84.身体のあるお化けの解③ -青頭巾とミミ-
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気持ちの良い風が吹く。空が青い。
花登は目前に目を戻す。古ぼけたバルコニーの上では茶会が始まっていた。花登と同じ顔をしていた鏡写しは無形へと還っていった。
名残は、木のカップの中にくゆる湯気。鏡写しが最後に注いで行った茶だ。
それから昨日、フィーとのお昼寝に使った絨毯の上には、並べられた幾枚かの皿。その皿には、肉や野菜の暖かい料理が盛られている。
茶会とは聞いていたが、お菓子はサマロ以外にない。
クッションはあるものの、卓や椅子はない。実際はおうちの前でするピクニックやバーベキューみたいなものなのかもしれない。
甘いものは最後、とイチヘイから言い含められたせいで、花登の脇でお茶をすするフィーの眼差しは、ずっとサマロの盛られた器に釘付けであった。
花登はそれを横目に見ている。本当に大好物みたいだ。
けれどそこで、ほんのわずかいなくなっていたイチヘイの姿が目の端を通った。低い声が耳に飛び込んできて、花登の意識は正面に戻る。
「……おい、てめえに確認することがある。今からその口の布を外すが――」
見ればイチヘイは眉間と鼻筋にシワを寄せながら、ゆらゆら揺れる縞を睨み付けていた。
茶色の繩で身体中ぐるぐる巻きにされてぶら下がって、なんだかミノムシみたいだなあと花登は場違いに思う。その間に、イチヘイは自室から持ってきたらしい短刀の切っ先をスッと抜き、金色の目と茶色の鼻先に突き付けている。
物騒だけど、庇護者にはわがままを聞いてもらった。だから仕方ない。僅かに胸に走る緊張をまるごと押し込めるように、ハナトもまた暖かいお茶をすする。烏龍茶に近いけど少し青臭さもある、変わった味がする。
一方では深紅の眼差しをした横顔が、本当に軽蔑した色で猫を脅しつけていた。低い声が、何かの感情の揺らぎに僅かに震えながら響く。
「……言っとくが口には気を付けろよ」
「むーぅう?」
喋れないまま、まだヘラヘラ笑う縞。イチヘイが怒りの表情はそのまま、どこか呆れたように溜め息をつく。
「……どうやら忘れてるようだから教えてやるが、てめえがこの後も無事に息を吸って吐けるかも、それから、元に戻りてえって希望が叶うかどうかも、全部俺たちが握ってんだ。……そろそろ弁えろよ? クズが。
下手なこと言ってみろ、この刃でその首、掻き切ってやるからな」
「に゛に゛っ?」
その刹那、縞の耳と尻尾がぴくりと跳ねるのを、花登は確かに見た。あんなに威張っていたのに、もしかしたら言われるまで本気で頭になかったのかもしれない。
だって次の瞬間から――――、ベルベットのような黒地に白い斑点がひとつだけある〈刷毛尾猫〉の三角耳も、背から先っぽにかけて一本だけ黒い筋が走る、筆みたいな灰色の尻尾も、どこか落ち着きなく垂れ下がったからだ。
(えっ、イチ兄の言う通り、この猫ちゃんホントにおばかなのかも……?)
イチヘイは手にした短刀の切っ先で彼の頭上のロープを切り落とすと、果物みたいに木から猫を収穫してきた。
それからどさり、と無造作にバルコニーの端に転がす。ぐ
むっ! と呻く縞。その鼻先の木の床に、威嚇のためかイチヘイの短刀がトスンと刺さる。
イチヘイはフィーのすぐ脇に腰を戻しながら、縞の口に押し込めていた白の台布巾をパッと引っこ抜いた。
「ぶはっ! にゃ」
また汚い言葉を吐くかと思った。でも縞はもうおとなしい。横たわった尻尾をパタン、パタンとどこか不安げに床に打ち付けながら、イチヘイを睨み上げる。代わりに静かな問いが投げ掛けられた。
「……何だにゃ? わざわざオイラに、オイラを殺していいか聞くつもりなのか? にゃ?」
「んええ、この〈青頭巾〉のお肉、こんがりしてて美味しいのよう? ハナトちゃんも食べるのよぅ」
真面目な雰囲気と縞とイチヘイの間を、場違いに上がる声と料理の匂いが抜けていく。
「ぬ? うん……」
「なあ、フィー?」
イチヘイがまた少し呆れた口調でフィーの頭を撫でた。多分黙っててくれみたいな意味なのだろうけど、その顔つきは、縞と対峙しているときと違ってやっぱりすごく柔らかくなる。フィーも撫でられるとちょっとだけ嬉しそうに耳が下がる。
……やっぱり付き合ってる?
取り分けられたお皿の肉は青頭巾のあばら骨の部分みたいだった。骨がついている。一口かじると庭のハーブが効いていて香ばしい。下に敷かれていた黄色い根菜も、青頭巾の脂を吸って美味しそうである。でも、同時に思い出してしまう。
(そういえばこの鳥、今朝ふぃーぜが羽根を引っこ抜いててた……)
ふと、花登は視線を感じた。
顔を上げると、縞が流し目にこちらを見ている。試しに肉の乗った木皿を左右に動かすと、縞の瞳孔も僅かに広がりながらも左右にずれる。
とそこに、一通りフィーを撫で終わったイチヘイが、やっぱり怖い顔に戻って、伸ばした足の爪先で縞を一蹴りする。ごろりと仰向けにさせられる猫。
「に゛ゃっ!?」
「おい、今から言うことを全部呑むなら、解放してやる。
……だがな、いいか。これは俺の本意ではない。アイツが言うから仕方なく考えた条件だ」
言って、傷痕だらけの指は悠然と花登を示す。
今度こそ金色の双眸と目が合った。
「は? 解放? にゃ、舐めてんのかニャ?」
イヘヘ、とせせらわらう縞を無視して、イチヘイは話続ける。
「ひとつ、俺たち三人の前以外で喋るな」
「は? ニャ?」
響きだす、凛として喉にかかる低い声を聞き流しながら、花登は目の前の猫を見つめる。
花登は確かにこの縞と、その仲間たちに捕まっていた。痛いことも、酷いことも、された。でも捕まっている間、正直この猫とはあまり顔を合わせた記憶がない。牢の前を通りすぎる度に、下卑た笑みで中を覗き込まれたくらいかもしれない。
なんなら彼のこの特徴的な笑い声で、ようやくこの猫も"群れ"の仲間であることを思い出したくらいだ。
イチヘイからの話を聞く限りでは、花登の知らないところでかなり人に酷いこともしていたのだろう。けど、だからといって、この見た目可愛い中身最悪なふわふわネコチャンを、ゴミみたいに埋めてしまう場面に加担できるほどの覚悟を、花登はどうしても持てなかった。
今食べているこの青頭巾を、イチヘイが首をへし折って血を抜く場面に遭遇してしまって、それだけでハナトは少し怖かったのだ。
それでもそのお肉は、やはり美味しいのだけれども……でもそれでも誰かの命を奪うことの重みを、ハナトは背負いきれると思えなかった。それは自分が弱いせいなのかもしれない。
――『ころさないで』『死ぬとこ見たくない』『ころすほどっの、事じゃ、ないっ』――。
だからイチヘイが埋めるかと言ったあの時、出ない声に噎せながら、全力で止めてしまったのだ。
(イチ兄、鳩が豆鉄砲食らったみたいな顔してた……)
多分迷惑になるだろう。でも、聞き入れてくれた。
それは――貝殻の薬。着せてもらったこの服と、絨毯の端に揃えて脱いであるあの赤い靴と合わせて――また一つ、花登がここにいていい証明のようにも思えた。
聞けばこの世界では布も服も、とても高価なものだったから。
(……たとえホントに帰ることが、できなくて、も……)
きっと弱くいてはいけないのに、甘えてしまう。
(あたしが子供だから……なにもできないから……)
見た目も中身も全然違うのに、目の前の悪辣な猫に、どこか自宅で飼っていたトラ猫のミミを重ねてしまう。また少し切なくなる。
ハナトは湯気の向こうにくゆる故郷への思いを誤魔化すようにまた一口、皿の上の肉にかぶりついた。




