93.断章:血と、命で贖った。
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避けきれなかった。
閃く刃。まばゆく疾り抜ける、銀の光。
杏子色の毛皮を裂いて舞い散るその色はあまりにも鮮やかで、漂うその香はいつも生命の匂いに満ちていた。
迸った滴りが、赤く辺りを染めた分だけ、死は彼女を抱きしめに来る。
けれどその色を目にすれば、フィーの気持ちはいつでも最高潮に達した。
知っている。『敵』も命懸けで襲いに来ている。けどそれはこちらだって変わらない。
武人としての大義名分はきっとどちらにもある。
殺される覚悟も、フィーはとっくに出来ている。
けど一度 武器を交えはじめたら、結局はお互いに死にたくないから、また明日の太陽を目にするために戦うのだ。
剥き出しの命と命を、互いの武器で削りあう。
相手にもフィーにも、お互いの命を奪う機会なんか幾らでもある。
そんな中でしか得られないゾッとするような緊張と戦慄を、戦士としての道を選んだ彼女はいつも楽しんでいた。
危なくなれば、フィーの『相棒』が駆けつけてくれる。
昏い赤瞳に黒髪。
鋭い目付きと横顔をした、たったひとりのフィーの『相棒』。
彼に背中を守って貰えることが、フィーは最高に頼もしかった。共に戦えることも嬉しかった。幸せだった。それだけを生き甲斐にした。
そうやってずっと生きることにしたのだ。それ以外の生き方なんて、いつの間にかもう要らなくなっていた。
――――でもあの場所に行ってから……、何かがぜんぶ食い違っていったのだ。
降り積もる白い雪。吐けば白い息。
灰色の空の下に広がるその黒い森は、故郷の山の冬景色に少し似ていた。
そこでフィーたちに立ち向かって来る、追い詰められたその人たちは、けっして戦士などではなかった。
腕前の差なんて、比べるべくもない。
飛び散る生命の色はただ――――ただその雪と大地を穢し、白い胸毛の、彼女の胸の底までも埋めていく気がした。
新しい雪が積もっても、凍ったその深紅はまるで傷跡のように折り重なり、隠されたまま永遠に残り続ける。
やめて!
殺さないで!
この子の命だけは!
お願い助けて!
そんな言葉をのこして、みんな動かなくなる。
フィーたちが積み上げてきた他の屍と同じに、雪の下に凍りつく。
かつて暗い穴の中を埋めた血だまりに、聞こえた筈もない母の、父を呼ぶ声が反響して響く。
……その内フィーは、だんだん分からなくなってきた。どちらが悲鳴をあげているのか。
目の前の人たちなのか、それとも、自分の心なのか。
彼女の相棒はなにも言わない。
淡々と、冷静に、彼らを屠っていく。
フィーの相棒は優しいけれど、他人と自分を分ける"境目"の感覚が他人とちがう。それを、フィーはずっと理解していた。
一瞬だって躊躇わない。
けれどそれだけは、フィーが口を挟めることではない。
彼がこうであったからこそ、フィーはずっと助けられてきた。
彼がこうであるからこそ、フィーはずっとそばにいる。
それに武人として戦場に立っている以上、彼のこれはきっと、才能以外のなにものでもなかった。
…………でも、フィーは耐えられなかった。耐えられなかったのだ。
ごめんなさい。ごめんなさい。
吹き出る血が、フィーの手を汚す。
人殺しの、フィーの心を染めあげる。
…………だからついに、口を開いてしまった。
『ねえイチヘイ。もうボクね、戦場にはいたくない。許してもらえる―――――?』
泣き出しそうになる顔をグッとこらえて、精一杯笑ってお願いした。
それをみた相棒は、困ったような顔をした。何を言おうか迷っているみたいだった。
やっぱり、迷惑だったろうか。
戦士として戦えないのならば、ボクはどんな顔をして彼の隣にいれば良いのだろうか。
……でも、ボクはそれでも、この人のそばを離れられない。だって、ボクは――――――。




