65.鈍い光④ -甘い誘い-
読了目安:言葉巧みにイチヘイたちに、花登の置かれている現状を説明していくソルスガ。ハナトを狙う敵は法で裁かれず、現状、奴隷という立場から逃れられない花登は法に守られない。
現実の厳しさに黙り込む一同の前に、ソルスガは「君たちと友好を結びたい」などと言いながら『品質保証書』という甘い餌をぶら下げて来るが……。
読了目安 5~9分
『品質保証書』は、元は奴隷の性格や肉体の健康面などを買い手に保証し、主が買い手に移ったことを明確にするための添え書きだった。
奴隷印を灼かれた瞬間から、その人間は、自身の主を自身としない。意思の疎通ができる財産とみなされる。
ゆえに、『行きたい場所に行く』『好きな場所に住む』『仕事に就いて正当な対価を得る』『好きな相手と夫婦になる』『作った子供を市民身分にする』。
………これら全てあの烙印一つが体にあることで、奴隷に堕ちた者から剥がれ落ちていく『あたりまえ』だった。国や領地の法にすら守られなくなる。
……しかし社会的に『人でない』とされても、やはり生き物としての彼らは『人』なのである。
それはつまり、奴隷によってはその能力の高さ、忠誠心の高さから主人の寵愛を受けること。
更には主人から、市民身分への復帰は認められないにしてもそれに近い権利を与えられる者が出てくることは、当然の帰結であるとも言えた。
「――それで、『品質保証書』には、そいつが奴隷に落ちた理由や、固有の才能……、例えば、読み書きができるとか、魔法が使えるとか、そういうことを記述する欄があったと、思ったんだが」
「ふんふん?」
イチヘイはフィーと、その隣で黙ってこちらを見ている花登への説明を続ける。
「その欄に、貴族とか専門機関から『これは自分の持ち物だ』という一筆があれば、身の安全を保証してやれたりもする……要は、ただの奴隷の証文って訳じゃねえ」
「……えっとえっと、……けっきょく、『あったら便利』ってことなの?」
「まあ、劣化版の身分証みてえなもんだな?」
「んええ? そう、なの……」
ややあって、フィーはなにやら複雑な表情をしてハナトの顔を見つめ出した。言いたいことは分かる。
今回イチヘイたちは、『花登の自由を金で買った』と、表面上は見倣している。フィーもきっとそう思っている。
が、実際にはそうではない。
結局、花登が『烙印を押された瞬間から人間ではなくなってしまった』ことはなにも変わらないのだ。
その事実が、『品質保証書』という『モノ』に対して張り付けるような言葉の響きと共に、フィーの胸にも重たく刺さっているのだろう。
……だ、が。
「……なにかな、そんなに睨まなくていいんだよ?」
「……チッ」
机の下でその脛を本気で蹴り飛ばしたくなるのを、イチヘイは理性でどうにか押し止める。
何やらイライラしていた。こちらに来て以降、久しぶりの感覚だった。これもまた、あの瞬間にイチヘイが獲得した『変化』の一つのようだ。
しかし、さすがに格上の交渉相手の脚を粉砕するのは不味い。
イチヘイはソルスガから目を外し、フィーと、相棒の隣に座る花登を見る。
おそらく予想より重たかった現実に二人とも複雑な顔をしているが、それでも理解はできたようなのでまあ良いとしよう。
……しかし、それよりもだ。
「……で、何でよりにもよって『品質保証書』なんだ……」
なにせ品質保証書の発行にも、本来ならば少なくない金がかかる。
ただの保証書ならば大した額ではないが、そこに今言ったような『後ろ楯』をつけるとなると、それだけで最低でも三十~四十エラ程度はかかるという。
ちなみにここまでの内容は、昔イチヘイが駆け出しの頃に関わった仕事で、もう顔も名前も覚えていないどこかの商人から聞かされたことだった。まさか無理やり付き合わされた宴席での話題が、こんなところで役に立つとは思わない。
ただ、まあ、そんなことは些事だ。
問題はこの男が、自ら品質保証書を通して、花登の後見人のような立場をしようと申し出てきていることだった。
最後の一押しとばかりに、ソルスガが口を開く。
「イチヘイ氏はどうやら頭も回る人間のようだから、もう解っているとは私も思っているが? 貴君の守りたいものを守るためには、今はこれしか方法がないのではないか?」
確かにそうではある。
イチヘイは目を伏せ、傷跡のある鼻っ柱に皺を寄せた。
正直、状況からすれば、この男の言う通り絶望的なまでに選択肢はこれしかない。
品質保証書でバックについた権威を明らかにしておけば、万一のことがあってもこの男の権限でハウアザラを捕らえることもできるだろう。
……だが、ソルスガは先ほどの説明で、罪人を罰することこそを目的としているようにも見える節があった。逆を言えばこの領主の息子は、その目的のために花登を囮として利用しようとしている可能性も十分にありえるのだ。
そうやって良いように利用され危険にさらされるなど、彼女と自身を同一視するイチヘイが許す筈もなかった。
そして、だからこそ今、答えに窮している。
「――は!」
卓上に置いた両腕の上へ身を乗り出し、あまり見せない凶悪な表情で彼に笑みを返す。苦々しい思いを唇の端に隠しながら、この男の目に真意の欠片でも読み取れはしないかと、じっと奥を覗き込んだ。
「……あんた、腹黒いってよく言われないか? 俺たちに何を望んでる?」
「―――望み? いいや? ただ無辜の民たちへの愛が深いと、言ってほしいかな……?」
飛び出た皮肉にさえ本心を出さず嬉しそうに返される。
……手玉に取られている。手に負えない。
イチヘイ達は、やはりとんでもなく面倒臭い人間に関わってしまったに違いなかった。
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エナタルへんきょう? がどうとか領主がどうだとか、聞かされても花登には未だいまいち良く分からない。それでも、ソルスガというこの金髪の人がすごく偉くて、そして普通にとんでもない男なことだけは、彼女にも理解はできていた。
「……と、いうわけでね、ハナト」
だから、急に彼の顔がこちらを向いた瞬間にはびっくりしていた。それはソルスガからの問いかけに困った様子で、イチヘイが黙りを決め込んだ、その一瞬の隙だった。
(え、『言葉が分からないふり』して黙ってたのに、どうして……)
最初はそう思って眉を跳ね上げてしまう。けれど、よく考えればきっと演技が完璧ではなかったのだ。
イチヘイが自分を買ってくれると言ったあの瞬間にも、花登はびっくりして振り返ってしまっていたし……。それにこのソルスガという男は、イチヘイと話している合間にも時々じっと観察するような目で花登を見てくる。
くすんだ銀色の、いい人そうな瞳。
別に、五分と呼ばれていたあの人たちとは『違う』から、花登はこの人と話すこと自体はなんともないし怖くない。
ただ、その両目がこっちを向くと、花登はお腹の中まで見透かされているような気分になって落ち着かなかった。
アザラとかいうあの男の視線はとても気持ち悪くて怖かったけれど、それとはまた別の何かである。
そうやって戸惑う花登と、「あ゛?! おい、俺を素通りすんな?!」と怒り出すイチヘイを前に、それでもソルスガは続けてくる。
「……急にすまないね。
でも、はっきり言わせてもらうよ。私は君の、味方となれる――嗚呼、もちろん、そこのイチヘイとフィーゼィリタス嬢には負けるけれどね?
ただ、この場に繋がれていた貴君も見て、感じて、聞いていただろう? 世の中には、剣と腕力だけではどうにもならない問題というものが山ほどある。
私は、そちらの方面で君の強い後ろ盾になれると考えているのだが。……どうかな?
私は君に、本当に申し訳ないことをしたと思っている。どうか私に、罪滅ぼしをさせてくれはしないか?」
口ぶりから、やはりバレていたことに気付く。
それでも、心底優しい声と言葉。難しい言葉はほとんど使わず、花登にも分かる単語で語りかけてくる。
……でも自分を守ってくれるイチヘイの顔と声を見ていて、このソルスガという人が簡単には信じていけない人なのも、なんとなく伝わってきていた。
指摘されたきまりの悪さと、判断に迷う言葉に少し固まり、やっぱり花登は助けを求めてイチヘイを見上げてしまった。
視線の先ではイチヘイも、同じように戸惑ったような表情を浮かべていた。『おい聞いてんのか』とソルスガの注意を自分に向けようとしているけれど、……銀色の瞳はまだじっと花登を見ている。
(どうしよう……)
でも確かにさっき、話を聞いた上で『どうするかはお前が決めてもいい』とは、言われてもいた。こんな形になるとは、イチヘイも思ってはいなかったのかもしれない。
……会ってまだ一日しか経っていない。
でも、二人はきっと花登が頼っても大丈夫な人だった。
花登は『ここにいてもいい』のだ。
そんな中で、子供扱いしないでちゃんと信頼してもらえることが花登は嬉しかったし、それにこんな形で迫られるなら、もう聞かれている花登が答えるしか、方法は無いのではないだろうか。
「こた、っえう」
ケホッ、と、どうしても噎せてしまう息と共に言う。
途端、イチヘイが驚いたように花登を見た。でも、同時に花登自身、少し困りもする。
確かにこれは花登にとっても大事な事なんだろう。
自身のおかれている現状が、すごく大変なんだということも、何となくでもわかっている。ソルスガが、嘘かほんとか花登を助けてくれようとしていることも、なんとなくわかる。
けど、でも、それだけだ。
もう怖い目には遭わなくて済みそうだということ以外、実感は一切湧かないし、説明されたことも全部わかったかというと、絶対そうじゃない。
なのにこんなの、すぐ決めて良いものなんだろうか。こんなとき、パパやママだったらどうするんだろうか。
「―――いいね、なら、君の答えを聞かせてくれ」
「……あ、の」
だから、すごく迷った末に掠れた声を上げた。二人の顔を思い出して少し寂しくなったが、おかげで答えは決まっていた。
それでも大人四人が座るテーブルで、出ない声を振り絞るのは花登には少し勇気が必要だ。
「ちょっと、かんっ、げほっ」
やっぱり声は上手く出ない。病気かな。これも、花登には良く分からない。
「……うん? この子は声が出ないのか……?」「ハナトちゃんはねぇ、会ったときからずっとこうなのよぅ」
おずおずとフィーが説明してくれる。そこへ、
「最初は話せたと言っていた。ソルスガサマのところの奴らに何かされたんじゃねえのかよ」
などと注意を引くようにイチヘイも噛みつく。すると途端に、彼は哀れむような顔で花登を見つめ出した。そして申し訳なさそうな顔をする。
「本当に、すまなかった。ならば、良い医者も探して紹介することも約束しよう……」
でも、そうやってさらに提案を追加してくる彼の善意を……――花登は受け入れなかった。
いや、正確には違うかもしれない。それでも、今出せる答えはきっとこれがいちばん良いと思った。
出ない声を頑張って張り上げ、早口で何とか言い切ろうとする。
「――考え、させてください! 少じ時間を、くだっ、ざっ……」
―――しかし全部はダメだった。言いきるより先に今度こそ見えない何かに気道を縛り上げられ、わずかに吸った息を最後に喉が締まる。
かひゅっ?! と鳴る喉。
息が、息ができない。
一話はこちらから!
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