開放する象徴であり、例え、魔力を持った鍵でも、変哲もない只の鍵でも構わない。
あの時、律は身体中に電撃が迸る様な身の危険を感じさせたのは、間違いなく禁忌魔法だろう。
『魔鍵解放』には対象のロックを外すという、鍵自体の存在意義を示す特徴がある。この状況の場合、鍵の役割は対象の身体の奥底に隠れている魔力ーーー特異体質と呼ばれる存在の本質を剥き出しの状態にする為の物だろう。
魔力は人によって性質や形状が異なり、その種類の総数は数多、星の数とさえ言われている。そして、魔力は生命エネルギーと同種の存在である。魔力単体ではなく、奥底に隠れる本質が奪われるなどという事があれば、身体が拒否反応を起こし、肉体が引き裂けるなどという事が起こりかねない。『魔鍵解放』を使用した事件は過去に76回あり、その内の54回の実験で、対象者が拒否反応を起こし、死亡している。
だからこそ、禁忌魔法に認定されているのだ。
もし、律があの時に目覚めていなければ、今頃は血の海に意識を沈めていただろう。
「……決まってるだろ…このベルギスに眠る…二…伝説の……龍を…呼び起こす…」
「なっ……貴方達はこの世界を再び、混沌に陥れる為に動いているというの!?」
もし、あんな物が今の世界に解き放たれれば、もう一度封印されるまでに多大な被害を被るだろう。
律はこれ以上、首を締め付けるのは殺す危険もあると判断し、首から手を離す。ドサッ! 大一は、したたか腰を地面に打ち付ける。大一は喉の痛みに耐える様に顔を顰めると、口を開く。
「ーーーいいや、違う……」
「どういうこと……?」
「話はここまでだ。殺すなら殺せ!!」
「………そう。話してくれてありがとう、大体状況が掴めたから。」
大一には、律が攻撃時に生ずる僅かな動作さえも確認出来なかった。気が付けば律の手刀は大一の首に喰い込んでいるといった感覚だ。
大一は気が遠くなるのを感じ、決して抗えない感覚を受け入れ、ぐったりと地面に横たわる。
律は大一が完全に気を失ったのを確認すると、彼が羽織っているコートを脱がし、自身の裸体を隠す為に纏う。立ち上がりながらコートに付着している埃を払う。
律は自身の服装を改めて顧みて、迷った様な面持ちを、数瞬浮かべた後に、よしっ! と意気込むと、清々しいまでに晴れ渡った風貌と変化していた。
「―――さて、まずはこの服装をどうにかしなきゃね」




