63.鈍い光② -抗えない流れ-
読了目安 5~8分
フィーの焦ったような顔とイチヘイの睨み。
状況を把握したらしいソルスガは、「あーー……」と明らかに気まずそうな顔をしだした。どうするか戸惑うような間が数秒流れる。
「……すまない、聞いてしまった」
そうしてこの男はわざとらしくへらりと笑いながら、卓上に頬杖を突きはじめる。
イチヘイはその様子をひきつった顔で見据えた。
正直、コレにもとっとと帰ってくれと言いたいが、分が悪い。その上、フィーの口がユルくて秘密も聞かれた以上、何らかの形では対応しなければならない。
「フィー?」
真っ直ぐ見ることなく静かに短く呼ぶと、相棒は『だよねこれって話しちゃいけないやつだったよね?!』という表情でイチヘイの横顔をきょろりと見つめ返してくる。これはさすがに説教だな、などと思っていたイチヘイだが、その間にもソルスガの発言は続いた。
「……けれど、おかげで分かったこともある。教えてくれてありがとう、フィーゼィリタス嬢」
「んふぇえ……?」
塞いだ口の隙間から、生暖かい息と返事。
と、その間にソルスガは、
「だがおかげで、余計に問題が根深くなってしまった……」
そんなことを呟きながら徐に立ち上がりはじめた。ギギギッ、と椅子を引く不快な音が部屋に響く。
「だからまずは、君たちに対して、私からこれだけは伝えさせてくれないか……」
そのまま二歩、三歩、優雅に歩み寄って来る彼。イチヘイはフィーから手を離した。
警戒心をむき出しにしつつ、とりあえず身構える。何をする気か分からないが、腕力でなら普通に勝てるだろう。
しかし次の瞬間、
「――――すまなかった。赦してほしい」
聞こえたのは静かな言葉。くすんだ金髪の頭頂が、花登の目線と同じ位置まで下がってくる。
「は……?」
片ひざを突き、両腕を後ろに組んで頭を垂れる。
……ソルスガがしたのは、恭順の礼だった。
明確には何をしているのか分かっていない花登を覗いて、その場の全員の目は一瞬でソルスガに釘付けになる。
なにせこの礼は、謂れとなった故事からして、
『腕を縛った捕虜を目の前に並べさせ、首をはねるのが好きだった軍将が捕虜たちに取らせた姿勢』
などとされ物騒だ。
時代が流れた今でも、『あなたに無条件に従い、どのようなことをされても甘んじて受ける』という意味が強くある。
……謝罪に使うならば意味合いは限りなく土下座に近いが実際はそれより重い。
ゆえに目前の光景は、イチヘイの予想の斜め上すら突き抜けていた。
そうしてその、膠着したような静寂をものともせず、ソルスガの声が申し訳なさそうに、しかし朗々と続く。
「先程も、こちらの手違いで手傷を負わせてしまったと君には詫びたが、あれは私の本心からだ。
……いや、それだけではない、今回の一件は全て、我が商会――いや、ひいては我が家門の、恥ずべき失態なのだ。君たちは善意から奴隷の子を保護してくれただけだというのに、分もわきまえない部下達の行いに意図せず君たちを巻き込んでしまった。
すまなかった。
……〈稀人〉の子、君にもだ。
君のこの先の道を閉ざしてしまったこと、大変申し訳なく思う。
どうかこの身に免じて、赦してほしい」
あの、他人を顎で転がし、飄々とした態度で笑みを浮かべていたさっきまでの男が取る態度とは、とても思えなかった。
呆気にとられすぎて、イチヘイ含め大人三人は、めいめいにどうすればいいか分からず固まってしまう。
……しかしその時、腰の低い位置でイチヘイの服の端をおずおずと摘まむ指があった。わずかな感触にイチヘイが驚いて振り向くと、ハナトが遠慮がちに彼を見上げている。
「…………。」
その表情はソルスガの謝罪にどう反応すべきか、戸惑っているように見えた。ただ、表される意思は微かでも、確実にイチヘイに向けて助けを求めてきている。
それを目にした彼は、気を取り直した。思えば花登こそ、この事件の当事者だ。それに今のソルスガの発言にも、色々気になるところはある。
ゆえに、まだ不器用さの抜けない彼はやはり、自分ならばどう言われたいかを考え、口を開いた。
「……話してみる。それを聞いて、どうするかはお前が決めろ」
それだけ足下の彼女に呟くと、イチヘイは一歩前に出た。
そのまま股を開いて、この男の前にガラも悪くしゃがむ。合わせた目線で鋭く切り込むように、うつむいたソルスガの銀鼠の瞳を覗き見た。
「……まあ、許す許さないは別の話だ。だが、まずその辺の事情を詳しく聞かせてもらおうか? こっちもあんたに転がされたままなのは癪に障る。アフェイーグサマも、謝るからには質問にも答えてくれるんだよな?」
「! 勿論だよ――」
すると、ついと上がった彼の顔には、また当然のように薄い笑みが佩かれている。だが、それは申し訳なさそうではありながらも、どこか安堵しているような色だった。
まるで生まれつき純朴であるかのように見えるその表情に、イチヘイはどうにも意表を突かれる。
「では、話は少し長くなるのだけど、まずは我が兆嘴商会の設立当初の話から話させてくれないか――――、」
*
そこから十分と少し経っただろう。
イチヘイとフィーは、この部屋における何時もの定位置を取り戻していた。その隣には、椅子を追加して花登が座る。
しかし、それでもこの状況は少し、というか、イチヘイとしてはかなり落ち着かなかった。
……ソルスガが、イチヘイの真向かいにゆったりと座っている。
そのまま話を始めさせても良かったのだが、『さすがにそれは領主様の息子に対して失礼なのでは』と、ずっと傍観していたカナイナにおっかなびっくり促されたのだった。
今は当のカナイナも、ソルスガから距離を取るように机の長辺からはみ出して、花登のすぐ隣に座している。……ただ、土壇場で渡した金を全て花登に注ぎ込んだ、この女の真意をいまだに理解できないイチヘイは、正直この医者のこともずっと警戒していた。
そんな中、ソルスガが語ったことは、兆嘴商会の最初の『取扱い商品』、その『品物』を管理する商会の私兵、"群れ"の存在についてだった。
ほかにも、祖父の死をきっかけに、創業主から商会を受け継いだが、それからまだ三ヶ月程度しか経っていないこと。
そんな中、経営の見直しのために古い帳簿を洗う内、気付いてしまった商会の内部腐敗。
……そしてその腐敗の一角に、どうやらあの"群れ"の面々も関わっているらしいこと。
そこまで聞いてから、イチヘイは
――「……あ゛? よく分からないんだが、アフェイーグサマ、」
「ああもう、ソルスガでいいよ。私は善良な君たちを尊敬しているからね」
また親しげに微笑まれる。
崩される調子に鼻に皺を寄せながらも、イチを続けた。
「あ゛ー……、『らしい』、というのはどういうことだ? 調べて突き止めたんじゃないのか?」
「うーん……?」
するとソルスガは、困ったように微かな仕草で天井を見上げた。
「正確には、いま。
今日、まさにちょうど、その調査の最初の大詰めに差し掛かろうとしていたところだった、と言う方が正しいかな。ほぼ確の状態ではあるのだが、あれらは黒だ。
……しかしあれらもなかなか賢しい奴らでね。長らく決定的な証拠を掴めなかったんだ。
それが今日、ようやく土壇場で彼らの取引の尻尾を掴んだ私は、無理やりこの場に押し掛け、……そこにいたのがきみたちだった、と言う経緯になるかな?」
上を見ていた銀鼠色がこちらに視線を戻してくる。注意深く見てはいたが、嘘のない自然な瞳であった。
この男は尋問するにしても一筋縄ではいかないと、イチヘイには思えている。この顔で嘘をついているかもしれない。
……しかしこの場には、自らの主人へのわずかな不敬すら許さない、厳格な側近がいない。
あの男をさりげなくこの場から外していることすら、そしてその状態であのような謝罪を見せたこと自体、計算ずくの可能性もありえた。
……ただその場合は、単にこれがこの男なりの『誠意』の見せ方である可能性も、ないとは言いきれない。
「~~~だー、くそ、」
思わず耳の上の髪を触ってしまう。疑い切れないのが一番面倒だった。
細めた深い赤色の目の間に、皺が寄る。
その姿を目の動きだけで探るようにじっと見つめて追いかけ、ソルスガは続ける。
「全容が解明され次第、私は私の正義に則り、あれらに罰を加えるつもりだ。あれらは、法の上では奴隷にしてはならない者たちを奴隷におとし、法外な値段で裏取引に回すことで、私腹を肥やしていた。
私が愛するこのエナタルの領民たちも、彼らの餌食になった可能性も排除できなくてね。到底許せるものではない」
「……し、質問していいでしょうか、アフェイーグさま」
と、そこでおずおずとカナイナが手を上げだす。イチヘイは黙って、その会話の行く末を見つめた。
「うん。ソルスガ。と」
「う、そ、ソルスガさま……」
「なんだろう?」
「ワタシ、は、一度彼らに理由も判らないまま追いかけられたのですが」
「……なんだって?」
「ひっ、その、もしかしてワタシを捕まえて、売り払おうとしていた、可能性は……?」
とたん、ソルスガの顔には稲光のように怒気が走り抜ける。苦々しげなため息と共に、彼は居住まいを正しだす。
「……カナイナ嬢。
……失礼に当たるかもしれないが、貴女はこの辺りでは一切見かけない珍しい種族だ。その可能性は十分にあり得る。
……誠に申し訳なかった、本当に躾が行き届いていなかったようだ。怖い思いをさせてしまった」
そして椅子から立ち、もう一度ためらいなく恭順の礼をとろうとするソルスガを、立ち上がったカナイナ先生は全力で止めに行く。
「あー! わー?! 大丈夫です! 畏れ多すぎます! わっ、ワタシは大丈夫だからー!!」
イチヘイはそれを尻目に、そろそろもう少し突っ込んだ質問をしてみることにした。




