1章2話 戦場を離れて
戦場の風は、まだ血の匂いを運んでいた。
男は、折れた剣を蹴り飛ばしながら歩き出した。
足取りは軽い。
死体の身体とは思えないほど、関節は滑らかに動く。
「……うん、悪くない。兵士の身体って、意外と扱いやすいんだね」
飄々とした声が、静まり返った戦場に溶けていく。
この世界の地理は、頭のどこかに自然と入っていた。
北に村がある。
もとは小さな農村だったが、今は軍の補給拠点として拡張されている。
「とりあえず、あの村に行けばいいか。水と情報くらいはあるでしょ」
男は迷いなく北へ向かう。
途中、魔物の死骸が転がっていた。
角の形、牙の長さ、魔力の残滓──
どれも“知っている”。
「スタンピードの中心は……あっちか。まあ、関係ないけど」
軽く呟き、また歩き出す。
そのときだった。
「……た、す……け……」
かすかな声が、血の匂いに紛れて届いた。
男は足を止め、声の方へ向かう。
倒れた兵士がひとり、胸を押さえて震えていた。
腹部を深く裂かれ、もう助からない。
兵士は彼を見ると、目を見開いた。
「お、おまえ……生き……て……?」
男は首を傾げた。
「ああ、うん。まあ“動いてる”って言った方が正しいかな」
兵士は理解できず、苦しげに息を吐く。
男はしゃがみ込み、兵士の傷を眺めた。
血の流れ方、傷の深さ、魔物の牙の形──
すべてを淡々と観察する。
「ふむ。これはもう助からないね。人間の治癒魔法じゃ無理だ」
兵士は震える声で言った。
「……お、俺……村に……妻が……」
男は少し考えた。
「村に行く予定なんだよね。ついでに連れていこうか」
兵士は驚愕した。
「れ、連れて……? 俺は……もう……」
「死ぬでしょ。だから“運ぶ”って意味だよ」
兵士の身体を軽々と抱え上げた。
死体の身体とは思えないほど、動きは滑らかだ。
兵士は涙を流しながら、かすかに笑った。
「……おまえ……優しい……な……」
男は首を傾げた。
「優しい? いや、違うよ。
君がここで腐ると、匂いがひどいからさ。
村に埋めてもらった方が合理的でしょ」
兵士はその言葉を理解する前に、息を引き取った。
男は淡々と呟く。
「……あ、死んだ。まあいいや。村に届ければいいでしょ」
死んだ兵士を抱えたまま、男は歩き出した。
北の空は、少しだけ明るくなり始めていた。




