77.潜むもの、変わるもの② -優しい目-
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「……フィー。何してたんだ」
「イチぃ! んとねー! この子たちと蝶々おいかけてたのよう! 綺麗なの捕まえたの!」
「そうか」
途端、険しさが薄れ、わずかに綻ぶイチヘイの眦に婆さんがため息をつく。その呆れたような調子に気付いて、彼は斜め後ろを睨んだ。
「あ゛? なんだよ婆さん?」「はあ、なんでもないよ……」
だが、そこにフィーがまた無邪気に質問を投げてきて、店の空気は切り替わる。
「ばーちゃん、『鑑定』おわったー?」
「うん……? ああね」
ノナウ婆さんは一本抜けた前歯を見せながら笑った。
「大体はね? 後は支払いだけさ。良い品をありがとうよ。
だが、もう少しイチヘイと話すこともあるからね。おひいさんは、もうちょっとそいつらの相手しといで」
「おひいさんー、行こうー!」
それを聞いたらしい七、八才くらいの子がフィーの服の裾を引っ張る。
「んへへぇー! わかった! 次は水路でお魚探すのようー!」
「え! あのねおひいさん、魚ならこの前、あっちの水路にでっかいのいたよー」
「んえ、そうなの?」「本当? いいないいな、おれも見たい」「捕まえられるかな」「行こう行こう!」「ぬ……」
すぐに一団はつむじ風のように去っていく。よく見ると、その群れの中には静やかに花登も紛れていた。イチヘイに一瞥よこすが、
「――ハナトさんも来なよ早く!」
一群の中の、髪を二つ結びにした子に手招きされると、彼女もまたつむじ風のしっぽのように踵を返していった。
また眩しい静寂が戻ってきた。すると、ノナウ婆さんは急にいつもより改まった口調になり、イチヘイへ向き直る。
「――とりあえず、イチヘイ。まずはニーム村のもんとして言わせて貰うよ」
「……おう?」
イチヘイも前を向いた。婆さんは、手元の魔石具の明かりを切り、着けていた眼鏡も外す。
「アンタが持ってきたコレだけどね、確かに妖獣の核だ。
アレがなんだったかは……、今はお大師さんもおらんし結局は分からずじまいだが、森の縁に居座っとったデカイのは、猟師の話でもあの二頭だけだ。
これで安心して子供らも森へ行かせられる。
……イチヘイ、おひいさんと一緒にあのデカイ〈虚棲ミ〉を倒してくれたことに、礼を言うよ」
しわがれた顔で、真摯に瞳を見つめられる。イチヘイは思わず眉を潜めた。
「……婆さんに礼言われるの気持ち悪ぃな」
スパン!
直後、前頭部に衝撃。
それから、
「ホンットあんたは! ならこの核の買い取り金は全部ナシってことでいいね!?」
唾を飛ばしだすノナウ婆さんへ、イチヘイが面倒くささ全開の舌打ちを鳴らすまで、そんなに時間は要しなかった。
◆
妖獣の核は、その場に放置すればまた新たな妖獣を呼ぶ。
ゆえに、普通は壊して霧散させる。
しかしある程度大きいものになると、専門職に投げて浄化することで穢れを抜き、魔石として利用するのが一般的だった。魔石の素材は他にもあるが、妖獣由来の魔石は、蓄積できる魔力量が、それ以外のものと段違いであるため重宝される。
それに一度、穢れを抜いてしまえば、切ったり研磨したりの加工もきく。つまり大きければ大きいほど、核の価値もそれなりに高まるのだ。
「まあ、結晶の状態も良かったよ。大きさもそれなりだし25エラと5000ピニってとこかね」
そんな言葉と共に、カウンターにじゃらりと出てくる金貨と銀貨。イチヘイは思わず目を瞠った。
「こんなに高えのか」
「なんだいね、あんた、レギオンに所属してて核を売りに出したこともないのかいね?」
「いや……」
イチヘイは微かに首を振って答える。
この世界では、仕事は職業ごとに存在する「ハンザ」という職能組合に所属してから商売をするのが一般的である。この雑貨屋も、おそらくこの辺りを総括する商人ハンザに入っている。
そしてイチヘイとフィーも、傭兵の仕事は傭兵ハンザ……通常『レギオン』から斡旋されたものを請けてきた。
レギオンには、対妖獣狩りや賞金首狩り、兵士募集から要人警護やキャラバンの護衛まで、いろんな仕事が持ち込まれる。
しかしこれまでイチヘイたちは、人間と対峙する仕事だけを選んで金を稼いでいた。
イチヘイは自分が一人立ちする前――それこそ、傭兵として仕事を請け出した頃から、師匠に永遠に言われ続けてきた言葉を思い出し、ノナウ婆さんに語った。
「あれは、単にお師匠が『妖獣や妖魔と戦うな』『強い妖獣の住処には妖魔も住み着いていることもある、危ないから絶対に近づくな』って煩かっただけだ。あの人、普段は好きにしろとか言うくせに妙なとこでは心配性だろ。
……それに対人と対妖獣とは、戦闘で求められる技能と装備が基本的に違う。倒しにいく獲物で武器を変えるとか、面倒だろ。今回倒せたのは……まあ、『おひいさま』のフィーが居たのと、習性がほぼ〈虚棲ミ〉だったのがでかい」
「ほう、それは知らなんだ」
興味深そうに相づちを打つ婆さんの前で、イチヘイは、
(だが、こんなに貰えるなら妖獣方面の仕事を請けるのも悪くねえな……)
などと、ふとこの先の身の振り方を考えはじめてしまう。
ただし深く思索するより先に、婆さんが「ところでね、イチヘイ――」と思い出したように別の話題をふって来た。
「――せっかく大金が手に入ったんだ、おひいさんに、蝶々の標本を買ってやらないかい?」
「は?」
唐突すぎる話題の振られ方にイチヘイは思わず眉をハの字にする。
「ほら、さっきも『蝶々追いかけてた』って、あの子言ってただろ? ……思やぁ、あの子は昔っから蝶が好きだったねー?」
言って婆さんは商売人の口調で、入り口入ってすぐ脇の壁を指差す。そこには大小合わせて三つ、硝子蓋の木箱がかけられていた。中には極彩色の花びらを散らしたような、とりどりの色形を持つ蝶が何頭も納められていた。
「ほら、後ろにかけてあるアレさ。アンタが魔石を包みから出してくる辺りから、あの子、ずっとあの前に立って食い入るように見ていたよ。どうだい? アンタになら安くしとくよー?」
確かに、ノナウ婆さんのいう通り、フィーは昔から蝶が好きなようだった。理由を聞いたことはない。
しかしそこまで言われて、イチヘイもようやく眉を潜める。
なにせ庶民が使う金物や雑貨が並ぶ店の中で、その壁際だけ、醸し出している雰囲気が豪奢なのである。箔押しや宝石の埋め込みこそないものの、標本の収まっている箱には、(素人目にも職人の手仕事とわかるような)細かくて瀟洒な彫り模様がある。
そもそも硝子自体が、本来は高価なものだ。そのうえ婆さんがまず口にした、『大金が手に入ったんだ、』という前置きからして怪しい。
イチヘイはじろりと、婆さんの皺が寄った両眼を睨む。
「……おい、仕入れかなんかに失敗したか? 要らんもの買ってきちまったから押し付けようったって、そうは行かねえぞ」
「ちっ、相変わらず勘のいいクソガキだよ、全く」
図星だったらしい。「全く可愛げがないったら……」とぼやく婆さんに「客に押し売りすんな」と返してから、イチヘイは疲れたようなため息をついた。
あまり似合わぬ口調で、ゆっくりと話し出す。
「……んなもん要らんから、なら〈音消し〉売ってないか。あるだけくれ」
「うん? なんだいね、仕事に使うのは知ってるが、そんなに要るもんかいね?」
「ちょっとな……。ちょうど〈核〉売って金もできたしな」
〈音消し〉は隠密用の魔石具である。基本的に灯り用の魔石具にすら使えないような安いくず石を精練して作られ、真ん中を折って使う。使い捨てで、イチヘイも仕事用に何本か持っていたが、昨夜でちょうど、ストックが切れていた。
「……まぁ、アタシゃ気前のいい客は好きだがね」
婆さんは訝しげだったが、結局はカウンターの後ろの、古びた作り付けの引き出しを机上に持ち出してきた。中に収まっている〈音消し〉の本数を数えながら、婆さんはまた口を開く。
全部どうでもいいような話だった。
昨日の夕暮れ前から、息子を連れてまた泊まりがけでニムドゥーラの都市に仕入れに行った話。
いつも楽しみにしている行きつけの飲み屋で、古馴染に会って調子にのり、少々のみすぎた話。
翌日、年甲斐もなく二日酔いになり、自分が起きてこないことに業を煮やした息子が、一人で商品の仕入れにいってしまった話。
しかし仕入れ先にうまい具合に言いくるめられたらしく、気付いたらあの標本を勧められ買ってきてしまっていた話。
「まっっったく、頼りないったらないよあのバカ息子は」
立て板に水を流すようにしゃべる。この婆さんは、黙っているということができないらしく、よほど何かに集中しているのでなければ、終始こんな調子だ。
イチヘイは無の表情で聞き流していたが、しかし最後、まるで取っておきの秘物でもひけらかすように
「あと、ね、イチへイ。アンタ、ハクショウ族のカナイナさんって、会ったことあるかい?」
「――あ゛……??」
彼女が持ち出してきた、その話題。さしものイチヘイも反応してしまった。




