プロローグ 3
周囲を見回せば、遥か高くーー地上から二百メートルの高さに存在する天井には、ぽっかりと巨大な穴が穿たれ、それよりも上空には、ドス黒い色に染まった雲から雨がバケツをひっくり返した様な土砂降りを続けている。にも関わらず、今にも自分の逃げ道を塞ごうとしている炎はより一層に勢いを増して燃え盛っている。
そんな最中を、一人の少女が恐怖に顔を歪ませながら疾走していた。外見から判断しておよそ十五、六歳ぐらいだろうか。
細々とした手足に身長は150センチ程度の小柄な体格で、腰まで届きそうな程長い栗色の髪。闇夜に紛れる黒色のコートを白衣の上から着込み、厚底のブーツを履いている。
彼女の名は浅海優。魔道研究所・魔道具開発部門に異例の十歳で入社した天才だ。彼女の母親は、彼女と同じく研究所の務めており、父親は都市部配属の最高水準の力を有している騎士隊の幹部兼とある部隊の隊長でもある。そんな境遇もあるのだろう。朝海優は明晰な頭脳を持っており、幼少の頃に誰に教えられた訳でなく、たった一人で製作困難な魔道具を組み立てた。それ以来、母親経由で魔道研究所の職員達から専門学校顔負けの専門知識を叩き込まれた。その膨大な知識の量と、応用発想能力の高さだけではなく、稀な体質を駆使してここ数年で世間一般にも浸透する程、利用価値の高い魔道具を数々生み出している。
そして、そんな彼女が原因で起こったこの騒動は、研究所の誰もが想像しなかった事態であった。ただ単に魔道具の暴走なら、日常茶飯事の事件で済ませられるのであるが……
しかし、現在国が誇る研究所が、裏ギルドーー通称SODに襲撃を受けている。この研究所は、様々な非合法な組織から護る為に、厳重なセキュリィティと政府機関の支援を敷いていた筈だ。
しかし、彼等SODはそれを軽々と突破し、侵入してくるとは、相手もまた尋常ではない勢力と強さを持ち合わせているのであろう。
強大な炎の存在が、彼女の恐怖をより増大させ、増殖させ、より暗闇にどん底へ落としていく。
「これだけは、絶対に…どうしても………」
彼女が両手に抱えた全長七十センチメートルの刀には、所々に深い亀裂が入っており、一度振っただけで壊れてしまいそうだ。ましてや、この刀には刃という部分は存在しない。例えるなら、金属で出来た木刀である。
今にも脆く崩れかけそうな心を必死に奮い立たせるようにギュッと刀を胸に抱く。真っ黒な金属は、炎に当てられて熱くなっていた為、冷んやりとしたさが、ここが夢の世界などではなく、現実なのだと優の意識をハッキリとさせる。
相手の狙いは分かり切っている。だからこそ、研究所の皆とは別に一人、単独行動を取って逃げているのだ。
「……っ!!」
チカッと辺り一面を包み込む様な眩しい閃光が迸る。恐らくは、非常用の固定型転移魔方陣が発動されたのだろう。アレは一度使用するのに大量の電力を消費する。しかも、SODの連中は襲撃時に研究所周囲の電力供給線を潰して来ていた筈だ。なので、今の大規模魔法で非常用電力の全てを使い果たし、もう一度あの魔法を発動する事は決して出来はしない。また、魔法陣は発動を終了と同時に破壊するように細工すると言っていたから、研究所の皆の安全は保たれたというわけのだろう。
ーーだから、次は自分の番だ。
いつ現れるかもしれない敵の恐怖に、優はより一層に走る速度を上げる。
ーーだが……
「……っ…ぐぅっ!!」
背後から優を呑み込もうとする程巨大な光閃が迫り、優は咄嗟に脇道へ飛び込んで難を逃れる。
コンクリートを破壊し土煙が吹き抜ける。今さっきまで優がいた場所には、巨大な斬り跡が刻まれていた。
「あーあ。やっぱ、こっちが正解か~」
つまらなさそうに呟く声が耳に届いて来る。斬り跡の暗闇の奥から、かつかつと不気味にブーツが床を叩く音が反響する。不気味な足音の音源は、足元から上体へと徐々に姿を露わにしてーーそこには淀みのない金眼と、やんちゃに飛び跳ねた金髪を併せ持った青年がいた。片手で大人一人を軽く超えそうな巨大な剣を、振り回しながら持っている。
「それにしても、つまんねぇよな。お前等、頭が良いんだったらもうちょっと考えて行動しようぜェ?」
朝笑うような表情を浮かべて威嚇してくる。
「なっ、何で!?」
優は、突如現れた存在に驚きながらも状況を確認する。
「一人だげ、集団とは別に逃げている時点でお前は積んでんだよ……」
全身が逆立つような不快感を味わう。
「それが今回の対象か。こんなに簡単に見つかるなんてつまんねぇ~。もっと、楽しませてみろよ……そうだな…はい。道を開けてやるから…五秒数える間は待っててやるよ。」
そう言い切ると男は道を開ける。まるで、いくら逃げようとも勝敗は最初から決まっている様に。確かに、今の一撃は凄かった。けれども、仮にも騎士隊の娘だ。父親からそれなりの武術、魔法の術は学んである。あの程度の攻撃なら幾らでも避ける事が出来る。
(それとも、まだ本気すら出していないと言うの……)
様々な思考が頭の中を交差する。
「おいおい、捕まりてぇのか?」
男は軽々しく嘲笑する。
優はしっかりと刀を腰に提げた事を確認すると全身に魔力を集中して駆け出した。
「その程度かよ! もっと、俺を楽しませてみろよ!!」
背後50メートルの距離を取り、余裕そうに男が付いて来ていた。
優は十字路の通路を右側に飛び込む。瞬間的に黒色のコートの前を開けると、ベルトに先程の刀と銀色に瞬く細剣、何種類もの指輪が提げられている。その中から幾つかの指輪を取り出すと軽く空中に放り投げる。指輪は見事に一分違わず指に装着された。
床に手を押し付けると優自身を囲む様に直径一メートル程の魔方陣が創り上げられる。
『転移』
魔方陣が淡い光を放ち優の身体を包む。瞬間、先程までいた場所とは全く違い、機械質な部屋に飛んでいた。周囲には様々な大型機械が置かれているが、どれもこれも侵入の反動で電気を止められてしまい、動いている物は小数だ。
優はホッと息を吐き出して急ぎ足になりながら出口に向かって進んでいく。
何とかさっきのは撒いたがもう一度見つかれば、助かる可能性は物凄く低くなる。先程の奴は違ったが、応援を呼ばれ退路を塞がれてしまうとどうする事も出来ない。
「ーー知っているか?」
その瞬間、背後に悪寒が吹き抜けた。
「嘘……」
そこには先ほど撒いた筈の男が薄気味悪い笑顔で笑っていた。
「知っているか、転移魔法陣ってのは発動を終了から数コンマの間ならば転移先をハッキングする事が可能なんだぜ。まあ、それ用の魔道具はお前達が開発したんだから知っている筈たよな?」
記憶状円盤ディスクを片手で放り投げて遊んでいた。
男はディスクをポーチの中に片付けると巨大な剣に魔力を集中させて物質的なエネルギーと化す。
―――刹那。
『灰燼破焔』
大量の焔が優に向かい津波の様に襲いかかってくる。焔は狭い通路により、より高く密度の濃い物質へと変化していく。
次の瞬間には炎は優を飲み込み辺り一面を破壊と言う名を顕す限りを尽くしていた。
「はあ~、つまんねぇ! 柔いにも程がある。」
大きくため息を吐き出すと、背後にある建物内の構造上で出来た影を睨み付ける。
「居るんだろ、出て来いよ。綱炎」
その声が響くや否や、カッカッカッとセメントの床を叩く音が反響し、一人の男が走って来る。
「ふざけんな! 何言ってやがる。時雨。ってか、対象物ちゃんと確保してから使えよ!」
顔に青筋を引き攣らせながら、走って来ると、時雨の頭を叩く。一瞬、イラっとした表情を浮かべた時雨だが、自分がやった事を思い出して大人しくしている。綱炎ーー彼が持ち合わせているのは拳銃型の魔道具ではなく、拳を保護するグローブを装着していた。
鋼炎は詰らなさそうに見ている時雨とは対に慌てて刀の所存を探す。膨大な水蒸気は消え去り、周囲を眺める事は容易となったが、機械の熱は数百度を超えて、魔法を使う無くしては足を踏み入れる事は不可能である。しかし、鋼炎は何も使う事はなく悠々と歩いている。それは、まるで人体を超えた存在であるかのようであった。
鋼炎は、先程から時雨の影から戦闘を見ていた。そして、破壊力による移動を踏まえて優がいた場所を探るが、まったくみつからない。まして、姿が蒸発したとしても、高圧縮の金属を精製して創られたと言われている刀さえ見つからない。
「こりゃあ、ボスに殺…って何だこれ!?」
間抜けな声を上げた綱炎に興味を示した時雨もその物体を眺める。キューブ型の魔道具に車輪のような物が二つ接続されていた。
熱にやられて所々溶けてはいるが、まだ動きはする様で頭上にある丸いボタンを押してみる。
すると―――
半透明な女の子の全身が映し出される。それには何処か見覚えがある。先程から時雨と綱炎が追っていた少女に間違い筈だ。
「………」
「…あちゃ~、これは、あの女の子の罠にまんまと嵌められちゃったかな?」
彼女が転移魔法で移動をした後、急いでその場を疾走しなかったのも、全く言葉を話さずにただ、魔力の波にやられたのも全てが一瞬で繋がっていく。
疾走しなかったのは、車輪の速度の所為で駆け足程度に見せるのが限界だったからだろう。喋らず、ただやられたのは、あれがホログラムで物理的、力を持たないからである。
時雨は綱炎が持っていたキューブを取り上げると自分の目の前に持っていき、粉々に破壊した。破片が手の中から零れ落ち、足元の炎に触れるよりも先に燃え屑となって散っていく。
「面白ェじゃねェか。」
時雨の口が三日月の形を摸し、不気味な笑みを浮かべる。ケタケタと笑う姿は煉獄の死神を連想させていた。
「で、ご命令は?」
「あの女はゆっくりと死の恐怖に悶えみ、苦しむ姿を見ながらいたぶってやる…最後は使い物にならないくらい犯してやればいいだろ…」
詰まらない表情から一変した不気味な表情からはーー怖さが何者にも増して強い。まるで嵐の前の静けさの様に綱炎には感じられていた。
「悪趣味だな…」
「着いた!」
優は外への脱出通路を抜けていた。施設の中では外部からの転移魔法を禁じる装置を使用しているので、逆に言えば中側から外へと転移魔法も使えない。
ただ、時間省略の為に施設内だけなら、決められた転移魔方陣を使う事によって移動する事が出来る。
先程のはそれを利用し裏を欠かせてもらった。
あの時、優は確かに魔方陣によって出口付近まで危険を顧みずに転移した。しかし、ただ、転移した訳ではない。転移魔方を発動する前に魔法陣本体に少々細工をさせてもらった。伊達に十歳の頃からここで働いていた訳では無い。魔法の事となれば、頭は常人の数十倍の回転で思考し、即座に状況に応じた物を創り出せる。私の専門機器である。指輪を使い、様々な公式を書き換える。
そして、自分が飛んだ場所取りと別の場所を指定し、ホログラム専用のキューブ型魔道具を設置する。これは、相手がもし、転移魔方陣の移動先を読んでいた時の保険のつもりだったが、して置いて良かったと思う。
そうこうしている間にも次なる魔方陣の設置を完了して、発動と同時に痕跡共に消滅を設定しておく。
優は魔方陣の中心に立つと祈る様に呟く。
『転移』
光は優を包み、一瞬だけ空高く光の柱を創りあげる。そして、まるでガラスの様に粒子となって空気中に消え去っていった。




