64.鈍い光③ -『……ソルスガサマ』-
読了目安 5~8分
「……で、アフェイーグサマは、まさか謝罪と事情の説明だけが目的で、ここに一人で残ったのか? ――違法取引の現場を抑えに来たのがそもそもの目的じゃなかったのか?」
「……」
するとくるりとカナイナから顔を外し、ソルスガはイチヘイを見る。
けれどなぜか穏やかに微笑んだまま、何も答えない。静かに元の椅子に座り直しながらも、何か期待するような表情でイチヘイの鋭い瞳の中を覗き込んでくるのだ。
続く、不自然な沈黙。
(……あ゛……?)
その一瞬で、イチヘイは嫌でもこの男が主張する『小さい要求』に気付く。瞬間、あまりの面倒臭さに眉間の皺が深くなった。
……しかしこんな下らないことで、この男にずっとこの場を占拠されてはたまらない。渋々、口を開いた。
「……ソルスガサマ」
「なんだろう?」
嬉しそうな声色が返ってくる。
「……ああ、そうだった、私がここに残った理由だったな」
「チッ」
思わず舌打ちするが、それすらニッコリ微笑んで受け流される。もう取り繕うことなく顔をしかめた。
……この男は、確かに自ら謝罪する立場に移った人間のはずだ。だが今、なんならその立場すら利用して、カナイナ先生を上手く転がしたようにイチヘイの目には捉えられていた。
見ればカナイナは今のソルスガとのやり取りで、肩に入っていた妙な力もきれいに抜けてしまっている。
すっかり警戒を解いてしまったらしい。さすがにチョロすぎやしないか。
ゆえに彼女と同じ轍は踏むまいと、警戒を強めたばかりであったというのに、判ったうえで即落ちである。
謎の敗北感を覚えた。
そして、ゆえに確信してしまう。この男はおそらく、天性の人たらしが手練手管を学びきったような、人心掌握の化け物だ。イチヘイなどより二枚も三枚も上手だ。
「んええ、ソルスガさま、なんかちょっとお師匠さまに似てるのよう」「本当かい? それは光栄だ」
余計なことを喋るんじゃない。
「……フィー、ちょっと黙ってろな?」
イチヘイはすかさずその耳の間を撫でくり回すことでいったん彼女の口を封じ、改めてソルスガに向き直る。深紅の瞳の鋭さで、華はあれど無害そうな顔立ちをじっと見た。
「……もう一度聞くぞ。
ソルスガサマは、違法取引の現場を抑えに来たんじゃないのか? そして居合わせた俺たちは、たまたまとはいえこの〈稀人〉のガキを金で買った。
なら、捕まえるのが筋じゃないのか?」
「うん? まあ確かにその結末もあり得たが。さっき私は、フィーゼィリタス嬢の発言を聞いて、『余計に問題が根深くなってしまった』と言ったね」
イチヘイが黙って微かにうなずくと、ソルスガはそのまま続ける。
「先程の様子ならば貴君たちも知っているのだろうが、確かに〈稀人〉は法に照らすと『奴隷にしてはいけない』という決まりが、あることはある。そういう意味ではハナトの売買も違法取引だった……だが、ね」
そこでスッとその場の全員を眺め渡して、憂慮するかのような薄い皺を眉間に寄せる。
「……イチヘイ氏、わかるか? 決められているだけなのだ」
「……は? それはどういう」
すると顎先に流麗に人差し指を当て、一言ずつ考えて紡ぐようにソルスガは続ける。
「……うん、例えば、だな? とある国があったとしよう。その国には、街の通りにゴミを捨てるな、という法があるんだが」
急に何を言い出すのかと思ったが、黙って続きを聞いた。
「その国はそもそも、その法が出来るより前から、ゴミと汚物の回収機構が素晴らしく整っている。民たちも町の美観にだけは誇りを持っていて、誰もゴミを道端に捨てず、国はいつでも美しい」
「……」
なんとなく読めてきた。同時に嫌な予感がする。
「そうなると、どうなるだろうか? 皆が最初から決まりを守っているならば、その法は存在ごと形骸化……意味を失くす。罰則など考えなくても良くなるだろう?」
するとそこへ遅れて気付いたカナイナが、話に割り込んできた。
「―――つ、つまり〈稀人〉を奴隷にするな、という法はあっても、実際に〈稀人〉を奴隷にした人間が居ない。または、問題になったことがない、から、その刑罰が存在しない。という、ことでしょうか……?」
「聡明だな、カナイナ氏」
(……あ゛?)
……そう言えば。
と、ここでイチヘイは一瞬別のことを思い出していた。
「……んんえ?」
同時にフィーも『なんか変だな?』と思ったのか、イチ
ヘイの視線に釣られるように共にカナイナを見つめだした。
……そもそもこの稀人は奴隷うんぬんの情報は、この獣人先生から齎されたのではなかったか。
(――コイツ……! 協定とかほざいて、不完全な情報で俺たちを脅しに来てたってことか?)
「うぅ、知らな、かった……」
しかし、イチヘイが疑いに冷たく目を細める先で、カナイナは一人、しおしおと背中を丸めだしていた。それから数瞬遅れてハッと二人分の視線に気付き、ものすごく決まりの悪そうな、かつ非常に申し訳なさそうな顔をし始める。
(っ、この女……!)
相も変わらず思惑が顔に全部出ている。この感じ、この事実を知らなかったようにも見えるが、結果的にはあの場では上手く丸め込まれたのだ。
いっそ締め上げてやりたいが、ただ、今はソルスガの話が続いていた。仕方なく声のする方に向き直る。
「―――よもや尊く敬うべき先祖のルーツに関わる者たちを、奴隷に貶そうなどと思う者が出るとは思わないだろう? 〈稀人〉を貶める者はその者に牙を剥かれるとも、昔から言い伝えられて来ているというのに」
しかしだ、とそこでソルスガは一段 声のトーンを落とす。
「仮に同胞を奪われれば、一般の民や希少種族には声を上げて怒る者は当然いる。国家や領地の法とは本来、そういった不条理に憤る者たちの為にあるのだ。
……一方で、こちらに来たばかりの〈稀人〉にそういった者がいないのは、どう取り繕っても事実ではある。そうだろう?
それに、いくら世界のあちこちに無数に〈門〉があるとはいえ、〈稀人〉自体、頻繁にやってくる者でもない――――つまり事案の発生する確率自体がそもそも低くてね。
〈稀人〉の、公式な市民身分への登記が確認されたのも一番新しくて十年前……今のところイチヘイ氏が最後だ。
……つまり、道理をわきまえぬ者たちにつけ入られる隙は、残念ながら十分に存在する」
厳しい現実だった。
イチヘイが、やはり自分は幸運な部類だったのだろうと思う一方では、隣に座るフィーが「んん、でももう、ハナトちゃんはうちの子なのよ!」と鼻息を荒くしだす。
「もうボク、ハナトちゃんのお母さんするって決めたのよぅ! だからねぇ、もう安心なの!」
すると花登が目を見張りながら、黙ったままフィーを見上げだした。にへら、と笑ったフィーと見つめ合う。
ソルスガもまた、その言葉にやんわりと受け止めるような微笑みを向ける。だが次に上がるその声は、すでに険しい色に染まっていた。
「まあ、この件の問題点については私から父上に上申しておくとして、今は脇においておくよ。
それで、ここで問題になるのは、―――あのハウ=アザラという男だ」
その表情は忌まわしげだった。
「……正直なところ、あの名が実名だとは私も思っていないが。
ただ、罰則がない以上、私の優秀な部下たちが例えあの男の身元を綺麗に浚いだしたとしても」
ソルスガはわざと溜めるような間を置いて向かい合う者たちの顔を眺め渡したあと、
「――今すぐには、現行の法の上では捕まえられない」
そう、きっぱりと言いきった。
「そしてそれは、あの男が『諦めなかった』場合、どんな手段に出るか分からないということだ。あの男の背後に誰がいるのかも、同様に、ね。
だが、ハナトが奴隷になってしまった以上、法の守護がおよぶ市民身分への引き上げにもまた、君たちにとっては一朝一夕には出せない金額が必要となる。……例え、もし今すぐ出せたとしてもだ、手続きにもまた半年以上の長い時間を要する」
一度少し区切って、ソルスガは顎先に指を当てる。相手にも同様に思考を促すような、わざとらしい仕草だった。
「……しかし、思い出してみてほしい、正式に競りが終わったあの後も、ハウ=アザラは『日をおけばいくらなら出せる』とイチヘイ氏に持ちかけていたかな?
それだけの金を出せると、この子に執着するような男が、先程のイチヘイ氏の「帰ってくれ」だけですっぱり諦めると思うだろうか……?」
だが、どれだけ態度が胡散臭くても、そのように問いかけてくる言葉に『いいや』と否定の言葉を上げられる者は、誰もいなかった。イチヘイをはじめ居合わせた者の表情は例外なく曇る。
――そんな全員の顔を眺めたあと、ソルスガは、まるで純朴そうな銀鼠色の瞳でこちらに微笑みかけてくる。
「さて、本題に入ろう。私はエナタルを治める領主の息子だ。こう見えて、王家との縁も深い。
そんな男が、君たちの後ろ盾になりたいと申し出ている。そしてまずは『品質保証書』という形で、貴君らと繋がりを持ちたいと思っている」
ソルスガは、芝居がかった挙動で胸に手を当てる。
「――――さあ、そんな私を、君たちはどう扱うかな?」
『自分』という物語でも読み上げるような、朗々としたその語り。同時に一同に向けられる、とても柔和なその笑顔。
――――更に、この状況で彼が引っ張り出してきた、『品質保証書』という単語。
「……んええ、ひんしつほしょうしょ? イチぃ、それってなーに?」
息を呑んだそこへ、フィーが首を傾げながらイチヘイを見てくる。更に目をやれば、それが何であるか理解している様子のカナイナ先生は、隣席でぽかんとしている花登を見やって、小さく「……すごい」と呟いている。
その様子を一通り見渡しながら、イチヘイは内心に危機感を覚えていた。品質保証書。罠にしか見えない。
(……なんでよりにもよって、ここでソレを出してくるんだ……)
しかし他に道がなく、イチヘイはこの話に反応せざるをえなかった。
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