79.潜むもの、変わるもの④ -オフィーリア-
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フィーがお化けにお風呂を覗かれる、あの奇妙な事件があったあと。
花登は改めて筆談を交えて、イチヘイたちにシーナバーナのことを話していた。
夢の中で出逢った、カナイナ先生と同じ顔をした白晶族の不思議な女性。
彼女が花登のことを、『ハンバニ』と呼んでいたこと。花登が話せないのを可哀想だといって、『耳』をくれた。かいさいのびょう? という場所に来て欲しいと言われたこと。
全部、文字にして見せた。けれど、残念ながらイチヘイにも、(ちゃんと服を着て)途中から話に割り込んできたフィーにすら、あまり信じて貰えた様子はなかった。
『んええ、花登ちゃんそんな〈天賜《ギフト》〉持ってたの? すごいのよぅ! これでどこでもお話できるの!』
フィーの方ははしゃいだ様子で、話を聞いていたのかいなかったのかよく分からない返しをしてくる。イチヘイに至っては、
『――――夢の話って……。さすがに不確かすぎるだろ。
目の前に同じ顔のヤツがいたから、無意識でそういう事になったんじゃないのか……? 人間の記憶って意外と曖昧だぞ??』
カナイナの話が出てきた途端、だいぶ訝しそうな顔をして否定してくる。その上で彼は、
『それより、この世界には〈天賜〉っつー、特殊能力を持って生まれて来るヤツがたまにいるんだが……』
と、別の説明をしはじめた。
〈天賜〉は、〈稀人〉がこちらに来た途端、力を発現させる者が確率的に多いといわれること。彼自身にも戦闘能力の上がる〈祝福〉という天賜があること。
途中からフィーまで参加してそんなことを大真面目に説明されてしまうと、多くを話せない花登はもう口を噤むしかなかった。
◆
――――(絶対違うとおもうんだけどな……)
思い返し終えて、昨日のあの微妙な空気の中から気持ちが戻ってくる。
大人二人は大真面目だったが、そのせいで余計、二対一は無力だった。普通に言葉で話せたらもっと反論できただろう。
けれど、あの場でわざわざ文字で綴ってまで説得する気力は、花登には湧かなかったのだ。夢と言うのは、真実として語れば語るほど、人前では嘘みたいにしか聞こえなくなる。途中でその事にも、彼女は気付いてしまった。
それでも、確かに夢の中のシーナバーナは優しかったし、花登に「耳」をくれたのだ。だから花登はいま、こうして森の家を出ても、ナンナの話している言葉が分かる――――花登はやっぱり今も、そのように信じ切りたいと思っている。
たとえ途中から面倒になって、あの二人に信じてもらうことを諦めたのだとしても、だ。
「ハナト……さん?」
と、完全にうつむいて黙りこくってしまった花登を目にし、ナンナが何か焦ったような表情をみせはじめる。
「あ、ごめん、なさい?! そうだったわ、貴女、上手くしゃべれないんだって、ノナウばあちゃんが言ってたの忘れてた!」
目の前に回り込んできて気遣うように覗き込んでくる、気の強そうな両目と眉毛。
そこにある面影と言葉に、花登は瞬きを繰り返した。大丈夫だよ、という気持ちでふるふると首を振ってみせようとする。
ただ、そのときだった。
子供たちと川面を駆け回っていたフィーが、すぐ脇にいた子供二人と背中合わせにぶつかり、盛大に蹴つまづく。
――――「ひゃぁああっ!?」「わー!」「きゃー!?」
上がる叫び。
同時にすぐ側で『ばしゃん!!』 と声の数と同じ分の水しぶきが盛大に上がり、花登とナンナは揃って水を被る。冷たかったし、びしょ濡れになった。
「ひゃーーー? んへへ……あははははっ!! 倒れちゃったのよぅーー!! びしょびしょー!!」
水の中で仰向けに寝転がり、楽しそうに笑いだすフィー。
すぐそばにいた他の子供たちも、もちろんもれなくずぶ濡れである。周囲からは賑やかな悲鳴が上がり
「ちべたい! 」「ちょっと、転ぶなよー、おひいさまー!」
水路の底はにわかに騒がしくなる。
その笑い声を耳にしながら、少女二人は互いの服からしたたる雫に目を向ける。見合わせた顔同士、自然と相好を崩していた。
―~*✣*✣*~―
「きゃー!」「わー?!」と上がる子供の叫び。その中に確かにフィーの悲鳴がまじるのを耳にして、駆けつけたイチヘイだった。
結果、大きいうさぎが、びしょ濡れの子供たちに恨めしげな視線を送られながら、浅い水辺に浮かんでいた。誰かがしりもちをついた拍子に落としたのか、水面には岸辺に生えているものと同じ赤色の花が浮かび、その横を流れていく。
水面のきらめきに埋もれながら、フィーは楽しそうにけたけたと笑っていた。
その様に一瞬、見惚れてしまう自分がいることにイチヘイは気付く。またざらりと、説明のつかない感情が胸の裏を撫でる。しかし――――その瞬間のそれは、これまでになく明確な輪郭を持ち、
(……~~したい)
確かに何かの欲求を彼へと囁いた。イチヘイはハッとして、今までにないその感覚の端を掴もうと手を伸ばした。そして失敗した。
同時にフィーの顔が岸辺に佇む彼をとらえ、花の咲いたような笑顔を向けてきたからだ。
「んえーイチヘイ! 終わったのよぅ?! かえる?」
「あ゛? ああ……」
聞きなれた声に呼ばれて、意識は外に向く。
起き上がってきて、服の裾や頬の先からびちゃびちゃと滴りだす水。着ている男物の服も毛並みも身体に張り付き、下の骨格や体つきが強調される。濡れると意外と細い。
イチヘイはまた昨日のお化けの一件を思い出し、びしょ濡れの半裸で飛び出してきたフィーの姿を思い出す。一度忘れていたのに、あの瞬間の驚きと目のやり場のなさを思い出し、また無性にイラついた。
そこへ、花登も立ち上がってそばに寄ってくる。なぜがこちらも、臍のあたりから下は水をかぶっている。
「いや、なにやってんだよお前ら……」
余りにずぶ濡れすぎる。
苛立ちに呑まれて怒りたくもなったが、きっとイチヘイの表情の変化に気づいたのだろう。困ったような上目遣いで自分を見やる花登に、彼はやはり幼いころの自分の面影を見てしまうのだ。
そんな小さい同胞を目にすれば、やはり服を水で濡らしたくらいで怒鳴るような親代わりではいたくないと思ってしまう。
それにこの二人が子供たちに巻き込まれて遊びに出てしまう前に、婆さんの店の隣にある小さい古着屋で、すでに花登の靴と服は揃えてあった。
そもそも今日、この村まで降りてきた大きい目的の一つが、ソルスガからの賠償金でこの少女に衣服を揃えてやることだったのだ。
婆さんの鑑定を待つ間、足元に置いていた大きい布包みは、今はイチヘイの脇に抱えられていた。
……着替えはある。当たり散らすな。古い記憶にこびり付いた、あのクズのようにはならない。なにも困らない。
言い聞かせる。斜めに目をそらしながらため息をつく。
「帰るぞ。そろそろ『お客さま』もかかってるだろ」
《イチ兄? お、ばけっ、居る?》
小さく噎せながら問う彼女に、《たぶんな》と、軽くうなずき返した。フィーも、「んえ、そうだった、お化けも捕まえるのよう!」と鼻息を荒くしている。
そう、予定通りなら、帰宅後には茶会の他にも大きなイベン
トが控えている……はずだった。
そもそも、明確な理由は掴めなくとも、自分がこんなに不機嫌なのはすべて『幽霊』のせいなのだと、少なくとも彼自身もそう思っている。
「んえ、帰るのよぅ! 帰ったらお化けを眺めながらお茶会なのよぅー?」
洗濯場から上がる箱階段を伝いながら、この後の予定を思い出したのかフィーの表情がまた緩む。
ちなみに村でうっかり口を滑らされると面倒だったので、イチヘイはお茶会の前に『帰ったらうちで幽霊が捕まっているかもしれない』ということだけを伝えてある。多分珍しい何かの生き物くらいにしか思っていないだろう。
びちゃびちゃと垂れた水が、村の目抜き通りの石畳に肉球の足跡を付ける。
花登もまだ裸足だが、こっちはさっき、『帰ったら履く』と楽しみにしている様子だった。動き出した二人の背に釣られたのか、後ろから子供たちが追いかけてくる。
「おひいさま帰るの? またね!」
「えー、もっと魚とってくれよ」
「もー、シャビは家帰りなよ……。ハナトさんまたね!」
「ばいばーいおひいさま、お弟子さん」
「またあしょんで!」
大きいのから小さいの、総勢六名の子供たちの見送りを背に、帰路につく。
その中で花登の名を呼び、花登もまた手を振り返している相手は、主にノナウ婆さんの孫だった。
そうして家までの坂を上る途中、全身びしょ濡れのフィーが、半分びしょ濡れの花登にニヨニヨと話しかける。お化けのことも覚えているはずなのに、やはりサマロが楽しみでならないようだ。
「花登ちゃん、お茶会よぅ! お、ちゃ、か、い!」
「……お、ちやかぃ?」
「そうー! 言い方じょうずー!」
初夏の日差しは僅かに熱を持ち、遮るもののない坂を登る三人を照らす。
楽しそうに顔を見合わせる二人の後ろ姿を眺める。だが、彼の心は既に家に向かっている。
フィーはまさか、あのお化けに『名前』があるかもしれないなどと、考えもしていないだろう。用意した罠にかかっているはずの『ソイツ』に向けて、イチヘイの中に燻り続ける苛立ちは、まるで獣の爪牙のように鋭く砥がれていた。




