浄化の巫女 魂の巫女
「ーーーっ!?」
何故、初めて出逢ったであろう俺達の名前を彼女は知っているのか。また、彼女が発動した魂に干渉する様な不可解な魔法。最後に、最下層にいるという事。危険な魔法獣を倒してまでこの部屋に来たという訳ではないだろう。しかし、俺達はそれ等全ての鍵が当て嵌まる存在を一つだけ知っている。間違いない、目の前で俺達に微笑み掛けている彼女こそが、この国の象徴とも呼ばれているーーー浄化の巫女。
「そこのお二方は、二人の仲間ですよね?」
少女が指を差した方向に、泉達二人は視線を動かしていく。そこには二人用の大型ベッドがあり、理紗とレビンが温もりを求め合う様に抱き締め合いながら眠っていた。胸が規則的に上下している事から、呼吸は安定している筈だ。また、大した外傷が見当たらない事から、然程心配する事はないだろう。
「良かった…」
泉は二人の姿を確認すると、頭の中にあった不安を吐き出す様にして、ホッと息と共に吐き出す。最下階層は予想していた以上に寒く、吐き出した息が空気に触れると同時に白く染まる。
「…初めまして、浄化の巫女さん。」
湊は飄々とした面持ちで、一歩を踏み出して少女に近付いて行く。泉もそれに連れられて足を踏み出す。
「二人を助けてくれて、ありがとう」
二人は軽く会釈すると、少女も少しばかり照れた様な表情を浮かべた後、同様に頭を下げる。
「いえいえ…」
少女は、まるで自分は大して褒められる様な事はしていないという風に、手を横に振りながら苦笑する。背後に置かれている彼女が使用している物と全く同じ木製の椅子を指差す。三脚の椅子の中央には円型テーブルがあり、読んでいる途中だったのであろう、本が開かれたまま置かれている。
「二人とも魔力を使い切ってお疲れの様ですし、座ってはどうですか?」
彼女の言う通り、床で身体を強く強打したのが響いているのか、一歩進む度に全身から悲鳴が上がり、徐々に力が抜けていく。椅子の元に辿り着く頃には、歩いている感覚さえあやふやな状態となり、倒れ込む様にして椅子に凭れ掛かる。
「改めて、初めまして。泉さん、湊さん。察しの通り、私が浄化の巫女です。それにしても、二人とも凄い魔法でしたね。あのゴーレムの肩を粉砕するなんて………それに、魔法を使えない状態でも、逃げ延びる事が出来るなんて、状況判断能力が飛び抜けて高いんですね。」
「いや、多分、二度目をしてみろって言われたら無理だと思う。それに、あの時にこの場所に…声が…」
泉はあの超弩級ゴーレムの力を思い出すと、顔を引き攣らせて苦笑いする。
俺達が、あの超弩級ゴーレムの片腕を粉砕するには、二人程の魔力総量の持ち主が結託して、膨大な質量の魔力と部規則に動き回る針に、糸を通す様な程の精度を要した。
しかし、それ程までに強烈な魔法であるに関わらず、たったゴーレムの腕一本を捥ぎ取る事しか出来なかった。いや、それでも尚、俺達は運が良かったというべきだろう。あの魔法を発動するには、無視出来ない過程が幾つか上がる。第一関門として、二人の距離だ。十メートル以上離れると魔法の術式が構築されずに発動する事さえ出来ない。第二関門は、互いが放出した魔力の融合だ。どちらか一方の魔力循環率が大き過ぎても、小さ過ぎても槍の形状は安定を示す事はせず、殺傷能力を持つ事はない。
この魔法は余程相性が良くなければ発動する事はなく、騎士隊でさえ可能とする人間は少ない。二人が互いの動き、魔力総量を同調させる事が出来るのは、二人が弟子時代に血反吐を吐く様な訓練で身に付けた経験がなければ到底不可能な事だ。
また、魔法の発動までには僅かながらも隙が発生する。それは例えどれ程の修練を積もうとも消える類いの物ではない。
間違いなく、俺達は巫女を連れてゴーレムともう一戦を迎える事になるだろう。勝つ必要はない。三十階層にまで逃げ切れば良いのだ。しかし、弩級ゴーレムからそう容易く逃げられるとも思っていない。ゴーレムを喰い止める為には、あの魔法をもう一度行使する事になるだろう。その時に、僅かな隙を見逃されずに突かれれば、俺達は成す術もなく死を迎えるだろう。
そしてーーー何より危険視すべきなのはゴーレムの回復速度の速さだろう。大抵の魔法を弾き返す程の密度を誇った堅固な岩の鎧も強さの一部だろうが、その強さの本質は別次元の所にある。ゴーレムは全身の素材が岩や砂で創られている為、泉が穿ち抜いた穴も数瞬の内に塞がり、右肩を粉砕したあの時も、十数秒の内に完全に形状を元に戻していた。これでは幾ら破壊しようが限りがない。せめて、ゴーレムの身体を回復させないようにする方法か、形状を保っている本体の場所さえ分かれば……
「ーーー知ってますよ」
えっ!? と泉と湊は呆気に取られた様な声を上げて、同時に少女の方に視線を動かす。
「その力…『魂分裂』か…?」
湊が言葉を紡ぐと同時に、泉は自身の思考が魔力の道筋を通って読み取られていく様な感覚を覚える。その感覚には何処かで覚えがあった筈だ。そう、この部屋に飛び込んだ後、それまで気が付かなかった程に、微小な不純物を取り除かれた様な錯覚を感じた筈だ。今の感覚はその不純物が付着していた時と酷似していた。
「ーーーあぁ。知っていたのですね…そうです。二人の思考を読み取った魔法は『魂分裂』の中でも、一般書物でさえ存在を知られていない力です。」
「この魔法は一般的な知識では、使用者の魂を分散させて対象を操るといった力を持つという事しか知られてしません。しかしこの魔法の本質は、今、私が行使した様に、対象の魂に使用者の魂を微小に分裂させて入り込ませる事で、対象に気付かれる事なく、思考、感情の変化を読み取る事を可能とする力です。対象を操る力は、使用者の魂をより多く削り取り、質量を増幅させる事で、対象の思考や感情を一時的に制御するだけに過ぎません。中途半端に量を調節する事でーーー」
ーーー聞こえていますか?
そうだ! この声に、間違いない。先程、泉達を導いてくれた声は、彼女の魔法による物だったのだ。
「ベッドで寝ている彼女達は、高所からの落下による衝撃で気絶してしまい、泉さんや湊さんがゴーレムと戦いを繰り広げている隙に、私が『魂分裂』を行使して、安全なこの場所に避難させたのです。けれども、私の魔力総量の限界では、聞き取り専用で十人、通信専用では五人、操作専用では二人が限界なのです。その為、二人に連絡がいくのが遅れてしまい、すみませんでした。」
申し訳ないとばかりに頭を下げ様とする彼女を、湊は手を開いて制止する。
「ーーー危険な目に突っ込んだのは俺達だ。先に助けて貰えなかったから悪いとか、危険な目に合わせなかったら許すとか、そんな無茶苦茶な事……俺達が言える台詞じゃないよ。元々、危険は承知の上でこの国に乗り込んで来てるんだ。それに君は、見ず知らずの俺達の為を思って危険な魔法まで発動して助けてくれたんだろ? 結果として、俺達全員を救ったんだ。それは誇って良い事じゃないのか? 誰にだって出来る訳じゃない! だからこそ、今度は俺達が借りを返すよ。」
「………すみません。私には…浄化の巫女の役目があります。私、分かるんです。多く見積もって数ヶ月以内には、必ずあの伝説の白龍が復活します。いや、復活させられるんです。私ーー浄化の巫女にはそれを止める義務があります。その為の存在なんです。そして、私の魔法がなければこの国は間違いなく滅びます。幼い頃から良くしてくれた優しい人達が居るからこそーーー私は貴方と一緒には行けません」
泉は、事態が暗転していくのを感じた。彼女が居なければ、忌道真の本部基地を見つける事は殆ど不可能になる。元々、この国に乗り込んで来た時には、忌道真の本部基地など簡単に見つけられる物だと過信していた。しかし、現実には未だに奴等の足跡しか掴めていない。いや、この足跡でさえ大きな一歩だったのだ。しかし、奴等と裏で関わっている存在は、この国の、国家機関に属する者達であった。元々、他国に侵入して人攫いをした事実を揉み消す程の権力を持った存在が忌道真の後ろで蠢いていると踏んでいたからこそ、発見出来た鍵だ。しかし、例え直接聞きに行ったとしても、当然答えてくれる訳もない。脅迫して聞き出す事も到底出来ない。奴等の周囲には何十人にも及ぶ警備兵が護っている。
適当な罪を被せられて、犯罪者として国から追われる身となるだろう。そうなれば、今以上に動きを制限させられるだけだ。
しかし、浄化の巫女の『魂分裂』を行使すれば、他人に知られてはいけない極秘事項でさえ引き出す事を可能としている。彼女が居なければこの作戦その物が破綻するのだ。
ーーーだけど
ーーー俺は違うと思う。彼女の持つ魔法に必要性を感じたから助けに来た訳じゃない!!
「俺はさ……小さい頃にこの国に訪れた事があって……小さな女の子が襲われている瞬間を見た事があるんだ。俺達の生まれの日本ではーーー人身売買なんて物は数百年前に禁止されているから、この国はなんて、治安が悪い国だろう、って思いながらも、その少女を助けたんだ。だけど……その考え方は違うって気付いたんだ。治安の良さが良い国を創る上で、大切なのは変わりない。ただ、俺はこの国には沢山優しい人達がいる事を知っている。大切なのは一人一人が国を想う力だって。一部の私利私欲に目が眩んだ者達が、その想いを壊してまで、他人を犠牲にして多大な力を得ようとしている。その為に俺達の幼馴染が、理紗が、君が犠牲にならなきゃいけないなんて事、あって良い訳がない!! もし、君が心の底から助けて欲しいって、思っているなら……その因果ーーー全部、俺が壊してやる!!」
ーーーそうだ! 俺は湊から、浄化の巫女が、一部の者達の所為で地下深くで軟禁されているという真実を聞いた時、助けたい!! そう思ったんだ。
俺は彼女の人生を知らない。だけど、そんな欲が蠢いた世界に彼女は居るべきじゃない。もっと、日の当たる場所にいてこそ、彼女は輝きを放つんだ。その為なら、例えどんなに地下深くーーー闇が蠢いている場所でも諦めずに彼女に手を伸ばそう。
「泉さん、貴方は自分の私利私欲の為にここに来た訳じゃないんですか…? 他の人達同様に、自分達を助けて欲しいから無理矢理にでも…私を利用しようとしていたんじゃないんですか……そんな真剣な想い……初めてなんですよ……そこまでしてくれてるのに、私が動かない訳にはいかないじゃないですか……」
彼女は瞳から溢れ出した涙を拭う。次の瞬間、彼女は、今までの様な弱々しく運命を受け入れるだけの存在ではなくなっていた。そこにはどんな過酷な因果であろうと立ち向かうという確かな決意の光があった。
「……私…嘘は嫌いです……二人ともしっかりと護って下さいね。」
先程までの偽りの微笑みではなく、心の底から嬉しそうに笑う姿は太陽の様な明るさを兼ね備えていた。
「ああ」
「任せてくれ」




