86.身体のあるお化けの解⑤ -贈りもの(上)-
読了目安 4~6分
がつがつクチャクチャ、猫だとしてもその食い散らかし様は、イチヘイも顔をしかめたくなる程度には汚かった。
「んええ、そこの模様、お気に入りなのにー!」
ぼとりとこぼれた食べカスでラグを汚されたことに、フィーは気を悪くしたようだった。
途中で眉を吊り上げながら立ち上がったかと思うと、縞の皿を横からサッと取り上げる。
「ニャァ、何すんだにゃァ!」
「んもー! 食べ散らかさないで綺麗にたべるのよう! もっとゆっくりお上品にー!」
口先を尖らせながらそれを食事の輪から外し、コトリとバルコニーの、何もない隅に押しやる。
すると縞は身構えたような表情でフィーを見上げ、考えるような沈黙をおいて一拍。それからすぐに、
「……? 『お赦し』はないのかァ? ニャ?」
なぜか面食らったような顔で質問しはじめる。その言動に、イチヘイは興味を持たない。ただ、フィーも同じく縞の反応が理解できないのか、「ん、え……?」と同じような表情をしはじめた。
「おゆるし、って……?? ……ふーんだ! 許すわけないのよぅ!!」
イチヘイはそのやり取りをじっと見ていたが、
「へェへェ……承知しましたニャ」
すぐに縞は、そびやかしていた耳と肩から緊張を剥がし、またおとなしく食事に戻る。さっきよりは食い方も大人しくなる。
「……なんなんだ、ニャ……」
なにか戸惑うような声がまだ聞こえるが、どうやら本当に、もう害意はなさそうだ。それ以上は無視することにして、イチヘイもようやく自分の食事を摂りはじめた。
砕いた木の実と豆の混ざる煎り米の粥を食し、取り分けた青頭巾のもも肉をかじり、旨辛い味付けの、炒め野菜の歯応えを楽しむ。
そうしてひと通り食べ終わり、少し冷めた茶を啜ったあと、彼はふと、まだ花登に渡していないものがあったことを思い出した。
一度席を立ち、居間の本棚に並ぶ古い本の隙間から、薄い板状のものを引っ張りだしてくる。
「――おら花登、これやる。古いもんだが、魔石具だ」
「ぬ?」
午後の日差しが家の屋根を乗り越え、茶会の場にも差し込みはじめている。
手指の厚さ程度しかない、黒くて薄い板だった。大きさは中ぶりのノート程度。塗装された木の板に薄く切った魔石を張り、上からまた黒い硝子の釉薬を焼き付けたものだった。
上からの光を浴びて黒釉が薄く透け、下にある魔石そのものの模様が、流紋のように柔らかく輝く。
携帯できるよう、上部二ヶ所に穴があり、古い布を細く状に縫った肩紐がついていた。
「き、れい……」
透けて見える模様に惹かれたのか、花登がうっすら呟く。茶のおかわりを啜っていたフィーが顔を上げた。
「イチぃ、それ、お師匠さまがボクたちに一個ずつくれたやつなのよう?」
「そうだな、俺のお下がりだ」
これは師匠が『筆記板』と呼んで設計し、作ってくれた魔石具だった。イチヘイがまだこちらの言葉をあまり覚えていなかったころから、こちらの文字は読めたほうが将来便利だろうと学びのために与えてくれたものだ。
この世界で、『字が読める』ことはかなり恵まれた武器になる。
ついでにフィーと一緒にある程度の教養も学べと、武術の訓練の合間にこれに書き取りをさせて教えてくれたりもした。
使い道は名前の通りだが、繰り返し使える上にインクは要らない。……というか、使い方に慣れればペンすら必要なくなる。
「ちょっとコツを覚えれば、考えたことをそのまま文字におこしたりもできる。お師匠の話だと、見たままの画像も念写できるらしいんだが。……お師匠は易々やってたが、俺たちはムリだったな」「そうねえ、難しかったよね」
まあ、慣れないうちは指をペン代わりに使えば文字はかけるぞ、と、そこまで付け加えて説明を終える。
「俺と長い話するのに、必要だろ。ぶっちゃけ紙もインクも高えんだよ、お師匠の部屋からずっと拝借してたが、そろそろそれ使え」
言って、彼は胡座の上に頬杖をつく。榛色の面差しを見つめた。
「うん……」
静かな頷き。そこにある表情は、いまにも開きだす蕾の一瞬を切り取ったかのような、静かな興奮と喜びだった。
「イチ兄、ふぃぜ」
「ん」
「あり、がっ」
言いきれなかったのか、あるいは嬉しすぎたのか、顔を上げ、そこでゲホゲホと噎せだす花登。イチヘイよりは近い位置に座るフィーが、驚いてその背中を擦りにいった。
ふと横から視線を感じる。縞だった。食事は終えたらしい。口のはしに食べカスを貼りつけ、信じられないものを見るような目でその光景を見ている。
「あ゛? なんだ?」
「……家族ごっこニャァ? ごしゅじんサマ」
「は?」
ポツリと呟かれた声に含まれるのは、なぜか嘲笑や揶揄だけではない。驚愕……のようにも受け取れた。
まあ、確かに「ごっこ」なのかもしれない。
しかし、この馬鹿がのたまえば、分を弁えない発言にしか聞こえない。イチヘイはその無礼さをそのまま打ち返すように、辛辣なことばで茶々を入れた。
「なんだ? 羨ましいのか? お前、眇目にも仲間の奴らにもあっさり捨てられてたもんな? ……随分薄情だったなあアイツら」
「――ニャ゛あぁン?!」
しかしその途端である。隠していた爪を剥き出すように、縞の表情と声が切り替わる。
「――お前らみてェにのうのうと生きてるおめでてェ市民によォ、なにがわかるってんだにゃ! 眇目サンを悪く言うならぶち殺すぞォ、オイ! に゛シャァー!!」
「は?」
いきなりの激昂である。縞はまだ鼻筋にシワを寄せ、眉を吊り上げている。
「眇目サンはよォ! 優しくてイイ人なんだニャぁ~!!」
(どこがだよ……)
思う気持ちもあったが、会話を続けるのすら面倒なので飲み込む。しかし一方では、(たまにこうして他人を怒らせることもある彼には)皮肉にもこの猫の主張も理解できてしまう。
要は今イチヘイは、この馬鹿が、馬鹿なりに大事にしている何かの琴線に触れてしまったのだ。
……ただ、だからといって別に共感も謝罪も、これにする気など毛頭ない。そんな価値はこれにはない。代わりに、『逆らうなゴミ。約束を守れ』と、再び脅しをかけようとする。
しかしそこへ、横から会話に入って来るものがあった。
「――ミミ、やきも、ぢ?」
イチヘイは面食らって横に顔を回す。
「花登」
彼女は縞を見ていた。
おそらく、花登のそれは見当外れな問いだ。証拠に、機俊な動きで縞も花登を振り仰ぐ。
「にゃ?! ちげェよチビ! ガキが割り込んでくんな! ニャ!」
「……おい、言葉に気を付けろよゴミ……」
だが背中の毛を逆立て、シャーと睨んでくる金色の目を見ても、花登は怯まない。
じっと見る。
それから一言、
「……ついて、き、て」「……に゛ゃ?」
言って立ち上がった。
「ミミに、用事。『めいれい』……」
命令。
それを聞いたとたん、白丸のついた黒い耳は力なく斜めになる。思わぬ横やりに勢いを削がれたようにも見えた。
「わかった、ニャ……チビ」
「ミミ、えらい」
「というかなんだその名前にゃ! オイラには縞サマって名前がよォ! にゃ」
どこから出てきたのか、イチヘイにもさっぱりわからないあだ名に縞は食い下がる。
一方、縞の背中についた輪っかのような黒い斑点模様を見下ろし、ハナトはにべもなかった。
「ミ、ミ!」
同音二文字。静かだが、毅然とした態度だった。




