82.身体のあるお化けの解② -吊るされた男-〈上〉
読了目安 7~4分
(今回、どうしても一話にまとめたかったのですが長くなりすぎたので上下構成にしました。後半は短いです)
自分は、奴隷にしてはならないものを奴隷にし、苛めるのを楽しみにしてきた。
"群れ"の中でもそれを許されていた。
自分は、嫌がる女をみるのが好きだ。
子供は趣味じゃないからどうでもいいが、お前なんかぶち殺してやる。それだけのことが、自分にはできる。
前回は網でぐるぐる巻きにされたが、それだって自力で抜け出して、この家の二階からずっと様子を見ていた。
だから自分はすごい。自分はえらい。こんな拘束、自分にはどうってことない。おいやめろ、そんなにロープを絞めたら苦しい逃げられないだろふざけるな。
いや、だから放せ。元に戻せ。カナイナとか言う女に会わせろ。せっかく自由を貰えたのだから、自分を元にもどせ。戻ったら綺麗なねーちゃんといいことをするのだ。
そんなことを、クソガキがー! ちびのくせにー! ゆるさないー! 殺すぞー! 犯すぞー! とニャーニャーいいながら喚いていたらしい。鏡写しはそれを、一字一句余さず語り終えた。
別にあの二人に話を聴かせたくなくて席を外させたわけでもなかったが、全部耳にさせられたイチヘイは、
(いや……これは結果的に良かった、のか……?)
と、細く息を吸いながら額を覆った。花登の声と顔でやらせてしまったことにも、微妙な思いを抱えている。
やはりふつふつと、憎しみと怒りは沸き上がり続けている。
しかし耳に入ってくる、これの小物っぷりに対する呆れが僅差で凌ぎ、嫌な均衡での冷静さを保ててしまっているのがまた癪だ。こんなのに、フィーは風呂を覗かれていたのである。またムカつく。
それにソルスガの言っていた通り、兆嘴商会の腐敗がかなり深刻であることまでも、コレの発言から察せられてしまった。
縞は木に吊るされたままだ。
今は自らの発言をおうむ返しの如く余さず反復されたのが気まずいのか、尾っぽを揺らし、微妙に眉をしかめて明後日の方向を見ている。しかし気にはなるのか、耳が分かりやすくこちらを向いている。
この様子ではまさか、自分を捕らえていたものが人ですらなかったとも思っていなかったにちがいない。
確かに、縞尾族には竹を割ったように素直で、あっけからんとした性格の者が多かった。だが、それにしても――――縞は明らかに、『馬鹿』あるいは『間抜け』に分類される部類の何かである。
何せ今の発言で、自分の『人柄』『知性』。"群れ"の『内情』。さらには、どうやら元の姿に戻りたいと考えているらしい『目的』。誰が自分をこの状態にしたと思っているかという『勘違い』まで、すべて間接的にこちらに知らせている。
交渉の手札を切るという発想すら無さそうで、敵ながら呆れてしまう。いっそ罠かとも思う程だ。
しかし一昨日、家の玄関前で縞と対峙したときから、罠にかかるまでのコレの言動を振り替えると…………やはりただの馬鹿なのだろう。
(『拷問がどうの』とかフィーが言ってたが、もうそれ以前の問題だな……)
ただ、そのときである。自分を眺めていたイチヘイに対して、縞の金色の両目が偉そうに光った。
「おい、糞にゃロウ」
「……あ゛?」
顔を上げ、イチヘイは静かに房毛のついた三角の耳を睨んだ。
「なんだ? 捕まって動けもしねえ間抜けの言葉づかいには聞こえなかったな? 弁えた方がいいんじゃないのかクズ」
「あン? ニャんだってェ?!」
ダミ声が荒がる。しかし、すぐにフン!と馬鹿にしたように鼻を鳴らし返してきた。
「ニ"ャッ! オイラはなァ、てめェみてェにたった一匹の女のケツ追っかけ回してるような視野のちっせえヤツとは器が違うんだよォ!!」
「は?」
イチヘイには言っている意味が分からない。
「あんなぺったんこのすっぽんぽん、オイラが見たくれェでキレやがってよォ?!
見てたぞォ、てめェがぶちギレ出したの、あそこからだったよニャァ?! 見て減るもんじゃねェ以前に、あんなの、減るほどの乳も無ャい……」
この馬鹿は、極端にいえば何もできない。
縞にかけられた変身魔法は、イチヘイの師にしか解けないものである。つまりどんな事情があろうとも、イチヘイたちの口添えは必須。元の姿に戻りたくてここに居座っているのなら、主導権も永遠にこちらが握ったままだ。
ゆえにこれも、ただただ立場の分からない馬鹿の、負け惜しみの挑発である。のせられるだけ無駄だ。
なのにその瞬間、敷布の上から立ち上がったイチヘイは、今度こそ感情の均衡を無くしている。目前の猫を、明確に『嫌悪』している。そして同時に、この悪辣な表情をした猫を明確に『軽蔑』している。――――それは名前のつく、新たな感情の獲得だった。
一発入った蹴りと共に、ドスッと鈍い音が響く。
「ギニャッ!?」
あまりの勢いに、小さい〈刷毛尾猫〉の身体は振り子のように跳ね上がる。そのまますぐ上の横枝をもう一本巻き込み、ぐるりと上下に周回した。
一周して戻ってきた縞の身体は、枝周りで巻き取られた綱のぶんイチヘイの胸まで位置が上がってくる。ゆらゆらと揺れ、ゲホゲホッと噎せながら、しかしまだ余裕の表情を見せていた。
「ハッ、イヘッ、イヘヘッ、キレてるニャァ……だっさいニャァ」
「っ!」
『コイツが嫌い』。それは彼にとって初めてのことでもあった。
炎の点った鋭さで、相手の目の奥を抉るように睨みつける。吊るしている縄を掴めば、ミシリと繊維が鳴く。
縞はニヤニヤと嘲笑を浮かべながら、首をかしげてイチヘイを見上げている。ちなみにコレの中身は、見た限りでも三十前後――イチヘイより一回り程度は上であろう大人である。そのクセ、拘束からはみ出した尻尾は何がそんなに楽しいのか、彼を煽るようにゆったりと揺れている。
「イヘヘヘッ、なんだァ? こーんな可愛いネコチャンをいたぶるのかァ? 趣味悪ィなぁクソ野郎~」
「あ゛あ゛? その減らず口、今すぐ利けなくしてやろうか……?」
心底 腹立たしい。他人からの侮辱に、ここまで気分を悪くしたことはない。
(――――あ゛……?)
そのとき、怒れる頭の片隅にほんの僅か、不思議な思いが巣食う。いや、思えばこんな場面が、数日前にも一度だけあった。あのときも確かフィーのことを眇目に馬鹿にされていた。
(まて、何で俺は、相棒ひとりのことでここまで怒――――)
ただそれ以上、深く考える隙は与えられなかった。
わずかに獣臭く、けれど甘い匂いのする風がふわりと頬に触れる。いつの間に横に駆け付けたのだろう。
「――――んええ……い、イチ! ダメ。怒っちゃダメよぅ……! ボクもねぇ、この猫オジサンすっごい嫌いだけど、怒っちゃダメなのよぅ!」
イチヘイの無二の相棒、であった。
しかしその声はいつになく焦り、どこか祈るような、或いは縋りつくような口調をしている。濡れていたせいか冷えて、少し湿った肉球のついた両手がイチヘイの手首を挟む。震えていた。
縋るような瞳が彼を見つめる。
「っ? フィー?」
「ダメなのよぅ……」
ふるふると振られる首。
イチヘイは思わぬ庇いだてに面食らう。縞も驚いたようだった。だが、彼が握る綱を手のひらから引き剥がしたフィーは、庇ったはずの縞には一瞥もくれぬまま、それを無造作に空中に放り投げる。
ぴんと張って揺れだした振り子は、そのまま重りの顔面を、ロープを支えている木の幹に、
「ぶえっ……ぐにゃっ?!」
二度にわたって正確にぶつけていった。
「っ、おい! おいクソアマァ! 縞サマに対してなんだ、アホヅラかましやがって!」
「あ゛あ゛?!」「んええ、イチッ……」
左右に揺れながらまだ悪態をつく縞。フィーからの諌めが再び入るも、一瞬また、怒りの導火線に火花が落ちる。
……だがそこへ遅れて、台所の勝手口から最小限の静かな歩きで花登が登場した。
新しい服は、黄色と浅葱色の縞模様の七分丈の上着。その下に、胸の辺りと裾に草木がモチーフの刺繍の入った袖のないワンピースを着ている。濃い赤色の布靴で、軽快にバルコニーの階段を降りて来た。
……そしてその手には、なぜか台所の布巾が握られている。黙って縞に接近する。縞がなめ腐った態度で花登に方眉を上げた。
「ァん? なんだチビ、やんのかァ?? オイラは暴力には屈しなモゴっ?!」
そのまま無言で、縞の口に押し当てる。何事か、モゴモゴ言って身体をくねらせだす縞に向かい、静かに口を開いた。
「ねこ、口悪い……」




