再び、物語は始まる
部屋の中には様々な機材が置かれており、陰湿な光を放っている。
中央にある円柱形を半分に切ったガラス張りには、全裸の少女が横たわりになって眠っている。少女の見た目から推測するにまだ、十五歳程度であろう。ガラス張りの中は薄緑色の液体に包まれており、少女の口と鼻を覆う様に酸素マスクが付けられている。液体によって肩まで届いている金髪がゆらゆらと揺れ動いている。
何人かの研究員であろう白衣の人達が忙しくカタカタという音を立ててキーボードに何かを打ち込んでいる。
「もうすぐだ……これで我等のーーー」
自動ドアが開き、陰湿な部屋に光が差し込む。
茶髪の少年が部屋に入ってくる。嬉しそうに駆けて来る姿はまるで、子供の様であった。
「篠崎ちゃん。雷桜闇だよ。ふふふ……いつ見ても美しいなぁ……」
闇は舐める様に律を凝視している。
その背後から何時の間にか現れた青年が肩に手を置く。二人が着ている制服にはXXI、XXという文字が刻まれたローマ数字のバッチが付けられている。
「何だい!! 僕は、篠崎ちゃんとお話し中なんだよ!! 邪魔しないでよ!!」
「我等、忌道真の事をコソコソ嗅ぎ回っている鼠がいる。そいつ等を排除して来い。」
青年は正式な任命書であろう紙を見せる。それを見た闇は、嫌そうな顔をする。
「嫌だ!! 僕は一日たりとも、篠崎ちゃんから離れたくない!!」
青年は闇の我儘に落胆と共にため息を返す。
「その鼠の目的はその実験体ーーー篠崎律だ。恐らくは、彼女を取り返しに来たという所だろう。彼女を護る為に行ってくれないか?」
「えっ、それって本当なの!? 僕以外の奴が篠崎ちゃんを奪いに来る? そんな事はさせない! 彼女は一生僕の物なんだから!!」
憤怒しながら青年から任命書を奪い取り部屋を出て行った闇を見送り、青年は少女を見つめる。
「あと…少しか……」
その呟く声が部屋に反響していた。
ーーー二週間後
太陽が沈み、これから街は夜の世界へと変貌を遂げる。この街は昼よりも夜の専門産業が高い為か、昼間と比べると人通りが活発である様に感じる。
また、この街は裏稼業が多く、大抵の人達が顔を隠している。その大勢の中で男が顔を隠す様に黒のフードを掛けている姿は然程、不自然ではない。
様々な店が並ぶ中、普通ならば見栄えの良い店に気がいってしまい、見落としてしまいそうな脇道へと脚を進める。
五メートル程進んだ所で地下へと続く螺旋階段を降りていく。壁がコンクリートではなく、レンガである為、階段はあちこちにある土埃や埃によって汚れている。
一定の間隔で設置されている蛍光灯にパチパチと虫が集まり、光を点滅させている。
十秒程、降りた所に年季の入った木製の扉が現れる。
ギイィッ!! 木製の扉を開くと、中はバーに改装されている。
薄暗いバーは凡そ二十畳程の広さに幾つかの椅子と小型テーブルに濃い目の茶色のカウンターが置かれている。それ等全てが木製であり、部屋とマッチしている。また、一世代も二世代も昔のロックが流れ、誰もいないバーを満たしている。
「いらっしゃい、お客様さん。ウィスキー? それとも、ワインかい?」
ツンツンに尖った髭が特徴的な人相の良さそうな男が奥から出て来る。
男は丸椅子に座るが決して黒色のフードを取ろうとせずに顔は隠したままである。
「すまないマスター、今日は飲みに来た訳じゃないんだよ。もうすぐ、ここらを仕切るボスとの会談があってね。」
その瞬間、マスターの表情に変化が生じる。先程までの人相の良さそうな顔の下が一瞬で確かな殺意が篭った表情になっていた。
膝のベルトからベレッタM93Rを引き抜く。
ベレッタM93Rは、重さ1.17kg、薬庫内に一発籠めておけば、弾倉内の二十発と合わせて二十一発の弾丸を補充無しで撃つ事が出来る。バースト時に制御が比較的易しくなり、弾丸の消費を節約出来、セミオートよりも高火力である。また、初弾射撃時の衝撃で次弾の狙いがずれる事を考慮して連動サイクルが非常に速い。
マスターが男に向けて躊躇なく引き金を引く。
バンッ!! 乾いた音が鳴り響き、弾丸は男の耳元を擦り抜ける。
フードが風圧の勢いで外れ、男の姿がはっきりと認識出来る。M字バングの頭髪に闇に染まったかのような黒髪。黒髪に着けられた灰色のバンダナがより一層に漆黒の髪を強調している。
まだ十代のそこらの童顔と歴戦の戦士の様な鮮烈を兼ね備えた瞳がマスターの動きを捉えていた。
「ーーーなっ!?」
コートの男が未だ二十歳にもなっていない子供だった事に驚いた訳ではない。マスターを驚愕させたのはその男の技術である。
気が付けば、マスターの頬に一筋の血が流れている。顔を強張らせながら横目で見遣ると一本の白い刀が頬から数ミリ離れた位置をなぞっている。
剣筋の衝撃波によって薄皮が一枚切れる程の精度だ。偶然などでは出来ない芸当である。
最近では各地の魔道学院の生徒達も十年前と比べれば平均的な力は上昇している。稀に天才や神童などと呼ばれる子供が現れる事もある。けれども、彼等の強さもまた、平凡な子供達の強さの延長線上でしかない。
しかし、この少年の力はそんな幅では表せない。決してこの少年の力を超える事は凡人では出来ない、そう思わせる力があった。
少年の左手が襟を掴みマスターの身体を軽々と持ち上げる。
ぐうぅっという呻き声を上げ必死に喘ぐ。
「聞きたい事がある。答えてくれさえすればこれ以上の怪我はさせない。」
「……っ何だ!」
マスターの意識が消える直前で地面に下ろされる。必死に息を吸い込み、喉の痛みを消す。
「お前達が三週間前に捕らえた少女について知っている事を全て話せ!!」
「……あの金髪の少女か…彼女の居場所は知らないが……彼女の捕縛を頼んだのは忌道真の奴等だ。それ以上の事は知らない。本当だ!! 高い報酬の代わりに詮索は無しだと…」
少年はもう用無しとばかりにマスターから刀を離すと、木製の扉に向かって歩いていく。
マスターは一歩二歩後ろ退さると腰が抜けて地面に座り込んでしまう。脚が震え、立ち上がる事を許さない。
「……忌道真か…」
湊はバーから出るとそっと呟く。忌道真正式名称は禁忌魔道真術機関である。国が表立って補助されている機関ではなく、殺人、盗み、人身売買など裏稼業を専門とする機関であり、国の一部の議員と繋がりがあるらしい。それなら、ベルギスの国家機関によって情報が遮断されていたという話も理解出来る。
せめてもの好機は敵が表立った機関ではない事だ。今回の事件に国家機関が関わってくる可能性は少ない。
そして、最後にこの情報が本当かという事だ。あの男の慌て様から、この情報が嘘だという可能性は低い。しかし、その男が真実を知らないだけかもしれない。本当は俺達を嵌める為に作られた巧妙な罠かも知れないという危険を背負って潜入しなければいけない。
元来た道を戻りながら人通りの中に入ろうとする。
ーーーしかし。
「待ちなよ。兄ちゃん。」
数十名の男達が道を立ち塞いでいた。男達はニタニタと気味の悪い笑みを浮かべながら、手には様々な魔道具を所持している。大体マスターの仲間といった所か……
「俺はそんな気味の悪い奴等の兄になった覚えはないけどな。」
軽口を叩く湊に男達も馬鹿にされた気付き頭に血管が浮き出る。
「ははは…確かにな。まあ、ここでお前はブチ殺されるんだから関係ないよな!!」
次々と男達が湊に向かって駆けてくる。後方では射撃体勢に入っている男達が数名いる。
湊が二刀の刀に触れようとした時だ。
ゴオオォォォーーー!!
一本の黒筋が目前を高速で通り過ぎる。
駆けていた男達だけでなく、射撃体勢に入っていた男達までもを巻き込んだ一撃はズザアァーー!! という音を鳴り響かせて地面に激突して消滅し、強烈な竜巻を起こす。
風圧によって男達は数メートル近い高さまで放り投げられる。
断末魔を上げながら一人残らず戦意喪失、いや、戦闘不能状態にしてしまった。
「湊、大丈夫か!?」
向こう側から黒髪の少年が慌てて駆けて来る。
「ああ、大丈夫だぜ。それにしても、この街は治安が悪いな…」
感慨深そうに呟く。それに泉も頷きながら二人は大通りへと戻っていく。
二人は人混みに紛れながら、ホッと息を吐く。
「ーーーで、見つかったか?」
泉の問いに湊は頷く。
「あぁ…律を攫ったのは、忌道真だ…」
泉が息を微かに潜める。彼の頭の中でも先程の俺と同じ思考がされているのだろうと考え、湊は泉の考えが纏まるまでしばらく黙っておく。
「……そうか…なら、次の移動はここから西に250キロの地点にある首都だな。」
「ああ。確か都市の名前は……国名と同じベルギスだったな。」
中央都市ベルギスは二百年近い伝説が残っている。
世界第三次大戦の最中、ベルギスは目覚ましい成果を上げた。それは全てベルギスが捕縛した太古の龍の力を得ていたからだ。
その龍はベルギスの街を一瞬にして完全に消滅させ、万に及ぶ人を虐殺した。
ベルギスの国家機関もこの事態に目を背けられなかった様で、すぐさまに精鋭達を集めた討伐隊が組織される。
戦いは二ヶ月にも及び、討伐隊は精神、肉体とも限界となっていた。逆に龍の体力は無尽蔵であり、一行に倒れる気配すらなかった。
その時、一人の勇者が現れる。後にベルギス全土を纏め上げた騎士となる男、ザーフィアス・デイン。
彼が放った一撃は龍の喉笛を切り裂き、二ヶ月にも及んだ戦いはこうして終幕となる。
龍は不老不死であり、放っておくと即座に傷を癒し、また街を破壊する恐れがある。
その為、特別な結界を用意して龍の魔力が一定以上にならないように絞り出している。その魔力の総量は膨大である。
ベルギスの国家機関はこの力を何とか軍事転用しようと試行錯誤の末に人体に龍の魔力を装填する魔法を開発した。
その技術は戦争が集結すると同時に脅威に感じた隣国の日本によって葬られている。
その為、現在ではベルギスの国民は皆この魔法を知る者は居らず、伝説上の話となって語り継がれている。
ただ、その真実を信じた者達にとって日本人は敵の様な存在である。
その為、いくら日本とベルギスが友好条約を結んだといっても反日運動はどうしても止める事は出来ない。
彼等の言い訳は常に同じだ。先に手を出したのは日本人だ!! やり返さなきゃ気が済まないんだよ!!
道中に泉達に浴びせられた数々の言葉。
彼等はただその言い訳を理由に理不尽な暴力を奮う。けれども、それは泉達だけにではない。同じベルギスの国民にも同じ様にして恐喝、暴力を奮っている。そんな奴等は本質の部分が腐っているのだと思う。
それならば、俺達の本質も腐っている筈だ。俺は自分の想いを優先して他者を隔絶する。律を助ける為、自分達が生き残る為なら何も厭わない、そんな風にさえ思っているのだから。




