74.身体のあるお化けの怪② -お化けに耳あり、幽霊に目あり-
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――しかし、そうやって許せない! と鼻息を荒らげた直後。
「……でも、どうやって捕まえるのイチぃ?」
フィーがへにゃりと首をかしげだす。まあそれもそうだよな、とイチヘイは半分拍子抜けしながらも、無意識に彼女の頭をぽすぽすと撫でた。
フィーは「んへへぇ……」と嬉しそうに笑う。だが途中で、はたりと不思議そうな視線で彼を見上げた。
「――んえ? イチ。ボク、なんか今、喋っちゃいけないことある……?」
「ん?」
イチヘイは口許を引き結び、ピタリと手を止めた。
それは、いつの間にかこの『撫で』が「余計なことを話すな」の合図として学習されていたことに意表を突かれたからでもある。
ただもう一つは、どうして今、彼女の頭を撫でたのかが、イチヘイ自身にも良く分からなかったからでもあった。
「いや……」
戸惑いが伝播したかのような表情で俯きだす彼女から、イチヘイもまた手を外す。そのまま思わず自身の手のひらに目を落とした。
だがその視界の隅には、じっと横目にこちらを観察するように視線を送る花登の姿があ?。
眉を跳ね上げ、そのくせ僅かに目を細めている。
よく分からない表情である。イチヘイは首をかしげながらも、ひとまず、蜜の付いたもう片手を洗い桶で流した。手を拭きながら説明に戻る。
「――とりあえず、だ」
現状、分かっていることはこうである。
一つ、幽霊は、青頭巾を襲って食べた……かも知れない。
一つ、幽霊は巣蜜を食べる。
一つ、幽霊は獣のようだ。
「……そして最後だ。この『幽霊』には実体がある」
語ると、二人ともふむふむとまばたきしたり頷いたりしていた。
「それと、これが重要なんだが」
そう前置きして、彼はハナトが置いたペンをとり、紙の端に二言語でそれぞれ文字を書く。
『幽霊は、俺たちの言葉を聞いている』
「んええ……」
早速、不安に思ったに違いない。「お化け」の気配でも探るように、フィーの耳がしきりに周囲を探り出す。
『だから俺は今から、お前ら二人を騙す。何も説明はしない。黙って騙されてろ』
瞬時、杏色の顔が上がった。
「んねイチ、騙すっt」
その言葉に言い切る隙を与えず、イチヘイは(今度こそ)本来の意図でフィーの頭上に手を置いた。深紅の鋭い瞳に、あまり柄ではない甘やかな作り笑いを浮かべながら、上からじっとフィーの目の奥を覗きこむ。
「――フィー……?」
「ひ、ふゃひ?!」
まるではにかんだかのように跳ね上がる耳。いい感じに気圧されている。これなら黙るだろう。
「お前の好きなサマロ、作ってやろうか。食いたいんだろ?」
その様子を、交互に目だけ動かしながら、戸惑ったようにハナトが見上げていた。
◆
サマロは、マロ蜂の巣蜜を湯煎で丸ごと溶かし、泡立てた卵液を混ぜながら冷まし、最後にそれを、湯で練った小麦の生地のなかに練り込んで焼く菓子である。巣を丸ごと練りこむため生地にはマロ蜂が集めた花々の花粉も混じり、食すと濃密な花の香りが鼻腔を抜ける。
他種の蜂の巣蜜では作れず、また、巣蜜を採った場所や時期によって風味が全く別物にもなる、一期一会の菓子だった。
中にも仕上げ塗りにも信じられない量の巣蜜を使うため、食感はもちもちしながらもしっとりしている。
お花を摘みましょ 可愛や 可愛♪
花びら愛でましょ 愛しや 愛し♪
マロ蜂 潜れど 実らぬままの♪
あだばな 愛しや 私のものよ♪
それでも 愛しや 私のものよ♪
台所の窓は開け放たれていた。差し込む西日にはまさに巣蜜色の甘さが混じりだしている。
目前のバルコニーに寝そべるフィーが、澄んだ声で上機嫌に口ずさむ鼻歌が、オーブンのぬるい熱気が籠りだした室内に入り込んできていた。緑のラグのうえに横たわる尻尾の先も、パタンと、パタンと跳ねている。
……よほど、これを食べたかったらしい。
「この菓子はな、店で買ったらめちゃくちゃ高級品なんだぞ。本来は貴族が食うような食いもんだ」
この家に花登が来て二日。良く喋る方とは言えないイチヘイがわざと饒舌にそんなことを語るのを、なにも知らない花登は不思議そうな表情でふむふむと聞いている。
「よし、後はオーブンで焼……」
両手の塞がったイチヘイが振り返ると、そこへ別に頼んでもいないのに花登が滑り込んできた。布巾を掴んだ小さな手が、彼の目の前でオーブンの鉄扉を開ける。気を回した顔が『どうぞ』と言う。
「おう……」と返事だけして、イチヘイはお師匠が作ったという魔石具の石窯の中に、生地をのせた天板を差しいれた。
がたん、と閉まる。
後は膨らんできつね色になるのを待つだけだ。
「……さっきの話の続きなんだが」
イチヘイはまた続けて口を開いた。声のトーンは落ちている。榛色の円い目が、くるりと彼を振り返った。
「『お化け』は、青頭巾を食って、巣蜜も食っただろ? ずいぶん食い意地の張ったお化けだったよな」
「? あい」
「だが、肉も蜂蜜も食うんじゃ、見たところ雑食だ。このサマロで罠でも仕掛けたら、まんまと引っ掛かると思うんだが花登はどう思う」
「わ、な?」
「中にエサを入れて捕まえる罠だ。木で出来てる」
手振りで四角い箱のような形状で示すと、蜂蜜色の午後の陽のなか、花登は一瞬、まだ聞こえる外の鼻歌を指差してから、首をかしげる。
「なんで、言わ、ない?」
「あ゛? フィーにか?」
こくりと返ってくる頷き。
これに答えるのは、イチヘイの中では予定外だ。が、別にこちらは他愛もない話である。
「嗚呼、あいつ、昔っからこの菓子に目がねぇんだよ。それこそ俺と暮らしだす前かららしいな。
だから、フィーにも十分食わせてやるが、罠用にいくつか拝借したのが分かったら、罠のヤツも食っちまいそうだからな」
別に取り分けてあること、黙ってろよ。というと、
「くいしん、ぼう……」
花登は納得したようにふふっと微笑んで、頷いた。
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極端に低い天井は、斜めの切欠き。
イチ兄なら背が高いから、ちょっと手を上げるだけですぐ天井に触れてしまいそうだと、その斜めの部分についた跳ねあげ式の天窓を見上げて花登は思う。窓は少し開いていたが、暮れかけの光の淡さは頼りなくそのすりガラスに触れ、けれど室内に持ち込まれたランタンの明るさに、そのほとんどを跳ね返されていた。
裸足の足が、水滴を踏んで冷たい。
「……んとねー、ここの取っ手をグイッてすると、押した分だけお師匠さまの魔法でお湯が出るのよう。でねー、こっちをえいって押すと水が出るの。手桶はこれ。身体を洗うのはこれ」
昨日は正直、道具一つ使うのも手探りだった。だからお風呂の使い方をもう一度ちゃんと聞きたいと言ったら、フィーが、昨日の説明をもう一度してくれている。
ここは母屋とは離れにある水小屋と呼ばれる建物だ。
ダイニングテーブルのある部屋の窓から眺めてちょうど左斜め前、裏庭の畑の横に建っている。家で水を使う場所は全部ここに集まっていて、隣の小さい一室はそれぞれトイレと、洗濯用の洗い場だった。
キッチンで使う水も、全部この水小屋の前の手押しポンプで汲んで、勝手口の隣に置かれた大きい陶製の水瓶に溜めてある。さっきその作業も、花登は手伝っていた。
二人のお師匠さまはその場に設置した魔法式で、水汲みもその他の家事もこなしてしまうらしいけれど、それは本人しか使えないらしい。風呂の湯はいくらでも使えるのに面倒だとぼやいていたイチヘイの横顔を思い出した。
と、まだ甲斐甲斐しく話すフィーの声が、浴室に反響する。
「……あ、あのね花登ちゃん。この長いブラシはお掃除用だから使っちゃダメなのよう? あとねえ、髪の毛かぴかぴするの嫌だったら、ボクの香油貸したげるの。……毛皮用だけど、一緒よねえ?」
ちなみに室内の面積は半分以上が少し大きめの浴槽が占め、フィーと二人で洗い場にしゃがむと、それだけで狭いスペースはいっばいになる。
それに床も壁も天井も、白っぽい緑をした滑らかなタイルが張られ、床と壁の継目が滑らかな曲線を描くせいで、少し繭の中に籠ってもいるような気分だった。
「んんえ! そうだった! それから上がったら焼印の火傷にも、カナイナ先生のくれたお薬もちゃんと塗るのよう?」
そうして最後に思い出したように、毛皮の胸をトントンとつつきながら、フィーは両手で包み込める大きさの二枚貝の器を渡される。中を開くと、青臭い匂いのする黄色い塗り薬だった。
いつの間に用意してくれたのだろう、とプレゼントを貰ったような気持ちで蓋を閉める。その横では時々花登よりも子供っぽく見えるフィーが、今はちゃんとお姉さんの顔をして彼女に微笑んでいた。
「花登ちゃん、分かった?」
フィーは優しいけど、やっぱり良く分からない。
不思議なひとだな、と思いながら、花登は「あい」と頷いた。




