04:一人ぼっちの夜
もうすっかり夜になった森の中、立ち尽くしていた私はふと我に返った。
振り仰いだ頭上では、生い茂った木々の枝の間から星空がわずかに見える。
「何だかよく分からないけど、死なずに済んだ!」
口に出して言ってみる。そうしなければ実感が出なかったからだ。
手を握ったり開いたりしてみた。今はもう霊珠はひとかけらも残っていない。
頭は大混乱だったが、いつまでもそうしてはいられない。
私は必死に落ち着こうとした。
(ちょっと状況を整理してみよう)
プリムローズの十歳の誕生日、この国の習慣である魔力属性鑑定の儀式を神殿で行った。
普通は神殿の大きな霊珠に、炎属性なら火が灯り、水属性なら水が満ちるといったふうに、属性に応じた変化が起こるのだ。
それが私は霊珠に変化を起こせず、それどころか小さな霊珠を生み出してしまった。
そして、その霊珠は先ほどもう一度生み出され、さらには文字が刻まれていた。
殴の文字。それを握り込んで相手を殴ったら――というか殴る動作をしたら――バトルヒロインアニメもかくやの勢いで熊が吹っ飛んだ。
(ということは。もしかして、霊珠に文字を刻むとその効果が得られる?)
なんか昔の漫画でそういう能力があったかもしれない。よく覚えていない。
とにかくものは試しだ。私はもう一度霊珠を作り出そうとして。
「どうやってやるの?」
思わず呟いた。一度目は神殿の大きな霊珠と共鳴するように、二度目は無我夢中の時に作ったものだ。
私が作ったのは間違いないと思うんだけど、やり方が分からない。
しばらく目を閉じたり唸ったりしてみたものの、やはり分からない。何だかめまいがしてきた。
「そうだ、もう一度ピンチになればいいんじゃない? おーい、熊! もう一度出てきて熊!」
言ってみて気づいた。もう一度上手にあしらえるとは限らない。
いかん、まだ混乱しているようだ。
「やっぱいいです。出てこないで。他の魔物も」
森に捨てられて以来、歩き詰めだったり転んだりしたせいでかなり疲れている。
めまいはグラグラとひどくなるばかりだ。
辺りは完全に夜になっており、枝々の隙間から差し込む月明かりだけが頼りである。
夜の秋風は既に冷えていて、私は「ふえっくしょい!」とくしゃみをした。
「あー、これやばい。どこかせめて風を避けられる場所を探して、夜を明かさないと……」
せっかく絶体絶命の大ピンチを生き延びたのだ。低体温症や風邪などで死んでたまるか。
私は疲れ切った体を叱咤して歩き始めた。
◇
しばらく月明かりを頼りに歩いていくと、岩場に出た。
森の中よりは見晴らしが良く、先ほどの熊のように茂みから不意打ちされることはなさそうだ。
もっとも見晴らしがいいせいで、魔物が私を見つけやすいかもしれないが。
空を見上げると、満月に近い月が出ている。
町の明かりに邪魔をされない月は、まるでピカピカに磨かれた金貨が空に浮かんでいるように見える。
森の木々にさえぎられていた時と違い、月光が降り注ぐ岩場はかなり明るかった。
私は岩が折り重なっている場所を見つけて、しゃがみ込んでみた。ちょっとした岩のくぼみのようだ。
三方向を岩が塞いでいるために、風もいくらか和らいでる。
「とりあえずここでいいか……。と言うか、これ以上歩けそうにないし」
怒涛の展開で疲れ果てている。雨が降っていなくて本当に助かった。これで濡れてしまったら、風邪どころの騒ぎではない。
そっと地面に腰を下ろす。長い銀の髪が地面に触れた。
ごつごつした岩の地面は冷たくて埃っぽかったが、座ったことで緊張の糸が少し緩んだ。
「これからどうしようかなぁ」
魔物がウロウロしている森で生きていけるとは思えない。
町まで戻って、母方の祖父母に助けを求めるのが良いだろう。
お母様の実家は侯爵家で、孫の私も可愛がってもらっていた。父の仕打ちを祖父母に伝えて、保護してもらおう。
というか、あのクソ父は私を森に捨てたのをどう言い訳するつもりなんだろうか。
神殿の神官長は「この子の能力を調べたいので、屋敷で待機を」と言っていた。
堂々と無視していいわけ?
……いや、あのクソ父のことだから適当に言い訳をするんだろう。
そう例えば、「火属性ではないことを気に病んだ娘が自棄を起こし、家出してしまった」とか。
あのクソ野郎は外面を取り繕うのが上手い。おかげでお母様が孤立していると、祖父母にすらなかなか信じてもらえなかった。
あ、駄目だ。ムカムカしてきた。
前世の旦那もモラハラだったし、私は男運がないようだ。息子がいい子に育っていたのだけが救いである。
「はぁ……」
野外の夜はしんしんと冷える。私は白い息を吐き出した。
粗末な綿のドレスは、ポケットというものがない。袖を引っ張って手を引っ込めた。
軽く目を閉じる。
本当はしっかり目を覚まして周囲を警戒すべきと分かっていたが、この体は十歳だ。疲れ果ててどうしてもまぶたが重くなった。
(寒い)
ぎゅっと手を握る。
前世のカイロやダウンコートが懐かしい。
息子や娘たちと食べた、あったかお鍋が食べたい。
お金があまりなかったから、もやしでかさ増ししたっけ。少ない肉は娘と息子が奪い合っていた。
今はもやしだけでもいいから食べたいな。
そうしてどのくらいの時間、まどろんでいたことだろう。
冷え切ってしまった私は、ふと手のひらに感触が生まれているのに気づいた。
「あっ」
手を開いてみれば、小さな霊珠が一つ。
一体どうやって作ったのか、まだ完全に理解できていない。手を握っていたのは確かだが……。
霊珠には文字が何も刻まれていない。ただ空洞の、透明な玉が鈍く輝いている。
ウェスタ神殿の神官長はこの小さな霊珠を見て、「中に魔力が宿っていない」と言っていた。
では漢字を入れ込むことで魔力が宿り、効果を発揮するのだろうか?
この空っぽの霊珠は、漢字を入れるための器のようなもの?
(……試さなきゃ)
この小さな玉に思った通りの文字を入れられるのか。そしてその通りの効果が得られるのか。
今、切実に欲しいのは暖かさだ。このまま体が冷えていけば、確実に風邪を引く。この状況で体調を崩せば、生き延びる確率が減る。
けれど先ほどの『殴』の文字は、一瞬で消えて砕けてしまった。
一瞬だけでは暖を取れない。意味がない。
(どうすれば良い結果を得られる?)
本当はもっと経験とデータがほしい。今の段階では分からないことだらけだ。
「じゃあ、もう仕方ないなあ」
私はため息をついた。吐いた息の勢いで、銀の髪が揺れる。
考えても分からないなら実行あるのみだ。
今回の文字が上手く行けば、次はもっと試行錯誤できるだろう。
「ウェスタ女神様。責任取ってよね」
神殿の女神に悪態をつきつつ、私は霊珠を握り込んだ。
思い浮かべるのは『暖』の文字。
『熱』も考えたが、単純に暖かくするという意味でこちらが良いと判断した。
祈るように指を組み、両手で霊珠を握る。
やがて霊珠がわずかな光を放った。




