黒衣の鎧
ライナーは魔法陣を見事な早技で創り出すと、色彩鮮やかな炎の数々が空中に漂う。間髪を溶れずに撃たれた数発の弾丸が同時に放たれた炎と重なり、結合して飛翔する。
やはりベルギス最強の学院の生徒だけあって弾丸の速度、弾丸数、威力共に通常とは規格外に圧倒的だ。まともに被弾すれば泉ですら軽傷では済まないだろう。
しかし、それは以前の話だ。SOD事件での綱楊との戦いに置いて、泉は他の誰よりも銃弾戦での戦闘経験を積んでいる。全方位からの射撃性能、高密度の威力、神速の如き速度、ライナーはどれをとっても綱楊程の力量には及ばない。
ーーー刹那
黒刀が煌めいた。
音速の速さで飛翔した弾丸が泉の半径一、二メートルに入ると同時に光を失い、二つに分裂する。元々、魔法銃の攻略は結界を敷き詰め、隙を待つという長時間的な手か、弾丸の雨を掻い潜り、避けながら敵を倒すという短時間的な手しか存在しない。銃弾は音速の速さで飛翔する。しかし、幾ら魔力補正を受け、動体視力が上がっているからといって弾丸を切るなどという事は只の学生には到底そんな芸当は出来ない。
たった一発でも弾丸を切り落とす事は難しいというのに、泉はライナーが放った無数の弾丸を一撃も当たる事無く、切り落としている。
ライナーの弾丸は実弾型と魔法型の両方であるらしく、弾丸が切れた瞬間には炎を圧縮した様なエネルギーが飛んでくる。
泉は弾丸を弾き返し、ライナーに目掛けて放つ。予想外の出来事にライナーは驚き、銃弾の雨が止む。それと同時に泉は脚に力を込めると、全方にダッシュを掛ける。
二十メートルの距離を一瞬で詰めると同時に、ライナーも実弾を早技で込め直し、正確に狙いを定めていた。
泉はライナーの瞳が何処を見ているのかを探り、狙いを予測する。
その瞬間、拳銃がオレンジ色の光を放った。
黒刀が泉の顔を隠す様に横一線の軌道を描く。その瞬間、ライナーが不気味なまでの表情を浮かべる。
弾丸は間違いなく泉の額目掛けて飛翔していた。しかし、それはただ一般的な貫通性能の弾丸ではなかった。
もし、さっき込めた実弾がただの貫通性能しか持ち合わせていなかったならば、泉は弾丸を切り落とすと同時にライナーも切り結んでいただろう。
しかし、もしそれが対象にぶつかると同時に爆発性能を発揮する物なら、散弾の様に細かい粒が無数に放出される物なのでは。
その瞬間、泉は刀を振るう事を止め、初めて弾丸を避ける。膝を落とし、弾丸の軌道から身を避ける。
弾丸は髪の毛を数本抜き去り、辛うじて背後に飛び去る。
バコオォォーーン!!
軽い爆発音の後、強風が泉を襲う。
もし、今の弾丸を切り落としていたらなら、泉は間違いなく大怪我を負っていたに違いない。
泉は爆風の勢いを借りて、飛び上がる様に跳躍すると、ライナーに目掛けて刀を振り下ろす。
間一髪の所でライナーは魔法銃をクロスして刀を止めると、脚を振り払う様に薙ぎ払う。
泉は咄嗟に空中避けると袈裟蹴りを決める。ライナーは身体を倒し、袈裟蹴りを躱す。泉の脚が辛うじてライナーの髪を擦るが、一撃を見舞わせる事はならなかった。
泉はこの状況を知っている。いや、このクラス全員が確かに覚えている。
先程まで、レビンとクラスメイトが戦っていた時の状況と全く同じだ。この後、レビンは脚を撃ち抜かれた筈だ。泉がその事に気が付いた時には、もう遅く、自身の身体は重力に操られ、回避の大勢を取る事が出来ない。ライナーの表情が無邪気な子供の様な笑みを浮かべる。
「ーーー終わりだ。」
銃口から数発の弾丸が、閃光が放たれた。
離れた位置から見ていた理紗はその状況に驚いていた。泉が無数とも思える弾丸を全て切り落としていく様は、別次元の強さとしか表現出来なかった。
「……これが泉君の本気…?」
ポツリと呟いた言葉に隣にいた湊が苦笑する。
「いいや、あいつの実力はまだこの程度じゃない。まだ、本質を使う気にはならないって事なのか……?」
「それって……どういう事なの?」
「あぁ……それが俺にも、よく分からないんだよ…でも、アレは本気じゃない。それだけは確かなんだ……」
消え入る様に呟く湊の声には泉の実力に嫉妬している様な不快感は感じられなかった。ただ、思い出したくない鮮烈な記憶を呼び覚まさないとする深刻な表情を浮かべていた。
理紗が視線を正面に戻した時、ハッと何かに気付いた様に叫ぶ。
「あっ!? 見て、湊君!!」
理紗の叫び声に湊も視線を戻す。
「……えっ、何……あれって!?」
泉とライナー、二人の一連の動作を認識し、それ等を踏まえた上で湊は理紗が言わんとする事を理解した。まるで先程までの戦闘と全く変わらない。
その結果は知っての通り、レビンが脚を撃ち抜かれ戦闘終了となった。しかし、泉に喧嘩を掛けられたライナーはそれだけでは決して飽き足らず、手を加える事を止めないだろう。
「……泉君…」
悲観そうに彼の名を紡ぐ。
「あっ、そうだ! レビン、よーく泉の動きを見てろよ。」
「はい、湊さん。」
対して湊は全く心配する様子など無く、平気という風に、レビンに言い聞かせている。レビンは真剣に正面を見据え、泉の動きを必至に追っている。
ーーーそうだ。まだ、泉君が負けると決まった訳じゃない。彼に何かがあるならば、私はそれを最後まで信じ、貫き通そう。
「ーーー終わりだ。」
その瞬間、他の誰にも決して理解出来なかっただろう。しかし、泉には確かな変化が訪れていた。
泉の身体の奥底に確かなる想いが……全身を熱くする感覚が蘇ってくる。
人間が持ち得る五感全てが加速していく。泉は、不思議と高揚感と開放感を感じられずにはいられなかった。泉の瞳には鮮明に閃光を放った魔法銃が映る。銃口がオレンジ色に輝き、軌道を描きながらゆっくりと泉との距離を詰めてくる。
バァン!! と銃声が鳴り響く。しかし、ライナーの表情は先程までと一変した物になっていた。不気味な笑みは消え去り、瞳を見開きながら驚愕した表情を浮かべている。
ライナーは確かに弾丸を撃つその瞬間まで、銃口は泉の身体を捉えていた。それ以前に、泉は空中での蹴りを躱され、体勢を崩し、どうやっても回避行動を取るには少しの隙が出来る筈ーーーだった。
しかし、現にライナーが撃った弾丸は爆発と共に燃焼してしまっている。
あの瞬間、泉は地面に倒れ込む直前に刀を地面に突き立てると、倒れる反動を借りて空中に飛び上がっていた。
空中で数回、回転しながら数メートルの高さに上昇すると、壁の窪みに足を掛け停止する。
「下民如きが俺を見下げてんじゃねぇぞ!!」
ライナーは魔法銃を構えると、息も付かせぬ早技で引き金を引く。弾丸は一分とも狙いから外れる事無く、泉に激突し、爆発音を鳴り響かせる。
爆煙が周囲を包み込み、泉の安否は確かめられない。
シューーーと煙が風に流され、徐々に視界が晴れていく。
その瞬間、誰しもが自身の瞳を疑った筈だ。唖然とした表情で見守る中、泉は風に揺らめく黒衣の鎧を纏っていた。
「……なんなの…あれ……?」
理紗の掠れ声に応えたのは、湊ではなく、使い魔であるレビンだった。
「……あの衣の鎧……えっ? でも、本当に…!?」
あの魔法は昔、私を助けてくれた少年が使用していた物に間違いない。まるでロングコートの様に揺らめく黒衣の鎧はあの時と何も変わっておらず、レビンの奥底に眠っていた記憶を鮮明に思い出させる。
『大丈夫か!?』
そう言って駆け寄り、レビンに手を伸ばした少年に驚き、手を弾いてしまう。
少年は自身の手が弾かれた事に驚きを示す。その当時のレビンは、人間の名を聞くだけで全身が震え、恐怖に心が呑まれそうになる。ましてや、手を触れられるなどという事に耐えられなかったのだ。少年もまた、自身を利用しようとしているのではないか?
レビンは少年に怯えながら、地面に座り込んでしまう。
しかし、少年はニッと笑顔を作ると、レビンの目の前に手を差し出す。
『ほら、大丈夫。立てる?』
不意に身体の芯が暖かくなる様な感覚に気を取られている内に気が付けば、自分は少年の手を握っていた。
急に緊張が解れ、瞳から大粒の涙が込み上げてくる。
子供の様に泣じゃくるレビンを少年はそっと抱き締めていた。
『本当は、一緒に付いていてあげたいんだけど……ごめんね…さっき街の警備隊に連絡入れて置いたから…安全な街まで送ってくれるみたいだよ。もう直ぐすれば、ここに来ると思うから……じゃあ、俺は行くよ。』
そう言うと、少年は踵を返し、レビンの手の届かない所へ離れていく。
『待って……! 貴方の名前は?』
その言葉に少年ははにかみながら、応える。
『ーーー南座泉。いつか、また会えると良いね。』
レビンが顔を上げると少年は風の様に姿を消していた。これが泉とレビンの初めての出会いであった。