71.帰る場所≠帰りたい場所② -何かの影-
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食事の最中に、雑談もかねて青頭巾の惨殺体の件について話してみたイチヘイだった。だが、途端に花登がうつむいて、ハの字を作った眉のまま目玉焼きの咀嚼を止める。
するとそれを見たフィーに
「イチぃ、ご飯中にそういう話やめてよう……」
と嫌そうな顔をされてしまった。
故に渋々話を切り上ける。特に謝りはしないが、いちおう反省はしておいた。
それでも状況の奇妙さは一応二人に伝わったらしく、結局は何なんだろうね、と二人とも首をかしげだす。ひとまず小屋には簡易な鍵をつけることになり、するとフィーがへにゃりと笑んで、隣のイチヘイを覗き込んできた。
「んええ、お師匠さまがいたら、その泥棒きっと、小屋を開けたとたん手足が爆発する罠にハマって動けなくなるのよう!」
察するに師匠がいなくてよかったね、と言いたかったようだが、言い回しがひどい。スープをすすっていた花登の手が、神妙な表情とともにまた固まるのを目にし、
「いま注意しといてお前が言うなよ」「ウェッ!」
今度はイチヘイが、フィーの肩を肘で小突く役目を負わされた。
―❈▪❈▪❀▪❈▪❈―
それから一時間ほどあとのこと。
家禽小屋の前には、さっそく小さくイチヘイの背中が見える。今はどうやら、錠前をかける金具をどの辺りに付けようか、印を付けているようだった。
その後ろ姿を、花登は庭の畑越しに眺めていた。彼女は今は、庭を一望できるバルコニーの上にいる。床面には家の中から持ってきた絨毯のような分厚い敷き布が敷かれ、彼女はそこにぺたりと腰を下ろしていた。
フィーがこの敷物を、自室からクッションなどと一緒に抱えて現れたので、何をするんだろうと思って見ていたら、……そのままそこで、寝はじめたのである。
だからそのそばに取り残された花登は、
『これは花登ちゃんの分なの。一緒に寝ても良いのよう……?』
と渡された細長いクッションを抱えながら、所在なげに遠くのその背中を見ていた。
この時間、この場所はまだ家の陰になって日差しは当たらない。花登にはまだほんのり肌寒いように感じられる。
そのままでもいられるけど……。
などとと思いながらも、目線を花登のすぐ隣で猫のように丸くなっているフィーの毛並みに落とす。毛皮は暖かそうで少し羨ましい。
ちなみにフィーの毛並みには、花登の見た感じではすべすべのところと、ふわふわのところがある。繋いでくれる手の甲の部分はすべすべしていた。
他の部分はまだ触ったことがない。…………気になる。
(あんまり触ったら、嫌がられるかな……)
じっと杏色の体毛を観察していると、ふと自分の家で飼っている虎猫のミミのことを思い出してしまった。あの子とはずっと一緒だった。無性にあの柔らかい毛並みが恋しくなる。
それから自然と、家に残してきた両親や祖母のことまで頭に過らせてしまって、花登が腕の中に抱き込んだクッションには、急に力が込もった。意味もなくフィーを目の中にいれたまま、じっと身を固める。
……どうしたら、帰れるのだろう。
「……」
ここがルマジアという、花登の暮らしてきた世界とは違う場所だと言うことは、二人から聞いてもう理解できた花登だった。
この世界には魔法がある。人間以外の種族もいっぱいいる。
……そのうえで、自分はどうやら奴隷という、良くない身分になってしまったらしいことを、昨日の花登は知らされた。捕まっている間に、片目の耳長族によって胸に焼かれたソレが、花登を奴隷に落として、人間として生きる為に大事なもの……権利? を奪うための印だったと聞かされたときは衝撃だった。
でもそれはまだ、花登が望めばソルスガが助けてくれると、イチヘイは話していた。同時に、
『他に手はないが、頼れば何をされるかもわからない』
と渋い顔もしていたけれど、お前が決めて良いと言われていた花登は、結局十日後にニムドゥーラに行く道を選んだのだ。
ーーただそれは、花登にとってはまだそんなに大事なことではない。別にいいのだ。
やっぱり選ばせてくれるのは、ここにいて良いということだと花登は思っている。自分を護ってくれた二人が一緒にいてくれるなら、この先どうなっても、きっとそこが花登の帰る場所になる。
けれどその一方で、『〈稀人〉が元の世界に帰る術はない』という話だけは、花登は今もどうしてもまだ信じることができないでいた。
それは奴隷の話をされる前。まず花登は、〈門〉と呼ばれる白亜の建造物からやって来たはずだと、二人からは説明されていた。
『んと、〈門〉はね、蔦と花の模様に覆われててるの。上に、ちっちゃい四角とか丸とか、幾何学? 模様の透かし窓がついてるのよう』
そう話すフィーの横で、筆談を始めた花登のペンを横から取って、イチヘイがさらっと絵で描いて見せてくれる。
その形は、花登がこの世界に来たあの瞬間、佇んでいた遺跡のような場所で花登を真上から見下ろしていた、あの白くて綺麗なアーチと同じ形だった。
そうしてこれが、世界中に点在していること。
町や村の広場に立っていることもあれば、崖の中腹からにょっきり生えていたり、お地蔵様みたいに道の端っこに立っていたりすること。
ルマジアの成り立ちに関わって来るから、人の手の入る範囲にあるものは、ご先祖様のお墓と同じように、人々から大切にされていることも聞かされる。
『コイツは、時空の継ぎ目と継ぎ目を勝手に繋げ、そこにたまたま居合わせたおまえや俺みたいな人間をこっちの世界に引き込む。神力……いや、簡単に言えば魔法がらみの古代遺物だ。人間が制御する事もできない』
お天気みたいなものですか? と文字できくと、『そうだな』とイチヘイには頷かれる。だから花登は続けて文字で質問した。
『なら、あたしがくぐって来てしまった〈門〉をもう一回くぐれば、帰れますか?』
……その瞬間の、二人の渋い顔はまだ花登の脳裏を焼いている。
あの時、今は向こうでトンカチを使っているイチヘイは、花登の目を見てこう言っていた。
『無理だ。言っただろ、全部天気と同じだ。制御はできねえんだよ……行きも、帰りもな。そもそも、帰る方法なんてないって言われてる。
……まあ、全部お師匠がそう言ってたんだがな』
それを、思い出すたびずっと心が揺れる。二人があんな顔をするのだから全部本当なんじゃないかと思ったり、やっぱり嘘なんじゃないかとも思ったりして、花登の胸の内はめちゃくちゃだった。
だって、例えここが花登の帰る場所になっても、花登の心が帰りたい場所は、きっとずっとここにはならない。二人は、花登のママやパパではない。
――本当に、帰る方法はないのだろうか。まだ誰も見つけていないだけで、実は家に帰れたりしないのだろうか。
(……膝にミミを乗せて、ママの作ってくれたホットケーキ、また食べたいな……。カフェラテも作ってもらって、ミミの喉をコショコショして……)
だからふと気付いたら、花登はその寂しさを紛らわせるように、服を着た杏色の毛玉を撫でていた。森をわたる風が梢を撫でる音に混じって、ふにゃ、とフィーから上がる声。でも、まだしぶとく寝息が聞こえてくる。
(ぬ、いっぱい触っても起きない……)
それにしても、フィーは、ずいぶんねぼすけだ。
昨日は花登はたくさん考え事をして、あまり良くは眠れなかった。
けれど隣の部屋からは物音一つ聞こえなかったから、彼女はきっとぐっすり寝ていたのだと花登は思っている。
なのにまだ眠るなんて、耳長族というのはそういう生き物なのだろうか。ずっとこんな感じなのだろうか。
それにしてもフィーからしてみれば、彼女の触り方はずいぶん無遠慮だったかもしれない。
最初撫でていた二の腕から外した手は次に頬をつついてむにむにと揉み、しまいには首周りのふかふかの毛をもみしだく。
(あ、これ……。この首のとこ、見た目よりすごい伸びる……?)
などと思っていた時だ。
突然フィーの手が、見た目に沿わぬ力強さで花登の手首を鷲掴んだ。
「ひゃっ!?」
咄嗟に上がった悲鳴すら巻き込むように無言で引き寄せられ、気付いた時には羽交い締めにされてしまっている。
同時に花登の脳裏には、彼女と森で初めて会った時にも同じようにされたことが駆け巡り、あの瞬間の驚きと恐怖でほんの少し身体をちぢこめたのを思い出してしまう。
(え、どうしよう。嫌だった……?)
「ふぃぜ、ごめんなざ……」
慌てて彼女に首を回し、卑屈に顔色を伺おうとする。けれど視界の端っこギリギリに確認できたのは、むにゃ……と寝言にもならない何かを口にしているフィーの寝顔だった。
ただ、それはむしろ余計に花登の混乱を強めた。
(ええ、フィーゼ……?)
何しろ、拘束が強すぎて動けない。気付けば足まで絡み付いてきて、今は完全に後ろから抱き枕にされている。
「ぬーーーー、ふぃぜ、離じっ……」
呻いて踠くも、十才女児のちょっとの力ではどうにもならなかった。
「ふぃー、ぜえ……!」
寝ているハズなのになんて馬鹿力なのだろう。どうしよう? 向こうに見える赤茶色の上着を着た背中を呼ぶべきだろうか?
「……なさい……」
と、その時だった。ずっと耳元で、何かむにゃむにゃと言っていたフィーの言葉が、聞き取れる形をもって花登の耳に届きだす。ぐすりと聞こえたのは、フィーの水っぽい鼻息だった。
「イチヘイごめん、ごめんね……言えなくて……」
「……ぬ?」
それを耳にした瞬間、花登はぱたりと暴れたのをやめた。口を引き結び、後ろの声に耳を澄ます。
「でも、このまま私と一緒にいて……」
すがりつくようなその囁きはどう聞いても湿っぽくて、辛そうだった。
(なんの夢、みてるの? イチ兄のこと呼んでるけど……)
畑に茂る作物の向こう、床に伏したせいでチラリとしか映らなくなった黒髪の後ろ頭を見つながら考える。自分の呼び方も「ボク」じゃなくて、少し困惑する。
花登は、この家の居候である。
花登は、まだこの、自分を抱き枕にしていると彼女のことも、向こうでカンカンと釘を打ち込み出した彼のことも、良く知らない。
ただ、ひどい目に合っていたところを力とお金、全てをかけてくれた二人に助けてもらったことは知っている。
フィーは、自分の宝物をソルスガに渡して「花登のお母さんになる」と言ってくれた。
……それほどまでにしてくれたのだから、二人はきっと、ちゃんと花登がすき。それを花登はもうわかっている。
だから帰りたい場所ではなくても、やはりここが花登の帰る場所なのだろう。家に置いてもらえることを卑屈に思わなくていいことも、彼女はちゃんとわかっているつもりだった。
……でも、だからこそ。自分に居場所をくれた二人の為に、何かしないといけない気持ちがあるのは、やはりなにも変わらなかった。
「ふぃーぜ、」
だから多分今は、花登は大人しくイチヘイの代わりに抱き枕でいるべきなのだろう。その方がきっと、フィーのためになれる気がする。
「よじ、よし……」
それにしても昨日も今日も、二人はやっぱりすごく仲が良さそうだ。フィーは人間ではないのに、見ているとそんなのも関係なさそうである。
(付き合ってたりしないのかな……)
ちゅーとかぎゅーとか、他にもしてたりするかもしれない……。と、花登はそんなことを考え、そんな二人を想像して勝手に恥ずかしくなる。
それからフィーが目覚めたら、(もし付き合ってなくても)きっと自分ではイチヘイの代わりにはなれないだろうとは思いつつも、動かせる範囲でフィーの身体を撫ではじめた。
「だいじょ、ぶ、だいじょ…よ…ッ、ケッホッ!」
喉が絞まらない範囲で、そう伝え続ける。
やがて耳元の泣き声が止むと、まだその手足に絡み付かれたままで花登はホッと安心する。不思議な達成感があった。
……と、その刹那。
「……??」
花登は何やら、背後にある一階のキッチンに面した窓から、誰かがこちらをじっと見ているような妙な気配を感じる。
慌てて首を回すが、固定された姿勢では良く見えない。でも家の中に今、誰もいないのはたしかであるし、気のせいだったのかもしれない。
「?」
――ただ、そう思い直して首をかしげた直後、開いた窓の隙間から、カタン、と皿と金属のぶつかるような乾いた音を、花登は確かに耳にしてしまった。




