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86.身体のあるお化けの解⑤ -贈りもの(下)-

読了目安 2~4分

 それを聞いた縞も、自分が言い返せない立場であることをようやく思い出したらしい。「ウギギギ……!」と歯噛みしている。


 そこで、イチヘイもハッと我に返った。

「あ、オイ、花登?」

 席を立つのは別に構わない。ただ、問題なのはこの口の悪い同行者(まぬけ)の方である。遅れて背中に声をかけると、


『しまに何かされたら、イチ兄をよぶ。お仕置きしてもらうから、だいじょうぶです』


 さっそく指先が、与えたものに文字をしたためて見せてきた。……思いの外、強かである。

 ついでに彼女から、箱罠をひとつ使っていいかと訊かれた。何に使うんだとは思いつつ、使う相手はおそらくこの馬鹿しかいないため許諾する。


「ありが、と」


 そう言い残し、家の中に消える小柄な背中を見送っていると、同じく隣で呆気にとられていたフィーが声を上げる。


「んええ。ハナトちゃんは、猛獣使いだったのよう……?」


 思わずハハッと軽く笑った。

「猛獣というより、あれは珍獣じゃないか?」


 ――それからイチヘイははたと気付く。数日ぶりに、二人、だった。


 ずっと二人でいた。ゆえに以前と何も変わらぬのに、今はなぜか少し落ち着かない。その隙間を埋めるように、イチヘイは名前を呼ぶ。 


「フィー」

「んえ? なーにイチぃ?」


フィーはきょとんとして、不思議そうに両耳をイチヘイに向けている。ずっと共に過ごして来た。しかし思うと、用もないのに呼ぶなんて――、初めてのことだった。


 開いた沈黙と翡翠色の視線にまた落ち付かなさを覚え、はたと思い付いた言葉を語る。


「……サマロ、食うか?」

「んっ、たべていいの?」


聞けば花登が行ってしまったゆえ、我慢していたらしかった。「別に残しとけば良いだろ」と言うと、彼女は大胆に皿ごと抱えだす。一口食べた瞬間からフィーの耳は幸せそうに斜めに垂れた。


「んへへぇ……サマロ、すき~……。んね、イチにもあげるぅー」

「おう」


 ひとつだけ渡された。本当にひとつだけだった。でも別に構わない。

てろんと溶けている、耳と顔。手も口も、もくもくと食べ進めている。頬を緩めて、とても嬉しそうだった。


「よかったな……?」

「うん!」


 一晩おいたサマロは水分と甘さが馴染み、食感も、甘さも香りも、作りたてとは変化して段違いに濃密になる。


 イチヘイはその甘さを茶で飲み込む。鋭い目付きに似合わぬ穏やかな顔で、つづいて二つ目を頬張り出す彼女の顔を見る。当初は縞を吊る餌の意味合いの方が強かったが、作った甲斐はあったと思った。


 そうしてまた、ざらりと胸を舐めだす何か。触れようと胸に手を当てたとき、彼は指先にある硬いものに気づく。


 ――ああ、そうだった。


 思い出して、もう一度名を呼んだ。


「んう?」と首をかしげる彼女に向け、取り出したのは四角い箱。厚みは四~五センチ、小さい正方形のかたちは十五センチ程度、片手にどうにか収まる程度の大きさだ。上着の懐から取り出して渡す。


「お前にも、これやるよ……。結局押し売りババアには勝てなかった……」


それは簡易な紙包みと麻紐で、無造作に(くる)まれている。

「え、え、なーに? ノナウばーちゃんがどうしたの?」 と受け取るフィーは、突然の贈りものに困惑と期待でぱたばたと、しっぽをラグの上に跳ねさせている。


 フィーの指先が紙を開くと、そこには精緻な細工箱。緩く歪むガラス板の奥には、青い蝶が一頭。羽根を広げ胸を針で留められ、飾られている。


(あのばばあ、最後までゴネて面倒だったな……)


そんなことを思いながら、彼女の顔を覗き込む。こんなものをフィーに贈るのも、多分初めてだった。


「一番小さい箱だけどな。……蝶。好きだったよな」


 するときょとんと目を丸くした一瞬の間のあと、フィーは

(はりつけ)の、ちょうちょ……」

と呟き、黙った。


「……フィー?」


 そして更に数秒の沈黙のあと。


「へへ、えへへへへぇ……?」


 イチヘイは、崩れるように変化していく相棒の声音と表情に、一瞬で顔を曇らせていた。


 ――――フィーが、壊れたように笑いだしていたからだ。


「フィ、ぃ……?」


 呼んでももう返事はない。いつもの親しみが籠った光で、イチヘイの目を見ようとはしない。


 零れていくのは、ただ震えて、乾いた笑い声。


 彼はそこで察してしまった。


 その笑みがもう、こちらに向けられているモノではないということに。


 それは幾度となく越えた夜の底で、彼女の近くに添いつづけるイチヘイが最も恐れ、向き合うことを(いと)うて逃げて来たもの。

 

 ――フィーゼィリタス・アビの内に巣食いつづける、道理の通じぬ狂人たる一面――あるいは、あの月の夜からイチヘイが抱えてきた罪の(すがた)に、ほかならなかった。


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― 新着の感想 ―
むむ? (´・ω・`) 喜んでいるようにも思うけどイチヘイ視点だと感じ方が違うのかな? フィーも喜んではいつつも情緒不安定になるとか? まだまだフィーの精神性には謎が多いですね〜。 (・∀・)
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