66.鈍い光⑤ -決断の先-
前回:品質保証書は、使い方によっては法に守られない奴隷に社会的な地位を保証することが可能になる。しかし、
『花登に品質保証書を書こう』
と提案してくるソルスガの意図が、イチヘイには読めない。絶望的なまでに道はそれしかないが、その言葉を受け入れることが正解なのかも分からない。
そんな中ソルスガは標的を花登に移し、決断を急がせようとする。花登はでない声を振り絞り『時間をください!』と叫ぶが、それは彼女の喉にかかった『声封じ』の呪いを増悪させる行為でもあった。
読了目安 3~5分(今回ちょっと短くてごめんなさい)
かひゅっ?! と鳴る喉。
息が、息ができない。
「ハナトくん!?」
途端、すぐ隣に座っていたお医者さんのカナイナが、流れるような自然さで椅子の上から転げ落ちそうになる花登を受け止めにきた。
不思議だ、何ですぐに分かったんだろう。
でも、ソルスガには、言いたかったことは伝わったらしい。だってさっきまでの花登みたいに口が半開きになっている。
反対の隣に座るフィーゼィも遅れて慌てだしたけど、でも、彼女は伸ばそうとした手をすぐにきゅっと引っ込めて、花登に触っては来なかった。
(もうフィーゼィのこと、怖くないから、いいのに……)
「大丈夫かいっ?
ダメだよ、君のその喉で無理に喋っちゃ。大丈夫だ、ゆっくり深呼吸してみて」
と、そう思う内に、カナイナが三角の耳をピンと立てて、慌てた様子で花登の顔を覗き込んできた。
白い毛に覆われた手が、喉に触れる。
シーナバーナにそっくりなその人。その腕の中に埋もれると、彼女の髪と服からは青い水面のような、少し静かで優しい匂いがした。
―~*✣*✣*~―
「……?!」
大きな声を出した直後、どうやら呼吸困難に陥った花登を見て、イチヘイは驚いていた。
「―――ダメだよ、君のその喉で無理に喋っちゃ。大丈夫だ、ゆっくり深呼吸してみて」
しかし二人ともが花登を助けに回ったので、眉を跳ね上げつつもイチヘイは黙ったまま、その様子を眺めるだけにする。
幸い、大事にもなる様子はなかった。
ならばそれよりは、そこまでして花登が言おうとした内容の方が大事だ。確かにさっき、『お前が決めてもいい』とはイチヘイ自身が言っていたのだ。当事者の彼女がそう決めたのなら、まずはそうするべきであろう。
すぐに気を取り直して、イチヘイはこの面倒な男との交渉に戻る。
「……聞いたかソルスガサマ?
うちのちいさいのは、ああ言ってる」
しかし、彼女が出してきた答えはイチヘイにも意外だった。イエスでもノーでもない言葉だ。
ソルスガがどう受けとるか身構えもするが、しかし確かに、もう少し状況を噛み砕く猶予はあっても良い。少なくとも、この世界に放り込まれたばかりの、何も知らない自身の同胞のためにはそうしてやるべきだろう。
そう思いながらソルスガの顔を見ると――――彼は半開きにしていた口をパタンと閉じる所だった。それから急に唇の端へ、ものすごく満足そうな笑みを佩き始める。
(あ゛……?)
「フッ、フフフ……、いやぁ、素晴らしい……」
それから震える肩を押さえるように腕を組み、終いには、あははは! と喉を広げて楽しそうに笑いだした。
イチヘイはその様子に、さすがに眉をひそめる。
ようやく落ち着いた花登とそれを囲む二人も、突然聞こえだしたその笑い声には呆気にとられた表情を向けた。
そうしてソルスガは数秒、ひとりでひとしきり笑ったあと、ようやく顔を上げて話し始めた。
「いやあ、すまない。―――……あのね、交渉というものはすべからく相手より有利に立つために、相手には即断即決を迫るのが良いのだが―――」
また、この男は勝手に、そして唐突に自分の手の内を明かしはじめる。ふふっ、と笑いながら花登に視線を流している。
「―――……途中までは完璧に口説き落とせていたんだぞ。
けれどもこの小さなお嬢さんは、私の手のひらの上では踊ってくれなかった。
……ふふふ、猶予か!
確かに必要だね。本当に気に入ったよ。肝が座っていて大変見込みがある」
そんなことをいって、スッと立ち上がった。
「―――よろしい。ならばハナト嬢の言う通り、少し考える時間を差し上げよう。そして私も、きちんと貴君たちに信用されるよう、最上級の誠意を見せようじゃないか」
明るい顔をしながら、パン、と手を一つ叩く。
「アナイ!」
「はい。ここに」
いつ戻って来ていたのだろう。彼が呼んだ途端、壊れた玄関扉をくぐって、カツカツと家の中へと入り込んでくる足音がする。
リビングに再び戻ってきた人影はその口ひげの男一人。だが、どこか弛緩していた部屋の空気はそれだけでわずかに張り詰めるのだ。
フィーも真正面に向けた耳でやや警戒しながら彼を見ているし、カナイナはあからさまに肩を斜めに引いている。まあ、あんなに威圧を向けられていれば当たり前か。
ただ、ソルスガはその空気すら我が物として、太陽のような朗らかさと気安さでその場の一同を見渡す。
「私と貴君で、商売の神の御前に〈聖宣〉をしようじゃないか」
しかしその言葉は、イチヘイにとっては嫌な響きしかなかった。
「……は? 聖宣?」
イチヘイの片眉が、否応なしにピクリと痙攣する。
ただ、それを見たソルスガからは、なぜかすぐに不思議そうな首かしげが返ってきた。
「? 何をそんなに警戒しているんだい? ただの聖宣だろう? 耳長族のフィーゼィリタス嬢のところにも、〈耳長族の神〉さまに誓うものがあったとおもったが」
「んええ、あるよ! ボクね、イチもがっ」
「…………フィー大事な話してるんだ、大人しくしててくれ」
焦ってはいたが、今回は先んじて口を塞げたので大事には至らなかった。
さすがにあんな誓いの内容を、他人に聞かせるわけには行かない。やや必死に目配せすると、何も覚えていないフィーは不思議そうな顔をしながらもこくこくと頷いて従ってくれる。
「ぷ、はー」
だがイチヘイがそんな風に事実を隠しても、そこで流れだす空気は、彼の予想していたものとは何かが決定的に違った。
「? ……まあ、そんな口をふさぐほどのものでもないだろう?」
ソルスガはまた首をかしげる。
「……しかも、別に私は君たちに不利な契約を結ぼうとも思っていないぞ? 今回、契約上の約束を述べるのは私だけ。よって、例え約束の不履行を指摘されても、命を支払うのは私だけだ」
じっと観察する、ソルスガの声音。顔色。言葉。
「―――ああ! もしかして、単にやったことがないのか? 商人の間では機密保持の契約などでよくやられているのだが、傭兵組合の方ではそうでない?」
……不思議なくらいに明るすぎた。
(それに、『よくやられている』???)
イチヘイはざっとそれらの言動を読み、……そして何か、この男と自分の認識に決定的な齟齬があるような、そんな気がしてきていた。
語られること全て鵜呑みにするわけにもいかないが、それでも一応、彼の口から確認を取ってもいいかもしれない。
「……ソルスガサマ、訊いていいか」
と、名前を呼んだ瞬間アナイが眉を吊り上げ、
「ちょ、若旦那さま?! また見境なく『ご友人』を増やしましたね?! それに黙って聞いてはおりましたが聖宣とは!? 少しはアフェイーグの威容というものを……!」
主人に詰めよりだすが、ソルスガは一切意に返さない。
「なんだろう?」
サッと片手で制しながら、問い返してくる彼。その銀鼠の瞳に、イチヘイは切り込んだ。
「―――聖宣、って、一体なんなんだ?」
本作『魔女なら』も(名前長いので略すことにしました)、本話を入れて、第一部完結まで残すところあと三話です。
終了後にまたアナウンスいたしますが、第一部が終了いたしましたら、第二部の書き上げの目処が立つまで休載に入る予定でいます。よろしくお願いいたしますm(_ _)m
一話はこちらから!
https://ncode.syosetu.com/n5835kq/2




