69.断章:_熾火_
読了目安→6~9分
(張り切って書いたらちょっと長めになっちゃいました、ごめんなさいっ)
お久しぶりです。
連載再開の予告 狼煙といたしまして、今回は第一部のおさらいを兼ねる(?)ニカナグ視点の1話を上げさせていただきます。
そして活動報告でもお知らせいたしましたが、本作は(第一部の後書きでの申告より)予定を前倒しいたしまして、2026年1月1日から連載を再開いたします。
またよろしくお願いたします!
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時刻は少し、さかのぼる。
二ムドゥーラ湖を渡る風は、水っぽい潮の匂いがする。
ニカナグは、「カナイナせんせーありがとーー!」と、時折遠くから叫ぶフィーに、目を細めながら手を振り返していた。
それから前を見てまた歩き出す。
(まずは村まで降りようか……)
そこから荷運びでもしている荷車に無理にでも載せてもらって、ニムドゥーラに向かうのが良いかもしれないと、彼女は考えていた。
なにせあの街には、ニカナグの大叔母の住まいがある。
それに彼女は伴侶と結託して、ニカナグにカナイナ名義の偽造旅券を手配してくれた人でもある。
本当は迷惑をかけたくなくて、彼女の住まいは素通りするつもりでいた。けれど、さすがに無一文ではこれ以上遠くに足は伸ばせない。
事情を話して、大叔母の家にはしばらく身を寄せるつもりでいた。だからイチヘイたちにも、再会に備えてその家の住所を渡してある。
「カナイナせんせー! またねーー!!」
緩やかに湾曲するこの道に入ったら、森に隠れてあの三人の姿は見えなくなる。また遠くから呼び掛けてくるフィーに、カナイナは最後にもう一度だけ手を振り返した。
確かに少し様子がおかしいときもあったけど、フィーはいい子だと思う。明るくて、素直で、優しかった。
『――ボクがいい』
『イチヘイに殺してほしかった』
……ただ、あの片目の耳長族の男に刃を突きつけられながらフィーが口にしたセリフを思い出してしまうと、ニカナグは少し心配にも思っていた。彼女がどんな闇を抱えているのかニカナグは知らない。
ただこうして関わることに決めた以上、もしかしたら彼女とも、時々訪ねて話すくらいの友人にはなれるかもしれない。
(でもまさか、この道を選んでしまうなんて、思わなかったな……)
思えば踏み越えないと決めていた一線を、結局はこうしてニカナグから跨いでしまった。数刻前の自身が見たら、きっと驚くに違いないと彼女は思う。
――けれどもう、これで良いとも思っていた。
だって今のニカナグに、後悔なんて微塵もない。むしろあの三人の助けになれたことは、今は胸に灯しておくべき誇りだった。
なんとなればハナトが逃亡奴隷とわかっていてもなお、兆嘴商会から彼女を助け出そうとしていたフィーとイチヘイの姿に、ニカナグは心を打たれてしまったのだ。
先ほどの雷の鳴り響く嵐の中、聞こえてくる二人の会話やソルスガたちとのやり取りの全てを、壁の裏側からニカナグは耳にしていた。
あの時、ニカナグは部外者として同席を許されなかったが、無言の圧で"お引き取り"を示唆されても屈しなかったのにも、それなりの理由がある。
いままでの彼女なら、即座に折れてしまっていだだろう。
ただあの時のニカナグにはもう、ハナトに関わってしまった責任があったのだ。それにあの人族の子には、色々と不可解な点が多すぎて――、それに何より狛晶族に変装したこの姿を見て、シーナバーナの名を口にしたハナトとの関係性を、ニカナグはどうしても断ち切れなかったのだ。
どうしてシーナバーナを知っているのか? あの子とどこで会ったのか? あの子は今、どこにいるのか?
あのときは隙をついて、正直それだけを問いたい一心であの場にいた。事情もよくわからないから、あの場の男たち全員の魔力の波長を探って、ハナトに呪いをかけた犯人を探したりもしていた。
けれど話が進んでイチヘイが食卓に座る面々に声を上げたあと、ニカナグは、いかにイチヘイがハナトを大切に思っているか、理解してしまったのである。
今でも思い出せば、胸の内にはあの気高さと尊さにわずかに震えが走るほどだ。ずいぶん粗野な男だと思っていたのに、ハナトのために全財産をかけてでも救い出そうとした、あの覚悟は本物だったと思う。
思い返す。
イチヘイがハウ=アザラと本気の競りを始めたあの一瞬、ニカナグの心は全く別の場所に飛んでいた。
思考を駆け巡っていた情景は、平地で見上げるよりもずっと澄んで濃い色をした、抜けるような紺碧の空だった。
――その、染め抜かれたような青を背景に、赤と黒と白の糸で織られた幟が、山の涼しい風に靡いてはためく。
一瞬で心をめぐっていく、トルタンダの山に身を寄せた日々。
みんな優しくて良い人たちだった。
そして何より思い出して泣きそうになったのは、あの二人の面影だった。
結局ニカナグは、自らの手であの二人を――――シーナバーナとガダウィータを助けて。
そして、同じ自らの手で、あの二人の友人の故郷を壊して貶めてしまった。
思えば全部、ニカナグがいけなかったのだ。
上の言いなりになど、ならなければよかった。どこかでほんのわずかでも疑問に思いさえすれば、それでよかったのに。
(もし、彼のように他人に関心を向けられる心が、行動力が、勇気が、最初からひとかけらでもワタシに備わっていたら……)
はちみつ色の陽が照る麦畑の道を下りながら、無言で唇を引き結んだ。
二度と返らないものへの後悔が心を裂く。思わず、遠くの湖のきらめきに――その眩しさに目を細めた。
(――そうだった。ワタシはずっと、好きなことにしか目を向けず、流されてばかりのダメ人間だった……。
だから今度は――今度こそは、もう傍観者でいてはいけないと思って……)
――――『あの、お金! お金ならありますから! お金さえあれば客になれると! アフェイーグ様は仰っておりましたよねっ!!』
それで、イチヘイがいよいよ競り負けそうになった瞬間、気付いたらあの息の詰まる競りの輪の中に躍り出ていたのだ。
体と口が、勝手に回っていた。
とにかく他人に関心を持つこと。できうる限りは優しくすること。
もう後悔したくなかったから、これで良かったと思っている。
それに、やはり正体を明かすことはできなくても、こうしてまた会う約束をしてしまったからには、ニカナグにも本腰を入れてやらなければならないことができた。
それは、ハナトにかけられた声封じの呪いの解除である。
結局、ハナトに呪いをかけたのであろう容疑者はあの中にいた。本来ならばソルスガに話を持ち込んで、その男に解呪をさせるのが、一番手っ取り早い。話せば多分、一発で解決するだろう。
しかしそれを話すとなれば、必然的にニカナグは、自分に魔法族にしか備わらない極めて特殊な《天賜》、『魔法族の眼』があることも明かさなければならない。
「うーー……」
頭を抱える。
ニカナグは今、反逆者として母国から追われている。捕らえれば一万エラ、田舎の小さな邸宅一つ買える程度の金額をかけた手配書まで市井に出回るなか、彼女は山狼のような姿をした狛晶族の友人、『シーナバーナ』の顔を借りて追手の目を掻い潜っている。
ゆえに能力を明かして僅かにでも疑念の眼を持たれるのは、最も避けなけらばならない事態だった。
ならば非合理ではあるけれど、やはり一から自分の手で解呪の方法を探るしかない。
魔法オタクとでも言うべきニカナグは、学問として系統立った『魔法』には明るいが、魔力があるからと言って誰にでも扱えるわけではない『呪い』は全くの門外漢となる。
ただ、幸いニムドゥーラに大きな図書館があるのを、ニカナグは幼い頃より大叔母と交わしてきた文通で良く知っていた。
(調べたらわかるだろうか……)
そんな風に胸を撫でていく思いを、引き結んだ唇で、すぐに『いいや、やるしかない』と強いものに置き換えた。
これでも、こんな立場に身をやつす前はこの、魔法の知識への深さ一つでそれなりの地位にいたのだ。
歩く速度にあわせて流れていく土の道を、力強くにらむ。どちらにせよこれ一つでしか、ニカナグは人の役に立てない。
(ワタシなら、きっとできる……)
それに一つ、個人的にもう一つ、気になって仕方ないこともあった。ニカナグは思わずふと立ち止まって、坂の上へと顎を向けてしまう。
もう見えなくなった二人の姿に、ニカナグは自分とハナトの眼前で、フィーが首を刎ねられそうになっていたあの瞬間の光景を重ねる。
かなり印象深かった。相棒に向かって駆け出すイチヘイの、叫ぶ姿が回想される。
『―――生きろよ! 命令だ! その槍今すぐ掴んで、こいつらの腕くらい前みたいにへしおってぶち殺してみろよ!!』
あの、青と緑の光が辺りを包んだ刹那、ニカナグは見開いた目で独り虚空を見つめていた。
魔法の発動の瞬間は誰の目にも映る。しかしあのときは青と緑の光の下に隠されていたソレ以上のものが、『眼』を使ったニカナグの瞳にだけは映し出されていた。
理解しがたくて、そしておぞましかった。
あれは――――互いを縛りあう糸であり、鎖だった。
イチヘイが叫んだあの瞬間、フィーから蛇が這い出すように幾本もの見知らぬ文字列が飛び、彼の魂と繋がった。そしてその魂から呼応するようにまた細い魔力の糸がのび、フィーの魂を縛って、それでニカナグの眼前には奇妙な環が一つ形成される。
ニカナグは思わず呼吸すら止めて、その環の繋がりを何度も目で追ってしまっていた。
なんとなればイチヘイから伸びるそれは、彼の魂に流れ込む〈円環の河〉そのもの……どう見ても彼自身の魔力だったのだ。
しかし一方では、(何度確認しても) イチヘイの魂は〈祝福持ち〉以上の器の大きさを持たない。とてもこんなことをしでかせる魔力量があるようにも見えない。
けれどそれは、ニカナグの眼前で確実に遂行されている。
そして自らの力で彼女を縛って操っておきながら、彼はニカナグやハナトと同じように敵を圧倒するフィーを前に呆然と立ち尽す。……自覚が、一切ないようだった。
(だけど……フィーからイチヘイに伸びた、あの鎖みたいな術式は……)
青と、緑。
また坂を降りだしながらも、思い出されるその魔法式には怪訝な顔をする。誰に聞かせるでもない言葉が唇の先へ滑り出ていった。
「あれは……、どう見てもあの二人が『お師匠』だって話してた魔女の魔法、だった……。あの縞尾族の男にかけられてた『猫にされる呪い』と、魔力と系統が全く同じだったし、魔法は使えないって話してたフィーくんの魂の色とも、確実に別の色だった……」
相手の意識を奪ってまで、無自覚なもう一人にその人物を操らせる魔法。
……そんなの、倫理的に、おぞましすぎる。おそらく世に知れれば、他人に姿を変える魔法よりよほど危険な禁術の類いに定められるだろう。
ただ一方で、そんな訳のわからない魔法が破綻なく発動する様子を前にして、その組成を理解したい心が、ニカナグの中で疼くのも事実だった。
確かソルスガが、二人の師の名前を何度か口にしていた。
「モニスス・トゥーデクテ……」
ずっと魔法学者の界隈で飯を食べてきたニカナグ自身、聞いたことはないのに、この辺りでだけはかなり有名なようだった。
まあ、たまにそういう魔法使いはいる。
ならば、住まいの最も近隣にあるニムドゥーラの図書館にも、彼女の著書の一冊くらいは所蔵されていてもおかしくない。
「フィーくんとイチヘイくんは、その魔女のことを慕っている様子だったけれど……、……何で、あんな……怖い魔法をかけられてるんだろう……?」
ポツリと溢れる疑問。
気になりはする。
けれどその問いこそ、彼女が自身の能力を明かさねば糸口を見いだせない。それより今は先にハナトの解呪について調べられることを調べ切る方が先であろう。
なにせ約束は九日後。特にハナトの呪いの件は、あまり時間があるとは言えない。
「ワタシしか、きっとあの子を助けられない……」
関わった責任は重たい。
呟いた言葉を握りしめながら、ニカナグは大叔母との文でしか様子を知らぬニムドゥーラの街に、期待を重ねて歩いていくのだった。




