80.身体のあるお化けの怪④ -お化けの朝-
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青頭巾を殺したのは、本当に腹が減っていたのと、ただの退屈しのぎだった。
小屋の中に鳥はたくさんいたので、扉の掛け金さえ戻してしまえばすぐにはバレないだろうと思ったのに、あのイチヘイとか言う人族の仏頂面は思ったより簡単に見つけてしまった。
面倒だ。
だが、きっとどうってことにはならないだろう。
朝もやのけぶる二階の屋根の上。そんなことを思いながら、彼は欠伸をしてそれを見ていた。
◆
巣蜜に手をつけたのは、失敗だったかもしれない。だが後悔はしていない。何しろあんなの、彼には生まれて初めての経験だった。
あの味が、「甘い」と言うのか。
人生で二番目にいい経験をした、と彼は心を踊らせた。
ちなみに一番目はいつでも、女の嫌がる顔を見ることである。あのフィーとか言う耳長族の女は、巣蜜を食われてアホヅラを晒していた。腹が立つ女だったので、良い気味だ。
◆
彼は聞き耳を立てている。
イチヘイは、彼の存在に気づいた。そして彼を幽霊と呼びながらも、『お化けには身体がある』とガキに言った。更には彼を捕まえる、などと話し出している。
この男はなにを考えているのか油断できない。
どんな風に仕掛けて来るのか、彼は少し身構えた。
◆
イチヘイが、フィーのためにサマロという菓子を作った。
いちゃつきやがって。腹が立つ。と、彼は梁の上に身を潜めながら、尻尾を不機嫌そうにくねらせる。
だがヤツがガキにしていた説明を聞くに、サマロとは相当高くて甘くて旨いものらしい。
せっかくこの家に潜もうと思ったのだ。隙を見て食ってやっても良いだろう。
巣蜜はとても『甘』かった。もう一度『甘い』が欲しい。
サマロが焼け始め、濃密な匂いが充満しだした部屋の中、彼はゴクリと生唾を呑んだ。
◆
どんな作戦を仕掛けて来るのかと身構えていたが、獣用の罠にサマロを仕込んで来るなど、ちゃんちゃらおかしい話だ。彼は吹き出しそうになるのを必死にこらえて、水小屋の上からその様子を眺めていた。警戒して損した。
どうやら彼が、言葉がわかる天才的な『幽霊』だとまでは、間抜けなイチヘイは思っていないようだ。
罠を仕掛けたあと、ガキとイチヘイは夜の散歩でもしに行ったのか、森の奥へ消えた。つまらない。
仕方ないので、彼は水小屋の窓から立ち上ってくる湯気に近づく。
下手くそな鼻唄が聞こえる。おぼろに残る古い記憶が、麦踏みの農歌だったと主張してくる。
別にアホヅラは趣味ではないが、腐っても女だ。乳くらいは見てやろう。
◆
……つまらんものを見た。
確かに耳長族のアホヅラは女ではあったが、あそこまで平たいとは思わなかった。彼は気分を悪くして、思わず
「貧相だな、つまんねェ!」
と悪態をついてしまった。しかし、声を聞いたフィーは怯えている。それを見た彼は楽しくなって、笑い声を上げながらその場を去った。
やはり女は、乳がある方が良い。それが彼の金言である。
◆
初夏の風が吹く。今朝は朝靄がかからなかった。
朝イチで外に出て来たイチヘイは、彼が見つめる先で、罠を確認して回る。それから直ぐに彼が入っていないことに気付き、大げさなまでに肩を落としている。それに昨日の夜からは目に見えて、妙に不機嫌そうな顔をしていた。良い気味だ。
誰があんな子供だましの罠にかかるものか。彼は茂みの中で、あかんべーと舌を出しておく。
◆
朝食を済ませたあと、三人は家中の戸締まりを済ませ、どこかへ出掛けていった。
しかし、いくら扉と窓を閉じられても、『幽霊』の彼には関係のないことだ。彼は書斎に通じる暖炉の煙突からするりと忍び込んで、台所の皿の上に、焼きたてのパンが一切れ残っているのを見つける。もちろん食べた。
スープも残っていたので、そちらも啜っておいてやった。
と、そのときだ。
『もどりました』
ガキが一人で家に帰ってきた。かと思えば、一人で家の掃除をし始める。相変わらずアホヅラから借りた薄い緑の服を着ている。
それが終わったら、次は洗濯に、畑の水やり。
どれも、子供にさせるにはえげつない重労働だ。
だが、彼の中では子供が大人にこき使われるのは当たり前のことである。満腹になった彼は屋根まで上って、気に留めないつもりだった。
しかし、他に見るものがないせいか、どうしても気になって目で追ってしまう。
◆
……昼を少し過ぎたころ、新しい動きがあった。
ガキが外のバルコニーに厚手の絨毯を敷き、軽い食事をつくりだしたのだ。すべて出来上がると、湯気の立つそれらは花木を意匠にした敷物の柄の上に並べられた。
茶を沸かす準備までし始める。
彼はその様子をじっと見つめて考える。
そういえば昨日、間抜けなイチヘイが帰ってきたら茶会をすると貧相女に話していたと、思い出す。
やっぱりいちゃつきやがって、良いご身分だ。
彼は不機嫌に鼻をならした。
しかし次の瞬間には、彼の瞳はとある一枚の皿の上に釘付けになる。それは盛られているものがこんがり狐色をして丸い……昨日のサマロだったからだ。
その上、午前中の労働がかなりキツかったのだろう。
一通り並べ終わると、ガキは疲れた様子を見せてラグの上に寝そべり、そのまま(昨日の貧相女のように)居眠りを始めた。
なんて都合のいい状況なのか。
「しめしめ……」
彼は静かに屋根を伝い降りると、ガキの脇に並べられたご馳走に向かってそっと忍び寄っていった。




