94.遠い日① -幸福- (※イラスト有)
読了目安 4~6分
※末尾にイメージイラスト入ってます。
苦手な方は非表示設定にしてください!
よく晴れた、夏の終わりの日だった。
アビ士族の集落は、エナタル山脈ラウ峰の二合目――、ニムドゥーラ湖から、一番手前に見える峰の中腹にあった。
山の上の気温は平地より低く、周囲には、既にうっすらと秋の気配が近づいて来ていた。
窓の外の低木の茂みから、気の早い秋告げの鳥が囀っているのが聞こえてくる。
「新しいふーく♪ 新しいわーたしっ♪」
その、囀る旋律を勝手に真似る鼻歌が、岩と木でできた無骨な廊下に反響する。幼い子供の柔らかい歌声だ。
今日、彼女が初めて袖を通した服は、いつもよりヒラヒラが多かった。フィーは機嫌よく、生まれ育った長屋敷の中を跳ね歩く。長い廊下だった。
「かっわいっいふーくっ♪ らんるるるう―♪」
この家は広く、二階建てで、多分全部で二十部屋くらいはある。普段は一人くらいは弟妹たちとすれ違うのに、今日は風も気持ちいいせいか、歩けるくらいに大きい子はみんな外に遊びに出ているらしい。
外から射す陽の柔らかい薄暗さに包まれ、 家の中は静かだった。
と、そこでフィーは、玄関先に一人だけ人影が立っているのをみつける。
「あ、おんじー!」
柄の長いブラシで石造りの玄関を磨いている。小間使いの老爺だった。フィーは笑顔で駆け寄る。
かっちりと身に纏わせた民族衣とは裏腹に、おっとりした挙動が彼女を振り向いた。もさもさの髭面だ。
ちなみにこの集落には耳長族しか住んでいない。故にその老爺も、例に漏れず長い耳を生やしている。白髪の混じる尾をゆらりと振り、人好きのする笑みがフィーを見た。
「おや、どうかいたしましたかいね、フィーゼィリタスさま」
「ねえねえおんじ、見て見て! 服ね、私、新しいの作って貰えたの!」
はしゃいで、小さい足でくるりと回ってみせた。
それは来週十歳の誕生日を迎える彼女にと、フィーの母が下のニーム村の針子に頼んで誂えさせた衣装だった。
ふんわりと膨らむワンピースは生地全体に細かい刺繍がされ、中に履く内スカートにはふんだんにプリーツが入っている。
普段の服より随分と、使われている布も装飾も多め。要は晴れ着だ。
それでも動き易いのは、この村落が妖獣と戦うことを生業とする『アビ士族』の村だからであろう。ここでは他所の貴族が纏うようなゴテゴテした宮殿服よりも、平民が着るのに近い質実剛健な民族衣が好まれる。
可愛いでしょうと、向けられた無邪気さと満面の笑みに、おんじの顔も綻ぶ。
「あんれま、可愛らしくて素敵でごぜえますよ」
デレデレと細めた目がフィーの仕草を眺める。彼はフィーが生まれた時にはもう家にいて、伴侶である『ばあや』や数人の年寄りたちと共に、この家の些事を任されていた。
本名は聞いたことは無い。けれど本当の祖父母のように可愛がってくれるので、小さいフィーも彼らのことは好きだった。
「士族長さまも、きっとお喜びになると思いまさ」
「父さまも?」
「ええ、『満月の愛し子』さまの名にも恥じねえ、穏やかさと可愛らしさがありますゆえな」
一瞬、キョトンと耳をななめにするが、褒められすぎて少し照れる。古い言葉だけれど、そういえばそんな意味で名前を付けてもらったのだと思い出して、気恥ずかしくもなった。
えへへえ、と出そうになるはにかみを誤魔化して、
「――そういえば、父さまにまだ見せてなかったわ!」
と元気に尾をはね上げた。
「見せたいなら行って早く戻ってきなさいって、マァマが言ってたの!」
「奥方さまがかいね」
「『走り回って、すーぐ汚してしまうんだから!』っていうのよ!」
「ぷっ……」
髭面は吹き出した。
終いには、「……ははは! 違いない、早いお戻りを!」と笑いだす彼の脇を、
「んもう! おんじまでー」
と口先を尖らせて、小さな背丈がぷいっと通り過ぎていく。その背中を、さらに彼の声が追いかけた。
「ああ、そうだそうだ。フィーゼィリタスさま? 長さまなら、下の庭の厩戸でお見かけしましたなー。向こう山で〈四ツ足ノ禽〉を狩ってきたとかで」
「え、ほんと!? 見たい! おんじありがとうー!」
山の村は起伏が激しい。
けれどそのぶん、きっちり計算された場所に壁と壕を築けば、万一妖獣が群れで襲ってきても耐えきれる、自然の要塞となる。
妖獣は古来から、天候、生息数の均衡、色々な原因が重なった結果、大量発生を引き起こす事がある。
それがエナタル山脈周辺の町村に降りていけば、甚大な被害を出しかねない。
フィーの生まれた村は妖獣を狩り、エナタル山脈に棲まう妖獣の数を調整することを生業としている。
そうして万が一大量発生が起きれば、被害の拡大を防ぐためにその群れと戦うことを使命とする――、ここは、耳長族の中でも誇り高い戦闘部族『アビ士族』の村なのであった。
フィーは、庭木と花の咲く邸の横を抜け、隙間から細い草を生やす石垣をくぐる。そこからは下り階段だった。
山の中のそういう場所を選んで先祖が拓いたとフィーも聞いていたが、それにしても他の家と比べて、この邸の敷地は高低差が半端ではない。
フィーの暮らす長屋敷は、村の中でも一段高く奥まった高台にあったので、その石段の上からは、岩と緑に家々が融け合うようにならぶ、村の景色が一望できた。
フィーは、この村が好きだ。
みんな強くて、かっこいい。特に皆を率いてこのエナタルの地を護る父には憧れを抱いてしまう。
フィーは七人兄弟である。その中で長子である彼女は、父の跡継ぎとしては一位の序列にいた。彼女は可愛い服も大好きだったけれど、それよりはいつか父のような立派な士族長になりたいと、ずっと夢見ていた。
二階建て相当はある、つづら折りの石段を降りきる。
すると脇に生える広葉樹の大木から、彼女を呼び止める声がした。
「ん、フィフィーじゃん。どしたの、その服ー」
フィーと同様に幼いけれど、彼女よりちょっと落ち着いた、その声。
「あっ! メーナィ、そんなとこにいたの!」
見上げて呼ぶと、ガサリと枝葉が揺れた。すぐに白黒の毛並みをした耳長族の少女がひとり、落ち葉の溜まった木陰にすたん! と着地する。
彼女もまた、歳は九つ。誕生日も、フィーと同じ七日後。
なぜならこのメーナィリタスは、フィーの双子の妹にあたる子供だったからだ。
メーナィは、のんびりした口調で話す子だった。背中に矢立と、子供むけに剛性の弱い弓を担ぎ、物珍しそうに姉を見ている。首を傾げた。
「フィフィー、その服可愛いね」
「あのね、メーナィのもあるよ! ……というか、メーナィも二月前に採寸してもらったのに、忘れちゃったの? 大きさが合ってるか見たいのに居ないって、マァマとばあやが捜してたのよ」
「そうなの? マァマたちが? じゃあ行かなきゃ」
とたん、メーナィは耳を震わせ、右肩にかけていただけの矢立の帯紐を袈裟掛けにし始める。少し口調もそわそわしだした。
「えー、楽しみだなー……」「えへへぇ、私のと色ちがいだったよ!」
向かい合って両手を組み合い、二人は他愛もなくはしゃぐ。さらに少しやり取りしたあと、彼女は階段を駆け上がっていった。
聞けばメーナィは〈四ツ足ノ禽〉の解体を眺めていたらしい。
『父さまと叔父さまと、あと……ふふふ、モクスケラス兄ちゃんもいたよ? まだ二匹は地面にならべてあったから、きっとまだフィフィも観れると思うー』
メーナィはそう言っていた。フィーはわくわくしながら、厩戸の脇にある妖獣の解体小屋に歩みを進めていった。




