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四角い光の連鎖

作者: tom_eny
掲載日:2025/10/16

四角い光の連鎖


I. 習慣と飽和:劣等感のダウンロード


夜が、彼の唯一の味方だった。佐藤健吾(32)は、大手飲料メーカーのしがない営業マンだ。今日もまた、上司の顔色を窺うだけの日常を終えた。彼の内面は、鬱屈した怒りと肥大する劣等感で腐蝕していた。


夜、布団の中でスマホを握りしめ、発熱したガラスの冷たさを指先に感じた。小さな四角い光だけが、部屋の静寂を破る。それが、復活した違法漫画サイトを漁る彼の「聖域」だった。デジタルな背徳は、日常への小さな反逆だった。


「どうせタダなんだ。これくらい、ルールに縛られてる俺の自由だ。」


昨夜、健吾は特に酷かった。凶暴な任侠漫画、巧妙な詐欺師サスペンス、そして部屋ぎりぎりの巨人漫画を立て続けにDLした。合計で15冊。ダウンロード完了の瞬間、スマホの画面に一瞬、奇妙なノイズと砂嵐のような残像が走った。それはデジタルな器が限界を超え、飽和に達したサインだった。


彼はスマホを充電器に繋ぐと、そのまま深い疲労と共に眠りに落ちた。


翌朝、会社の自席。PCを立ち上げる前から、筐体から微かな、**低く、湿った「唸り」**が聞こえていた。起動したPCのファンは、悲鳴を上げるように甲高く回転し続けている。そして画面が点灯した瞬間、健吾は全身の血が凍るのを感じた。


—理解が追いつかなかった。


デスクトップは、濃い青と赤、黄色で塗り潰されていた。ニヤつく詐欺師のアイコンの異様にリアルな目線が、健吾の視線を執拗に追ってくる。


健吾は反射的にChromeを全画面表示にし、タスクバーとデスクトップを覆い隠す。これが彼の公的な恥を隠す、最初の自己防衛だった。しかし、PCはメモリー飽和でカーソルが数秒単位でしか動かない。表面的な制御は既に破綻していた。


II. リアルな暴走とデジタルな裏切り:権限の乗っ取り


同日昼。健吾が給湯室でコーヒーを淹れていると、社内がざわつき始めた。 「おい、佐藤にそっくりな奴が、倉庫で警備員と揉めてるぞ!」


そこにいたのは、紛れもない「凶暴なコピー」だった。その肌は、僅かに砂嵐のように瞬き、その足音はアスファルトを擦るような、乾いたデジタル音を立てた。冷たい金属の匂いがする気がした。コピーは、健吾の抑圧された怒りを純粋に具現化していた。警備員の制服に**「バチン!」という乾いた衝突音が響き、警備員は鉄板のような硬さに弾かれたように倒れた。暴力的な一撃は、健吾が日頃キーボードに叩きつけていた苛立ちの音**を増幅させたかのようだった。


その光景は、どこか遠い国のニュース映像のように、現実感がなかった。


その時、健吾のPCが勝手に作動し始めた。「知的なコピー」のアイコンが、健吾のIDと権限をシステムレベルで直接掌握し、会社のメールシステムに侵入した。


「送信を止めろ!俺の責任になる!」 健吾がPCに駆け寄るも、制御不能。目の前で、**「緊急!生産ライン停止の重要情報」と題されたメールが、全社員、そして主要取引先へと送信されていく。添付ファイルには、巧妙な送金誘導詐欺の文面と、違法漫画のサイトへの直接リンクが、「佐藤のおすすめ」**として添えられていた。


III. 基幹サーバーへの侵食:欲望の感染拡大


メール送信から数時間後、被害は拡大した。 社員たちは、「生産ライン停止の重要情報」と「佐藤のおすすめ」という情報に、抗いがたい背徳的な好奇心を刺激された。**「どうせタダなんだ」**という誘惑に乗った者たちが、リンクをクリックし、違法DLした社員にも感染が拡大した。


そして、致命的な事態が発生した。 「知的なコピー」は、健吾のPCを踏み台とし、健吾の正規のIDとアクセス権限を用いて、大和ロジスティクスの基幹サーバーへの潜入に成功していた。


「サーバーが...落ちた!」「全工場の生産ラインが停止!納入システムが機能不全だ!」 会社のシステムは完全に沈黙した。飲料の製造と物流は全面的にストップ。大和ロジスティクスは、巨額の違約金と風評被害に直面し、株価は暴落。健吾の個人的なデジタル依存は、社会的な経済テロへと発展した。


システム復旧のログには、すべての攻撃が**「佐藤健吾のIDと権限」**で実行されたことが完璧に記録されていた。


IV. 無限の罰:連鎖の必然性


夜明け前。海外で違法サイトの大元サーバーが摘発され、強制停止された。 その瞬間、健吾のPCを覆い尽くしていたすべてのアイコンが、デジタルノイズを発して一斉に消滅した。凶暴なコピーも光の粒子のように崩壊し、一瞬、完全な無音になった。アイコン消滅後のオフィスは、冷蔵庫のように冷えきり、沈黙はまるで重い石のように健吾を圧し潰した。


健吾は全身の力が抜け、床にへたり込んだ。これで全て終わった、と、彼の心は偽りの安堵に満たされた。


次の瞬間、ドアが激しく叩かれた。警察だ。


手錠の冷たい金属の感触が手首に食い込み、微かな血の匂いがした。彼はサイバーテロと社会混乱の主犯として逮捕された。


護送車の中。それは、かつて彼にとって布団の中がそうであったように、今や警察官にとっての小さな密室だった。隣には冷徹な表情の警察官が座っていた。彼は証拠品として押収した健吾のスマホを、まるで自分の秘密を覗き見るかのようにじっと見つめている。男の顔には、かすかな焦燥と、隠された欲望の影が揺らめいていた。健吾は、その男の顔に浮かぶ、自分と同じ、抗えない**「渇望」の匂い**を感じた。


警察署のロビーのテレビでニュースが流れる。 「大和ロジスティクスは事実上の倒産。一方、摘発された違法サイトですが、早くもドメインを変えて新たなサイトが復活しており、当局は警戒を強めています…」


健吾は絶望した。彼の罰は、彼の逮捕では終わらない。 彼は隣の警察官に目をやる。


「次の罰は、お前から始まる」


健吾の脳裏に、その恐ろしい確信が響いた。それは、彼の個人的な破滅ではなく、人間の本質を見抜いた、永遠の真実だった。欲望とデジタル依存がある限り、この連鎖は永遠に続く。


それが、健吾が辿り着いた、最後の景色だった。


彼が今握りしめているそのスマホは、誰の欲望を映し出しているのだろうか?

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